第22話 閏なりのディスコミュニケーション
「あら? 能三先生、そのチラシ汚れていますわね」
美也の指摘にビクッと忠國は肩を跳ね上げた。
「なになに? 約束や。卵を持って
「ふおおおお!? ユナくん読んではいかん!!」
閏はなるほどと納得した。卒業試験のヒントなど既に卒業している忠國にはなんら価値のないアイテムだが、魔女と会うための大事なアイテムだったから取りに行きたいのだろう。
「脳三先生、課外授業ということは、この学園都市から離れるんですか?」
閏の外交用の顔はブレブレだが、一応教師の前でだけはしっかり仮面をつけている。
「いや、車で数キロ先に移動することにはなるが、学園都市内の山間部だ。滝つぼや川が流れていてな、水の周りには悪意が溜まる。ふひ、ひひゃひゃひゃひゃひゃ!」
ぶっ壊れている忠國はひとまず放っておいて、閏は席を立った。
「一時間後に正面玄関前で待ち合わせしよう」
「かしこまりました。それではことりちゃんとユナさんと優太さんはご一緒に課外授業の準備をしませんか?」
「お、おれも一緒でいいすか?」
「あんた美也に手を出したら額に風穴を開けるわよ」
「ユナ、おやつを準備する~♪」
閏は麦虎だけを足元に従わせて教室を後にした。
廊下を歩き、階段を下りて向かった先は保健室である。
『樹という小僧が気になるなら精神ネットワークに介入すればよかろう』
『自分で喋っていて気付いたんだが、俺も魔族だ。自身の成長に人間族との心の繋がりは重要なのではないかと考えてな』
ふぅむ、と唸る麦虎は尻尾をピンと真っ直ぐに立てた。
『個体の能力だけで生きられる我ら魔族にはない力だな。人間族の形成するコミュニティの力と言うべきか。そういう意味では今回のチーム戦も貴様の成長に繋がるだろう』
『そうだといいけどな。俺も個人プレーの方が向いてるから、正直不安だよ』
特にペナルティもあるとなればなおさら負けるわけにいかず、身が引き締まる思いだ。
麦虎と念話で喋っていたら、あっという間に保健室へたどり着いた。
失礼します、と告げながら扉を開いたが、保健室の中に樹以外の人はいなかった。
「いつも保健の教諭はいないな」
「保健の先生は課外授業で怪我人が多く出るだろうからってそっちに回っているよ」
閉められたカーテンの向こうから樹の声が聞こえてくる。
ベッドに近寄り、カーテンを開けると、制服姿の樹が上半身だけ起こし、文庫本を手に持っていた。本日も読んでいるのはヘッセの車輪の下だ。
しかし、閏はあえて本をスルーした。
「読書中にすまないな。樹とナイトホークスについて語り合いに来たんだ」
「面白い話題だけど、閏は課外授業に参加しないの?」
いの一番にはなから飛ばして絵画について口を開きかけた閏は一瞬、押し黙った。
「……まぁその、行くには行くんだが、そうだ。樹も一緒に参加しないか?」
少し考えていた樹だったが、やんわりと首を横に振った。
「やめておくよ。僕は呼び出せる召喚獣もいないんだ」
「そうか。まぁそういうやつもうちのチームには二人いるけど、無理強いしても楽しくない」
あっさりと引いた閏の視線は壁に掛けられたナイトホークスに吸い寄せられている。
「正直に言うよ。俺は今回の事件で如何に自分が未熟であるか痛感した。だが、今回の事件は俺の手で解決させる必要がある。一族の尻ぬぐいは末席の俺が務めるべきなんだ」
次代を担う当主として。いずれ自身が魔人となるのだから、これはそのための試練だと閏は捉えている。
「僕には、閏が何を言ってるのか半分もわからないけど、閏が自身の成長を願っていることはわかるよ」
樹の言葉を聞き閏は視線を樹の方へ向けて頷いた。
「その通りだ。今回の敵は正直、今の俺の力じゃ歯が立たない。勝つためには俺自身が成長するしかない。そのためには俺の弱さ、つまりトラウマを克服するしかないと思うんだ」
目をぱちくりさせる樹は閏にトラウマがあるとは思っていなかったのだろう。
「聞かせてもらえるのなら聞いてみたいのだけど、閏のトラウマってなに?」
「う……その、情けない話、俺は部屋にトラウマがあるんだ」
恥ずかしい気持ちを必死にこらえて告白したが、樹はこらえきれずに、っぷ、と吹き出した。
「あはは、ごめん! 笑い事じゃないんだろうけど、あまり聞かない面白い……いや珍しいトラウマだなと思って」
言い直したのは樹の優しさだろう。
「良いんだ、笑ってくれ。俺なんか笑い飛ばすより残酷な手段を樹に向けようとしている」
興味深そうに樹は閏の瞳を見つめた。
「なに……?」
息を吸い込むと閏は正直な気持ちを明かした。
「トラウマを樹と一緒に克服したい。樹にも悲しみや苦しみがあるのなら俺はそれを受け止めたい。人が人と分かり合うためには相手の悲しみを理解することが重要だと思うから」
窓もない、一番廊下側のベッドで、樹は視線を手元に落とすと、文庫本を見つめるわけでもなく、浅く息を吐いた。
「ひどいな」
それは樹の正直な感想だろう。閏のエゴで傷口を広げられたくない、いや、傷口があることすら見せたくなかったはずだ。
学園に居ながら、誰とも接しないように保健室に居続ける樹の姿を見ていればわかる。
「そうだな。これは俺が今回の事件を通して最も見つけたい、たどり着きたい、それこそを掴みたい、魔人の正義からかけ離れた、悪だ」
自分の過ちを認めながら、閏は俯く樹の瞳の奥まで見つめようと眼差しの向ける場所は変わらない。
「回りくどいかもしれないけど、それでも俺はトラウマを克服したい。それで、樹にも悩みがあるのなら一緒に解決できないかと、余計なおせっかいと手助けを求めている」
樹は長いため息を吐き出した後、閏と視線は交わさずに背中側の壁に振り返り、壁に飾ってあるホッパーの『ナイトホークス』へ目を向けた。
「いいよ。ただし、君の言ったように話題はナイトホークスにしよう」
「ああ、もちろんだ。絵は時として人の口よりも雄弁に語る。俺だって根掘り葉掘り他人のヒストリーなんて聞きたくないさ。語り合いたいのは感じ合う芸術性だ」
閏の足元では麦虎があくびをして丸くなる。猫にはわからない、遠回りした二人の視線は一つの絵画へ収束された。
☆☆☆
次回、閏と樹、あるいは絵画に興味を持つ人くらいしか理解できないようなエモニケーション回!←誰得
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