再拝鶴首
「……ここは、どこ?」
アストロノーツから少女を救出しておよそ三時間と十九分。少女が枯れた声で呟いたとき、安堵の気持ちと同時に、ジオテールの策略から逃れられた達成感を得た。それは少女も同じだろうが、まだ現状を理解しきれていないようで、目だけを動かして周囲を観察している。
「おはよう。ここは、惑星X。木星軌道の惑星だよ」
少女の視線と僕の視線が交差する。少女は声が出したいが、喉が渇いているせいか上手く発声できないようだった。僕が少女の体を起こし、ストレルカがすぐに濾過して煮沸消毒した飲み水を器に入れて少女に手渡した。
微かに湯気が立ち昇るそれを飲んで、一度大きく息を吸うと少女はぽつりと呟いた。
「……天国じゃ、ないのね。私、生きているんだ」
少女の目尻に涙がたまり、一筋の線が出来る。恐怖や不安、あるいは怒り、悲しみ、僕らには想像を絶する瞬間の連続だっただろう。僕もストレルカも、何も言わずにというより、何も言えずにただ見守った。
「……あなたたちは?」
「僕はベルカ。そしてこっちがストレルカっていうんだ。君は、スペースデブリ課の船外活動員だよね?」
少女が目を覚ますまでの間、僕は何度も自分の仮説を
少女が小さく頷くのをみて、もはや驚くこともせず言葉を繋げた。
「君の名前は?」
「……スリーズ」
名前を聞いたストレルカは間髪を入れず質問をした。
「年齢や、自分が何をしてここにいるのか覚えている?」
「……十三歳。カタログデブリ9170の回収ミッションを行っていた」
やはりスペースデブリ課は再始動して活動を行っていたということだ。自分の考えが当たっているのが何だか嬉しくてストレルカを見るが、今はそれどころではないといった様子で、真剣に聞き入っていた。僕も姿勢を正して、スリーズに向き直る。
「ずっと眠っていたから、意識が混濁しているかと思ったけど、記憶もしっかりしているみたいだね。それでスリーズ、回収ミッション中に何があったの?」
スリーズは器に入った水に目を落とす。その中に文字が浮かんでいるかのように見つめながら淡々と答えた。
「……密航船がいて、私はボイジャーに乗って宇宙に出た」
「どうして密航船がいたらボイジャーで出なきゃいけないの?」
ストレルカが疑問を口にする。
「……密航船から出てきた脱出ポッドとカタログデブリの接触の恐れがあったからだよ。それで軌道をずらしていたんだけど、エンジンが突然オーバーヒートして操作できなくなったの」
密航船とは僕らが乗っていた宇宙船のことだろう。そして脱出ポッドは、僕たち四人が乗っていたものだ。乗組員たちは、カタログデブリのことまで把握していなかったのだろうか。いや、あるいは把握していてわざと接触するように仕向けたのかもしれない。ボイジャーを誘い込んで、事故を誘発するためだろう。だが、物理的なものではなくエンジンがオーバーヒートしたということであれば、誘い込むというのは少し違うかもしれない。だがもし、エンジンのオーバーヒートまで仕組まれていたとすれば、ジオテールは
「それで、落ちる間際にアストロノーツに入ったってことね……小さいのに、賢いのね。スリーズ」
「……ストレルカ。私十三歳って言ったでしょ、大人なのよ」
「十三って、まだまだ子供じゃない。大人っていうのは十八歳になったらじゃないかな」
スリーズは唇を尖らせて何か言いたげだったが、急にその表情に翳りが生まれた。
「……じゃあわたしはもう大人になれないんだ」
「え?」
思わず声が出た。沈痛な面持ちのスリーズは、少し言い淀んでいたが水を一口飲んでから続けた。
「……ここに来て、どれぐらい経っているか分かる?」
おおよそ三時間半だ。僕が告げると、スリーズはまるでそれが当たり前かのように話した。
「……じゃあ余命はあと六日間ぐらいね」
何を言っているんだ?
ストレルカも要領を得ないようで首を傾げている。僕が口を挟む前に、スリーズは端的に言った。
「……木星軌道の惑星、ね。別名デブリボックスだよ」
「えっ、それってベルカがこの前本で読んだって言っていた惑星じゃないの!?」
ストレルカが僕の肩を揺すった。成すすべなく、ぐらぐらと揺れる思考の中でそれは明瞭さを保ったまま口から零れ落ちる。
「約一週間で死に至る未知のウイルスが蔓延している星だ……」
「そんな……!」
だからこの星には多くの金属片などがあるのだ、妙に腑に落ちて靄が晴れる。けれど、また別の靄がかかり、気持ちは沈んだままだ。
スリーズがスペースデブリ課の船外活動員だと判明したとき、ジオテールへの反撃の
だが、まだ六日あるという捉え方もできる。しかし、現状僕たちはこの惑星X――デブリボックスから宇宙に飛び立つ術をもたない。あるのはただ無数のゴミと、きっと蔓延しているだろうウイルスだけ。
「ねぇベルカ……なんで私たちはデブリボックスに送られたの? 周りにたくさんある瓦礫をみてデブリボックスだっていうのには納得したけれど、どうして私たちがここに捨てられなくちゃならなかったの?」
「それは、少し違うよ」
「違うってなにが?」
もうストレルカは自分で考えることを放棄しているようだ。無理もない、僕だって現実を直視するのが辛かった。
「僕たちはあくまでデブリボックスの資源採集で送られた。もちろん、この惑星は資源がゼロってわけじゃない。何かしら有益なものはきっとあるんだろう。だけど、未知のウイルスという無視できない存在があって普通のやり方では採集が行えない」
木星調査がスムーズに行われる昨今、ウイルス対策にかかる時間や費用、リスクを考えると費用対効果が低かったのだろう。
「だけどもし、ウイルス対策をしなくても良ければどうなるとおもう?」
「つまりベルカは、先生たちは私たちを捨て駒に、利益だけを得ようとしているって言いたいの? そんなことって……」
「もう、それしか考えられないよ。それに――」
僕はジオテールと司祭様の会話のことをストレルカとスリーズに話した。きっと彼らはこれまでもありとあらゆる手を使って金稼ぎをしてきたに違いない。一度甘い蜜を吸ってしまえば、
黙って話を聞いていたスリーズが腕に巻いていたデバイスを触る。しかし画面は真っ黒なままで、機能していないようだ。すぐに辺りを見渡して、開いたままのアストロノーツを注視している。中には、スリーズが抱いていた酸素ボンベしか入っていない。他の物が入るような容量はそもそもなかった。
改めてアストロノーツを見返していても、よくあの中に入れたものだと感心する。体の小ささと、柔軟性がなければ不可能だっただろう。
「……アストロノーツは、あなたたちが開けたのよね?」
「うん、そうだよ」
返事を聞いたスリーズは満足げにうなずくと、立ち上がる。
「……ならまだ、可能性はある」
「え?」
伏せていた顔を上げて、ストレルカがスリーズを見上げる。可能性とは、僕たちが生き残る可能性ということだろうか。確かに一週間後には僕らを使い捨てにした奴らが資源の回収にくる。だが、その頃にはもう僕たちは
「……アストロノーツの開錠通知が、スプートニクに届いているはず。生き物がいないはずのデブリボックスに落ちたわたしのアストロノーツが開いたとなれば、何かあるってカグヤなら気付いてくれる」
そうか、アストロノーツは紐づけられた管理システムに開錠のシグナルと座標が送られる。それを察知した他の乗組員が救助に来るということか。
しかし、そう上手くいくだろうか。
「カグヤって人が誰かは分からないけれど、ウイルスを防ぎきるそれなりの装備がないと、難しいんじゃないのかな。スプートニクが木星軌道スペースコロニーに一度戻って必要な装備を準備してもう一度デブリボックスまで渡航するのに、どれぐらいの時間がかかるの?」
「……往復で四日と少し」
四日後に救助がくるとして、すでにウイルスに感染はしているだろう。ここは廃棄された星で、未知のウイルスに対するワクチンや治療法は確立していないはずだ。ならば結局のところ、このデブリボックスから出たところで辿る結末は同じではなかろうか。
疑問は、まだある。
「仮にカグヤって人が来てくれるとしてもだよ。ジオテールの息がかかった人が、スペースデブリ課にいるんじゃないのかな」
「……ジャミング(注1)がひどくてあまり聞こえなかったけれど、ボイジャーの故障といい多分整備担当のウフルだと思う。だけどそれは、ヴァンガードさんが何とかしてくれていると思う」
スリーズはカグヤとヴァンガードという人物を信頼しているのか、迷いのない目で言い切った。そこまでいうのならば、折角目の前に垂れてきたクモの糸を振りほどくことはないだろう。
しかし実際問題、感染していた場合のことは考えないといけない。こればっかりは僕の思考をもってしても解が出るとは思えない。バイオテクノロジーは専門外だ。
それでもスリーズは、灰色の空をじっと見つめて動かない。
「スリーズと、その仲間のことを信じてみようよ、ベルカ」
ストレルカも立ち上がって空を見上げる。この空の向こうにいるスリーズの仲間たちに、僕たちの想いは届くだろうか。
(注1)無線通信信号に対する妨害のこと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます