第3話 生まれる懐疑心
宿泊日当日。
自宅から滋賀県に向けて神野家は車で出発をした。高級コテージに向かう車内には、運転席に司、助手席に菜桜子、後部座席に綾人と茉莉が座っている。
高速道路上で快晴だった天気は、目的地近くのICで降りる時に激しい雨へ変わり始めた。
天気予報では、本土に上陸せず日本列島に沿うように北東へ抜けていく予定をしていた台風8号が、突如、滋賀県の上を抜ける異例の列島横断を始めたためである。
車のワイパーが追いつかない程の雨粒と横風が特に酷い。車体が大きくフラつくと、横に座る茉莉が怖がり縮み上がっている。
その姿を見て、前日の夜に行われた家族会議で、旅行に反対する者がいなかったのが、裏目に出てしまったな──と綾人は少し後悔をした。
車は進み、目的地に近づいて琵琶湖が見え始める頃、車外は暴風雨となり更に激しさを増していく。
「ねえ、一度止まった方がいいんじゃない。事故の危険性が高いわ」
外の天気に不安そうな顔をする菜桜子の気を紛らわそうと、司はコテージにチェックインするまでの説明をする。
「ナビのゴールは、すぐ近くを指している。受付場所はもう直ぐみたいだから、このまま行こう。そういえば、コテージつながる山へ入るには、風や雨の抵抗を全く受けず、会員以外を拒む様に囲われた大きな門があるんだって。そこを通り抜けるころには安心するから」
実際に辿り着いた門扉は、バスでも通れそうな大きさだった。天井には防犯カメラが銀行のように数多く設置されており、セキュリティの高さと雨風の影響を受けない安心感から、菜桜子も少しホッとした表情を浮かべている。
車をドライブスルーのように進め、事前に送られたICタグを機械にかざしてパスワードを入力する。すぐにチェックインが完了し、門がゆっくりと開いていく様子を、綾人は薄目で見ながら(まるで勇者になってお城の中に迎えられる気分だな)と心の中でつぶやいた。そして、前の二人に気づかれないようにそっと目を閉じた──。
<ハッ、ハッ、ハクショ──ン‼︎>
荒れた琵琶湖を横に見ながら、山の斜面に沿って走る様になると、司が大きなクシャミを続け菜桜子は、すかさずティッシュを手渡す。
「グス……また、かわい子ちゃんが俺の噂をしてるな……」
「はいはい……花粉でしょ。ちゃんと鼻うがいの道具持ってきた?」
「もちのロン!」司は胸を張って答えるとハンドルを握り直す。
「それにしても凄い風だなぁ」
「まるで、人ごとね。受付から十分くらい走ってるけど、もう着きそう?」
「はい。もう、 着く着く、つくつくぼーし! って、ほらもう見えてきたぞ」
「それ……さっきも同じ事言ってたよね」
「ハハハ! 今度は間違いない。“この先一キロ”って看板がでてたから」
「そう、良かった」さっきよりも少し安心の表情を浮かべた菜桜子は、続けて不安を司に吐き出す。
「司君が『このまま行こう』 と言うから来たけれど、今日泊まるコテージ本当に大丈夫なの?」
その言葉を聞いて司は、待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべると、セールストークのように話しを始める。
「災害に強いコテージの謳い文句で、いざとなればシェルターになる。免震・耐震・防爆のトリプル構造。災害設備として緊急通報ボタンに予備電源や非常食も完備。しかも出来たばかりの第一宿泊者! 明日は台風一過でドピーカン! 朝には、琵琶湖を一望できる景色が拝めるよ」
言い終わった司は、満足げな顔をしてバックミラーをチラッと見て笑った。
「本当に楽観的ねぇ」
「綾人と茉莉は寝ちゃったのか?」
「うん、着いてから起こしてあげましょう」
「そうだな……ハッ、ハクショーン‼︎」
「はいはい、ティッシュね」
──後部座席に座る綾人は「起きてるよ」とは言わず、寝たフリをしていた。
隣の茉莉は泣き疲れがあるように、怖がり疲れがあるのか、いつの間にか「スゥスゥ」と寝息をたてて本当に眠っている。
実は綾人は出発後から直ぐに寝たふりをして、薄目で司と菜桜子の会話が不自然じゃないか盗み聞きするような真似をしているのだった。
ふと、何故こんなことをしているのだろうか──綾人は思う。
俺は二人を”とーちー”、”かーちー”とあだ名で呼ぶほどに仲がよかったのに。
それは、この旅行の準備中の出来事。
そう、アレさえ見なければ──
宿泊日前日。
──司と菜桜子は買い物へ、茉莉は友達の家に遊びに出かけ、綾人は一人で留守番をしていた。大好きなゲームやネットも一通り遊び尽くしたところで、菜桜子から「旅行の用意をするのよ」と言われていたのを思い出す。
そろそろ始めるか──二階の納戸に置いてあった旅行バッグを探すが見当たらない。そういえば「使わないから上の方の箱にまとめて入れるね──」とも言っていたような気がする。
椅子の上に乗って箱を下ろそうとした時、周りの箱を引っかけて、辺り一面に中身をぶちまけてしまう。床一面に写真や本が広がって足の踏み場も無い。
「うわっ、怒られる! 早く直さなきゃ」
ふと、床に散らばったアルバムから一枚の写真が飛び出ているのに気づいた。
何気なく拾いあげた写真には、結婚式のニ人が写っている。
にこやかな表情の司と”知らない女性”が──。
「えぇっ⁉︎ 誰……」
あまりにも唐突な出来事に脳が反応できず、暫くぼーっと立ちつくす。
次第に焦燥感に駆られるように、手当たり次第アルバムを取り出すと、他の写真は無いのかと片っ端から調べ始める。
しかし──”知らない女性”が写っているのは、その写真一枚だけだった。
「この女性は、一体誰なんだ……」
いろんな憶測が生まれていく。
「かーちーが整形したのか? いや、俺と茉莉の顔は、かーちーに似ている。じゃあ、とーちーは結婚詐欺師……でもそれだったら写真なんか残しておかないはずだ」
ゴクリと唾を飲む。
「もしかしたら、もしかしたらだけど……とーちーは……俺の父親ではなかったりするのかも……」
納戸にある他の箱を探したが何も見つからないまま、司達の帰宅時間が迫ってきて、急いで写真を箱に戻す。その後は旅行の準備に追われたせいにして、誰にも相談することも出来ないまま出発日を迎えてしまい、今こうして二人の行動を観察するような真似をしているのだった。
──ブレーキがかかり体が前に動く、車が徐行スピードになるのが分かる。前を見ると少し先にある建物の電動シャッターが上がりだし、オートガレージの中に車を入れたとたん雨音が遮断された。
もう引き返せない。
シャターが自動で降りていく車の中、司には旅行中にどういう事か聞き出してやると、綾人は心に決意した。
「コテージと一体しているなんて、さすが高級だな。ニ人とも着いたぞー!」司の声で、茉莉はパッと目を開くと、喜び勇んで車のドアを開ける。
「やったー、綾人行こう!」
「オッケー!」
ほんとに寝起きなのかと思う大きな声をあげる茉莉につられて、綾人も目を開けると気持ちが高まったフリをして返事した。
「いぇ──い、茉莉いっちばーん! あれぇ? ここ何もないよー」茉莉は車の周りを走った後に立ち止まる。
司は笑って話す。
「ハハハ! ここは屋根付きのガレージで、コテージには奥のドアを開けたとこから入れる。本当の玄関はまた別の所にあるからな。はい、みんな自分の荷物持って──」
<ガチャ!>
今は司と会話をしたくない──綾人は、話が終わる前に何も言わず、奥のドアを開けて入っていくことにした。
「……綾人のやつ勝手に行きやがって」不満そうな顔をする司。
「あ─、ずるいー茉莉もいくー!」
「あっ……茉莉も……」
菜桜子は子供達とのやり取りを見守りながら「難しい年頃になってきたね」と微笑んだ。
司は深呼吸をして和ませるように答える。
「まぁ、折角の旅行中だし怒らないようにするよ」
「私、車から荷物降ろし始めるわね。心配なんでしょ? 見てきてあげたら」菜桜子はそういうと車の中に荷物を下ろし始めた。
「流石お見通しだな……じゃあ頼んだよ。おーい、二人とも荷物を運んでくれよー」司はドアノブに手をかけようとした時である。
<ガシャーン!>
ドアの向こうから何か割れる音がした。
「えっ……綾人、茉莉!」
司がドアを開け駆け寄ると棚の上にあったと思われる陶器が砕け散っていた。
「ニ人とも大丈夫か! こ、これは……綾人が割ったのか?」
「はぁ⁉︎ 割ってねーよ、勝手に落ちたんだよ!」
「勝手に落ちるってポルターガイスト現象かぁ⁉︎」
「なんだよ、疑いやがって……俺は疑って茉莉は疑わないのかよ!」顔を真っ赤にして抗議をする綾人。
「とーちー、ほんとだよ! 勝手に落ちたんだよ茉莉も見てたもん」茉莉も一緒に抗議する。
「あぁ、疑って悪かったな」笑顔で謝る司に綾人はイライラを爆発させた。
「何笑いながら謝ってるんだよ! やっぱり、とーちーは、俺の本当の──」
綾人が最後の言葉を発する前だった。突然、地面がゴゴゴ──と唸りを上げてコテージ全体が揺れ始めていく。
揺れはどんどん激しくなり、家具が音を立て始めると、コテージの天井がミシミシと鳴り出す。壁に掛けられた絵や食器が落ちて割れる音、家族の動揺した声が一緒になって部屋は混乱に包まれた。
「じ、地震だ!」綾人は、叫び周りを見る。
まるで箱の中に入れられた玩具箱が激しく揺らされている様で、とても立っていられず全員が四つん這いになった。
「お、大きい……窓のそばに立つな、しっかり何かにつかまれ!」
司の叫び声が聞こえるが、すぐに外の爆発音でかき消され、コテージはまるで巨大な波に飲み込まれたかのように揺れ続ける。
壁が悲鳴を上げるような音を立て、綾人は何度も倒れそうになるのを踏ん張り必死に耐えていた。
そして──今までより大きな大砲の様な音が鳴ったと思った瞬間、窓ガラス越しの外の色が一瞬で変わりだした。
「な、なんだ!」
「綾人、あれ見て! あの窓から見えるお山」茉莉は固定された家具にしがみつき大声で叫ぶ。
離れた山から赤とオレンジ、そして黒で構成された炎が山の頂上から広がる姿──それが火山の噴火だと認識するのに数秒もかからなかった。
地震の揺れが次第に小さくなると、司は床に手をつきながら近づき安否を確かめ始める。
「綾人、無事か!」
驚きと戸惑いからか綾人はボーゼンとして「うん」とだけ答えた。
「茉莉は、どうだ。怪我してないか!」
不安と恐怖に満ちた顔をした茉莉は、司の声を聞いて緊張の糸が切れたのか叫び出した。
「かーちー! 怖いよ、かーちー‼︎」
ドアを開け菜桜子を探しに走る茉莉。
車の中に退避していた菜桜子は、声に反応して飛び出して抱きしめる。
「かーちー、怖かったよー。うわ──ん!」
「茉莉、とーちーの方に戻るわよ!」
部屋の中に一人でいた菜桜子は迅速に決断し動揺をみせなかった。それは茉莉の泣き声に子供ならではの不安が滲んでいたからだ。
菜桜子は急いでドアを開けると目の前に司が立っていて、お互い同時に安堵の声を出す。
「良かった。二人とも怪我はしてないみたいだな。」
「平気よ。綾人は、どこ!?」
「窓の側にいるよ、問題ない」綾人の近くに三人が移動をしようとした時、再び地面が揺れ出した。
「な、なんか……傾いてきてない⁉︎」綾人の声には、驚きと恐怖が入り混じっている。
「え、え⁉︎」コテージは斜めになり始め、家族はゆっくり横に滑り出していくのを感じた。
「これ、家が……家が山崩れによって滑り落ちている?」と綾人の一言で家族の表情が重くなる。
「ってことは……このまま琵琶湖に落っこちゃう……」菜桜子が続けて暗い予感を口にした。
「落ちちゃう、落ちちゃう!」茉莉は慌て菜桜子に抱きつく。
「みんな固定された家具に掴まるんだ!」司は冷静に対応策を伝えるが、綾人だけ皆んなと少し離れた場所にいたため掴まるものが近くになく、壁に背中をピッタリとつけて座って対応する。
その瞬間、大きく体が浮いたと思うと、坂を滑り落ちる様な感覚に陥った。
「う、うわぁ────!」
外からの雷鳴は鳴り止まず、雨は滝のように降り続く。度重なる地震で地面の感触が失われ、立ち上がれない綾人たちはコテージの中にいるしかなかった。
遠くから汽笛のように鳴り響く噴火音が聞こえる中、コテージはまるで終着駅に向かうかのように琵琶湖を目がけて滑り落ちた──。
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