第4話 湖底の下

 コテージは斜めになりながら琵琶湖の中へ滑り落ち、ジワジワと部屋中に浸水がはじまる。足元から急激に増えていく水に浸かりながら、綾人は絶望感を感じていた。

 呼吸は荒くなり。部屋の電気は消え闇に包まれ、周りを見ても家族の姿は見えない。

 

「ハァハァ……水が……どんどん入ってきてる……」

 

 最後の力を振り絞って叫ぼうとしたが「う、うっ」としか言えず、やっと出した声も雷鳴と爆発音で消えていった。

 

「もう、おヘソまで水が浸かってる。もうだめだ……。ハァハァ……しかも、まだ下に落ちていく……」


 先の見えない恐怖に、ついに綾人は泣くことしか出来なかった。

「う、う、うわ────ん‼︎」

 叫びが絶望と恐怖を速め、目の前は全て真っ黒に消えていった──。


 どれくらい時が経ったのだろうか──

 十分?

 一時間?

 一日?

 もう、どうだっていいや……

 

「あ……や……」

「あや……と……」

 暗闇の中から声がする。

「目を開けろ、綾人!」

 司が、力一杯叫ぶ声──

「綾人──!」

 

 目を開くと無精髭の顔が最初に見えた。

 次第に意識が戻ってくる──自分が司に抱き抱えられるのに気づき、綾人は弱々しく怯えながら口を開く。

「と、とーちー……水が入ってきて……家の中にも、それで死ぬかもって……」

 

「大丈夫……もう大丈夫だぞ、綾人」司は安心させるように手を握る大きな手が暖かい。 

「怪我してないか?」

 

 優しく問いかけられて素直に「大丈夫だよ」と、綾人は、か細い声で応えた。

 体を起こして部屋を見るが、暗くて良く分からない。それだけに、司の存在が頼もしくて弱音を晒してしまう。

「ヒック、ヒック……うわぁ──ん、怖かったよー!」

 

「痛いところはないか?」

  

「ヒック……身体中が痛いけど大丈夫、動けるよ……」


 司は胸を撫で下ろし「そうか、本当に良かった」と言うと、その場に腰を下ろす。

 綾人は泣いた事が少し恥ずかしくなってきて、司の視線を逸らしながら菜桜子と茉莉の安否を聞いた。


「かーちーは、ケガしてるが無事だ。ただ茉莉は足をくじいたかもしれない」

 司の冷静な報告が、綾人の不安を呼び起こす。

 

「茉莉はどこ!」

 

「落ち着け綾人、ニ人は隣の部屋にいるからな。俺はガレージにある予備電源のスイッチを入れてくる」

 そう言って災害用ライトを綾人に渡すと、司はスマホのライトを使用して、急いでガレージに向かう姿を見て、まだ安心は出来ない状況なのだと感じた。


 綾人は、隣りの部屋に向かい声を出す。

 

「かーちー、茉莉──!」直ぐに反応したニ人が顔を出して「綾人‼︎」と、それぞれが名前を呼んだ。

 

「あぁ、綾人……良かった!」と菜桜子の声の後に「綾人ふっか──つ!」と茉莉が元気な声で答えた。

 

「あれれ……とーちーは?」

 

「ガレージにある予備電源のスイッチを入れにいくって。それより茉莉、足は大丈夫なのか?」

 

 湿布の貼った足を綾人に見せる茉莉。 

「かーちーが魔法のシートを貼ってくれたから大丈Vだよ」

 

 笑いながら話す茉莉の明るい対応につられたように、部屋が一瞬真っ白になったかと思うと明かりがついた。司がガレージの予備電源をいれたのだろう。

 

「そうだ。ここってどこなの? これからどうするの⁉︎」矢継ぎ早に綾人が、問い詰める様に質問をするのを聞いて、菜桜子は悩んだ表情をみせる。

 

「もう私達も何が何だか分からないのよ……ただ、あの状況から推測すると琵琶湖の中になるかな」と菜桜子が冷静な判断で綾人に伝えると「そんな……本当に……」と綾人は呟き黙ってしまった。


「電気がついて助かったな」

 そう言いながらガレージから戻ってきた司は、皆んなが目に入る位置に立つ。


 菜桜子は全員揃ったのを確認して「ガレージは少し壊れたみたいだけど、このコテージは、とても頑丈で良かったわ。あの高さから琵琶湖に滑り落ちたとしたらコテージはシェルターとしての役割を最高に果たしたわね。ただ地震が、もう一度きたらと思うと危ないから、ここにとどまるかを直ぐに考えましょう」と提案をした。

 

「それもそうだな。予備電源の残量は節約して、一週間持つかといったところだった。とりあえず、かーちーと茉莉は無理せずコテージの中の食材や薬を集めてくれ。確かキッチンの辺りに緊急用の備蓄用品があるはずだ」


 司が家族に役割を振り分けていく。

 

「俺と綾人は車の中の荷物と、外に散らばった道具がないか確かめにいってくる」

 

「えっ! 外出られるの⁉︎」と驚く綾人に司は「ガレージ側からはシャッターが壊れて出られないが、玄関からは外に出れる。少し濡れているが地盤はしっかりしているみたいだった」と答えた。

 

「ねぇねぇ綾人! もしもの為に、このトランシーバー時計つけて」と茉莉は綾人に時計を手渡す。

「少ししか聞こえない玩具だけどね」と、心配そうな顔をする茉莉に綾人はニコッと微笑み「オッケー!」と返事をした。

「あとね、お菓子ちゃんと見つけてよ! じゃないと ”コチョコチョの刑”にするからね‼︎」と茉莉が軽い口調で脅しをかけると、「ひぃー! わかりました茉莉様──」と綾人がおどけだす。

 

「綾人、地底人見つけたら教えてねー」

「地底人きたー。茉莉、おぴうすー!」


 二人のいつものやり取りに司は笑顔を浮かべながら「そろそろ行くか」と綾人に声をかけるとガレージの方に歩いて行く。

 ガレージ内の壁を見る。ひび割れた場所は、どれも髪の毛程度の亀裂だったため、そこまで深刻なダメージでないと司は判断したが、念の為、いつでも逃げられる範囲で道具を拾うとリュックに入れておくことになった。

 

 一通り拾った後、今度は玄関の方に向かい二人は重いドアを開け外に出る。


 そこは──暗闇の世界だった。

 

 綾人がライトを持ち上げると、光の輪が地面を這い奥へと進んでいく。洞窟の中は、まるで別の世界だった。外の光は一切届かず、ただ漆黒の闇が広がるのみ。光の外側には未知の空間が広がっていると考えると、不安が胸を締め付けてくる。

 

 綾人は、もっと光をと慎重にライトのスイッチを強にした瞬間、光が洞窟の全体を照らし始め、胸の中に広がっていた不安と恐怖が一気に和らぐのを感じた。

 

「よかった……これなら安心だ」

 

 浅瀬の場所とはいえ地震と噴火の影響で地殻変動が起きて水が一気に流れ落ちたことや、琵琶湖の底に鍾乳洞のような洞窟が存在することに不安を残しながも、何か使える物が落ちてないか探し歩く。一歩ずつ足を進めコテージの壁に沿って進むと、ライトの光を反射するような石を発見した。

  

「あれ⁉︎ この薄く平べったい石、所々キラキラ光ってるな。茉莉に自慢する為、とりあえずポケットに入れておくか」

 綾人は興味本位で拾いあげるとポケットに押し込んだ。


『ガガガ……』

 コテージの周りを一周歩き終わる頃、トランシーバー時計からノイズと共に茉莉の声が聞こえてきた。

 

『あー、あー、綾人ー、聞こえるー?』と茉莉の声に反応して「聞こえてるよ」と直ぐに返答する。

 

『こっちは食料とか集まったよ。かーちーが一回食事しようだってー』

 

 綾人は直ぐに「オッケー、戻るよー!」と伝え、少し離れた司に向かって「とーちー、かーちーがご飯食べようってー」と叫んだ。


「よし、こっちも大体集めたし戻るか」

 二人が合流し戻ろうとした矢先、一瞬にして静けさが打ち破られた。

 

 ──再び地震が始まったのだ。

 

 壁からは微細なひび割れが一気に広がっていき、地鳴りとともに轟音が洞内に反響する様にこだまする。

パラパラと小石が体に落ちてきたかと思うと、急激な揺れに変わって天井から大きな岩が剥がれ、次々コテージの上に次々と落ちていく。


「うわぁ────、かーちー、茉莉ぃー!」

「綾人待て、危ない!」

 

 綾人は家族を心配しコテージの方に戻ろうとしたが、司によって力づくで安全な場所まで引っ張られ、岩が落ち終わるのを待たされた。突然の出来事に絶叫する綾人。何度も名前を叫ぶ悲鳴が洞窟内に、こだまし続ける。

 

──地震の余波が静まり、再び静寂に包まれる。

 コテージには大きい岩石の塊や大量の土砂や岩が乗っている。その光景を見て、待つしか出来なかった綾人は感情が抑えきれず、司に強い言葉を発してしまう。

 

「なんで、なんでこんな所に連れてきたんだよ! 皆んなをこんな日に無理やり連れて来るから……」

 

──いや、違う

──無力な自分を正当化する為に、“誰かのせい”にしたかったのだろう。

 

「綾人……」

「さ、触るな!」

 

 この絶望的な責任を誰かのせいにして自分の心を守りたい──

 司が肩に触れようとした手を払い除け、感情が抑えきれず思わず口が滑る。

 

「本当の父親でもないくせに!」

 

 目の前にいる司は、図星を突かれたと言わんばかり、口を半開きにし身体を硬直をさせた。

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