スペースデブリ課、始動
スペースデブリ課と書かれている扉の前についたときには、息が上がっていた。カバンを背負っていたり、手に色々と資料を持っていたということもあるが、そもそも走ったこと自体、久々のことのように思えた。アンドロイド課の事務作業で、体が鈍りまくっている気がする。
「遅かったな」
いまだに少女を肩車したままの男がにやりと笑う。人を一人担いで走っていたというのに、疲れた様子は微塵も感じられなかった。少女はというと、全く抵抗する様子もなく受け入れている。しまいには高い視点が新鮮なのか、辺りをきょろきょろと伺っていた。
自動ドアが開き、三人で中に入る。中はこじんまりとしていて、目の前にはすぐデスクが並んでいた。席は見たところ五つ。部屋の右奥が奥に伸びていて、そちらはシンクや小さなコンロが見えた、恐らく給湯室だろう。
観察していると、給湯室から青年が顔を覗かせた。
「あ、やっと来ましたね、ヴァンガードさん……って、何してるんですか! もしかして誘拐!?」
ブロンドヘアーで、頬にそばかすのある青年が、肩車をしている男性――ヴァンガードというらしい――に捲し立てる。その後ろから、三つ編みで眼鏡をかけた女性が姿を現した。彼女も同じブロンドで、背丈も近い。二人並んでいると何だが姉弟のように見える。
「落ち着きなさい、ウフル。この人にそんな度胸はないわよ」
「随分な言い草じゃねえか、アイラス」
ヴァンガードは肩車をやめると、少女の小さい頭に手を置いた。握力さえあれば、そのまま持ち上げれそうな雰囲気すらある。それを見た青年――ウフルは両手を頬に当てて、口をあんぐりと開けた。
「も、もしかして隠し子ですか、ヴァンガードさん! 奥さんいないって言っていませんでした!?」
「馬鹿野郎、隠し子なわけないだろう」
ウフルは尚も二人を交互に見ている。親子ならどこか似ている箇所があるんじゃないかと探している様子だった。
「こいつは、うちに配属になった船外活動員。スリーズだ」
それを聞いた三つ編みで眼鏡の女性――アイラスさんがフレームの太い眼鏡を持ち上げてスリーズを凝視した。
「じゃあこの子が飛び級でアカデミーを卒業して、EVAライセンスを取得したっていう天才少女?」
スリーズは視線を一身に浴びながら、こくりと頷く。その様子に緊張感は見られない。船外活動員といえば、私と同じだ。こっちは緊張しているというのに、何とも肝の据わった子だ。それに、EVAライセンスは私もスペースコロニーの就活用にと取得したが、私より一回り下の女の子が取得しているなんて思いもよらなかった。仮にその噂をきいていたとしても、都市伝説だと思っただろう。それぐらい、簡単に取得できるものではないのだ。
「天才少女こと、スリーズちゃんだ。皆、よくしてやってくれ。それでえっと……」
ヴァンガードが私を見て、口を閉じた。それもそのはずだ。私はまだ名乗ってすらいないのだから。だが、なぜスリーズのことは知っていたのだろう?
「あの、今日付けでアンドロイド課から、スペーズデブリ課に配属になりました。ヒナバチ・カグヤです。よろしくお願いします!」
面接のときを思い出してはきはきと答えると、小さな拍手が起こる。ウフルが近づいてきて、笑顔で右手を差し出してきた。
「そうか、君が噂のね。同情するよ、お互い頑張ろう。カグヤ」
「ど、同情……?」
急に下の名前で呼ばれたことよりも、何に同情されたのかが不明で首を傾げながら握手に答える。ウフルは嬉しそうに力強く握った手をぶんぶんと振った。
「アンドロイド課では、何の仕事をやっていたんだい?」
「ええっと、そうですね……。最近取り上げられることも多くなった人型のアンドロイドのパッチを書いたり、新しい記憶領域を増築するシステムを組んだり――」
これでも少しは頭が良いのだとアピールしたくて若干の見栄も張ったが、ウフルは話半分といった様子で適当な相槌を打っていた。
「なんだか難しそうだねぇ。っと、僕のことは気安くウフルと呼んでくれ。僕も別の部署だったんだけど、急にまたデブリ課が動くってなって飛ばされたのさ」
それを聞いていたアイラスさんが溜め息を吐いた。
「ウフルったら、まるでここがデブリボックスとでも言いたげな物言いね。全く、こんなことを言っているけれど、スペースデブリの回収っていうのは立派なお仕事なのよ、カグヤさん」
「え、ええ」
「ごほん、ちゃんとした自己紹介がまだだったわね。私はアイラス、副操縦士で事務も担当してるわ。よろしくね」
事務員だろうとは思っていたが、操縦もするとは思わなかった。というか、そんな組み合わせがあるってことはそれだけ人がいないということだろうか。
「よろしくお願いします、アイラスさん。スペースデブリの回収ってようするに、宇宙のゴミ拾い……みたいなものなんですよね」
私の質問にアイラスさんは再び眼鏡を持ち上げながら答えてくれた。どうも眼鏡が大きいのか顔が小さいのか分からないが、サイズがあっていないような気もする。それでも背は私よりも高く、すらっとしているせいかお姉さんのような印象だ。
「その通りよ。スペースデブリは宇宙開発の際に生じた様々なゴミのことを指すわ。衛星の打ち上げに使ったロケットの一部や、昔の宇宙飛行士が落とした工具なんかもそうね。既に何億という数のスペースデブリが、宇宙には存在しているのよ」
それは資料でも読んだことのある内容だった。大きさが十センチを超えるものはカタログデブリとしてスペースガードが番号を振り分けておおよその軌道を把握している。そのデブリが全てどんな形状でどんな物なのかは正確に判別できてはいないそうだが、デブリによる衝突被害を無くすためらしい。
「そんなにゴミが沢山あるのに、どうして最近までデブリ回収は行われていなかったんですか?」
「やっていたさ、何年か前まではな」
そう暗い口調で言ったのはヴァンガードだった。いつの間にか取り出したスキットルを口に運んで、どこか遠くを見ている。こちらを見る素振りは一切なく、淡々と続けた。
「色んな宇宙事業のやつらが、デブリ回収を行ったんだが、事故が多くてな。ちょっとしたミスが、死に繋がっちまう。アンドロイド課のデスクワークみたいにはいかねえのさ」
なんだかアンドロイド課を馬鹿にされたような気がして、思わず言い返す。
「アンドロイド課は、就業中にお酒は飲みませんけどね」
「これは酒じゃねえよ」
「じゃあ何ですか。スキットルって、アルコール度数が高い蒸留酒を入れるものじゃないんですか?」
「見た目に囚われてると、いつか大きなミスをする羽目になるぞ」
紛らわしいことをするほうが悪いのではないか、と思ったが、
「まぁまぁ、二人とも。仲良くやりましょうよ」
と、ウフルが割って入ったきたことで会話はピリオドとなった。
スリーズはというと、自分には関係のない話だと言わんばかりにとっくに手近な椅子に座って寛いでいる。アイラスさんはヴァンガードの態度には慣れた様子で、何だか達観している。思わずムキになって突っかかった自分が恥ずかしく思えた。
数秒の沈黙の後、空気を変えようとしたのか、ウフルが手を合わせて皆の視線を集めた。
「とにかくさ、ここに集まった五人が、新しいスペースデブリ課ということで、乾杯しようじゃないか」
「えっ、たったの五人しかいないんですか!?」
私の驚きにウフルは何も答えずに、備え付けられている冷蔵庫から、ジュースを取り出して準備している。しかしアイラスさんはジュースには目もくれずにデスクに向かうと、引き出しを開けて紙切れを取り出した。
「乾杯の前に、ヴァンガードとカグヤさんとスリーズちゃんは、遅刻したので始末書をよろしくね」
アイラスさんは口角こそ上がっているが、眼鏡の奥の瞳は全く笑っていない。その笑顔の前では、誰も反論できる者はいないようだ。早くも課内カーストの上位が決まった瞬間であった。
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