第29話 カニは戦争になる

 お腹も空かせた閏たちを乗せてバスは行きと同じく爆速で山道を駆け降りていく。


 準備のいい美也が先に携帯端末で温泉宿に一泊二食付きで予約を入れてくれた。


 支払いは閏が父親から預かっているカードだ。美也から制服一式も買い上げた

 やがて、雅な佇まいの温泉宿に到着した。


 黒い漆の塗られた木の看板には山茶花さざんかと書かれている。


「山茶花。あんた魔女と逢引きしたいだけじゃない!」


「偶然だ! 温泉宿はここしかない!」


 ただの偶然ではないだろう。だが、閏にはそれよりも関心を引くものがあった。

 

 看板の両脇には風情豊かな石灯籠。圧巻なのは入り口を入ってから温泉宿までの庭園に植えられた椿ともみじの見事な紅葉である。


 庭園をぐるりと回れば滝の流れを見ながらゆったりと座れる足湯に、温泉で火照った体を冷ますための散歩道か。曲線を描いた橋がかかり、池には色彩も鮮やかな鯉が泳いでいた。


 入り口の看板から興奮して温泉宿の敷地内を散策していた閏は感嘆の吐息を零す。


「美だ……! これぞ芸術! 自然と調和した見事なインテリアと言えよう!!」


 どこを見渡しても絵画の一枚に収まりそうな風景に、閏の興奮は収まらなかった。


「この男も結構イかれてるわよね」


「あら、趣味がある男の人の方が話していて楽しいですよ」


「閏! ユナの方が自然と調和してるもん!」


「地に足もつかん貴様は飛んで行った風船だ。どこまでも飛んでいけ」


「ひどいぃいいいいい!!」


 感動している閏だが、ユナにツッコむのは忘れない。


「おーい! 先に飯食おうぜー! オレ腹減ったよー!」


「そうでした。みなさん行きましょう」


「脳三はどこに行ったのよ?」


「真っ先に部屋に行ったぜ。夕飯にカニ鍋が出ると聞いて」


「あたしのカニまで食べてるんじゃないでしょうね!!」


 優太の発言により、みんな駆け足で部屋に向かうことになった。


 やがて、閏が温泉宿の内観に感動している暇もなく大部屋へ駆け込むと、忠國は一心不乱にカニ鍋に食いついていた。


 既に忠國の手元の皿にはカニ一杯分の殻が積まれている。


 六人分の予約で用意されたカニ鍋は三つ。うち一つは明らかにカニの姿はない。


 忠國は当然のように二つ目の鍋へ手を出している。他の料理には目もくれずに。


「あたしと美也は残機フルの鍋ね。ユナちゃんは脳三を叩き潰してカニを確保しなさい。閏と優太は野菜を食べるといいわ。男の責任は一蓮托生よ」


 意義異論は認めないと言わんばかりに女子たちは鍋の前に進んでいった。


「ユナ、行っきまーす!」


「ふおおおおおお! 負けるもんかぁああ! カニは私のものだあああああ!」


 忠國とユナは両手を使ってカニの争奪戦を始めた。


「一番悪意があるの先生じゃんかよ! オレたちにはネギと白菜だけだぜ!?」


「優太、見ろ。水墨画の掛け軸に竹を切り取った間接照明。美だ。この部屋のインテリアは美しい……!」


「オレの周り変人しかいねぇの!?」


 泣く泣く優太は野菜と、三切しかない刺身でご飯を食べた。


 閏は部屋のインテリアをおかずにご飯を口に運ぶ。閏の刺身と忠國の刺身は麦虎が平らげた。


 女子たちは満足のいく食事だったようで、食後の抹茶まで堪能すると風呂の準備を始めた。


 本題の露天風呂である。ちょうど今の時間、岩風呂の露天風呂は男湯になっていた。


「優太、俺たちも露天風呂に行こう」


「そうだな。飯は残念だったけど、景色のいい露天風呂で挽回だ! 先生行こうぜ!」


「脳三先生はダメだ。カニの食い過ぎで倒れている」


 床に大の字で倒れている忠國は青い顔をしてピクリとも動かない。


「……この人、ガチで使えねぇな」


「麦虎も男だし、何かわかるかもしれないだろ」


「猫って水浴び嫌がるんじゃねぇの?」


『小僧にわざわざ我の種族は明かさなくていいぞ』


 麦虎は常に念話で喋っているが、優太に聞かせられないということはない。


 しかし、念話は基本的に一対一の会話になるため、閏に話しかけている念話は優太に聞こえない。精神ネットワークに介入して共有することはできるが、わざわざしたいとも思わないのだろう。


「麦虎は温泉が好きなんだ。俺も早く露天風呂のインテリアをこの目で見たい」


「お前が見たかったの絶対それじゃねぇと思うんだけど。つか露天風呂のインテリアってなに?」


 それはきっと閏にしかわからない。タオルと着替えを持った閏たちは露天風呂へ向かった。


 途中、廊下から眺める庭園の枯山水に閏が興奮しすぎて足が止まったが、優太が引きずって露天風呂に到着した。


 服を脱ぎ、タオルを巻き、入り口のすりガラスの扉を開けると、椿の花が湯船に浮かび、真っ白な朧月がわずかな光を差し込む露天風呂がお目見えした。


「美……! わびさび! 美の共演!!」


「時十、裸で浸るなよ。早く体洗って湯船に入ろうぜ」


 美を堪能する閏は上機嫌に麦虎の体を洗ってやり、自身の体も綺麗に洗い流すと、やや熱い露天風呂に体を浸からせた。


 優太も閏も麦虎でさえも、体の芯から温まる温泉に、ほぅ、と吐息を零す。


「くあぁ、意味は分かんねぇけど、温泉は最高だぜ」


「温まる」


 ちらっと優太はふにゃけた様子の閏を見た。


「時十も変な喋り方がだいぶまともになったよな」


 言われて気が付いた。そういえば、もう同級生たちの前で外交用の仮面をつけていない。


 いつの間にか、それほど優太たち仲間のことを信頼していたということだろう。


 見知らぬ人への苦手意識を克服できたのは確かな成長と感じられた。


「んで、目で映る、じゃない。えっと、目に映らない、目で見えるもの? ってなんだ?」


「『ガフの部屋』の中身のことだろうな。ミミズクの悪魔が言っていた秘密が無くなれば見てもいいというのは、あくまでも『見ると死ぬ部屋』だった場合の例え話だ。『ガフの部屋』ではそれは通用しない」


 悪魔は魔人の正義に反しないよう、魔導具の秘密は語れない。そう考えると、ミミズクの悪魔が口にしたのは妥当な話だと思えた。


「その、『ガフの部屋』の中身っていうのは、オレたちは知っちゃいけないのか?」


 深いため息を吐き出した閏は、いいや、と答えた。


「人間族が怖がらないように秘密にしているだけだ。ユナも変な噂が広がって怖がられたらかわいそうだろ。せっかく何千年も隠ぺいされた異空間から出てきて、一緒に風呂に入れる友達まで出来たのにさ」


 じーっと閏の横顔を見ていた優太は、おかしな奴だな、と言って笑った。


「ユナちゃん本人の前で優しくしろよ。きっと喜ぶぜ」


「断る。俺は部屋のインテリアにはこだわるが、部屋と付き合いたい変態ではない」


 閏にとって譲れないポイントだった。


「いいなぁ時十は。自分の意見がハッキリしていて。目的もハッキリしているし、男らしいぜ」


 なんだか随分と感傷に浸るような声で言うものだから、閏は気になって小首を傾げた。


「優太の方が男らしいだろ。友達を救いに異空間まで来ていたし、アイテムを見つけたい動機も行方不明になった人たちを救い出すためだと、目的もハッキリしているじゃないか」


 まるで正義のヒーローだと言えば、なぜか優太の顔に影が差す。


「……違うんだよ。オレは、全然ハッキリしてねぇ、優柔不断な男なんだ」


 とてもそうに思えないが、閏はこれこそ優太が異空間に迷い込んだ迷いであり、優太の悲しみだと感じた。


「話してくれないか? 俺も迷いがあるんだ。魔人の正義とは何か。トラウマを克服するにはどうすればいいのか。まだその答えが出せないでいる」


 目を見開いた優太は、瞬きを繰り返すと、仕切り直すように温泉のお湯をすくって顔を洗い、閏の方を改めて見た。


「正義。それだよ。オレも正義とは何か。オレの独りよがりではないのか。そう思っていつも二の足を踏んで。助けに来たなんて、オレはいつも手遅れになってからだ」


 そういえば、優太は志島にいじめられているところを目撃した時点で止めればよかったと後悔していたことを思い出した。


「独りよがりってことはないだろ。困っている人を助けに行きたい。正義じゃないか」


 しかし、優太は自信なさげに俯いた。


「……本当にそうか? だってよ、時十はオレなんかが助けに行かなくたってめちゃんこ強ぇじゃんか。行方不明になった人たちだって、噂が正確だった頃は『世界の果て』を目指して来たんだろ。終着点に行きてぇって願ってる人を道の途中に連れ戻すことが正義になるのか?」


 確かに相手の気持ちを考えたら、悩みは人の数だけ細分化され、アリの巣のように一人一人違った答えにたどり着くだろう。


 しかし、閏は優太の顔を見ながらハッキリと告げる。


「ありのままでいいだろ」

「え?」


 閏は優太の顔を見て、笑みを浮かべた。


「優太が思うように動けばいい。俺が志島より強いから何だというんだ。俺は志島に勝ったことより、優太が俺を助けようと力を貸してくれたことの方が百倍嬉しい」


「時十……」


 しかし、閏たちが温泉につかりながら話し込んでいると、廊下の方からバタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。


「なんだ?」


「なんか、こっちに向かってきてねぇ?」


 優太の言う通りで、足音は露天風呂の入り口前までたどり着き、すりガラスの扉が勢いよく開けられた。


「泥棒だあああああああああああああ!!!」


 叫んでいるのはなぜかカニの殻を両手に掴んだ忠國だった。


「脳三先生、どうしましたか?」

「盗まれた!!」

「カニっすか?」

「んな阿呆なことで騒ぐか馬鹿め! この阿呆め!」


 カニの殻を掴んでいる男に優太も罵られたくはないだろう。


「ケツァルコアトルの卵を何者かに盗まれたんだっ!!!」


 冗談みたいな姿をした忠國は、なかなかヘビーな事件を引き寄せてきた。



☆☆☆


悪魔と連絡の取れる方は、この脳三先生とお友達になれますよ(*´ω`*)


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