喫茶アポロの密談

 ヴァンガードと二人、エレベーターを降りて、商業エリアとして栄えているB区画に出る。少々入り組んだ道の先に小さなウサギの形をした木製の看板があった。手書きの文字で、アポロと書いてある。

 扉を押し開けると、ドアベルが心地よい音を鳴らす。ほぼ同時に、馥郁ふくいくたる花の香りが出迎えた。

「いらっしゃい」

 木製のカウンターの向こうにモノクルをつけた白髪の男性が立っていて、柔和な笑みを浮かべながらコーヒーミルのお手入れをしている。点在している観葉植物が、マイナスイオンを発しているのか、何だか気持ちが落ち着く気がする。

「お好きな席へ、どうぞ」

 何とも渋い声に高揚する。何というか、この場面を切り抜いたら映画やドラマのポスターになるんじゃないかと思うほど絵になっていた。

 ヴァンガードが軽く会釈をしながら店の奥に進む。私は普段から喫茶店に来ることは殆どなく、ましてこんな雰囲気のある店は初めてで、借りてきた猫のようにヴァンガードの背を追った。何だか今はとても広い背中に見える。

 再び、店の扉が開かれたのか、ドアベルの音が耳に届いた。まだそれほど奥には進んでいない。何とはなしに振り返ると、そこにはスリーズがカメラを片手に立っていた。

「あれ、スーちゃん?」

 私が驚いて声を掛けると、スリーズはレンズをこちらに向け、無遠慮にシャッターを切った。

「……逢引現場、証拠押さえたり」

 私は無言でスリーズの正面まで移動すると、手をグーにして小突いた。

「ふぎゃっ」

「スーちゃんはどこでそんな言葉を覚えてくるのよ……ちょっと話があるから、付き合っていただけよ」

 気付けばヴァンガードも近くまで戻ってきていた。呆れた様子で鼻から息を漏らして、

「ちょうどいい、スリーズもこい」

 というと、再び店の奥へと歩を進める。ヴァンガードが腰を下ろした場所はボックス席になっていて、なるほど内緒話にはもってこいだと理解した。私もスリーズも、ヴァンガードに言われるがまま席に着く。すぐに、スリーズがメニュー表をとって開いたので、私も覗き込む。ヴァンガードが煙草に火をつけながら、補足した。

「ここはブレンドが美味いんだ、マスターのこだわりの逸品だぜ」

 その言葉はスリーズの耳に届いたのか否か、スリーズはメニュー表をさっさとこっちに寄越すと、真剣な眼差しで言葉を返した。

「……ストロベリーパフェと、ホットココアで」

「相変わらず、マイペースだな」

 ヴァンガードは特にブレンドを飲ませたいわけではないようで、反対はしない。それならばと、私も注文を決める。

「私は、メロンソーダでお願いします」

「お前も大概だな」

 もちろんここはヴァンガードの奢りだろう。軽くつまめるものも頼もうかと思っていると、モノクルのマスターがタイミングを伺っていたのかお冷を持ってやってきたので追加はやめておいた。

「どうもマスターのブレンドはまだこいつらには早いみたいだ、悪いね」

 ヴァンガードが肩を竦めて言うと、マスターは不敵な笑みを浮かべた。

「うちがブレンドだけじゃないところも、お見せ致しますよ」

「ああ、頼むよ」

 マスターはオーダーをとると、軽い足取りで下がっていく。それを見届けてから、お冷を飲んでいるスリーズに声を掛けた。

「それで、スーちゃん。今日はオフでしょ。お買い物?」

「……うん、カメラ買ったの」

 先ほども使っていたカメラは新品らしい。詳しくはないが、そこそこの値段はしそうだ。

「カメラ好きなの?」

「……どちらかと言えば、好きかも。思い出を沢山残せるから」

 なんだか意味深だ、と思ったところで合点がいった。

「もしかして遺書と一緒に、写真も?」

「……うん」

 宇宙飛行士の多くは遺書を書く。今でこそ事故は減りつつあるが、スペースシャトルの爆発事故などは今も風化せずに多くの人の記憶に残っている。それに、スリーズの父親は実際に事故で亡くなっているのだ。

「なら、もっとちゃんとした写真撮ってよね」

「……はい、チーズ」

 撮影会をしていると、飲み物が運ばれてきた。メロンソーダは確かに美味しかったが、これがメロン味かと問われると微妙なところである。喉が潤ったところで、ヴァンガードが本題を話し出した。

「どうも、反デブリ派がこそこそ動いているらしい」

 反デブリ派という馴染みのない言葉に眉を顰める。だが一つ思い当たる節があった。

「それって、ジオテールって人と関係がありますか?」

「なんだ、やけに詳しいなヒナバチ」

「ちょっと知人にきいたんです。ウフルの故郷の人だって」

「そうだ。ウフルのいたヴェスタ孤児院の創設者だよ。以前の事故のときも、ジオテールのやつが事を荒立てて、面倒だったんだ」

 ヴァンガードは苦々しい顔をしながらコーヒーを啜っている。コーヒーが苦いのか、嫌なことを思い出しているからその表情なのかよく分からない。

「2204のときも、違和感があったんだ。俺の意見は黙殺されたが、今回の任務でも気を付けるに越したことはない」

「……違和感ってなんですか」

 黙ってココアを飲んでいたスリーズが質問する。ややあって、目の前にストロベリーパフェが置かれた。スリーズの顔ほどある大きな器にイチゴやアイスクリームなどが所せましと詰め込まれている。だが、スリーズはそれには目もくれず、ヴァンガードを見つめていた。

「対象のデブリの情報は事前に貰っていたが、情報が不十分だったように感じたんだ」

 スペースガードが番号を振り分けているカタログデブリは、それに関する情報も紐づいて管理されている。ヴァンガードは煙草を吸う手を止めたまま、思い返すように語りだした。

「何か言葉の繋がりが不自然なような、言葉足らずのような、誤謬ごびゅう齟齬そごがあったというより、意図的に何か隠されていたような気さえしたんだ」

「カタログデブリの情報が改竄かいざんされていたってことですか?」

「確信はないが、カタログデブリのことは結構頭に入れてたんだ。その時、2204を見た記憶がある。スラスターに関しての記述があったような気がするんだ」

 カタログデブリは、四万以上あるとアイラスさんが講義で言っていた。2204は巨大なデブリだったから、そのデブリのことは優先的に資料を見ていたんだろうか。だとしても、物凄い数になりそうだ。

「事故後にみたときにはそんな記述は一切なかった。俺はタイロス――当時のスプートニク操縦者にも言ったんだが、事故のショックから自分を正当化するために吐いた嘘だと取り合ってくれなくてな……」

「……もしもそれが本当だとしたら、大問題」

 スリーズの意見に、ヴァンガードも同意する。

「そうだ。反デブリ派がそこまでやれるとは思えないんだが、奴らはこっちの失敗を虎視眈々と狙っている。手段を選ばず、妨害も辞さないだろう」

「そんなにヤバい奴なんですか、ジオテールって人は」

「金も権力もあるやつってのは傲慢なもんだ。2204の悲劇のときに奴が何て言っていたか知っているか?」

「いえ……」

 ヴァンガードは煙草の火を消して、携帯を取り出す。何度か操作したあと、当時のインタビュー動画を検索して見せてきた。禿頭とくとうで恰幅の良いおじさんが赤ら顔でオーバーなジェスチャーを交えて語っている。


『おお、親愛なるフロップニク(注1)。自らがデブリとなって世の趨勢すうせいに一石を投じるとはなんと健気なことか。我らが英雄を見捨てた愚かなるデブリ課の面々には、ケスラーに踊らされ身の丈に合わないことをしている事実を受け止めて即刻撤退して頂きたい。宇宙のゴミなど些末なものだ。宇宙の広さは彼らデブリ課の愚鈍さと比例するというのに!』


 その後も延々と悪罵あくばを続ける動画は三分半にも及んだ。

「ジオテールが今回のデブリ課再始動を快く思っていないのは確かだ。それに、この意見に賛同している奴らだっているんだ。皆が皆、宇宙問題に通暁つうぎょうしているわけではないからな。つまり何が言いたいかというと、もし、俺の勘が当たっていたとしたら……こちらに落ち度があるように何か仕掛けてくることがあるかもしれないってことだ」

「どうしてその話を私とスーちゃんだけに言うんですか? ウフルと、アイラスさんにも聞いてもらったほうがいいように思うんですけど」

 危険が及ぶとしたらデブリ課のメンバー全員だろう。それに、カタログデブリの情報改竄とまでくると、管制課の協力も仰いだほうが良い気がする。しかし、ヴァンガードはきっぱりと言い切った。

「この話は俺たち三人だけの秘密だ。なぜなら、ウフルは以前からスプートニクやボイジャーのメンテナンスをしていたし、アイラスは元々デブリ課だ。ジオテールの息がかかっているかもしれない」

「そんな……!」

 私が二の句を告げずにいると、スリーズが続きを請け負った。

「……わたしとカグヤは新しく配属になったけど、あの二人は元々関わりがあるから、裏切り者かもしれないっていうこと?」

 スリーズが核心を突く。あの二人のうちどちらか、あるいは二人共が、裏切っているかもとは考えたくなかった。しかし、ヴァンガードは私とスリーズを交互に見やって、ゆっくりと頷く。

「もちろんあの二人が疑わしいってわけじゃないんだが、ジオテールに唆されている可能性はゼロじゃない。用心するに越したことはないだろう。俺はもう……あんな事故はこりごりなんだ」

 スリーズは沈痛な面持ちで俯いた。無理もない、もしヴァンガードの勘が当たっていて本当にカタログデブリのデータ改竄が行われていたり、それ以外にも裏工作があったとしたら、リモンチクさんの事故は事件だったということになる。彼は殺されたのだ。

 気が付けば、ストロベリーパフェのクリームは溶けて形を崩し、いただきにいたイチゴが耐え切れずにテーブルに落ちていた。




(注1)人工衛星スプートニクの打ち上げ失敗を茶化した言い方で、『出来損ない』という意味を持つ。

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