永遠の炎
扉の先は、とても生命があるとは思えない焼野原だった。植物は枯れ、黒く濁った水には油膜が揺らめき、ところどころ煙が上がっている。こんな状態では、狼煙をあげたところで自分の居場所を知らせることは不可能だろう。
空を見上げると、月や、地球とは違う灰色が覆っていた。地球ではレイリー散乱によって空は青く見えると学んでいたが、ここは光も届かないのか、気体に何か混ざっているか、不吉な色だった。
動物などは全く見当たらない。それどころか、自分以外にどこにも動くものがいない。近くに他の脱出ポッドはなく、ただそれでも何かの金属片や、巨大な岩は所せましと転がっている。金属片があるということは、人がいるんだろうか。
遠くに、ひと際大きな煙が立ち昇っているのが見えた。もしかしたら、先に降下していたチャイカたちが狼煙をあげたのかもしれない。
灰色に覆われた薄暗い世界で、その煙を頼りに歩いた。土は異様に硬い部分もあれば、泥濘に足をすくわれそうになる場所もある。ほとんど真っすぐには歩けない状態で、何とか足を前に動かす。その足音以外に音はない。
緩やかな傾斜をのぼりきり、煙の元に辿り着く。そこには脱出ポッドがあった。だが、パラシュートが開かれずに落ちたのか大きなクレーターが出来ている。
ひしゃげた扉に手を掛けるが、ビクともしない。恐らく衝撃で歪んだせいだろう。小さな窓は亀裂がひどく、とても中の状態が見える状態ではない。だが、扉が歪んでいるせいで隙間がある。煙を払いのけながら、目を凝らすと中に人影が見えた。
「うっ……」
思わず声が漏れる。中にいたのはチャイカだった。あらぬ方向に腕が曲がり、とても普通とは思えない体勢であおむけに転がっている。
「チャイカ! 大丈夫か!」
目は開いたまま、一度の瞬きもない。ただ動かずに寝そべっている姿はまるで人形のようだった。
「くそ……駄目か……」
煙で視界が遮られる。なんとかしたいが、何もできない。自分一人の力ではこの扉を開けることすらできない。ストレルカと、リシチカは大丈夫なんだろうか。
不安が過ぎる。何か痕跡はないか、と顔を上げたとき、静寂を破るけたたましい轟音が鳴った。風が吹き、異様な臭いも流れてくる。近くで、こことは比にならない黒煙が立っていた。
駆け足に黒煙へ向かう。何だか嫌な予感がした。きっと今この惑星Xには、僕ら以外の生命体はいないだろう。だとすれば、音の主はストレルカか、リシチカだ。
先ほどよりも足場の水分が増えて、湿地帯のようになっている。黒煙の主は、その先にあった。
海のように濁った水が広がる手前に、パラシュートの開いた脱出ポッドがあった。無機質な扉は今は開いている。だが、中には何の気配もなく、その隣には巨大な人工物が転がっていた。何かの衛星の一部だといえばそう思えるし、ロケットのエンジン部分だと言われても頷ける。まだ小さな炎がゆらめいており、表面は焼け焦げて本来の形を留めていない。その焦げた人工物の周りに黒い破片が積もっていた。
その中に、見覚えのあるものを見つける。
黒く汚れた、花の髪飾り。
そんなわけがない、と思考回路がエラーを吐く。きっと、月にウサギの影が見えるというパレイドリア現象だ。だってここにあるはずがないだろう。ないに違いない。いや、あってはならない。あってほしくない。
黒い破片は煤と同化してなかなか思うようにどかせなかった。やがて手が真っ黒になったころ、破片の下敷きになっていたリシチカの姿が浮かび上がった。
黒焦げになったリシチカは、もうぴくりとも動かなかった。
「どうして……」
リシチカは火ぐらいはつけられると言っていた。この人工物に引火して爆発が起きたんだろうか。
僕の想定する"最悪"を軽く飛び越えて、現実が悪意を持って襲い掛かってくる。否応なしに突き付けられる現実に、膝から崩れ落ちた。
小さな火が時折爆ぜる。もしかしたらまた爆発するかもしれないと思ったが、動く気力が湧かなかった。目の前で立ち込める黒煙は留まることを知らず、天に向けて上っている。それが狼煙となったのか、遠くに人影が見えた。
「おーい!」
人影は声を発しながら近づいてくる。僕は立ち上がって目を凝らした。
人影は何度か転倒しながらも、覚束ない足取りでこちらに近づいてくる。僕は少しでも早く安心したくて、人影に近づく。やがてしっかりと姿を捉えると、どちらからともなく抱き着いた。
「ああ、良かった。ストレルカ、無事だったんだね」
「良かった、誰もいなくなっちゃったかと思った。ベルカが狼煙を上げてくれたの?」
「いいや、違う。リシチカだ」
「リシチカも、無事なのね?」
僕は首を横に振って、ストレルカと狼煙の元へと戻った。隠したり、誤魔化す必要はないだろう。遅かれ早かれ、知ることになるのだ。それに、この苦しみを分かち合える存在が欲しかったというのも少なからずある。
ストレルカはぐっと目を瞑って屈みこむと、手を合わせた。
まるで
黒煙は未だ
「ストレルカ、苦しいかもしれないけれど、チャイカも脱出ポットの中で眠っていたよ」
「……うん。私も見つけたよ、ベルカの脱出ポットもね。きっと無事だって信じて探してた」
「無事は無事だけど、これからどうすればいいのか、何をすべきなのか分からないんだ」
辺りに他の生命体がいるとは思えない。もし他に調査員も送り込まれているとするならば、先ほどの轟音や、この黒煙を無視するはずがない。やはりこの惑星には、僕たちだけが、脱出ポッドで送られたのだ。
ストレルカは黒く汚れた花の髪飾りを手に取ると、丁寧に拭いた。それでも汚れは落ち切らなかったが、チャイカとリシチカの想いが詰まった髪飾りを髪につけると、立ち上がる。
「何をしたらいいかなんて、弱気のままじゃダメだよ」
「でも……」
「チャイカとリシチカのためにも、本来の役目を果たさないと。私たちはそのためにここに来たんでしょう?」
「そうだけど、ちょっと訊いて欲しいんだ」
ジオテールと司祭様の話を打ち明ける必要がある。なぜジオテールは自身を
頭で話を整理していると、ストレルカが僕に向けていた顔を少し上にあげた。そして小さな口を開けたまま上空を見つめている。視線を追うと、大きな流れ星が見えた。
「ねぇ、あれって……」
ストレルカが息を呑む。流れ星はどんどん大きくこちら側に近づいてくる。
「隕石だ!」
ストレルカの手を引いて駆ける。とてもじゃないが走ったところで近くに隕石が落ちればとてつもない衝撃が襲ってくるだろう。
「ベルカ! あれ!」
すぐ近くには、リシチカが乗っていた脱出ポッドが扉を開けて横たわっている。僕とストレルカは脱出ポッドに滑り込むと、渾身の力で扉を閉めた。
途端に暗くなり、静寂が訪れる。小さな窓は隕石が降ってきたほうとは逆側にあり、どこに落ちたかは見えなかった。やがて地響きが鳴り、窓の外は舞い上がった煤と泥と水で何も見えなくなる。ストレルカは僕の手を握ったまま、離さなかった。いや、僕が怖くて握り続けていたのかもしれない。
およそ三分程度、じっとしていたが沈黙を破ったのはストレルカだった。
「もう、大丈夫じゃないかな」
「う、うん」
確信はないが、何も変化がない以上こちらから動くほかない。ゆっくりと扉を押し開けると、すでに先ほどの火は消えていた。それに、足元はひどく濡れていて、泥で靴が沈んでいく。慎重に歩いて、隕石が落ちたであろう場所を見る。
濁った海の上に、三つほど大きな鉄の塊が浮かんでいた。それを見て、思い当たる節があった。
「あ……僕が脱出ポッドの中で見た小型の宇宙船だ」
「宇宙船? さっき言っていたスプートニクのこと?」
「いや、違う。たぶんスプートニクは母艦でこっちは小型の回収船だよ。でもどうして……」
考えていると、大きな塊とは別に、直方体の物体が浜辺に打ち上げられている。それは資料で見たことがあった。
「アストロノーツだ」
僕は足元が濡れるのもおかまいなしに、歩を進める。
「ちょ、ちょっと!」
ストレルカの静止を振り切ってアストロノーツに近づく。ほとんど膝下ぐらいまで濡れてしまったが、ストレルカも隣までやってきた。
「もう、急に走り出さないでよ。何か知らない生き物がいたらどうするの」
「ごめん、ストレルカ。でも、何だか気になっちゃって」
二人の間にあるアストロノーツは、汚れて少しキズがついている。ストレルカと二人で何とか持ち上げて、陸に降ろした。
「これどうやって開けるの?」
「うーんと、本物を見るのは僕も初めてなんだ。えっと……」
あーでもないこーでもないとやっていると、痺れを切らしたのかストレルカが工具も持ってきた。
「リシチカの脱出ポッドにあったの、借りてきたわ」
工具を受け取って、なんとか隙間にねじ込んで力を込めると、不意に重々しい音がして蓋が微かに開いた。
二人で隙間に手を差し込んで、こじ開ける。勢いよく開いたそれをみて、お互いに息を呑むのが聞こえた。
そこには、体を小さく丸めた女の子がいた。
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