残されたものたち
一日、また一日と経過していくごとに、スリーズは目に見えて衰弱していった。元々小さな体なのだ、生命維持に必要なエネルギーは少ないかもしれないが、やはり水ばかりでは必要な栄養素が圧倒的に不足している。
なるべくスプートニクに送られた座標の近くにいる必要があるため、スリーズはアストロノーツを開けた場所の近くに作ったテントで、横になっていた。
無理をした姿勢でアストロノーツに入っていた弊害なのか、スリーズは早い段階で足の痛みを訴えていた。やはり何か炎症が起きているのか、歩くのが難しいようで、基本的に付近の調査は僕とストレルカで行っている。といっても調査とは名ばかりで、本当にここには使えそうなものはない。改めてここはデブリボックスなのだと再認識するばかりだった。
草花といった類は全くない。水辺に、魚や貝のようなものもない。無理して大きな岩を動かしたみたり、洞穴を探索してみたこともあったが、これといった収穫はなかった。無人島のようにはいかないものだ。もちろん、無人島に行った事があるわけではないけれど。
灰色の空は明るくもならなければ暗くもならない。白夜のような環境は時間の経過を忘れさせる。それでも、僕は正確に時間を測ることができる。今日は、スリーズと
果たして、再始動したばかりのスペースデブリ課にそれだけのことが出来るだろうか。回収ミッション中の事故の責任の追及や、ジオテールの新たな妨害行為があるかもしれない。やはり、希望的観測にすぎないのではとまた物事の"最悪"を考えてしまう。しかしそれを口にするほど愚かではない。今は励ましあい、一秒一秒、なんとか命を繋ぎとめていくしかない。
「ベルカ、スリーズ何とか寝かしつけたよ」
テントから少し離れた場所で考え事をしていると、ストレルカがやってきた。ここには、チャイカとリシチカが横たわっていた。救助がきたときに、彼らも連れていきたいとストレルカが言ったので何とかここまで運んできたのだが、やはり動かない彼らをみていると寂しい思いが湧いてくる。
「ありがとう、ストレルカ。水はまだ大丈夫かな?」
「うん、あまりたくさんは作り置きできないけれど、火も起こせるから大丈夫よ」
「助かるよ、それで……スリーズの具合はどうだった?」
「思考もはっきりしているけれど、やっぱりまだ足が痛いみたい。ここの重力はスペースコロニーとは違うから、それも関係しているのかもしれないって話してたよ」
人間は水だけでも三週間ほどは生きていられるというが、やはり足の怪我とこの環境が良くないように思う。何とかしてあげたいのは山々だが、僕らには何もしてあげることができない。
「ストレルカも、少し休んでね。エネルギーは温存しておいたほうがいいと思う」
「うん、そうするわ」
ストレルカは僕の隣で大の字になって天を仰いだ。僕も真似して、横になる。
「ねぇベルカ、救助って本当に来るとおもう?」
「どうだろう、まだ時間がかかるのかもしれない」
スペースデブリ課がこれなくとも、僕らが投下されてから一週間後に資源の回収に誰かしらはくるだろう。その回収船に乗せてもらえればいいのだが、その回収船が来るのにはまだあと二日もある。それに、元々は使い捨て目的の僕らを歓迎してくれるとは思えなかった。何か利用価値がある、と思い込ませれば連れていってもらえるだろうか。だがそうなると、スリーズはどうなるだろう。
実は偶然知り合ったんですよ、などとは白々しいにもほどがある。これだけ生命のないデブリボックスに、人間がいること自体イレギュラーなのだ。僕らの有用性が示すことができても、スリーズを置いていくのでは意味がない。スリーズは僕たちの希望なのだから。
「みんなで助かろう、なんておこがましいのかな」
ストレルカがぽつりと呟く。彼女にしては珍しく弱音を吐いたといえる。それぐらい、
「スペースデブリ課が来なくても、あと二日待てば、必ず資源回収で誰かくる。そこに乗せてもらうしかないよ」
「でも、スリーズは乗せて貰えるの?」
「それは……そうだ、またアストロノーツに忍び込ませて資源の一部とすれば回収してくれるかもしれない」
これは妙案だ、と思ったがストレルカは首を横に振った。
「あれはもう使えないみたい、私たちが無理にこじ開けたせいでロックがおかしくなってるって」
そういえば工具でこじ開けたんだった。まさか再び使うとは思わなかったとはいえ、僕の失態だ。
「ごめんね、僕が無理にこじ開けたせいで……」
「ベルカは悪くないよ、ああするしかなかったんだから。それに悪いっていうか、諸悪の根源はやっぱりジオテールでしょ。そりゃ、孤児院のことは感謝しているけれど、結局は金儲けの道具として必要だったから投資していたわけでしょ?」
「僕の考えが正しければ、そうなるね」
「司祭様だって同罪よ。結局はお金。人間ってどうしてこうお金に囚われてしまうのかなぁ」
「生きるためには、きっと沢山必要なんだよ」
「でもさ、今の私たちにお金なんて一ミリも必要じゃないでしょ」
それもそうだ。ストレルカはなおも
「お金だけ沢山あったって、虚しいだけよ。私たちお金はなかったけれど、孤児院の皆は家族みたいなもので、皆助け合って生きて、とても幸せだった。自分一人だけ美味しい思いをしようとしたって、きっとバチが当たるわよ」
礼拝堂での祈りを思い出す。ステンドグラスに浮かび上がる女神はアッピアデス(注1)のヴェスタ。家庭、家族を司る処女の女神だと聞かされていた。孤児院の皆は確かに家族同然に育ったし、それは今も変わらない。かつては
「孤児院にいるみんなが笑って過ごすのには、お金は必要かもしれない。けれど、ジオテールみたいに他人を犠牲にして得をするような考えは、改めないといけないかもしれないね」
もしかしたら、ジオテールにも何かのっぺきならない事情があるのかもしれない。だがこればっかりは想像しても埒が明かない。彼のことは孤児院に投資してくれていることぐらいしか知らないのだ。何故ここまでして富を得ようとするのか。今の僕には皆目見当もつかなかった。
灰色の空に、一筋の光が見える。時折見える、流れ星だ。しかしその光は消えることなく、近づいてくる。
「ベルカ、あれって!」
ストレルカが起き上がって、指を差す。僕も思わず立ち上がって声を上げた。
「救助が来たのかもしれない!」
すぐにテントに向かって走る。いつの間にかスリーズは起きていたみたいで、上体を起こして空を見つめていた。
「スリーズ、救助が来たかもしれない」
ここにきてスペースデブリ課や、僕らの資源回収船とは違う第三者とは考えにくい。それに、この座標に向けて降下してきている以上、やはりこれはアストロノーツのシグナルを捉えてきたに違いない。
「……きっと来るって、思ってたよ」
力なく笑うスリーズを抱きかかえる。エンジン音が聞こえ、宇宙船がしっかりと視認できる距離になった。これは二世代前の小型ボイジャーだ。大気圏も問題なく超えられる強度を誇っているが、その分小型で乗組員の上限は二名。
しっかりと着地したのを見届けて、僕らは小型ボイジャーに近づいていく。きっとスペースデブリ課のカグヤという人が操縦してきたんだろう。だとすると、乗れるのはあと一名。カグヤはこのスペースデブリに僕やストレルカがいることを知るすべはなかったのだから、定員二名の宇宙船でくるのは理にかなっている。これならば多くの燃料を必要としないし、整備にも時間が掛からない。
ボイジャーの扉からこんこん、とノックの音が聞こえた。ボイジャーの中から外は見えているはずだ。スリーズの姿を見つければ飛び出してくるかと思っていたが、扉は一向に開かない。
もしかしてウイルスに対する装備を調達できなかったのだろうか。狭いボイジャーの中で隔離して宇宙に飛び立とうというのだろうか。それはあまり得策とはいえない。あるいは、ここに来る途中、ジオテールの妨害に遭って何か不都合なことが起きているんだろうか。それともこれは、ジオテールの罠で中にいるのはカグヤではないという可能性も捨てきれない。
不測の事態を想定していると再びノックの音がする。不規則なそれを聞いて、スリーズが呟いた。
「……モールス信号」
そうか。再びノックの音に集中する。
「あけて――か。扉を開けてってことかな? ストレルカ、注意して扉を開けられる?」
万が一を想定して、スリーズは抱きかかえたままにしておきたい。ストレルカは小さく頷いて、ボイジャーに近づく。
「あ、開けるわよ」
ロックは解除しているのか、大きなハンドルをひねるとボイジャーの扉がゆっくりと開いた。全員の視線が注ぎこまれる。
「えっ……!」
その声は僕が発したのかストレルカが発したのか、はっきりと言えるのはスリーズではなかったということぐらいだ。
扉の先から現れたのは、人ではなかった。
(注1)古代ローマのアッピア上水道の近くに神殿があった5柱の女神たちのこと。コンコルディア、ミネルヴァ、パークス、ヴィーナス、ヴェスタ。
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