運命の人
「芙結ー! ふーゆー!」
学校へ行こうと家を出ると、タイミングよく名前を呼ぶ声に、振り向いた。
そこには、明るい茶髪を揺らしながら、手を振って駆け寄ってくる、幼なじみの男子。
「待ってよ、一緒に行こうっていつも言ってんのに!」
「中学生になってまで、恥ずかしいよ。瑞貴とは付き合ってるわけでもないのにさ」
「だから、それもいつも言ってるでしょ。俺の彼女になってって」
この会話、もう何回目だろう。幼稚園の頃からだから、多すぎて覚えてない。
そして、私は決められたセリフのように、いつも通りの言葉を口にする。
「ダメだよ、瑞貴とは繋がってないから。赤い糸」
自分の右手の小指を見る。相変わらず、何も見えない。
私には、運命の相手を見つけあった同士の、赤い糸が見えるらしい。
恋人同士だからといって、必ずしもその相手と繋がっているわけじゃない。だから、本当にたまにしか見えない。
相手を見つければ、きっと自分の糸も見えるようになるはず。
赤い糸が繋がっていなかったママとパパは、五年前に離婚した。
私、楯岡芙結(たておか ふゆ)は、自分の赤い糸を見つけられないまま、中学一年生になっていた。
「はぁー、芙結のそのふり方、鉄板だよね」
瑞貴が隣を歩きながら、ガックリと肩を落とす。
「まだ信じてない? 私には、ちゃんと見えてるんだよ」
改めて右手の小指を見ても、自分の糸は見えない。
「今さら芙結が嘘ついてるとか言わないけどさぁ、それを信じるってことは、俺は芙結の運命の人じゃないってことじゃん」
「そうだね」
「少しは悩んでよ」
「だって、見えるんだもん」
どこにいるかも分からない、糸を繋ぐ人。それは、どんな人なんだろう。
出逢ってしまったら、きっとそれは、最初で最後の恋になるはず。
「いいや、俺だって今さら諦めないし。理由が、赤い糸が見えるからとか言われてもさぁ」
「……」
そう言ってため息をつく瑞貴に、本当は「ありがとう」と言いたいけれど、それは残酷な気がするから、口を開けない。
瑞貴が未だに好きの気持ちをくれるのは、彼自身がまだ赤い糸の相手を認識していないから。
「ってことで、芙結。俺を好きになってもらうために、今日の放課後どっか行かない?」
明るく切り替える姿に、つい笑いが漏れる。
ただ単に、遊びたいだけじゃないの?
「ごめん、今日ね、新しいママとの食事会なんだ。顔合わせ? みたいな」
「えっ、今日だっけ? 栄一(えいいち)パパさんのお嫁さん」
「うん。新しいお兄ちゃんも一緒にね。中三なんだって」
「そっか、仲良くなれるといいね」
瑞貴のパッと明かりが灯るような笑顔に、期待感が膨らむ。
数ヶ月前から、パパの右手には赤い糸が見えるようになった。その先には、再婚相手の女性がいるのかな。
パパとの赤い糸、繋がってるといいな……。今度こそ。
*
その日の授業が終わってすぐに、教室を飛び出す。
一年生の教室は一階だから、昇降口に近くて助かるな。
新しいママは、もう来てるかな。さすがにまだかな。パパは、仕事を午前中で切り上げると言っていたから、もう家で待っているはず。
新しい家族とは、一度家に集合してから、食事に出かけることになっている。
初めて会う人たち。これから、一緒に暮らしていく人たち。……緊張しちゃうな。
家に着いて、玄関を開けるとすぐそこで、パパがソワソワとした様子で、グルグルと円を描くように歩いていた。
「うおっ、なんだ、芙結か」
「ごめん、芙結で。まだ新しいママとお兄ちゃん、来てないの?」
「まぁな。約束の時間はまだだからな」
スマホで時間を確認すると、まだ約束の三十分前。さすがに、人の家に三十分もフライングしてくる客人はいないだろう。
だけど、パパは尚も落ち着かない様子で、グルグル回り続ける。右手から伸びた赤い糸も、グルグル体に巻き付いてる。
なんか……パパ可愛いな。
微笑ましくて、フッと笑う。
「っ、いた……」
「なんだ? 芙結、どうした?」
「ううん、なんでもない……」
ギュッとしめつけられるみたいに、右手の小指が痛くなった。
なんだろう、今まで、こんなことなかったのに……。
パパが玄関先でグルグルやってる間に、私はリビングで待つことにした。
いつもならすぐに制服は着替えてしまうのだけど、今日だけはそのまま。
どんな人かな。お兄ちゃんって。仲良くなれるかな。ずっと兄弟がほしかったから、楽しみ。
「いたっ……!」
まただ……。右手の小指が痛い。
こんなこと、今までになかったから、見えない糸の先の相手に何かあったのかと、不安になる。そんなことが感じられる能力があるのかは、謎だけど。
ひとりで黙っていると落ち着かなくて、テレビをつけた。ちょうど、ドラマの再放送をやっている。
ソワソワしすぎて、少しも頭に入ってこないドラマを流し見していると、ピンポーンとインターホンが鳴り響き、反射的にリビングの入口に目をやった。
来た!?
バタバタと忙しなく走って、玄関へと急ぐ。
黒髪ショートカットの女性の姿が見え、気持ちが高揚する。
彼女は、期待通り、パパとの赤い糸が繋がっていた。
新しいママは、パパの運命の人だ……! すごい! まさか本当に……。
「今日からお世話になります、直子(なおこ)と申します」
「はっ、初めまして! 娘の芙結で――」
新しいママ、直子さんの後ろにいる、背の高いブレザー姿の男性を視界に捕らえた途端、目を見開き、私は一切の動きを止めた。
赤い糸が、目の前にある。パパと、直子さんのもの。
そして……
「初めまして、息子の学(まなぶ)です。今日からお世話になります」
礼儀正しく自己紹介をし、頭を下げる、義理の兄。
私と彼の間に赤い糸が現れ、目の前で結ばれたのだった。
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