第35話 僕にできること

「さて、後半分は終わらせておかないとね」


 そう小さく呟いたサーシャさんは眼鏡をかけて、椅子に座る。

 高速でその指が動き出したのはその瞬間だった。


「相変わらず、すごい仕事量だな」


 洗い物をこなしながら、僕の口からそんな言葉が漏れる。

 最初の僕のサーシャさんの印象、それはただの優しいギルド職員というものだった。

 けれど、こうして過ごす内に僕はサーシャさんがそれだけの人でない個とを知っていた。


「……特級ギルド職員か」


 ナウスさんから聞いた言葉、それがぽつりと僕の口から漏れる。

 それは、僕も初めて聞いたギルドの中の特別な存在のことだった。


 一級ギルド職員、特級ギルド職員。

 それは、強大なスキルを持ち分野によって圧倒的な働きをこなすことのできるギルド職員に与えられる名称。

 特に特級となると人格能力ともに認められたということになり、大きな権限を持つと言う。


 ──そして、サーシャさんこそがその特級ギルド職員だった。


 サーシャさんの持つスキルの詳細を僕は聞いていない。

 しかし、サーシャさんは高速思考に関連する能力を持っているらしく、今も高速で書類を処理して言っている。

 その光景を見ながら、僕はナウスさんから聞いたことを思い出す。


 曰く、サーシャさんはこの若さで支部長の腹心として動けるギルド職員であること。

 曰く、その仕事量は異常でサーシャさんがいなければラズベリアのギルドは動かないこと。

 曰く、ただ数日サーシャさんが仕事を頼んできたことがあったと。


 ……そう、その数日こそが僕がサーシャさんの部屋にあがり込んでいた時だった。

 僕は改めて散らかっていく部屋に目をやる。

 こうして散らかっていく部屋は確かに、サーシャさんが掃除が苦手ということも関係するだろう。

 けれどそれ以上にあまりの忙しさ故に掃除する暇がないことを僕は知っていた。

 その上で、サーシャさんは僕のことを世話してくれていたのだ。


 そのことを考える度に、僕の心が不自然に揺らぐ。

 しかし、それを何とか心の奥底に封じ込め、僕はサーシャさんの前に少し冷ましたお茶を置く。


「サーシャさん、お茶おいて置きますね」


「ん?」


 僕の声に反応し、顔を上げたサーシャさんはすぐにくしゃりと笑みを浮かべる。


「やった! いつもありがとね!」


 そう言って、サーシャさんは少しさめたお茶をさらにふーふーと冷ましながら飲み始める。

 その姿にほほえましさを感じると共に、僕はある強い思いを感じる。


 僕はもっとこの人の役に立ちたい、と。

 こんなにも僕の為に動いておきながら、一切のアピールをしないこの人に僕は恩を返したい。


 その思いを新たにしながら、僕はサーシャさんを改めてみる。

 幸いにも、僕は自分がなにができるかを知っている。


「……サーシャさん、少しいいですか?」


「ん? どうしたの」


 普段仕事中はお茶を出すとき以外僕は話しかけない。

 それもあって、サーシャさんは怪訝そうにこちらを見ている。

 その表情に対し、僕は意を決して口を開く。


「僕にその書類仕事を手伝わせてくれませんか?」


「……え?」


 その瞬間、サーシャさんの顔に浮かんでいたのは滅多にみることのない驚きの表情だった。

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