第36話 口実探し (サーシャ視点)

「……大丈夫かな」


 何度目になるかも分からない言葉が私、サーシャの口から漏れる。

 目をおろすと、珍しく進んでいない書類が目に入る。


「はぁ」


 それを見てため息をはいた私の頭に蘇るのは、昨日ライバートの突然告げた言葉だった。


 ──僕にその書類仕事を手伝わせてくれませんか?


「どうして私は許可しちゃったんだろ……」


 そして、それこそが私の憂鬱の理由だった。

 別にライバートが仕事が出来ない人間だと私は思っていない。

 むしろ、ライバートはその年齢に見合わない落ち着きを持っている。

 しかし、私が普段行っている仕事に関しては、軽率に譲れるものではなかった。


 というのも、私の仕事をこなす量は桁違いなのだ。

 いくらライバートが賢かったとしても、知能系のスキルがない以上ただの足手まといとなってしまう。

 つまり私は、そのことが反応する前にやんわりと断るべきだったのだ。

 仕事が終わってから傷つけるのではなく。


「でも、あんな目を見せられたらな……」


 そう理解しながらも、私が断れなかった理由。

 それこそ、私のためになりたいと真っ直ぐに語っていたライバートの目だった。

 ……おそらく私はライバートに絆されて来ている。

 その事を私は改めて自覚する。

 最初はただの見捨てることのできない子供でしかなかった。

 けれど、こうして過ごす内に、私はライバートがかわいくて仕方なくなりつつある自分に気づいていた。


「私に弟がいたらこんな感じだったのかしら?」


 そして単純に、私の生活はライバートの存在が不可欠となりつつもあった。

 毎日家事をしてくれるライバートがいなければ、私の生活水準はもう保てない。

 そもそも、ライバートの作る食事のない生活など私には考えられない。


 故に、私はライバートの頼みを断ることができなかった。

 真剣な瞳でこちらを見て頼み込んできたライバートの姿は、今でもたやすく思い出せる。

 あの表情で見られて、誰がたやすく断られるものか。


「……とはいえ、それで新しい問題が出てきてるも事実なのよね」


 ため息をついた私は、伸びをしながら立ち上がる。

 進まない仕事と向き合っているよりは、ライバートを確認しにいくのがいいだろうと。

 それを確認してなんとか口実を探し出し、話すのが今考えられる一番の方法だろう。

 私の仕事が終わってなくても仕方ないと。


「何とか傷つけずに言い出す方法ね……」


 そう呟きながら、私は今や綺麗に勝たずけられてライバートの私室となっている客間に向かう。

 軽くノックすれば、返事はすぐに返ってきた。


「はい、どうぞー」


「ありがと、入るわね」


 そういいながら、私は部屋に入る。

 その瞬間、私はある異常にすぐに気づくことになった。


「あれ、誰この子?」


 私の目に入ったのは、ライバートの座る机の上にのっそりと乗る初めて見る精霊だった。

 ベッドのところでおなかを上に向けて眠っているシロと、今はいないがライバートにべったりなヒナに関しては私もよく見ている。

 しかし、この黒い甲良をもつ亀のような子は初めて目にする子だった。

 驚きを隠せない私に、苦笑しながらライバートは告げる。


「あ、初めてでしたね。ほらクロ、挨拶して」


 そうライバートがいうと、クロは無言で片ヒレを上げる。


「こら、クロ! ごめんなさい、この子は少しめんどくさがりで……。今この子には手伝ってもらってているんです!」


「……手伝う?」


 その言葉に、私の頭を疑問が支配する。

 手伝うもなにも、精霊にできることもないだろうに。

 そう思いながら、私は机の上に目を移す。


 するとそこには、山積みになった書類が残っていた。

 その光景に、私は内心苦笑する。

 やっぱり普通の人には私を同じ仕事を求められはしない、と。

 それにしても、どう言い出せばライバートを傷つけないだろうか。

 そう考えながら、私は書類の山の一つを手に取る。


「……え?」


 ──それの書類が既に終わったものであったことに気づいたのは、その時だった。

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