第3話

「よって、これまで多くの錬金術師は賢者の石の生成を目指して……おっほん」

 錬金術基礎の授業。先生の咳払いで、隣で舟を漕いでいたエミがビクッと肩を震わせる。教科書を開いているものの、その目は半分閉じかけていて、今にも夢の世界へ旅立ちそう。

「ちょっと、エミ!」

「ん? むにゃむにゃ」

「寝ないの! ほら、起きて!」

「ん~……、むーりぃ」

 先生は、厳しい目でエミを一瞥する。

「エミリアさんは後で準備室に来なさい」

 ああ、またやっちゃったんだ。エミは錬金術の授業が苦手で、いつも眠気に勝てない。難しい専門用語や複雑な反応式が並ぶ教科書は、彼女にとっては子守唄みたいなものらしい。でも、飛行術になると人が変わったように活発になるから不思議。もしかしたら、箒に乗って風を切る方が、薬品を混ぜるより性に合っているのかもしれない。

「ふふっ」

 私は小さく笑って、ノートに目を落とす。今日の授業は、錬金術の歴史について。賢者の石、エリクサー、ホムンクルス……。夢とロマン溢れるテーマだけど、エミにとっては退屈なだけみたい。私は錬金術も好きだけど、やっぱり飛行術の方がワクワクする。


「セレス負けないよ~」

 2限目の飛行術。待ちに待った時間だ。箒にまたがると、エミが私を挑発するように声をかけてくる。さっきまでの眠そうな様子はどこへやら。

「ふーん、言うじゃない?」

「セレスちゃん、エミリアちゃん。勝手に勝負始めたらまずいよ~」

 フレイヤが心配そうに声をかけるけど、私とエミは顔を見合わせてニヤリとする。フレイヤはいつも冷静で、私達を止める役目。でも、たまに私たちに付き合ってくれることもある。

「こら、そこ! 勝手に飛ばない!」

 先生の怒鳴り声で、私達はシュンとする。飛行術の先生は元冒険家で、厳しいけど生徒思い。いつも私達を温かく見守ってくれている。

「まったく、今日は新入生もいるんだから、上級生として手本になって頂戴」

 新入生? そう言われて周りを見渡すと、校庭の隅に集まった子供達がいる。緊張した面持ちで、箒を握りしめている。きっと今日が初めての飛行術の授業なんだろう。

「よし、じゃあ上級生は新入生のサポートだ。基本動作を教えてあげて」

 先生の指示で、私達は新入生の方に歩いていく。私が担当するのは、黒髪の女の子。少し不安そうな顔をして、私を見上げている。

「あの、こんにちは。セレスティーヌです。よろしくね」

 私は笑顔で話しかける。

「は、はい! よろしくお願いします!」

 女の子は少し驚いたように目を丸くして、それからハキハキと答えた。緊張が少しほぐれたみたいで、安心する。

「飛行術は楽しいよ。一緒に練習しようね」

 私は女の子の箒の持ち方や、姿勢を丁寧に教えていく。箒は魔法の力で浮くけど、バランスを取るのはコツがいる。最初は緊張していた女の子も、少しずつ笑顔を見せるようになって、私も嬉しくなる。

「ほら、怖がらないで。ゆっくりでいいから、地面を蹴ってごらん」

 女の子が勇気を出して地面を蹴ると、箒が少しだけ浮いた。

「すごい! 浮いた!」

「そう! そのままバランスを取って!」

 女の子は嬉しそうに声を上げて、箒で空を滑り始めた。最初はぎこちないけど、すぐにコツを掴んでスムーズに飛べるようになる。私もつられて笑顔になる。

「セレスティーヌ先輩、ありがとうございます!」

 練習を終えた女の子が、キラキラした目で私にお礼を言う。その笑顔を見て、私も初心を思い出した。

「ううん、どういたしまして。これからも一緒に頑張ろうね」

 私は女の子の頭を撫でて、心の中で誓う。この気持ち、絶対に忘れないって。

「ちょっとー! 授業中にイチャイチャしにゃいで!」

 3限目の錬金術の授業は、校庭の隅で行われていたんだけど、いつの間にか女子達に包囲されている。

「セレス、また新入生を口説いたでしょ!」

「そんなんじゃないよ~」

 私は慌てて否定するけど、女子達は疑いの目を向けてくる。でも、それはいつものこと。飛行術の女の子に優しく接していたら、いつの間にか他の女子達からも「優しい先輩」と慕われるようになっていた。でも、私は別に特別なことをしたつもりはないんだけど……。

「またってどういうこと?」

 私が質問すると、女子達はさらに疑いの目を強くする。

「この女たらし~」

「セレスは誰にでも優しいから、本当に油断できない」

 そんなことないと思うけど……。でもまあ、女の子達との関係が良好なんだから問題ないか。


 *


 大陸中央部を貫く大河沿いに、延々と続く避難民の列。その先頭には、かつて大陸中央最大の都市と謳われたメディウルの市民たちが、家財道具を積んだ荷馬車を引いて歩いていた。煌びやかな装飾品や高価な家具を積んだ荷馬車もあれば、わずかな食料と衣服だけを詰め込んだ粗末な荷馬車もある。しかし、どの荷馬車にも共通しているのは、故郷への未練と、魔王軍への恐怖が滲み出ていることだった。

 スクトゥム要塞の陥落は、メディウルにとって致命的な打撃だった。堅牢な要塞の守りを失った今、都市を守る術はない。王宮からの避難命令を受け、市民たちは泣く泣く故郷を後にすることになったのだ。

「兵たちだけならまだしも、市民たちの列の梯団が崩れています」

 副官の報告に、指揮官は眉間に皺を寄せた。避難民の列は長く、老若男女入り乱れており、統制が取れていない。幼い子供を抱えた母親が泣き叫び、年老いた夫婦が互いを支え合いながらよろめき、若者たちは不安げな表情で周囲を見回している。

「何とかしろ! これ以上ペースを落とせば魔王軍に追いつかれるぞ!」

「後衛尖兵から連絡! 敵斥候部隊接近!」

 絶望的な報告が相次ぎ、指揮官の顔から血の気が引く。隣を並走する市長は、顔面蒼白になりながらも、指揮官に縋るように視線を送った。

「だ、大丈夫なのですか」

「かなりまずい……」

「ええ!?」

 指揮官の言葉に、市長の顔から最後の希望の光が消え失せた。

「致し方ない、第2第3連隊は戦闘準備! 両翼展開、ここで迎え撃て」

「了解」

「はっ」

 連隊長の号令と喇叭の音が響き渡り、第2連隊と第3連隊が梯団の内側と外側に展開していく。兵士たちは戦列を組み、銃を構えていた。

「しかし、敵とて斥候部隊。大した規模ではありますまい。第3連隊の2個中隊でも十分に対処できるはずでは?」

 第2連隊長はそう進言したが、指揮官の表情は厳しいままだった。その視線の先は、第3連隊の後方。遠くに見える何かを確認するように目を細めている。

「我々の本当の敵はあの距離から視認できる規模の集団だ」

 第2連隊長がハッとして目を凝らすと、確かに地平線の向こうに黒い影が見える。周囲の兵士も、ようやくその存在を視認した様子だった。

「あれは……まさか」

「ああ、ゴブリンどもの集団だ。略奪したさに本隊から離れてた連中が、運よく私たちを見つけたのだろう」

 指揮官の予測は的中した。地平線から姿を現したゴブリンの一団は、大規模で全員が雄たけびを上げて駆けてくる。その目に宿る獰猛な光からは、獲物を見つけた喜びと、人間への殺意が見て取れた。

「戦闘準備! 敵との距離はあと1kmもない!」

 第2連隊長の鋭い声が響き渡り、兵士全員が銃を構えて引き金に指をかける。ゴブリンたちの集団が、第3連隊の隊列と接触するまであと10秒。

「撃て!」

 第2連隊長の命令で銃火が瞬き、ゴブリンたちの先頭集団が次々と血煙を上げて倒れていく。しかし数の差は圧倒的だった。ゴブリンたちの疾走は止まらず、見る間に距離は詰まっていく。

「着剣!」

 指揮官の命令で、兵士たちは銃剣を装着する。その刃の煌めきが、ゴブリンたちの本能に恐怖を呼び起こしたのか。彼らはさらに速度を上げ、第3連隊との衝突コースをひた走る。

「突撃!」

 第2連隊長はそう叫ぶと、自ら先頭に立って馬を走らせる。彼の後に、兵士たちも続いた。ゴブリンの集団と第3連隊が衝突し、銃剣と銃火が入り混じる乱戦になる。

「怯むな、 第2連隊! 後ろから挟み込むぞ!」

 連隊長の激に応える兵士たちは、勇猛果敢にゴブリンたちに立ち向かっていく。


「橋の向こうの安全確保しました!」

 先行していた騎兵隊の斥候が、土埃を巻き上げながら戻ってきた。安堵の息が漏れる。

「よし、老人と子供、女性から先に行かせろ!」

 指揮官の号令一下、避難民たちは我先にと橋へと殺到する。荷馬車の車輪が軋み、子供たちの泣き声が響き渡る。混乱の中で、老人が転倒し、荷物が散乱する。兵士たちは必死に彼らを助け起こし、橋へと誘導する。

 後方では、兵士たちの雄たけびとゴブリンの悲鳴が不気味に混ざり合っていた。第2、第3連隊の奮戦により、ゴブリンの勢いは一時的に抑えられているようだが、いつまで持ちこたえられるかは分からない。

(やはり、平地での戦闘では分が悪いか)

 指揮官は唇を噛みながら、橋の向こうへと避難民たちを誘導する。

 その時、後方を警戒していた騎兵が血相を変えて駆け戻ってきた。

「指揮官! 魔王軍騎兵、連隊規模がこちらに接近中です!」

「な、なに!?」

 指揮官は、まだ橋を渡りきっていない市民たちと、後方の戦闘を交互に見て、苦渋の決断を下した。

「第1、第2連隊横隊! ここで迎え撃つ!」

「指揮官殿!? そうしたら我々の守りは……」

 市長が青ざめた顔で声を上げるが、指揮官は迷いを振り切るように言った。

「騎兵隊を付けます。それにこの橋を越えれば街まですぐです。市民を逃がす時間を稼ぎます」

 指揮官の言葉に、市長は言葉を失った。指揮官は、自らの命を犠牲にしてでも市民を守ろうとしているのだ。

「第2、3連隊と合流する、その後、方陣を組むぞ!」

 指揮官は、残りの部隊に指示を飛ばす。兵士たちは、指揮官の覚悟を悟ったのか、顔つきが引き締まる。

「我々は、メディウルの最後の盾だ。市民を守り抜くまで、一歩も引かぬ!」

 指揮官の言葉が、兵士たちの心に火を灯す。彼らは、最後の力を振り絞り、魔王軍騎兵隊との決戦に臨むのだった。

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