憎き管制課

 私はアイラスさんに頼まれて、管制課行きの書類を手に、足取り重く歩いていた。足が重たい理由は文字通りで、単純にトレーニングのしすぎで足が筋肉痛だったからである。

 D区画の中央。巨大なエレベーターホールから近い場所に、管制課がある。すぐ近くに管制技術課や、交通管制部などがあり紛らわしいが、漢字三文字という部分で記憶して場所を覚えていた。企画課、秘書課も漢字三文字だが、さすがに管制課とは間違えない。ちなみに、私が所属していたアンドロイド課は、エレベーターホールよりも離れた場所にあるので同期や顔見知りに会うことはないだろう、と思っていた。

「おや、久しぶりだな、ヒナバチ」

 管制課に入ってすぐ、聞き馴染みのある声が聞こえて振り返る。そこには男の割には長い黒髪に、あまり似合っていないスーツ姿の男がいた。輝く白い歯に目線が向き、誰だか思い出した。

「なんだ、ツバサか……」

 私が回れ右をするとツバサは慌てたように言葉を続けた。

「なんだとはなんだ! 同級生のよしみじゃないか。いったい、管制課に何の用だ?」

 ヤツルギ・ツバサ。そこそこの金持ちでプライドの高い腐れ縁の男。小学生のときから学校が同じだったが、ことあるごとにちょっかいをかけてくるのが鬱陶しいという記憶がある。

「なんで管制課の用事をアンタに伝えなきゃいけないのよ」

「ふっ、聞いて驚け。なんと僕は、今回の人事異動で管制課になったのさ」

 そう言いながら、ツバサは手に持っていた缶コーヒーを傾ける。缶には微糖と書かれている。今だにブラックは飲めないらしい。

「へぇ、管制課も人手不足なのかしら……それとも人員の多寡たかは問わないのか。なんにせよ、猫の手も借りたいんでしょうね」

「相変わらず口の減らないやつだな、君は」

 なんだか余裕ぶった口ぶりが面白くなく、私は手持ちのカードから強めの一枚を取り出す。

「だって、林間学校でのこと……私は覚えているわよ」

「なっ! お前、それをこんなところで言うな!」

 ツバサは顔を赤くして周囲の様子を伺いながら距離を詰めてくる。思わず二歩ほど後ろに後ずさった。

 幼いころのツバサは今のように変に威張っておらず、どちらかといえば控えめで、よくいじめられている子だった。ひょんなことからいじめっ子を撃退した私に懐いていたが、林間学校でおねしょをしたツバサは恥ずかしさのあまりに私から距離をとるようになっていた。いつからか、少し話すようになったが小さい頃とは打って変わってちょっかいばかりかけてくるので、あまりいい思い出がない。

 覿面てきめんに狼狽えているツバサをよそに、別の人に書類を届けようとしたがやはり止められた。

「全く……いいから、書類を見せろよ。管制課宛なんだろ」

 書類を持っていた腕を引かれて、しまったと思った。

「なに? デブリ課?」

 私は書類を引き戻すと、下唇を噛んだ。デブリ課は、以前いたアンドロイド課と比べれば出世ルートからは遠ざかる。そもそも凍結していたし、あてがわれた部屋も、D区画の端も端。こんな中央の、人の往来が激しい管制課と比べれば月とスッポンだ。わざわざツバサのおねしょエピソードまで引っ張り出したのは、彼に私を冷やかす材料を与えたくないためだったのだが、人事異動を糊塗ことするのが失敗に終わり、思わずため息が出た。

「そうよ、デブリ課になったの……。色々あってね」

 初めてスペースデブリ課に行ったとき、ウフルに同情するよ、と言われたのを思い出す。ツバサは、私をあざけると思っていたが、思っていた反応は返ってこなかった。

「そうか、デブリ課が再始動すると言っていたな。お前、EVAとるのにも苦戦していなかったか?」

 さすがは同級生、よく知っている。

「まぁね。今必死に練習しているところよ。おかげ様でどこもかしこも筋肉痛。もう来週には、初任務なのよ」

「そうか……」

 ツバサは決して馬鹿にするのでもなく、真剣な表情で書類を受け取った。

「あれ、書類受け取ってくれるの?」

「ああ。言っただろう、僕は管制課だ。この書類に関しては僕の管轄外だから、担当者に渡しといてやる。それとな……」

 ツバサは少し言い辛そうにしながらも缶コーヒーをぐっと流し込んで、言葉を続けた。

「デブリ課に限った話ではないが……やはり宇宙空間に出るやつらは事故が多い。ヒナバチお前、大丈夫なのか」

 確かに、過去の資料はあらかた目を通したが、スペースデブリ関連以外にも、事故は多い。特に木星探査も軌道に乗るまでは事故が多かったときく。

 ツバサは飲み干した缶コーヒーを弄びながら続ける。

「それにデブリ課はな……なんでプロジェクトが凍結したのに再始動したか、詳しく知っているのか?」

 私が首を横に振ると、ツバサは呆れたように肩を竦めた。

「ほんとお前は能天気というか、なんというか……。順を追って話すか。まず、2204の悲劇があって、デモが起きたのは知っているな?」

 2204の悲劇。ついこの間、ウフルが言っていたのを思い出した。悲劇、という呼び方は世間一般の俗称らしい。

「事故は多く起きていたんでしょう? どうしてこの事故だけデモなんてことが起こるのよ」

「亡くなった人がいただろう。その人の育った孤児院に、名の知れた人がいたんだ。確か……ジオテールといったか。孤児院の英雄が、ろくに捜索もされず死亡扱いだと声を荒げてた」

 孤児院の英雄。スリーズの父親、リモンチクのことだろう。生まれ故郷ということは、そこはウフルのいた場所でもある。彼はデモや、ジオテールのことは一切口にしなかった。

「そういったことがあって問題が多くなってな、EDTの再開発問題もあって一旦凍結になったんだが、先月地球から上がったロケットが空中分解して大量にデブリが飛散したんだ」

「そんな……。今の技術でも、そういったことが起こるの?」

「ああ、そうだ。こういったことは今後も起こりうる。つまり上は、ケスラーシンドロームを恐れてるんだよ」

「あっ」

 思わず声が出た。アイラスさんの講義で聞いたものだ。連鎖的に衝突を繰り返すことで自己増殖していくデブリ。

「それで結局、地球も木星もデブリだらけだと慌て始めて、デブリ課を再始動だって話になったんだよ。でもなんでヒナバチが……、何やらかしたんだ?」

 異動の理由をやらかしだと思うあたり、鋭いところがある。だが私はいちいち思い返すのも嫌なので理由は述べなかった。

「理由はなんだっていいじゃない、任されたからには頑張るだけよ」

「そうかよ。まぁなんだ、気を付けろよ」

 ツバサは何だか目を逸らしてすっかり空になっている缶コーヒーにまた口をつけている。

「もしかしてだけど、私のこと心配してくれているの?」

「は、はあっ!? そんなわけないだろ、もう僕行くからな!」

 ツバサは一息にそう言うと、返事も待たずに書類を持ってそそくさと去っていった。何も言えなかったが、彼なりに心配してくれたのだろう。憂い奴め。

 何はともあれ、用事はこれで終わり。管制課で受付してからいくらか待たされると思っていたが、ツバサのおかげで杞憂に終わった。エロ河童に見つかる前にさっさと帰るとしよう。

 管制課を出て、エレベーターホールに戻ったところで、見知った顔を見つけた。いつも事務所に居ないヴァンガードだ。それと、見たことのない初老の男性。

 ヴァンガードは、眼鏡をかけた初老の男性と何やら話し込んでいる。ヴァンガードが左手を差し出すと、初老の男はそれを握るでもなく、しげしげと見つめて、両手で揉むように触っている。まるで手の平のマッサージをしているようだ。

 しばらくそうしていたかと思うと、電話がかかってきたのか、ヴァンガードは携帯電話を取り出して小さくお辞儀をする。それで会話は終わりだというように、初老の男も手刀で空気を切り、エレベーターへと歩いていった。

 私はヴァンガードに近づいていって、通話が終わったのを確認すると声を掛けた。

「最近見ないと思ったら、こんなところでサボりですか?」

「なんだ、ヒナバチか。お前こそ、何だってこんなとこに居るんだ?」

 私が管制課に用があったことを告げると、ヴァンガードは合点がいったのか、

「そうか、もう一週間後に初任務だったな」

 と言って、左手を握ったり閉じたりしている。船長がそんな心持ちで大丈夫だろうか。

「左手、どうかしたんですか。さっきも何か診てもらっているような雰囲気でしたけど」

「なんだ、見ていたのか。明日にでも、義手のメンテナンスに行くって話をしていたんだ。あの人は主治医でな」

「えっ、義手ってヴァンガードさんが?」

 私が目を丸くすると、ヴァンガードも同じように目を丸くした。

「あれ、言っていなかったか。前の現場でしくじってな」

「聞いてないですよ」

 前の現場というと、この前見たカタログデブリ2204のことだろう。

「ちょっと見せて下さい」

「何でだよ」

「可愛い後輩の頼みですよ、ヴァンガードさん」

「自分で言うことか?」

 そう言いながらも、これ以上は不毛だと思ったのか、ヴァンガードは諦めたように左手を出した。恥ずかしいのか反対の手で後頭部を掻いている。

 左手には薄い手袋をはめていて、肌が露出しないようになっていた。手袋を外すと、見覚えのある手が見えた。

「なるほど、εイプシロンの軍用モデルをベースにしているんですね」

「何で分かるんだ?」

 ヴァンガードはさっと手を引っ込めて、再び手袋をはめる。何を恥ずかしがることがあるのか不明だったが、知りたいことは知れたのでもう満足だった。

「さぁ、なぜでしょう」

 ヴァンガードは私が元アンドロイド課だということを忘れているんだろうか。自己紹介のときに人型アンドロイドのパッチを書いたりもしていたと言ったはずだけれど。

「まぁいいか。それよりもちょっとヒナバチに話しておきたいことがあってな。」

「話しておきたいこと? 次のミッションのことですか?」

 私が訊くと、ヴァンガードは周囲を見回してから呟いた。

「その、なんだ。用事が早く済んだなら、少し付き合え」

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