最悪の出会い

「は!? 見つかったの!? 赤い糸の運命が!?」

「うん」

「何それ、俺聞いてないし!」

「だって、昨日瑞貴と別れたあとに出会ったんだもん」

 翌日、登校したばかりの教室で、のんびり自分の席に着席している私のそばで、瑞貴が大げさに騒ぐ。

 クラスも同じ瑞貴が、朝からずっとワンコのように私にくっついているのは毎日のことなので、今さら教室の面々もそれを気にする様子もない。

「誰!? どこのどいつ!?」

 焦って早口、その上大声の瑞貴に、私は冷静に返す。

「お兄ちゃん。昨日、新しく出来た」

「は……、はーーーーー!?」

 学校中に響き渡るほどの大きな雄叫びを聞きながら、私は前日のことを思い出していた。

「初めまして、息子の学です。今日からお世話になります」

「みっ、見つけた!」

「……はい?」

 学さんはもちろん、パパと直子さんまでもが、こちらに不審な目を向ける。

 それでも、運命を確信して興奮してしまった私は、止められなかった。

 学さんの手を取り、ギュッと両手で握る。驚いた表情が、私をまっすぐ見た。

「新しいお兄ちゃんが、運命の人なの!? やっと見つけました、あなたは私の赤い糸の相手です!」

 元々無表情だった綺麗な顔は、驚きのあとに嫌悪に歪む。

 そして。

「は? バカ? 頭おかしんじゃねーの、運命なんかねーよ」

 ば、ばか?

「こ、こら、学!」

 直子さんが慌ててフォローをするけれど、一瞬で終わりを告げられ、ショックを受けた頭には届かない。

 これは、赤い糸のはずなのに。繋がっていれば、離れることはない、運命の……。

 パンッ!!

 両手を頬に叩きつけ、その音に瑞貴がびくっと肩を震わせた。

「え、芙結、どうしたの」

「あ、ごめん……」

 いけない、思い出してしまった。想像していたものとは、随分かけ離れた運命の出会いを。

「てか、どんななの? その運命の相手って」

 結論から言う。最悪だった。

「うん、かっこよかった」

 顔はね。と、心の中だけで付け加える。

 好感度は、早くもゼロに近い。

 んんん、でも、大丈夫、多分。だって、運命の人なんだから。「あいつなんて大ッキライ! だけど、でも、どうしてこんなに気になるの?」みたいな。いつの間にか好きになっていくことってよくあるし。少女漫画で100万回予習した。

 少女漫画の100倍は、学さんの口が悪かったけど。

 現に、学さんのこと、めちゃくちゃ気になってるし。オッケー! ここから始まるんだ!

 昨日から、自分にそう言い聞かせ続けていないと、心が折れそうになる。

 でも、私も悪かったし。いくら赤い糸が結ばれてびっくりしたからって、あれはなかった。唐突にあんなことを言われたら、誰だって引くに決まってる。

「いいや、それでも俺は諦めないから」

 瑞貴の真剣な表情に、不覚にもドキッとするけれど、すぐに右手の小指を見た。相変わらず伸びている、赤い糸があった。

「何話してるの? 梨沙子もまぜてぇ~」

 私の席に、三人目の来訪者がやって来る。中学に入ってからの友達、神町梨沙子(じんまち りさこ)。

 私よりも背は小さくて、笑うとたれ目がさらに優しい印象になって、可愛い女の子。

「おはよう、リサ。今日はちょっと遅かったんだね」

「あー、うん……。へへ……」

 私からの指摘に、端切れ悪く笑ってごまかす姿に、ピンときた。

 そっか、また告白されてたんだ。

 リサは可愛い。それは、私から見た感想だけではなく、誰から見ても。男子から見ても。

 この様子だと、きっとまたお断りしてきたんだろうな。

「どれ? あの子?」

「梨沙子ちゃん、やっぱり可愛いよなぁ~」

 少しざわつく教室の扉には、そこには他クラスの男子がふたり、リサを見てニヤニヤしていた。あれは確か、三年生の先輩。しかも、結構チャラめな。

 すぐに自分のことを話しているのだと察したリサは、私の腕をつかんでサッと隠れた。

「リサちゃんは、毎日大変だね」

 瑞貴はため息をつき、私の姿ごと、自分の体でリサを隠す。

 三年の先輩は、リサを隠されたことに舌打ちをした。

「男子嫌い……。ああいうのが、一番嫌い……」

「え、リサちゃん、俺も男子だよ」

「瑞貴くんはいいの。芙結ちゃんしか見てないから」

「まあね」

 得意げになることでもないと思いますが。

 先輩たちが諦めて帰ったのを見て、私たちはホッと胸をなで下ろした。

 いつものことだとは言え、毎日これじゃ、男嫌いじゃなくても嫌になってしまうかも。

「かわい子ぶってて、うっざ」

「か弱いとモテるもんね。うらやましい~。芙結かわいそう、完全に引き立て役で」

 聞こえるように、わざとだろうか。クラスの女子が、明らかにリサを見て噂をし始めた。

 「引き立て役」の言葉が、グサッと刺さる。

肩をビクッと強ばらせたリサは、私からそっと離れた。

「ごめんね、芙結ちゃんまで言われて……」

「ううん、私が好きでリサといるんだから、気にしないで」

 目をうるうるさせているリサの後ろで、瑞貴が嬉しそうに笑った。

「俺、芙結のそういうところも大好き~」

 瑞貴の言葉に、何かを返そうと口を開くけど。

「梨沙子も、芙結ちゃんだけがいれば、それでいいなぁ」

 リサの甘えるような可愛らしい声に遮られて、その機会を失った。

「リサは本当に可愛いね」

 小柄で撫でやすい位置にある頭に触れる。髪の毛がふわふわ。見上げてくる瞳は黒目がちで、クリッと大きい。おまけに、素直。

 可愛い、本当に……。上級生がわざわざ見に来ちゃうのも、うなずける。

 私も、リサみたいな女の子だったら……。

「芙結ー! あ、いたいた!」

 教室の扉から名前を呼ぶ声が聞こえて、目を向けると、そこには隣のクラスの友達がいた。

「ユナちゃん、どうしたの?」

「あのね、上野くんと付き合えることになったよ!」

「本当? おめでとう!」

「芙結のおかげだよ~」

「私は特に何も……」

 私は、恋愛相談をされて、相手を見たら赤い糸が繋がっている人だったから、「絶対に成功するよ」って言っただけ。

 でも、幸せいっぱいの顔を見ると、私まで嬉しくなっちゃうな。

 やっぱり、赤い糸は運命の証なんだ。

「芙結ちゃん、本当にすごいよね。芙結ちゃんに恋愛相談すると、皆叶っちゃうんだもんね」

 ユナちゃんを見送ったあと、様子を見ていたリサは、関心するようにため息を漏らした。

「芙結ってさ、リサちゃんには言ってないの? 赤い糸の話」

「え? うん……」

 放課後になって、朝と同じように下校も瑞貴とふたり。

「だって、信じてくれないでしょ、そんな話。小さい頃、周りの皆に電波ちゃん扱いされたこと、忘れてないし。瑞貴だけだよ、バカにしなかったのって」

 そして、昨日、学さんには嘲笑されたばかり。直子さんは、不思議そうに首を傾げてたな。

 自分の右手を見る。長く伸びるその先には、学さんがいるのに。

「えー、意外。リサちゃんってさ、芙結がいきなりナンパして友達になった子じゃん」

「ナンパって。ちょっと、変な言い方しないでよ」

「いや、あれはナンパだった。隣で聞いててびっくりしたし。「あなた可愛いね、友達になって」とか言ってたじゃん。あんな芙結、初めて見たよ」

「や、やめて……」

 改めて聞かされると、あの時の私、頭がおかしすぎる。

 だって、すごく驚いたんだもん。入学式の日に、同じクラスにとんでもない美少女がいたから。

「あれだけ仲良いから、リサちゃんにはとっくに言ってると思ったんだよね」

「いくら仲良くても言えないよ。人には見えないものが見えるなんて」

「リサちゃんなら、気にしなそうだけどね。あの子、芙結にべったりだし。女同士ズルい。うらやましい」

 最後の、個人的な感想は置いておくとして。

「いいの。私は、瑞貴だけが知っていてくれれば」

 もう、あんな思いはしたくないし。

『変なこと言わないで、芙結。ママまでおかしな目で見られちゃう』

 記憶の中のママの顔は、いつも悲しそうな、困った顔をしている。

 パパの赤い糸は、元から直子さんに繋がっていたのだから、遅かれ早かれ両親は別れる運命だったのかもしれないけど。

 思い出して気持ちを暗くさせていると、瑞貴がずっとニコニコしてこちらを見ていた。

「どうしたの? なんか楽しそうだね」

「んーん。芙結が、俺を特別扱いしてくれて、嬉しいなって」

「な!? ……にを……。恥ずかしくないの?いつもそんなこと言ってて」

「あ、赤くなった。可愛い」

 それを言ってる、そっちこそ可愛い。

 無邪気な笑顔に、胸がギュッと痛くなる。

「ねえ、瑞貴は、気にならない? 自分の赤い糸の相手のこと」

「え? 全然。まだ俺の糸は見えてないんでしょ?」

「うん、そうだけど……」

 私の目に見える赤い糸は、すでに運命の相手に出会った人だけ。

「てか、見えてたとしても、教えてくれなくていいけどね。俺が好きなのは、芙結だから」

「あのね、瑞貴、私……」

「あ、いいよ、返事とか。その代わり、俺は芙結を好きだって思うたびに、言い続けるだけだから」

 ニコニコと裏表のない笑顔に、私もつられて口角を上げる。

「ありがとう」

 そんな会話をしているうちに、自宅に着いた。瑞貴の家は、うちから五分ほど進んだ場所にある。

「芙結、また明日」

「うん、じゃあね」

 玄関先で瑞貴に軽く手を挙げて、中に入る。

 今日の夕飯は何にしよう。冷蔵庫に、食材何が入ってたっけ。足りないようなら、制服を着替えてから買い物行こっかな。

「あら、芙結ちゃん、おかえりなさい」

「え?」

 自分ひとりだけしかいないと思って、何も言わずに家に入ったから、迎え入れる女性の声に思わず顔を上げた。

 そうだ、昨日から、パパとのふたり暮らしじゃなくなったんだっけ。

「あっ、直子さんごめんなさい。いつものくせで、何も言わないで入っちゃって」

「ふふ、ちょっと慣れないわよね」

「えへへ……。ただいま……です」

「おかえりなさい」

 パパが帰るまではいつもひとりでいたから、「ただいま」を言う立場になるのは少し気恥ずかしくて、頬が熱く感じる。

 靴を脱いで廊下を歩くと、ふわりといい香りがした。キッチンを覗くと、コンロにかけられた鍋があった。

「あれ? 夕飯作ってくれてるんですか? ありがとうございます」

 そういえば、再婚を機に直子さんは仕事を辞めて専業主婦になったって……昨日聞いたような聞かなかったような。

 何しろ、赤い糸の運命を学さん本人にバッサリ斬られてから、ショックでその後の記憶が曖昧になっている。

「やだ、そんな他人行儀に。今までは、ずっと芙結ちゃんが作ってくれてたのよね」

「私の料理って、パパにはあんまり評判よくなかったんだけどね」

 小学生の頃にママが家を出て、誰にも料理を教わらないまま、家事全般を私がやることになって……。

 今では少しマシになったとは思うけど、最初の頃に作った味噌汁はとても食べられたものじゃなかった。それでも、パパは苦笑いで完食してくれたけど。

「あ、それじゃあ、私は洗濯でも……」

 ふたりきりだった生活が、人数が増えて倍になった。だから、洗濯物もたまっているはず。いつもなら夜に一気に済ませるところだけど、夕飯の準備がない分、今やってしまおう。そう思い、お風呂場に向かおうとすると、

「芙結ちゃん、洗濯ももう終わらせているから、大丈夫よ」

 直子さんがわざわざキッチンから追いかけてきた。

「今までひとりで全部やりとげてきて、大変だったでしょう? これからは、ゆっくり休んでね」

「は……、はい」

 ありがたい、とても。ありがたい……んだけど。

 私は、リビングのソファーに移動して、テレビをつけながらクッションを抱きしめた。

 学校から帰って、即家事に追われる。ずっとそんな生活だったから、今さら自由な時間が出来ても、何をしていいのか手持ち無沙汰になってしまう。

 トントンと、包丁がまな板を叩く音が、リビングにまで響いてくる。

 そっか、ママがいる家庭っていうのは、こういう感じなのか。

「……」

 夕方って、こんな番組を放送してるんだ。なんて、変に感心しながら画面を見つめていると、玄関からチャイムが鳴り響いた。

「はーい!」

 元気よく返事をして、ソファーを飛び降りる。

 お客さんかと思ったけれど、すぐにガチャっと扉が開く音が聞こえて、

「お邪魔します」

 そこから届いたのは、昨日私を地の底に落とした声と同じもの。

 少し玄関に向かうのをためらってしまうけど、自分の右手を見て、ぐっとこぶしを作った。

「お、おかえりなさい、学さん」

 昨日同様、私たちの赤い糸は繋がっている。彼が私の、運命の人。

 学さんは、玄関に迎えに行った私の顔をチラッと見て、「どうも」と、素っ気なく返した。

 なんというか、引かれている。

 昨日の今日で、いきなり家族になれるわけではないだろうけど、原因は昨日の私の発言のせいだろう。

 これから一緒に暮らしていくんだし、初手でつまずいたくらいで、めげてはいられない。

「ま、学さんは、結構遅く帰ってくるんだね。うちの学校に転入しないの?」

「この家に来てから遠くなったから、帰りも時間かかるし。卒業まで一年もないから、学校はそのまま通う」

「そっか。その制服、うちと違って私立だもんね。てか、あそこ名門だよね、すごい」

 こちらも見ずに、淡々と答えながら歩く後ろをついていく。階段を上がって、二階へ。

 学さんの部屋は、私の部屋の隣の、空き部屋だったところ。

「あの、私、昨日変なこと言っちゃってごめんなさい。びっくりしたよね……」

「ああ、運命とか言ってたやつ?」

「……です」

 ガチャッとドアが開く音が聞こえる。そこは、私の部屋の隣。

「どこまでついて来んの?」

 ため息と共に、呆れたような表情を向けられ、ハッと気づいた。

「あっ」

 気まずくてうつむいていると、学さんはもう一度ため息をついた。

「あのさ、別に俺に気をつかおうとか、考えなくていいよ。どうせ、中学卒業したら寮付きの高校行くつもりだし。家、出るから」

「えっ……」

「この家族だって、いつまで続くか分からないだろ。馴れ合ったって、意味なんかない」

 パタンとドアを閉められ、ひとり廊下に取り残される。赤い糸だけが、繋がったまま。

 どうして、そんなことを言うんだろう。

 自分の指に赤い糸があることに、慣れない。やっと見つけたのに、出会いはすごくあっけなかった。もっと、体に電気が走るくらいの衝撃的なものになると思っていたのに。一目見ただけで、恋に落ちると思っていたのに。

 パパも仕事から帰宅して、夜七時。直子さんが作ってくれた、夕飯を頂くことにした。

 手を合わせて、「いただきます」を言う。

 コロッケを箸で割って、口に運ぶ。サクサクの衣の中には、トロッとしたマッシュポテトと牛肉。

「わ、おいしい!」

 感動して思わず口に出すと、なぜかドヤ顔になったのはパパ。作ったの、パパじゃないじゃん。

「芙結は、コロッケ作れないもんな」

「コロッケって、作るの大変なんだよ。時間かかるし」

 そして、なぜか半分くらいは油の中でバラバラに散ってしまうし。

「パパ、いつも簡単に、あれ食べたいってリクエストするけど、学校から帰ってきてからやるの、しんどいんだからね」

「でもこれからは、直子がいるから必要なくなったじゃないか」

「まあ、そうなんだけど」

 四人がけのテーブルで、隣に座っている学さんを見ると、特に会話に混ざる気配もなく、黙々と食事をしている。

 右利きの学さんが箸を動かすたびに、繋がる赤い糸もユラユラと揺れた。

「あ、お味噌汁もおいしい!」

「芙結ちゃんが、たくさんリアクションくれるの嬉しいな。学は、今さら味の感想聞いても、いつも通りってしか言ってくれないんだもん」

 直子さんの不満にも、当の本人は、「今日もいつも通り」と、あっさりと答えた。このレベルの食事が通常モードだなんて、なんて贅沢な。

「芙結は、味噌汁によく出汁入れ忘れるもんな」

「ちょ、パパ、暴露しすぎ!」

 赤い糸の相手に料理下手なのがバレると、今後に響くでしょうが。

 おそるおそる隣を見ると、まるで石像みたいに表情を変えず、機械みたいに規則正しい動き。

 学さんにとっては、私の料理が上手くても下手でも関係ないか。来年には、家を出るなんて言うくらいだし。

 私にとってのこの出会いがあっさりしたものだったように、きっと彼にとってもそれは同じだったのだろう。

 赤い糸で繋がった人たちの子ども同士も繋がっているだなんて、大分運命感じちゃうんだけどな。

 ため息をついて、コロッケの付け合せのいんげんを口に運ぶ。あ、これもおいしい。

「学くんがこんなおいしい料理に慣れてるなら、明日からのご飯は出前にした方がいいかもな」

 パパが笑って言った言葉に、首をかしげる。

 明日からのご飯? とは。

 反応が悪いと気づいたのか、パパは眉を寄せてため息をついた。

「おい芙結、まさか忘れてないだろうな?」

 私がますます首をかしげると、直子さんが苦笑いを見せた。

「芙結ちゃん、私たちね、明日から三日間、新婚旅行に行くのよ。パパから聞いてない?」

「!」

 バッ! と、反射的にリビングのカレンダーに目をやる。今日の日付け……の、次の日。私の字で、「パパの旅行」と、赤く記されていた。

 あまりにも早く伝えられていたから、カレンダーに書くだけ書いて、すっかり忘れていた。

 つまり、それは……。

 隣の、機械人間に目をやる。

 明日から、ふたりきり……!?

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