第16話 滲む星空

「っ!」


 くしゃりとマークの顔が歪んだのはその瞬間だった。

 わずかな誇らしさと、それを遙かに越える怒りと悲しみの入り交じった複雑な表情。

 今にも泣きそうなそんな表情で、マークは吐き捨てる。


「どうして、ライバート様ばかりこんな目に……!」


「……マーク」


 何とか、笑顔を作り出した僕に対し、マークは決死の表情で口を開く。


「ライバート様、傷にきちんとした手当も施せずこんな場所に放り出してしまって申し訳ありません。ですが、少しあの小屋で待っていてください!」


 そういって、僕をまっすぐとみるマークの目に浮かぶのは真剣そのものな目だった。


「一刻も早くヨハネス様がこのことをしれるよう、俺が伝えにいきます! それに、アズリア様が目覚めればきっとすぐに屋敷に入れてくれますから!」


 そう言いながら、さらにマークの顔が歪む。


「……当主様はライバート様に思い知らせたいだけで、追い出す気などないのです。ですからどうか、少しだけお待ちください……!」


 それだけ言うと、マークは軽い一礼をして、この場から去っていく。

 全力で走って遠ざかっていくその背中は、何より僕への心配を物語っていて、僕は思わず笑ってしまう。

 それから小さく呟いた。


「……本当に、最後にこんな人に会えるなんて思ってなかったな」


 そして、こんなひたむきな人が自分を慕ってくれているとしれたこと。

 最後に少しくらいはいいことがあるものだな、そう僕は思ってから小さく呟く。


「これで満足だろ、僕?」


 そう自分に言い聞かせると、僕はゆっくりと足を踏み出した。

 このまま待っていれば、マークはいずれ家宰のヨハネスに話を通してくれるだろう。

 そうすれば、僕もまたこの屋敷で過ごせるかもしれない。

 マークの言葉が気休めではなく、本当に父上が僕を追い出す気がない可能性もゼロではない。

 いや、それがなくても少しはこの小屋で休むべきであることくらい僕は理解していた。


 何せ、僕の持っている荷物の中に入っているのは本当に最低限の食料だけ。

 その上、僕の身体は休めと告げるように、ひっきりなしに痛みを訴えている。


 けれど、僕はその身体の痛みを無視して、足を踏み出す。

 ゆっくりとした足取りで、それでも僕が足を止めることはなかった。

 行く先も分からず、ただ目に見える道に沿って歩いていく。


「……ぴい」


 隣に、ヒナが顕現したのはそのときだった。

 よく勝手に顕現することもあるひな。

 けれど、その時とは違って今のヒナの顔に浮かんでいたのは、僕に対する心配の感情だった。

 その表情に僕は笑おうとする。


 でも、無理だった。


「……ごめんね、ヒナ」


 僕が浮かべることができたのは、あまりにも力ない笑みともいえないものだった。

 しかし、もうそれをなんとか笑みにすることはできなかった。


 この家から出て行くこと、それを僕が一度も考えなかったと言えば嘘になる。

 けれど、僕はある目的を達さずに逃げる訳にはいかないと自分に言い聞かせながら生きてきた。


「出て行く時は、僕の評価を覆してから。そう、思ってたのにな……」


 そう、自分の価値を家族に認めさせてからこの場所を去ろうと。

 そのことを思い出しながら、僕は気づく。


 ……家を追い出されたことに関して、自分がそこまで衝撃を受けていないことを。


「そっか、本当に僕はあの人達のことなんてどうだってよかったのか」


 もちろん、屋敷でよくしてくれた人に対する申し訳ないという気持ちは僕の中にある。

 だが、両親に対しては、一切心残りは存在しなかった。


 今までずっとつらかったと思っていたはずの両親から告げられた言葉は今も胸に刺さっている。

 でも、それだけだった。

 代わりに胸を占めるのは、一人の人間。

 その人を思い浮かべながら、僕は告げる。


「僕にとって、家族と思えるのはアズリアだけだったのか」


 その呟きに、僕は理解させられてしまう。

 今までずっと自分がやってきたこと、その理由は全てアズリアだったことを。

 ずっと僕は両親に認められようとしてきた。

 自分は両親を見返したいのだと、そう思いながら。

 でも違った。


 僕はただ、自分がアズリアの言葉通りの自分を見せたかっただけにすぎないのだ。

 他の誰でもない、アズリアに応えたかった。

 あの、僕なんて比にならない自慢の妹の。


 ──胸を張って誇れる兄になりたかっただけなのだ。


「……そう、だったのにな」


 なのに僕は、肝心の妹さえ守ることができなかった。

 こんな時の為につけてきたはずの力なのに。


 ぽたり、地面に水滴が落ちる。

 情けない、そう思うのに僕は自分の感情を抑えることができなかった。

 ……自分の感情を抑えることだけが僕の取り柄だったはずなのに。


「だから、もう僕はここにはいられる訳ないよね」


 歩く足を止めることはなく、僕はそう告げる。

 体が訴える痛みはじわじわと重くなっていく。

 それでも僕は、行き先のないこの旅をやめるつもりはなかった。

 ただ無意味に、道の上を歩いていく。


「……ぴい」


 心配げな鳴き声と共に、ヒナが僕の背中に寄り添ってくれたのはその時だった。

 ヒナの温もりが、冷えた身体を僅かに暖める。

 その温もりへと、僕は精一杯の虚勢を張って口を開いた。


「大丈夫だよ、ヒナ。僕はいつか絶対にアズリアも助けられるような人間になって見せるから」


 ヒナは僕の顔から、あえて顔を背けてくれているだけ。

 僕がどれだけ情けない顔をしているのか、分かっている。

 そう理解しながらも、僕は必死に口を笑みの形に歪める。


「きちんとアズリアの誇れる兄に、おにいになって。その時に今までのお礼を言うんだ」


 涙がこぼれるのを防ぐために、僕は上を向く。

 しかし、そんなこと何の意味もなく、ぼろぼろと流れる涙は眼前に広がる星空をにじませる。

 その光景にさらに涙が溢れそうになるのを感じながら、それでも僕は嗚咽をこらえ、告げる。


「今度こそ僕は、誰かに頼られるような人間になってみせるから」


 ゆっくりと、今にも止まりそうな足取りで僕は進んでいく。

 涙でにじんだ星光はただ、彼方へ続く道を照らしていた……。



 ◇◇◇


 次回からアズリア視点に移行します。

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