第2話

 石畳の道を箒で滑るように進む。朝日を浴びて輝く魔法学校の校舎が、いつもより神々しく見えた。

「セレス、ちょっと遅かったんじゃない?」

 校門の前で待っていたのは、親友のエミリアだった。栗色のポニーテールにきれいにまとめ、快活な笑顔を浮かべている。

「おはよう、エミ。ちょっと朝寝坊しちゃった」

 私は箒から降り、エミと並んで校舎へと向かう。

「そういえば、フレイヤはもう来てる?」

「ええ、もう教室で待ってるわ。今日の授業、楽しみね!」

 フレイヤは、私たちと同じクラスの友人。おっとりとした性格で、いつも穏やかな笑みを浮かべている。

 教室に入ると、すでにフレイヤが席に座っていた。

「おはよう、セレス、エミリア」

 フレイヤは私たちに気づくと、優しく微笑んだ。

「おはよう、フレイヤ」

 私たちはフレイヤの隣に座り、今日の授業について話し始めた。しかし、教室の空気はどこか落ち着かない。生徒たちの間では、ある噂が飛び交っていた。

「聞いた? 北の鉱山都市アウルムが、魔王軍に占領されたって……」

「嘘でしょ……アウルムは、山脈と堅牢な城壁で守られた都市だったのに……」

「アストルムは大丈夫なのかな?」

 生徒たちの間には、不安と動揺が広がっていた。アウルムは、アストルムからかなり離れた都市とはいえ、同じ人間の国が魔王軍に蹂躙されたという事実は、生徒たちに大きな衝撃を与えていた。

「でも、大丈夫よ。アストルムには、優秀な魔法使いがたくさんいるし、うちの魔法学校には強力な魔導兵器もあるって聞いたわ。それに見て! あの3重の防壁を突破なんて出来やしないわよ」

 エミは、楽観的な口調でそう言った。

 私はエミの指差す先にある防壁を眺める。

 都市を守る三重の防壁は、まさに堅牢そのものだった。第一の壁は高さ10メートルを超える巨大な石壁で、その表面には魔法陣が刻まれ、常に淡い光を放っている。第二の壁は5メートルもあり、そして第三の壁すら3メートルはあるという。

「確かに、これなら大丈夫そうね……」

 フレイヤは、安堵の表情を浮かべた。

「でしょう? それに、このアストルムは魔法都市よ? 私たちみたいな優秀な魔法使いがたくさんいるんだから、心配することないわ!」

 エミは胸を張って言った。

「でも、アウルムも強力な防衛設備を持っていたはずよ。それでも陥落してしまったということは……」

 私は、エミの言葉を遮るように口を開いた。

「……魔王軍の力も侮れないってことよね」

「う……」

 エミは、私の言葉に言葉を詰まらせた。

「でも、セレス。魔王軍の侵攻なんて、遠い異国の話よ。それに、もし本当に攻めてきたとしても、きっと先生たちや軍人さんが守ってくれるわ」

 フレイヤは、私の不安を打ち消そうとするように言った。

「そうね……そうよね。きっと大丈夫よ」

 私は、無理矢理笑顔を作ってそう言った。

「まあ、今は心配しても仕方ないわ。それより、放課後どうする? いつものカフェで新作スイーツを食べに行かない?」

 エミは、話題を変えるように提案した。

「いいね! 私も食べたい!」

 フレイヤも笑顔で賛同した。

「うん、行こう」

 私も頷いた。しかし、心の奥底には、拭い切れない不安が残っていた。

「ふざけ……ないで……」

 突如響くその言葉に教室の空気が張り詰めた。普段は物静かなソフィアが、低い声で口を開いていた。

「ふざけないで……」

 その声には、怒りと悲しみが入り混じっていた。

「魔王軍に、いくつもの国や都市が滅ぼされているのよ……アストルムの人間は、少し楽観的すぎるわ……」

 ソフィアの言葉は、教室に衝撃を与えた。生徒たちは言葉を失い、彼女の顔を見つめた。

「な、なによ! あんたはあの防壁が破られるっていうの!?」

 エミが、ソフィアに食ってかかった。

「そうね……そんな日が来ないことを祈っているわ……」

 ソフィアは薄ら笑いを浮かべながら、教室をあとにする。

「なんなのあいつ〜!」

 エミは地団駄を踏む。しかし、そこにフレイヤが優しく諭すように語りかけた。

「エミちゃん、ソフィアちゃんは故郷を魔王軍に滅ぼされているの。だから許してあげて」

「えっ! それは初耳!」

 それを聞いたエミはショボーンとしてしまった。

 私は、エミの肩に手を置く。

「まあまあ、知らなかったんだから、反省して次から気をつければいいのよ。で、今日はカフェに行ったあと……」

 私たちは、また他愛もない会話に戻るのであった。


 *


 陽は傾きかけ、空は赤く染まり始めた。スクトゥム要塞は、その巨大な姿を夕日に映し出しながら、静かに佇んでいる。だが、その静けさは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。

「……くそっ、またか」

 城壁の上で、若い兵士が呟いた。彼の顔には、疲労の色が濃く出ている。

 スクトゥム要塞は、大陸の交通の要衝にある。ここを抑えられると、数少ない大陸人類の生存域は寸断されるだけでなく、魔王軍の各都市への侵略も容易になる。そのため、魔王軍は執拗にこの要塞を攻撃し続けていた。

「もはや、疲労でろくに立てない兵士もいます……次の攻勢はもはや……」

 副官は、絶望的な表情で司令に報告した。兵士たちは、連日の戦闘で疲弊しきっている。睡眠もろくに取れていなかった。

「……わかっている」

 要塞司令は、深く息を吐いた。彼の目は、疲れながらも強い光を放っていた。

「しかし、諦めるわけにはいかない……!」

 司令の声は、静かだが力強かった。

「たとえこれが最後の戦いだとしても、我々は最期まで戦い抜く! この要塞こそが我らが墓標だ!」

 司令の言葉に、兵士たちは奮い立った。

「敵! ゴブリンとトロールの混成軍、来ます!」

 斥候の叫び声が響き渡った。

「……来たか」

 司令は、剣を握りしめ、城壁の先を見つめた。

「全軍、戦闘準備!」

 司令の号令が響き渡り、兵士たちは武器を手に取った。ある者は魔導書を、ある者はマスケット銃を、ある者は槍を。

 地平線の彼方から、魔王軍の軍勢が姿を現した。ゴブリンの群れと、巨大なトロールが、要塞に向かって突進してくる。

「……来い、魔王軍ども。このスクトゥム要塞が、貴様らの墓場となる!」

 司令は、咆哮を上げ、剣を天に掲げた。

 6度目の攻防戦が始まった。

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