スペースデブリ課、再始動

 月面都市の病院はまさに最先端技術の結晶で、いかにもな病院という雰囲気よりかは研究所のような見た目に感じる。2204の悲劇以来何度も世話になった場所だ。だが、宇宙飛行士であれば健康診断などで足を運ばざるを得ない。検査は大掛かりで、航空宇宙医学の専門医師や、精神、心理学、宇宙放射線、環境衛生など多岐にわたる専門家が立ち会うのだが、きっとデブリボックス帰りのスリーズにはもっと沢山の専門家が揃うだろう。それぐらい、貴重なサンプルデータでもあるということだ。

 だがそんな健康診断よりも嫌いだったのが地上のシミュレーション訓練で、旧式の重たい宇宙服を着てプールに入るEVAの模擬訓練や、遠心力操作装置を用いた重力耐久訓練など一定の数値を越えなければフライトは許されない。これがどうにも嫌いで、リモンチクとぼやいていた。だが今回は見舞いなので隣に併設された訓練棟に行かなくても済む。それだけでも気分が良かった。

 一階フロントの受付は、どうやらアンドロイドのようだ。これはここに限った話ではないが、特殊な技能を必要とする職種以外は、どんどんAI搭載のアンドロイドに任されつつある。結果として宇宙開発事業を目指す人は多くなり、より活発となったがそのぶん事故で亡くなる方や、遠くの惑星への調査隊に組まれることなどが増えた。そうすれば、子は孤立する。月面都市には孤児院がいくつあるのかは分からないが、その一つがリモンチクのいたヴェスタ孤児院。彼は気丈に振舞ってはいたが、内心はどうか分からない。だがその姿は、同じく身寄りのないウフルにとっては、本当に兄のような存在だったのだろう。

「受付に行ってきますね」

 ヒナバチが先導しようとするところを片手で制する。面倒な手続きは全てタイロスに任せていた。

「手続きは何もしなくていい、社員証だけ用意しとけ」

「なんだ、また面倒事を押し付けてあるんですね」

「ちょっとは言い方に気を付けろよな、一応俺はお前の上司なんだぞ」

「だって、船長らしいことしているの全然見たことないんですよ」

 それもそうか。だが縁の下の力持ちとして色々やってはいるんだが、このままでは船長としての沽券こけんに関わる。

「新しいデブリ回収船スプートニク二号はな、俺の操縦になるんだ。ボイジャーもちゃんと新調するんだぞ」

「でもその引き取りも兼ねた試運転、アイラスさんに任せてますよね?」

 エレベーターの手前にある自動販売機の前で歩を止める。この会話はピリオドにするべきだ。社員証をかざすと、飲料を選択するモニターが光った。一番人気と書かれているのはエナジードリンク。この病院に勤めている人間の健康が不安になる表示である。

「ヒナバチ、何か飲むか」

「話を逸らしたいのは分かりました。じゃあ、これで」

 ヒナバチはアイスミルクティーのボタンを押した。次いで俺はブラックコーヒーを選ぶ。

「別に逸らしたいわけじゃない。一応言っておくが、試運転したいと言ったのはアイラスのほうだからな」

「まぁそういうことにしておきましょう」

 なんとも癇に障る奴だ。だが面倒事は嫌いだし、自分がやらなくてもいいならば率先してやりたいとはならない。それに、上手いこと相手にその気にさせる術をいつの間にか習得していて、サクラにはよくある意味では世渡り上手だねと皮肉めいたことを言われたものだ。

 エレベーターに乗り込み、地下三階を押す。他に乗客はおらず、スムーズに地下三階に着いた。

 廊下はクリーム色で、地下なので窓などはない。自分たちがいる部分の照明だけが点灯して、廊下を照らす。館内図は見なくとも、目的の場所は記憶してある。途中、掃除ロボットとすれ違ったが、ヒナバチは興味津々といった様子でじろじろと見ていた。

 目的の病室へ着く。サクラには個室があてがわれている。ノックをして、ドアをスライドした。

 小さな病室は白というよりはアイボリーに近い色合いで、入ってすぐ右手のテーブルに花が活けてある。種類は分からないが、その赤色だけがこの空間で浮いている気がした。

「あら、久しぶりね。ヴァンガード」

 左手側にある大きなベッドから声を掛けられた。今はベッドの背の部分が上がっておりサクラの表情がよく見えた。今日は機嫌がいいのか、小さく微笑んでいる。目じりの下にあるほくろが印象的だが、笑っているときの笑窪が可愛らしいのだとリモンチクが熱弁していたのを覚えている。肩先までかかっている黒髪は、いつ見てもさらりとしていて不思議だ。

「よう、元気そうだな、サクラ。なんだ、スリーズもいたのか」

 サクラのベッドの隣には、車椅子に乗ったスリーズがおり、小さくお辞儀をしていた。まだ少し頬がこけている感じがする。

「……お疲れさまです、ヴァンガードさん」

「隣にいらっしゃるのが、ヒナバチカグヤさんね?」

 サクラがおっとりとした口調でそういうと、カグヤは妙に落ち着かない様子でサクラに頭を下げた。

「スペースデブリ課のヒナバチです! ほ、本日はお日柄も良く……」

「おいおい、スピーチでも始めるつもりかよ。全く、悪いな騒がしいやつで」

 俺がカグヤの暴走を止めると、サクラはくすくすと笑った。スリーズはあきれ顔である。

「賑やかでいいじゃない。スペースデブリ課はこうでなくちゃね」

「といってもなぁ、今は俺とカグヤにスリーズ、あとはアイラスの四人しかいねぇんだぞ」

「そういえば、アイラスは?」

「ちょっと野暮用でな、でも近いうちに顔を出すって言ってたよ」

 カグヤが余計なことを言うかと思ったが、緊張しているのか、何だか借りてきた猫のようだ。

「そう……、残念だけれどしょうがないわね。とりあえず二人とも、そこに椅子があるから座ってちょうだい」

 薦められたとおりに椅子に座る。よく見ると、スリーズは膝の上に小さな皿を置いていてリンゴの皮むきをしているようだった。

「スリーズはもう、検査は終わったのか?」

 俺が訊くと、スリーズは皮むきを続行しながら頷いた。

「……あんまり大した検査しなかったよ。ただ足の小指の骨が折れていたのと、筋断裂で車椅子貸してもらってる」

「それぐらいで済んで良かったと思うしかないか……。デブリ課の仕事はまだ先だから、しっかりと休養をとってくれよ。うちのエースなんだからな」

 隣でヒナバチは顔を顰めている。一応こいつにもフォローをいれておいたほうがいいだろう。

「その、なんだ、ヒナバチも期待しているぞ。今回のカタログデブリの回収は無難にこなせていたしな」

「あ、いえ。スーちゃんがエースなのはその通りなので気にしてないですよ。それより、小指の骨折っていうのが、痛そうで……」

 何とも紛らわしい、褒めただけ損だ。

 呆れていると、サクラが頭を下げた。

「その、スリーズの件に関してはヒナバチさん、いえカグヤさん。あなたが率先して、救出ミッションを行ってくれたとお伺いしました。本当にありがとうございました」

「そんな、顔を上げて下さい」

 カグヤが両手を顔の前で振って答える。

「私は同じデブリ課の仲間として、当然のことをしたまでですよ。それに、各方面に無理を通してくれたヴァンガードさんや、最短ルートを算出して操縦してくれたアイラスさんのおかげでもあるんです。あとはそう、管制課のツバサっていうのも一役買ってます」

「そうですか、ツバサさんという方にも必ずお礼に伺いますね」

「いえいえそんな、良いんですよあんな奴のとこまでわざわざ出向かなくても」

 散々な言いようだが、少し気になったので会話に割り込んだ。

「伺うもなにも、まだ退院は出来ないんだろ?」

「それなんだけどね、来月には自宅療養でも大丈夫だってお医者さんに言われたの」

「そうか、良かったじゃないか」

 もう何年も入院していたサクラが退院というのは心から喜ばしい。久しぶりに酒でも飲みたい気分だった。

「それにね、娘がこれだけ頑張っているのにいつまでも寝ていられないなって……。スリーズがデブリボックスに落ちたとタイロスから聞いたときは本当にもう胸が張り裂けそうで」

「タイロスのやつ、無駄にペラペラとしゃべりやがって」

「私が色々と教えるよう頼んでいるのよ、そう悪く言わないで上げて。それでね、娘が無事かどうか祈っているだけは嫌だって思って。また前みたいに戻りたいなって思うの」

「それって……」

 俺が二の句を告げずにいると、ヒナバチが席を立って声を上げた。

「じゃあ、サクラさんもデブリ課にいらっしゃるんですか!?」

「うん、いずれね。事務仕事なら任せて」

 はしゃぐヒナバチはさておき、スリーズはその話を先に聞いていたようで動揺もなく捌いたリンゴを皿に載せている。そして出てきたのはウサギの形に切り取られたリンゴだった。

「人数が少ないデブリ課に復帰はありがたい話だが、こうも事故まみれの現場で大丈夫か?」

「反デブリ派も、今回の件で下火になるだろうってタイロスが言っていたわよ。それに、事故が起きないようヴァンガードが頑張ってくれるんでしょう?」

「そりゃあ頑張るが、俺一人じゃ限界がな……」

「何言っているんですか、ヴァンガードさん!」

 ヒナバチが俺の右肩を叩く。思ったよりも大きな音が鳴ったが、全く気にしていない様子だった。

「私や、スーちゃんだっているんです。それに、アイラスさんも」

 誇らしげな表情に、思わず面食らう。

「そうか……そうだったな」

 2204の回収ミッションでリモンチクを失い、サクラは長期入院を余儀なくされ、タイロスは管制課へ。そして、アイラスはアカデミーへ行き、他の班のやつらも散り散りとなり、俺はずっと孤独だと思っていた。だが、気が付けば俺の周りには頼れる仲間が増えていた。

 今のこのデブリ課を見たら、リモンチクはなんていうだろうか。俺の無力さに呆れるだろうか。それとも、下を向いていないで前を向けと叱責されるだろうか。

 リモンチクが最期に言ったサクラとスリーズを頼むという言葉がまるで呪いのように俺を縛り付けていたが、今はその息苦しさを感じない。二人とも既に、リモンチクの意志を継いで前を向いている。なら俺もいつまでも過去に囚われずに歩むべきではないだろうか。ヒナバチや、アイラス、それにタイロスも、その道を確かなものにしてくれるだろう。

 いまだ燻る反デブリ派も、ヴェスタ孤児院の司祭や、密航船の操縦者たちなど特に過激な派閥は逮捕されつつある。他の課やスペースガードとの連携も今まで以上に必要となるだろう。それらを束ねるリーダーシップが俺にあるとは思えないが、やれるだけのことはやるしかない。こればっかりは、他人に任せられるものではない。

「これから、忙しくなるぞ」

 ヒナバチが拳を突き上げる。

「スペースデブリ課、再始動!」

「……おー」

 やや遅れてスリーズが呼応する。二人のやり取りを見て、俺もサクラも笑みを浮かべた。

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