反デブリ派

 回収したカタログデブリ9170、もといアストロノーツはそのままに、宇宙服を脱いだ。ヴァンガードとスリーズとの通信を途絶えさせたくないので、ヘルメットはそのままにハッチルームから飛び出す。

『こちらカグヤ、どっちか応答して!』

 ヘッドアップディスプレイを表示するが、限定通信は音沙汰がない。なぜ通信が途絶えたのかは不明だが、こう立て続けに色々と起きると、何が起きても驚かない自信があった。

 だが、それは耳に飛び込んできた怒声に搔き消された。

「そこを動くな! ヴァンガード!」

 オペレータールームの入口付近で身を潜めて、中を盗み見る。

「――ッ!?」

 オペレータールームの操縦席には、ぐったりとうなだれたアイラスさんの姿が見えた。眼鏡は床に落ち、投げ出された腕はだらりと力なく垂れ下がっている。そのアイラスさんの頭に拳銃を向けているのが、ウフルだった。

 彼の目は血走り、息も荒い。まるで何かに取り憑かれているように、全身が小刻みに震えていた。

 ウフルから十メートルほど離れた場所に立つヴァンガードが両手を挙げて、子供を諭すように優しく言う。

「ウフル、落ち着け。俺は別にお前をとっ捕まえたりしねぇよ。ただ、アイラスを離してやってほしいだけだ」

「いいや、お前の言葉は信用できない。何が船長だ、ボイジャーにも乗れないヘタレ野郎が! そんなんだから、リモンチクさんも助けられなかったんだ!」

「……ああ、そうだ。俺はあいつを助けられなかった。ウフルがあいつを慕っていたのは、知っているさ。すまない」

「謝ったところで、リモンチクさんは帰ってこないんだ! 代わりにお前が死ねばよかったのに!」

 ウフルは地団駄を踏み、唇を噛んでいる。彼は尊敬していたリモンチクが死んだのはヴァンガードのせいだと思っているようだ。

「俺だって、そう思っている。俺はあいつと違って独り身だし、慕ってくれる後輩もいやしない。今でもボイジャーに乗ると、リモンチクの声が聞こえるんだ」

「滑稽だな、ヴァンガード。それがお前の罪だ、そして今回も、お前のせいで仲間が死ぬ羽目になる」

 ウフルが口角を挙げて、操作盤に手を伸ばす。

「ウフル、やめろ!」

 機体全体が揺れる。スプートニクが、方向を変えて発進したのだとすぐに分かった。冷や汗が背中を伝った。まだスリーズが戻ってきていないのだ。

 一刻も早く、操縦権を取り戻して元の軌道に戻らなければ、スリーズが戻ってこられなくなる。ボイジャーは小回りこそきくが、長距離向けではない。スプートニクが加速すれば、追いつけないだろう。

「ウフル、お前が俺を憎んでいるのは分かった。なら俺を殺せばいい、アイラスや、ヒナバチ、スリーズは何の罪もないだろう」

「駄目だ、俺は大切な人を失ったんだ。お前にも同じ苦しみを味わってもらう」

 アイラスが人質になっているせいで、迂闊に動けない。今、ウフルは私がここに来ていることに気付いているだろうか。気付いていないのならば、私がウフルの気を逸らせれば、ヴァンガードがなんとかしてくれるかもしれない。

 今手元にあるものは、本当になにもない。ボイジャーに戻れば何かあるだろうが、元々スリーズが搭乗する予定だったので自分の荷物はない。それに、戻っている猶予はないだろう。今にもウフルが拳銃の引き金を引きそうだ。

 いや待て、ある。私はヘルメットを被っている。スプートニク内は酸素が満たされているので、ヘルメットは外しても大丈夫だ。現にオペレータールームにいるウフル、ヴァンガード、アイラスの三人は宇宙服もヘルメットも身に着けていない。

 ヴァンガードが動けるように、一瞬でも隙を作る必要がある。自由に動けるのは、私しかいない。ヴァンガードはヘルメットを被っていないが、小さいイヤホンを耳に着けている。恐らく限定通信は聞こえるはずだ。

 私は作戦概要を小声で手短に話して、ヘルメットを脱いだ。

 そしてそれを、力いっぱいウフルに向けて投げつけた。

 私の膂力りょりょくでは大した速度は出ない、だが注意を引くことができれば十分だ。

 ヘルメットは一直線にウフルに向かって飛んでいく。すぐに気配を察したのか、ウフルが勢いよく振り返り、銃口が向けられた。仮に撃たれてでも、ウフルを止めてスプートニクを元の軌道に戻さなければいけない。

 私が駆け出すと同時にウフルは迷わずに引き金を引き、けたたましい音と共にヘルメットの軌道がずれて地に転がった。真正面からウフルと視線がぶつかり合う。

 彼の瞳孔が開く。瞳の中に、冷や汗を流す私が映っていた。

「カ、カグヤ!? なんでお前が……!」

 まるで世界がスローモーションになったかのように感じる。

 ここで私が撃たれて死んだら、これもデブリ課の落ち度になるのだろうか?

 反デブリ派組織が人を殺したとなれば、逆に大きな騒ぎになる気もする。

 それよりも、今すぐに軌道を戻したところでスリーズは戻ってこられるだろうか?

 アイラスさんも、撃たれてはいないだろうが大丈夫だろうか?

 そもそもまず、管制課のツバサに連絡するべきだっただろうか?

 思考が巡る。

 だがそれも、次の銃声によって掻き消される。

 ウフルは私ではなく、ヴァンガードに向けて発砲していた。

「ぐっ!」

 ヴァンガードが左腕を顔の前に翳しながら呻いた。それでも彼は立ち止まらず、私よりも早くウフルに辿りつき、押し倒す。

「くそがっ! 離せ、ヴァンガード!」

 唾を吐きながら叫ぶウフルに、ヴァンガードが引きつった笑みを浮かべる。

「俺は昔っから石頭って言われてんだ」

 そういうと彼は、思いっきり頭を振りかぶってその額をウフルの額に叩きつけた。

「――ぐあッ!!」

 ウフルが大きくのけ反り、同時に銃が滑り落ちる。からからと私の足元に転がってきたそれを拾い上げると、手汗のせいか僅かに湿っていた。

 すぐに銃口をウフルに向けるが、すでに気を失っているようでピクリとも動かなかった。ウフルを支えているヴァンガードが、ゆっくりとした動きで彼を横にすると、大きく息を吐いた。

「ふぅー、こいつ躊躇なく撃ちやがって……メンテしたばっかの左腕が言うことを聞きやしねぇ、ヒナバチ、スプートニクの進路を元に戻せるか」

「は、はい!」

 弾かれたように操縦席に向かうと、騒がしかったせいか目を覚ましたアイラスさんが身をよじって起き上がるところだった。

「今の銃声で目が覚めたわ。ええっと、どういう状況……?」

 眼鏡もかけていないし、自慢の三つ編みも若干ほどけている。顔色を伺うと、今にもまた倒れそうなほど虚ろな目をしている。だが、操縦なら彼女のほうが詳しい。

「ウフルが、スプートニクの進路を変えました。元の軌道に戻せますか?」

 落ちている眼鏡を拾い、渡しながら説明するとアイラスさんはすぐに理解したようで、

「オーケー、アイラス先生に任せときなさい」

 と、すぐに視力を取り戻してパネルを操作し始めた。

 これで、何とかスリーズは大丈夫だろう。振り返ると、ヴァンガードはウフルをロープでぐるぐる巻きにしようとしていた。左腕がうまく動かないせいで、ぎこちなさがある。手伝おうかと思ったところで、すぐ隣から舌打ちが聞こえた。

 アイラスさんが手を止めずに、こちらを一瞥いちべつする。

「ウフルのやつ、点検のときに何か仕込んでるわ。すぐには軌道を戻せそうにない」

「そんな! まだスリーズがボイジャー02に乗って帰ってきていないんです!」

「軌道が変わってからどれぐらい経ってる?」

「ええっと……まだ三分も経ってないぐらいです」

「もう、三分か……」

 アイラスさんの視線を追う。レーダー画面の中央にスプートニクがあり、端の端にボイジャー02のシグナルが見える。だがそれは音もなく画面の外へと離れていき、見えなくなった。

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