冷たい方程式
明かりが消えて薄暗いハッチの中、スリーズが乗るはずだったボイジャー01の前で、私は自分の愚かさと、非力さを呪った。
アイラスさんのおかげでシステムは一旦強制終了し、回収船スプートニクは
ボイジャーに乗って、スリーズがいた方角へ飛ぼうとしたが、予備燃料を使ったとしても、折り返せないだろうと止められた。己の無力さに、ただ拳を強く握ることしかできない。内へ、内へと向かっていた憤りが、近くで縛り上げられているウフルに向くのは至極当然といってよかった。
「ウフル、あなたのせいでスリーズが戻ってこられないかもしれないのよ。自分が何をしたのか分かっているの!?」
ウフルは焦点の合わない目を何度かしばたたくと、眉を八の字に曲げた。
「ちがう、僕は……カグヤ、君を狙っていたんだ。ボイジャー02に乗ると知っていた、だから細工もした。なのになんで……!」
「どうして私を狙ったの!」
「ヴァンガードと結託して、なにか企んでいただろう! 僕は知っているんだ、だけどスリーズはリモンチクさんの娘だっていうから、見逃すつもりだった……なのに! なんでお前がのうのうと戻ってくるんだ!」
ウフルから向けられた殺意で、私は恐怖よりも悲しさがこみ上げてきた。彼も傷ついているのだ。復讐でしか、癒すことが出来ない傷なんだと信じ切っている。
「ちょっと待て、細工をしたといったか?」
ヴァンガードが割って入ると、ウフルは悲しみとも怒りともいえない引きつった表情で、頷いた。
「もう全てが遅い、遅すぎた。ヴァンガード、お前がリモンチクさんを助けなかったのが、全ての元凶なんだ。尊敬していた人だったのに突然いなくなって……孤児院に戻ろうと思ったのに、そこすらもう受け入れはしていないって……全てが狂った!」
ウフルの憎しみは今だにヴァンガードに向いている。彼は涙さえ浮かべて、ヴァンガードをにらみ続けている。
「ボイジャー02はメンテナンスのときに細工してやった。もうエンジンがオーバーヒートしている頃だ。落ちるさ、デブリボックスに」
目の前が真っ暗になって、宇宙船に乗っているのに地震が起きたのかと思うほど、足元が不安定になる。私に代わって、ヴァンガードが言葉を続ける。
「……クソ、お前の単独犯じゃないのは分かってる。ジオテールに何を吹き込まれた?」
ジオテールの言に
「ジオテールさんは、僕にすべてを教えてくれたさ。だから今日、密航船の話もきいていた、あの周回軌道ならカタログデブリを利用してデブリクラウドさえ作れると思った。なのに……カタログデブリは回収したみたいだな」
ボイジャー01と繋がれているカタログデブリことアストロノーツに視線を向ける。明かりが消えていてシルエットしかみえないそれを見たとき、ヴァンガードが声を上げた。
「オペレーションルーム、ハッチ後方の明かりを点けられるか」
『ああ、ごめんなさいね。システムを再起動したときに明かりが切れたのね、こっちから点けられるわ』
内線からアイラスさんの声が聞こえてきたかと思うと、ハッチの明かりが暗闇を払いのけた。ヴァンガードは露わになったアストロノーツに駆け寄ると、すぐにそれを開けようとする。
「ヴァンガードさん……? どうしたんですか?」
私の問いに彼は答えない。ただその背からは
アストロノーツは私の乗った旧型ボイジャーに搭載されていたものと同じ型だ。つまり、古いものであり、表面にはすり傷や小さなへこみが目立つが、中身に危害が及ぶようなものではない。
ややあって、空気の抜けるような音がして、アストロノーツが開いた。
私の位置からはヴァンガードの背が邪魔して中を伺うことができない。だが、彼が取り出したものを見て、全身に鳥肌が立った。
ロケットペンダント。
映っているのは、小さな女の子とたくましい男性の姿。
スリーズと、リモンチク。
あれはEVAのトレーニングのときに、スリーズのロッカーに入っていたものと同じだ。ということは、これはスリーズのアストロノーツということになる。
いや、そんな筈はない。スリーズは今目の前にあるボイジャー01に乗る予定だったのだ。
ボイジャー01に飛び乗って、そこに鎮座しているアストロノーツをこじ開ける。弾かれるように開いたそこに、遺書とカメラ、それにロケットペンダントが入っていた。取り出してみてみると、今しがた見たものと同じ、スリーズとリモンチクの姿がそこにある。
薄々感づいてはいた。だが、ヴァンガードには何か予感があったのだろう。このカタログデブリが、リモンチクさんのアストロノーツだという予感が。
「そんな馬鹿な……」
ウフルが愕然とヴァンガードの手元にあるロケットペンダントを見つめている。彼にとってもこれは想定外のことらしい。
『こちらオペレーションルーム。スリーズのアストロノーツが開いたシグナルと座標は来たけど、なんでリモンチクのほうも来たの!?』
『こちらカグヤ。回収したカタログデブリは、リモンチクさんのアストロノーツだったみたいです。ヴァンガードさんが今しがた開けました』
『そんな、そんなことって……』
アイラスさんにとっても、予想だにしていない出来事だったようだ。それでもヴァンガードは何も言わずに、更にアストロノーツから何かを取り出した。小さくてよく見えないが、恐らく一枚の写真と、封筒。
写真と封筒の中身を覗き見たヴァンガードはふっ、と笑みをこぼした。
「リモンチク、お前も遺書を残していたんだな。確かに受け取ったぜ」
頬を伝う涙に気付いたが、何もかけられる言葉が浮かばなかった。下手な言葉は、かつての旧友との
リモンチクさんは、アストロノーツがデブリボックスに落ちないよう、最期の最期に策を講じたのだろう。それほどまでに、伝えたいことがあったということだろうか。
やがて
『ザザッ……カ、グヤ――こちらスリーズ……』
『スーちゃん!?』
すぐにヘッドアップディスプレイを操作する。レーダーの隅にボイジャー02のシグナルを確認して、思わず目頭が熱くなる。
『……そっちに近づこうと思ったけど、エンジンがオーバーヒートして駄目みたい』
『そんなことない! すぐに私がそっちに行くわ、なんとか堪えて!』
『……ダメだよ、カグヤ』
『でも! スーちゃんが……』
『……ダメ。カグヤが戻れなくなるよ、カグヤ姫はお月様に帰るものでしょ』
スリーズの母親は日本人で、河童のことも知っていたけれど童話も知っているようだ。だけど今はユーモアに富んだ返事も、虚しく感じるだけだった。
『スーちゃん、お願い。ボイジャーは大気圏に耐えられないのよ、デブリボックスに落ちたらもう帰ってこられないわ。密航船は近くにいないの? なんとかそっちに乗せてもらえないの?』
『……うん、密航船はもうどこかに行っちゃったみたい。大丈夫よ、カグヤ。デブリボックスには、パパがいるから』
『何とか、何とかするわ。ちょっと待ってて!』
ヴァンガードが乗る予定だったボイジャー03ならば、まだ燃料は満タンだろう。何とかスリーズのいる場所の近くまでは行けるかもしれない。だが、それもウフルが細工をしていなければの話だが、私が問い詰めたところで彼は本心を語らないだろう。それよりも、私が仕掛けの施されたボイジャー03に乗って出て行けば目的を達せると息巻くだろうか。
どっちにしろ母船であるスプートニクは今なお動かせない。ボイジャーでは往復の燃料がない。スリーズの乗っているボイジャーはエンジンが機能しない。密航船も姿を消した。こうしているうちにも、スリーズはデブリボックスへ向かって落ちていく。
『こちらスプートニク、管制課! ツバサ、ボイジャー01の周辺に他の宇宙船は?』
返事はすぐに返ってきた。
『こちら管制課。すまない、ヒナバチ。その周辺には何もいない。誰も、助けにいけない』
『そんな……そんなことって……』
どうしてこんなことになってしまったのだろう。もうどう足掻いても、この冷たい方程式を解くことが出来なかった。
『……悲しまないで、カグヤのせいじゃないよ』
『スーちゃん……』
『……ごめんね、さよなら』
スリーズのか細い声は、ノイズに紛れて消えていった。
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