二章
第12話 部屋(少女)が起こしにやって来る
幼いころの閏は、父親の仕事が忙しくなる時期になると母親と一緒に地上界にある別宅へ遊びに来ていた。
魔界にある本宅と大きさも色もデザインも何も変わらない別宅は、閏を地上界という別の世界に連れてきても安心させていた。
周りが森で囲まれているのも魔界の風景を思い出させ、移動手段を魔界と変わらない馬車にこだわった両親の、あらゆる配慮のおかげでもあるだろう。
他にも安心できる要素はあった。父親は息子と母親の安全を考えて、いつも一番信頼できる部下を護衛につけて地上界へ送り出してくれたのだ。
子供の面倒見のいい父親の部下である、その悪魔族の男に閏は乳飲み子の頃から世話になっており、年の離れた兄弟のように遊ぶこともあった。
母親も二人が庭で駆けずり回って遊ぶ姿を微笑みを浮かべて見ていたものだ。
だが、いつの頃からか、その微笑みが自分ではなく護衛の男に向けられているものだと、閏は薄々気付くようになる。決定的だったのは閏を部屋で寝かしつけたあと、母親の部屋に入っていく護衛の男の姿を目撃したことだ。
幼い閏にも、男の行為は父親への裏切りだと感じられた。それは父親から魔人として絶対に犯してはならない罪深き行為。魔人の正義に反する行いと思い、見たことをありのままに父親に伝えたのである。
閏の行いは決して間違いではない。だが、父親の取った行動は、あまりにも過激で、毅然としたものだった。
父親は閏から連絡を受けてすぐに別宅へ現れた。その凄まじい殺気は別宅を取り囲む空気までも物理的に凍らせたほどだ。
事態を把握した母親は息子を盾にして閏の部屋へ逃げ込んだ。護衛の男は弁解する暇もなく門前で殺された。
閏は部屋にやってきた父親に抱きかかえられてその光景を見ていた。
父親が母親を惨殺する光景を。
飛び散った血が閏の部屋を汚した。白く息絶えた肢体は手足を吹き飛ばし、絨毯の上にだらしなく置かれていた。
母親の最期の声が今も耳の奥で木霊する。
「たすけて──」
魔人に助けてと乞うのは殺してくれという意味だ。生まれたときから教わってきた魔人の正義がそう告げている。
定められた役割を果たせず、機能を失い、それにより世界の秩序を乱すことになるのならば破棄とする。それが魔人の正義。
妻として母親としての役割を果たせず、家庭の秩序を乱すことになるのならば破棄とする。父上の行いは魔人の正義だ。
だが、閏はその日から自分の部屋を持てなくなった。母親が揃えてくれた美しい色合いの家具が血に染まる光景を思い出しては、自分のために用意された部屋の中で嘔吐を繰り返す。
やがて、家を飛び出し、他人の家を勝手に間借りしては留守の家を移動する生活を送るようになる。今も信じられるのは魔人の正義、それだけだ。
しかし、麦虎は言う。
『礼代わりに助言をしてやろう。貴様のキャンパスは真っ白ではない。見えていないのは、貴様がキャンパスと向かい合っていないからだ』
己の力を高めなければ魔導具の回収は果たせない。
ブービートラップを悪用されれば、一瞬のうちに何万人という人間を殺すことも可能だ。
『……たすけて』
耳の奥でチリチリと『世界の果て』からの救難信号が鳴り響く。
『ガフの部屋』本体が破棄されればユナが取り戻したいと願うブービートラップであるセツナの存在理由も無くなる。
救難信号を送ったのはユナではない。では、『世界の果て』から閏に声を飛ばしていたのは誰なのか。
向き合いたいのは真実。志したいのは正義。だが、果たして向き合うべき自分とは何者で、何を成したいのか。答えを模索しながら、淡い色彩の現実へ意識を浮上させていく。
「おっはよー! 朝だよー!」
「……うるさい」
体も重たい。腹の上に見事なグラデーションの髪をなびかせる部屋(女子)が乗っかっていた。
天井から日の光が差し込んでいるとはいえ、窓もない屋根裏部屋でもユナの姿が輝いて見えるのは内面の美しさがそう見えさせるわけではない。
左側頭部に浮かんでいる天使の輪っかのようなルームランプ(本人談)が物理的に光っているからだ。
「ユナ、閏のために朝ごはんを作ってあげたの。彼女みたいでしょ?」
「キッチンの設備が整っている部屋だろ。どけ」
頬を膨らませるユナは渋々空中に浮かんでどいた。
閏は埃っぽい屋根裏部屋で起き上がり、鞄から洗面道具を取り出した。
「麦虎は?」
「もう調理実習室で先にご飯を食べてるよ。作ってたら現れた」
魔獣は鼻が利くんだろう。閏の鼻はさすがに一階の調理実習室から漂う食事の匂いまでは嗅ぎ取れない。
「着替えるから出てけ」
「ネクタイ結んであげる」
「いらん。出てけ」
ぶーぶーと文句を言いながらもユナは屋根裏部屋から出て行った。
着替えを済ませ、私物を鞄に詰め込むと、閏は屋根裏部屋を出てトイレへ向かう。
お気に入りのストライプ柄が美しい洗顔料で顔を洗い、歯を磨いてから調理実習室に向かった。
昨日の夜、気を失った生徒たちは忠國が保健室で保護していた。異空間はライズで刀に変化した麦虎で空間を切り裂き、すんなりとこちらの世界へ戻ってこられた。
その後、ことりに連れられたユナは女子寮に潜り込んで自分の部屋を確保していたようだ。
調理実習室にたどり着いた閏が扉を開けると、かつおだしの芳醇な香りが漂ってくる。
テーブルの上にはみそ汁や卵焼きなど、色彩も鮮やかで美味しそうな料理の数々が並べられていた。
ぐーと腹が鳴る。本能のままにテーブルへ吸い寄せられると、ユナの横に座り,箸を持ち上げた。
「いただきます」
「召し上がれ♪」
一人では好んで買わないため、常に野菜不足の閏は目についたほうれん草の胡麻和えに箸を伸ばした。
一口嚙み締めればほうれん草の瑞々しさと胡麻の豊かな香りが口の中に広がった。
綺麗な焼き目の付いた焼き鯖も一口食べてみる。閏は目を見開いた。
ふっくらとした身は塩加減も丁度いい。白い米が一粒一粒立っている艶やかなご飯を口に放り込めば、もう箸が止まらない。
「どう? 美味しい?」
喋る時間も惜しいほどだが、今朝から疑問でもあったので咀嚼を繰り返し飲み込むと、食事の合間に疑問をぶつけた。
「なんで朝から彼女キャラなんだ? うまいけど」
「男の子って好きな女の子のことは何があっても守ってくれるものだと思ったの」
つまり、何があってもユナを守ってね。ユナの大事なセツナを守ってね、と言いたいのだろう。
「セツナのことは状況による。最優先されるのは一般人の安全確保だ。それが魔人の正義だ」
「大丈夫! 恋は盲目って言うもん!」
その状態は何も大丈夫ではないだろう。しかし、ツッコむ時間も惜しいので食事を再開させた。
「でもさ、ユナも不思議に思っていたんだよね。閏はどうして急にセツナを家族として認めてくれたの?」
もぐもぐと咀嚼しながら、閏は昨日ユナの前で見せた失態を思い出していた。
じんわりと優しい味が口の中に広がる。ユナが作った家庭の味は優しかった。
それらをじっくりと堪能し、全てを呑み込むと閏はぽつりと言葉を漏らした。
「……自分の家族をどう思っているのかなんて、誰かにとやかく言われることじゃない」
言いながら気付いていた。これはユナに向けた言葉でありながら、自分にも向けた言葉なのだと。
「……そっか。それもそうだね」
ユナはそれで納得したようだ。閏の胸にはとげのように自分の言葉が刺さっていた。
☆☆☆
大抵の場合嬉しいシチュエーションのはずですが、トラウマからやって来ても閏としては嬉しくない。
思春期は大変ですね←違う
次回、新たな仲間登場!
♡や☆やフォローでの応援お待ちしております!(^^)!
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