第7話 未知の生物
──鉄達が“何か”と遭遇した頃、綾人達は荷物を取り返しに捕まえられた場所に戻っていた。
「あ……綾人、落ち着いて」司の訴えも聞かず、きらりと光るナイフを持ち無言で近づく。
「た、助けてくれ……俺は、まだまだ生きたいんだ……やめてくれ──」
「ああー、もううるさい! 少しは黙ってて。とーちーが、バックルの隠しナイフで、ガムテープを切ってと頼んだんでしょ!」
“ひょっとこ”の面の様に口を尖らせ戯ける司は、笑いながら手を伸ばす。
「ハハハ……メンゴ、メンゴ。頼むぞ、ガムテープだけだからな、腕は切らないよう注意してくれよ!」
ため息をつきながら綾人は腕の間のガムテープを慎重に切っていく。
「はい、できたよ。俺も切って!」
司はナイフを受け取り綾人のガムテープをサッと切り両腕を解放する。
「不自由が無ければ自由が分からないものか……手が使えるっていいな」
「そうだね──」
今は、そういうのいいって──。説教くさい話や自分語りを多用する、司のそういう所が面倒くさくて、つい、綾人は冷めた言い方をしてしまう。
二人して肩や腕を伸ばし、体が自由に動く解放感を味わうと、岩影に置かれた自分達のバッグを取り戻し中身を確認する。開けっぱなしの綾人のリュックにあるのは懐中電灯と歯磨きセット、杖代わりに使った先の尖った棒が横に倒れているだけだった。
「嘘だろ……お茶のペットボトルやパンに、おやつも全部食べられてる。何か食べようと思ったのに……」
食料がない事に落ち込む綾人をよそにショルダーバッグ抱きしめて司は喜ぶ声を出した。
「あったー! 無事で良かった」
一見すると小分けになった鼻うがい用の塩しか入ってないように見えるが、袋の下には隠れるようにしてスマホや防水マッチにスチールウールとバッグに入れた物が全部残っていたのだ。
司のバックの中身を聞いて綾人は酷く落胆し、その場に座り込む(しかたないよね。とーちーは食料的なものは入れてなかったもんな……)。
「ねぇ、お腹が空いて動けなくなる前に、次のコテージに向けて進もうよ」と言うと、思いがけない返事が返ってきた。
「そうだな……荷物は取り返したし、あの落ちた二人を助けてから先へ急ごうか──」と司が提案したのだ。
綾人は驚きの表情を作り「えっ? あの二人助けるの⁉︎」と尋ねた。
「気持ちはわかる……だけど、どんなに悪人でも命だけは簡単に奪ってはいけない。人の命はそれほど大事なものなんだから」
綾人は釈然としなかったが、珍しく真剣な顔で話す司の言葉をしぶしぶ受け止めた。
歩き出して数分後。
遠くから男女の悲鳴が聞こえ、綾人と司は顔を見合わせると一斉に走りだし声のでどころの鉄達が落ちた穴を覗き込んだ。
深さが二メートル程の穴には鉄と艶がいる。
そして──体長一メートル程度の不気味な生物が、引きずるような音を立てながら鉄達の方に向かっていた。
「鉄ちゃん助けて──」
「アホ抜かせ! こんなのどうすりゃええんや」鉄は、とりあえず艶に自分と反対側の場所に移動するよう伝える。
「なにアレ……動物なの?」と呟く綾人。
鉄は上にいる綾人の声に反応すると、慌てて助けを求める。
「おぉー! 地獄に仏っちゅーやつや。はよ、助けてくれや──」
綾人は複雑な表情をする(助けてくれだなんて、よく言うよ。とーちーはどうするんだろう)。
「待ってろ、今助けてやる」
迷わず司が出した答えに綾人は苛立ちを隠せない。
「なんで……なんであんな奴、助けるんだよ。おかしいよ!」
怒りをぶつける綾人に司は「多分、すぐ裏切るだろうな」と冷静に気持ちを伝える。
「だったら、なんでだよ!」
「ここで助けなければ、俺も綾人も一生後悔しながら生きる事になるからだ」
「それは……たしかに、そうかも……」
「”子は親の背中をみて育つ”ってな。馬鹿みたいだけど、お前の前ではカッコ良く生きていたいんだ」と言い切った司に、綾人は理解しきれない表情を浮かべ「よくわからないよ」と答えた。
「今はそうかもな。こういうのは後からわかるものさ」
綾人は戸惑いながらも、その言葉に対して頷いた。
話を遮るように、鉄が大きな声を出し懇願してくる。
「なぁ、話はそれぐらいにして。こっち、こっち頼むわ! はよ、ワシをあげてくれや!」
司は崩れ落ちた穴の周りから救助を試みる。
「綾人、木の棒を貸してくれ──さあ、掴まれ!」
鉄が差しだした棒を掴んだのを確かめると、司は力を込めて引き上げる。
「ありがと、ありがとな……ヨイショっと……助かったー!」
鉄はジタバタして穴から脱出すると、疲れたのか壁にもたれ座り込み、そのまま動こうとしなかった。
「あと一人助けないと!」
司は続けて艶に向かって「こっちにきて、棒に捕まってください!」と指示するが、逃げる途中に足を挫いて動けなくなっていた。それならばと棒が届く反対側に回ろうとした時、予測できない出来事が起こった。
「ありがと、ありがとね── この“お人好しさん”」
鉄は笑みを浮かべつつ、感謝の言葉をかけながら司の背後に回ると、穴に突き落としたのだ。
滑り台のように穴の下に落ちた司は、腰をさすり立ち上がると「何をするんだ!」と声を上げるが、鉄は眉一つ動かさず冷静な表情のままでいる。
「何て、決まってるやんけ……お前らをあの怪物に食べさせんねん」と言って「あんだけコケにされたんやからな……まぁ、自業自得っちゅーやつや」と理由を述べた。
司が理解できない表情で「彼女を助けないつもりか!」と問い詰めると、鉄は「まぁ……しゃーないやろ。金塊の分け前が減るしなー」と笑顔で答え、そして「艶もわかってくれるわ」と冷たい目を向ける。
「いや、鉄ちゃん、鉄ちゃん助けて──!」
「すまんのう艶」と顎をさすりながら眺める目は、まるで地面に落ちている小石を見るようだ。
鉄は近くに立っていた綾人も捕まえて「逃さへんぞ。オラ、お前も落ちんかい!」と穴に突き落として、悲鳴を上げながら落ちていく姿を見ながら大笑いする。
「文句があったら、いつでもこい! ワシが“矢柄鉄”や‼︎ まぁ、生きてたらやなけどな……ヒャーハッハッハ──‼︎」
そして勝ち誇ったような笑い声をやめて、笑い過ぎて出たヨダレを手で拭くと鉄は真顔になると「ほなさいなら──」と告げ、振り返りもせず立ち去った。
──穴に落とされた綾人は、司によって上手く下で受け止めてられていた。
「大丈夫か綾人!」
「いてて……信じられないよ。助けてもらって、こんなこと! やっぱり、あんな奴ほっとけば良かったんだ‼︎」
「シッ! 綾人その話は後だ。先ずはアレをどうにかしないとな」
「えっ⁉︎ あの……女の人どうなったの? う、うわ────‼︎」
未知の生物はブヨブヨとしていて、その粘液に体全体を包まれた艶は、必死にもがきながら苦痛の表情を見せている。彼女の目には恐怖と絶望が映り、液体の様な体が艶の口の中へと入り込んでいく。
「もう手遅れだ……アレはなんだ? 巨大化したアメーバか何かなのか⁉︎ それとも陸上を歩くクラゲと言ったものだろうか……それにしてもデカすぎる……」
「とーちー、何あれスライムみたいなの。あの女の人、溶けてる?……う、うぇ────!」
<ズズズッ……>
未知の生物は、自分の体に包み込んだ艶を消化しながらゆっくり移動し始めた。
司は観察する。全長は、さっきより大きく感じる。一、二メートル程か? ナメクジの様にゆっくり動き、体内に取り込んで溶かしている。
「まるでスライムだな……綾人、後ろに下がって!」
考える暇もなく、未知の生物は何に反応しているのか分からないが迷わず迫ってくる。
<ズズッ……ズズッ……>
司は考える(あの生物のスピードだと、こっちにくるのに10分はかかるだろう。その間に綾人を逃がさないと)。
「綾人、壁の方を向いて、早く俺の肩に乗れ!」
その場で、しゃがみ込む司に、綾人は肩に足を乗せるが上手く立ち上がれない。
未知の生物との距離はあと五メートル程に近づいてきている。
「壁に手をつけながら、肩の上で立ち上がれ! それで上に登れるはずだ!」
苦戦しながらも立ち上がり、ふらつく身体を横から手で支える司。
「俺も横から手で支える、心配するな!」
綾人は地面に爪を立てるようにしっかりと指を掛け、喉の奥から絞り出すような叫び声を上げながら、ついにその急斜面を登り切る。
「ハァハァ……やった、登れたよ! とーちーも早く!!」と促す綾人。
後は、鉄を助けるときに使用した木の棒を足場に利用して上がるだけだが、未知の生物と距離が近すぎて取りに行けない。
「綾人頼む! あの棒が欲しい。上から、あの生物に向かって石を投げ注意を引いてくれ!!」
「わかった!!」
「淡水でアメーバの様な単細胞生物、しかも超特大の……」
「とーちーに近寄るな! えい、えい‼︎」
石を投げつけながら叫ぶ綾人。
<ブチュ……ブチュ……>
綾人の流れる汗が下にいる司に分かるぐらい必死に投げ続ける。だが、水のかたまりに石を投げている様で、まるで手応えがない。
司もまた、未知の生物が横に逸れることもせず向かってくるため冷や汗が止まらない。流れる汗を舐めながら木の棒を取るチャンスを考えていると脳裏にある光景が浮かぶ。
<ゴソゴソゴソゴソ>
バッグの中からなにかを取り出そうとする司(──上手く行くかわからないが、これしか手はない)。
「とーちー、何してるの! もう近くに来てる、来てるってば‼︎」
その距離は一メートルをきっている。
「ダメだ……食べられる! とーちぃ──‼︎」絶叫する綾人。
未知の生物が体を大きく伸ばした時、司はバックから小分けにした“塩”を撒き散らす。
「コレでもくらえ──‼︎」
白い塩が未知の生物に触れた瞬間、その体が激しく震え始めた。まるで目に見えない炎に包まれたかのように、身をよじり、逃げ場のない苦しみの中で、その小さな体をくねらせた。スライムの様な体表が一瞬にして乾き始め、やがて泡立ち、溶けていく。
<ズズッ……ドロロ……>
「ハァハァ……やった……」
「えっ、えっ⁉︎ 溶け出した──!」
司は急いで木の棒を拾い戻り、壁に立てかけ踏み台にして穴から這い上がると体力の限界か、仰向けになって寝転び息を切らしている。
「ゼェゼェ……ハァハァ……」
<ズズ……ビシャ……>
時間が経つにつれ、未知の生物の動きは次第に鈍り、やがて完全に止まった。
そこには乾ききった小さな残骸と、地面に残る塩の結晶と大量の水分が水たまりを作っている。そして最後は、薄皮のような残留物だけが残った。
綾人は寝転んだ司にかけ寄ると飛びつき心配の声をあげた。
「もう危ない真似しないでよー、うわ──ん‼︎」
「すまん──」素直に謝り司は周りを見る。
「アイツが……鉄が戻ってくるかもしれない。とりあえず場所を移動しよう」
「う、うん、そうだね。そうしよう」
頷く綾人の顔色はひどく悪く、司は心配そうに呼びかける。
「綾人、大丈夫か?」
「大丈夫だよ……あれ……変だな、なんかクラクラする……」と言いながら司にもたれかかると、綾人はそのまま倒れ込んだ。
「綾人、しっかりしろ綾人────‼︎」
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