赤い糸の行方
昨日は、ドキドキのせいで、せっかくの直子さんのご飯の味がわからなかったな。もったいなかった。
そんな気持ちで起きた、翌日。今日は、土曜日。
部活も何もしていないから、朝からずっとのんびりできる。そう思いながら、いつもより遅めに起きて、パジャマのまま部屋を出る。
あくびを右手で隠しながら階段を下りてリビングに行くと、よそ行きの服を着たパパと直子さんの姿があった。
「おはよう、芙結ちゃん。朝ごはんラップかけてあるから、いい時に食べてね」
「寝癖すごいぞ、芙結」
直子さんとパパが、口々に声をかけてくる。
「どうしたの? ふたりとも。出かけるの?」
首をかしげてみると、パパが呆れたようにため息をついた。
「おい、昨日言ったばっかりだろ? 新婚旅行が中途半端になったから、今日は一日、埋め合わせでふたりで出かけてくるって」
「あ、そうなの? いってらっしゃい」
昨日って、きっと夕飯の時だな。私、上の空だったから。
隣の席には、ドキドキの原因の学さん本人がいたから、なおさら。
「夕飯までには戻ってくるわね」
直子さんは、クスクス笑いながら、バッグにメイクポーチを入れる。
「そんなの気にしなくていいから、ふたりで楽しんできなよ。私だったら、もう子どもじゃないし、学さんだって……」
そこまで発言して、ピタッと止まる。
そうだ、またふたりきりになるんだ。
パパと直子さんを見送って、部屋で着替えてから、遅めの朝食を食べていると、階段から下りてくる足音が聞こえてきた。
「あー、寝すぎた。母さんたち、もう出かけた? ……あれ?」
部屋着に着替え終えた学さんが、私の姿を見て声を漏らした。
「あんた……じゃなくて、芙結も出かける?」
それは私が、誰がどう見てもよそ行きの格好をしていたから。
「学さん、朝ごはん、用意されてますよ。美味しいですよ」
「え? ああ、うん」
私が質問に答えなかったからなのか、学さんはキョトンとして食卓に着いた。
「出かけんの?」
「えーと……」
もう一度同じ質問をされて、口ごもる。
「……あー、あれか。昨日の幼なじみか」
「え?」
「あいつと出かけるんだろ。服可愛いし」
可愛いのは服だけだというのが、とてもリアル。それについては、否定しないけど。
なぜか不機嫌になった学さんが、淹れたてのコーヒーに口を付ける。
「ううん、私が一緒に出かけるのは……」
ごくんと空気を飲み込む。そのせいか、喉がカラカラに乾く。
すうっと空気を吸い込んで、まっすぐに学さんを視界に入れる。
「で、出かけませんか!? 私と一緒に!」
コーヒーカップを持つ手が、ピタッと止まるのが見えた。
うつむいていた顔がゆっくりと上がってきて、見せる表情は目を見開いて驚いている。
「一緒にって、……誰と?」
誘うだけですでにめちゃくちゃ勇気を使ったのに、さらに聞き返されて、すごく恥ずかしくなってくる。
「私と、学さんで。……で、出かけませんか?」
カチャンと響いたのは、やっとコーヒーカップをテーブルに置いたから。
「…………え?」
すでに要件は伝えたはずなのに、学さんはさらに疑問符を返してくる。
「忙しいんだったら、別にいいんだけど……」
この状態で放置されるのがキツくて、今度は私がうつむく番。
忙しくなかったとしても、私と一緒に出かけるのが嫌だという可能性もある。だけど、そうだったとしても本音で答えずに、私を傷つけない社交辞令を使ってくれると信じている。……多分。
「忙しくない」
ポツリと、ひとりごとのように落とされて、聞き逃してしまうところだった。
顔を上げると、何を考えているのか分からない表情と、目が合った。
まだ、少し驚いているようにも見える。
「忙しくない……から」
また、ひとりごとのように口を動かして、
「一緒に出かける?」
学さんは、口角を上げた。
*
……デートだ。そう考えているのは、きっと私だけだけれど。
朝ごはんを食べる時点ですでに着替え終わっていた私は、学さんが自室で支度が終わるのを待つために、リビングのソファーでじっとしていた。
そわそわする。
スマホを手に取り、何もすることがないのに気づいてバッグに入れて、また出して。それを、さっきからずっと何度も繰り返している。
多分、数えて七回目のスマホを手にした時、階段から下りてくる足音に、思わず目を向けた。
「悪い、待たせた」
そう言ってのぞかせた姿は、当たり前だけど私服。
ボーダーのTシャツの上に薄手のリネンシャツを重ねて、パンツは意外にもゆるいシルエットのもの。
そして何よりも、顔がいい。
じーっと見すぎてしまったのか、学さんが気まずそうに自分の顔に手を当てた。
「なに? なんか付いてた?」
「はい、めっちゃイケメンの顔がついてます」
「は?」
苦笑いに変わった表情が、近づく。大きな手のひらが頭に触れて、ポンポンと優しく二回撫でた。
「アホなこと言ってないで、行くぞ。昼が近づくと、街に人が増えるから」
「はい」
触れていた右手が、離れる。
でも、私たちは赤い糸で繋がっている。
*
学さんと並んで街を歩いていると、時間が経つにつれて、どんどん人通りが多くなってきた。
「やっぱり、休日は人が多いですね」
そう声をかけながら、学さんの後をついていくので必死。
家を出た時から思ってたけど、歩くの速いなあ。脚の長さが全然違うから、仕方ないんだけど。
それを考えると、瑞貴は私と同じくらいの歩幅だから、学校に行く時も置いていかれることはない。雑談をする余裕もあるし。
今日は、ちょっと見栄を張ってヒール付きのパンプスを選んでしまったというのもあるのだけど。
学さんについていくのに必死で、前を見ていなかった。すれ違った人とぶつかって、足元がよろめいた。
「ひゃっ、ご、ごめんなさい」
「あ、こちらこそ」
そのやりとりで気がついたのか、数歩先を歩いていた学さんが、引き返した。
「大丈夫か?」
「はい、ちょっとぶつかっちゃいました」
「悪い、歩くの速かったな」
「いえ、私が遅いだけなんで」
スッと右手を差し出され、首をかしげる。
手のひら?
「手」
はい、手ですよね。
ますます意味が分からず、眉を寄せて、目をこらしてみる。角度を変えても、それは手。
中々行動を起こそうとしない私に焦れたのか、学さんは苦笑いで私の手を取った。
「えっ!?」
「また人にぶつかったりしたら、危ないから」
緊張で、繋いでいる先が強ばる。自分の顔が、一瞬で真っ赤になったのが分かった。
「う、わ、わわ……っ!」
動揺して、たまらず変な声を上げてしまう。
私の赤面につられたのか、振り返る学さんの顔も少し赤くなっている。
「嫌だったら、離すけど」
「め、めっそうもないです」
「なんだ、その日本語」
学さんはそうやってフッと笑う余裕くらいはあるようだけど、私はいっぱいいっぱいで、表情をカチコチに強ばらせたまま。
休日に、ふたりきり。手を繋いで、街を歩いて……。
「で、デートっぽいですよね」
目を見開いた顔が、再び振り返る。
しまった、調子づいた?
「デートっぽい?」
「いや、あの、変な意味じゃなくて」
ごまかそうと早口でまくし立てると、私の言葉尻を奪うように、学さんが深く息を吐いた。
「っぽい、って、じゃあ何のつもりで一緒に出かけてたんだよ」
「……え?」
何のつもりって、それは……。あれ?
そんな風に聞くってことは、学さんはもしかして、……え?
ますます顔が熱くなる私を、学さんは手を引いていく。
やっぱり少し歩くのが速くて、私は駆け足気味。
ちゃんと前に踏み出す自分の足元は見えているのに、なんだかふわふわして感覚がない。
そっか、これデートなんだ。まさか、学さんの口からそんなことを聞けるなんて。
やっぱり、何か違う。出会った頃とは、全然。
「そういえば、何か欲しいものあんの?」
いつまでも繋いだ手を気にしている私に、学さんはいつも通りの調子で質問を投げかける。
「え? あ、うん。パパと直子さんに、結婚のお祝いのプレゼントをしようかと思って。学さんも、一緒に選んでくれる?」
「なんだ、本当に用事があったのか」
なんて言うってことは、私が意味もなく外に連れ出したと思ってたのか。……9割正解ですけども。
だって、結婚のお祝いだなんて、ほとんど口実だし。なんなら、ひとりでも買いに来れるし。
ふう、とため息をついた横顔が、目に入る。
嫌だったかな……。
「なんか、ごめんなさい。学さんは、パパと直子さんの結婚、賛成してたわけじゃなかったのに」
それで、お祝いを一緒に選んで欲しいなんて、気が乗らないのも当然だ。
シュンと肩を落とした私に気づいたのか、学さんはフッと笑った。
「悪い、そうじゃなくて」
「?」
「俺と出かけたかったって理由かと、勘違いしてたから」
なんでそんな、「残念」って言いたげな顔で、そんなことを言うんだろう。
立ち止まり、考えるよりも先に唇が動いた。
「勘違いじゃないです。学さんと出かけたくて、理由を作ってみたの」
離されてしまわないように、繋いだ手をギュッと握り直す。
何だか苦しいと思ったら、呼吸をするのを忘れていた。
驚いた学さんの表情が、優しいほほ笑みに変わった。
「……そうか」
ひと言だけ漏らした表情が、横顔に戻る。
再び歩き出した歩幅は、とてもゆっくりになっていた。
それからは、ふたりで目についたお店に入ってみて、三軒目のお店で、縁取りが綺麗なフォトフレームをプレゼントに選んだ。
そして現在地は、昼食に選んだオムライス屋さんの外で、順番待ちをしている。
店員さんが綺麗にラッピングしてくれたから、開いて中身を見るわけにはいかないけれど、可愛かったからもう一回見てみたいな。なんて気持ちを抑えながら、片手にショッピングバッグをぶら下げながら、我慢。
「パパと直子さん、喜んでくれるといいな」
「それは心配いらないだろ」
学さんが、あっさりと肯定する。
「だよね。可愛いし、きっと気に入ってくれるよね」
「てか、あんたがふたりのことを好きなのは誰がどう見ても伝わってるから、そんな子が選んだ物なら、絶対嬉しいだろうから」
……危ない。プレゼントを、落としそうになった。
そんなふうに思ってくれていたんだ。
雷がすごかった夜に、「本当はパパにはママ以外好きにならないで欲しかった」と泣きついてしまったことがあるくらいなのに。
そっか、そう見えるんだ。そっか……。
ゆるんだ口元を、手で隠す。
今日は、とてもいい日になりそう。
行列に並び始めてから、約30分。店内に案内をされて、席に着いた時、歩き疲れた足がやっと解放された。
やっぱり、ヒールなんて慣れないものはやめておくべきだったかな。
メニュー表を見て、ふと顔を上げる。
「!」
斜め右側にある席に見覚えのある顔を見つけて、とっさにメニューで自分の顔を隠してしまった。
若菜と、ミナミ先輩……!?
「なに? 会いたくない知り合いでもいた?」
学さんが、私の様子を不思議そうに見て、振り返る。
学さんの目にも、若菜とミナミ先輩の姿は映っただろうけど、他校生だから分からなかっただろう。
「会いたくない……ってわけじゃ……ないんだけど」
私は、はぎれが悪く、ボソボソと呟く。
メニュー表から、チラッと目だけを出して様子を見る。ふたりは私に気づいていないようで、楽しそうに談笑している。
さすがにふたりの会話までは聞こえないけど、ミナミ先輩が話して、それに若菜が笑って。とても楽しそうな様子は、表情を見ているだけですぐに分かる。
若菜の右手からは、相変わらず赤い糸が伸びていて、それが繋がる先はきっと……。
ミナミ先輩の彼氏を好きになってしまった、若菜。それは、赤い糸が繋ぐ運命なのだから、必然。
だから私は、若菜を応援すると決めた。
だけど……、本当にそれでいいの?
いくら運命の相手同士だとしても、若菜と杉尾先輩が結ばれてしまえば、結果的にはミナミ先輩の彼氏を奪ったということになる。
今、ふたりは、あんなに笑顔でお互いを見ているのに。
「おい、どうした?」
目の前で手をヒラヒラとされて、ハッと気づく。
学さんが、眉を寄せて私を見ている。
その手から伸びる赤い糸は、真っ直ぐに私の右手に繋がって、結ばれている。
「そんなにあそこのふたりが気になるなら、店変えても……」
「う、ううん、大丈夫! せっかく並んで入ったのに、もったいないよ。オムライス食べたかったし、楽しみ」
学さん、本当に変わったな。一緒に出かけてくれただけでもすごい進展なのに、文句も言わずにこの人気店に並んでくれたり、こうやって向い合わせになってふたりきりで会話をしているなんて、嘘みたい。
運命の人だから、惹かれあっている……なんて、それは図々しいかもしれないけど。
そして、ふと気づいた。若菜は、杉尾先輩のことが好き。それなら、杉尾先輩は……?
メニューを選んで、店員さんに伝える。
その後に、再びこっそりと盗み見た若菜たちは、変わらず笑顔だった。
若菜には見えていないはずの赤い糸に、偶然指が触れるたび、若菜の笑顔が心なしか悲しそうに見えた。
*
家に帰る頃、辺りはすっかり暗くなっていた。
夕飯までには帰ると言った直子さんに、気にしないでゆっくりしてと言ったはずなのに、私たちの方が遅くなってしまったみたい。
家の窓から、明かりが漏れている。
「今日は、ありがとうございました」
玄関先で腰を折って頭を下げると、小さくため息をついた学さんは、私の頭をポンッと軽く撫でた。
「いいよ、笑わなくて。昼あたりから、本当はずっと元気なかっただろ」
驚いて顔を上げると同時に、大きな手のひらも離れていく。
「あんまり無理すんなよ。俺には、頑張って笑わなくていいから」
学さんが、先に玄関に入る。
撫でられたところに触れると温かくて、私はしばらくその場でうつむいた。
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