私たちについてマスターピース

@DojoKota

全話

味方と味わい深い敵の区別ができなくなった日の翌日「それは病気だ」ということで、私は、横断歩道の信号機をお医者様だと見立てて話しかけた、ほかの相談相手は当座検討もつかなかった。だって、私には私自身の他に敵と味方しかいなかったんだから、正義のヒーローみたいに。「味わい深い味方だなんていて欲しいじゃないですか。でも、現実には無味乾燥な味方ばかりで嫌になってしまうのです」信号機は青い顔をしていた。


「あなたは味方を食べたことがある?私はある。おしっこを飲んだ時の味と似ていたよ」


アイスクリームみたいな味方が欲しいんだ。私は甘党だった。


「味方はあなたに味方してくれるものであって、食べ物、じゃ、ないのよ」と母なら優しく諭してくれそうだった。でも、私は、それじゃ、満足、じゃなくて、満腹、できなかった。母は、まだ食べたことはなかったけれど、母は、美味しそう、って感じではなかった、匂いなど。


その頃私はもじゃもじゃ語を話していた、学校などで。「もじゃもじゃもじゃもじゃー」みたいな言語だ、私が発明した。でも、意味は伝わる、じわじわ伝わる。なぜならば、「こんにちはもじゃもじゃもじゃー」みたいな使い方をするから、方言とは違うよ、れっきとした独立した言語だよ、私はそう言い張る。私は学校でそんなもじゃもじゃ語を話した。意味は通じたけれども、誰も返事をしてくれないのであった。私がもじゃもじゃ語を封印すると、その分世界が、もじゃもじゃに溢れる気がした。バランスが、崩れていくんだ。もじゃもじゃもじゃ、と。だから、私は、独り言でもじゃもじゃするんだ。「今日も、いい日、もじゃもじゃもじゃもじゃー」


枯葉が子犬のように、私の足元にもじゃもじゃとじゃれついてくる。なぜ、私のこと好きなのか。私はそれを一匹ずつピシリピシリと踏み潰すことはしない。だって、せっかくなついてきたというのにかわいそうじゃないか。でも、踏み潰さないでいるとさらに枯葉に懐かれて私は一匹のミノムシのように枯葉まみれになってしまう、時間の問題。困ってしまう。枯れ葉の「枯」を分解して再構成すると、「困」って字にコンパクトに収まる、それって不思議、不思議でもなんでもない、漢字という文様が単純なだけ。困ってしまうという感情も捨てる。鞄も捨てる。野蛮になる。落ち葉の中で眠っていると、夜になるまでが長い。


そのような私だった。どのような私なのか、鏡の中に写っている私自身にはわかるのかな、返事はない、けれど。そのような私だった。そのような私がトボトボと歩いている。トンボたちに取り囲まれている。トボトボと歩くって、私の中では、トンボたちと、トボトボと歩くってことなんだ。トンボたちもトボトボと歩いている、私の隣を。いつも通り歩いているのだ。


私は、「ちょっと」という代わりに「ちょうちょ」と言う。「ちゅうちょ」という代わりにも「ちょうちょ」って言う。ちょちょちょちょ、っていう代わりに、蝶々がいっぱい、って言う、そんなセリフを言う機会はない、けれど。中長期的計画なんていう時なんかは、「蝶々的計画」っていう。意味はよくわからない。知らない。ともかく、私は、たくさんの日本語を蝶々に変換しようと目論んでいる。蝶々は世界中にる。もし、私たちの口から言葉の代わりに、蝶々が羽化して飛び立ったなら、世界中の人と蝶々を交換できるのにな、って思う。それは、即席の世界平和安っぽくて、内実のまるでない。私の「ちょうちょ言葉」はただの趣味でファッションなだけだけれども。特別な意味もないのだけれども。蝶々がみんな死んでしまう真冬は私にとって寂しい季節だ。もうすぐ訪れる。ゆうちょ銀行より蝶々銀行の方が可愛いと思った。そのほうが貯金したくなるよ。深い深い森の中にあるんだ。ちょうちょ銀行。


「どうか、蝶々に、荘周のではなく、私の夢を見て欲しかった」


もし、私が蝶々で、そんな私が私の夢を見たとしたら、どんな私になりたいだろうか、と考えた。何も思いつかないから、ぼんやりと歩いた。


私の手のひらが飛び立とうとしていた。けれど、私の長い長い腕は滑走路というわけではなかった。もしも、私の手足がもっともっと素晴らしく長かったならば、その腕の上をジェット飛行機のように、私の手のひらが助走して、びゅばわわわわんって飛び立つんだ。飛び立つんだ。太陽めがけて。メガネかけた太陽めがけて。だけど、私の手のひらは私の腕をとことこと駆け上がって飛び立つ、ではなかった。私の手足はそこそこの長さしかないのだった。そんな光景も見てみたかった。でも、そうじゃないんだ。私の手のひらは私の目の前でヘリコプターのプロペラのように水平方向に猛烈回転した。私の手首は、千切れた。飛び立った。腕には腕時計しか残らなかった。


私はぼんやりと飛んでゆく手のひらを視線で追いかける。飛蚊症のように、追いかけても追いかけても遠ざかるすごい速さの手のひら。待って、と手を振って追い縋ろうとしたけれど、私にはもう手のひらがない。残念至極。年が開ける頃には帰ってきてほしいと思った。だって学校が再開する頃には必要なんだ五本の指が。でも、生まれた時から指のない人もいる。それを思うと、私は悲しい気持ちにもなるのだった、あるいは、自分がまるでとても傲慢な人間のような気がしてしまうのだった。私の手のひらはぐんぐんと上昇し、私の指紋が綿雲に張り付いて、その指紋のぐるぐる渦巻きが季節外れの台風のようにぐるぐると空をかき回した、空を舞った。それはとても凶暴な私のスピンオフだった。とはいえ、所詮最大でも私の親指サイズの台風であり、私にとっては可愛かった。私の親指サイズの台風に吹き飛ばされる羽虫たちは災難だったけれど。もう宿主のいない蜘蛛の巣を切り裂く私の指紋台風。


天気予報図の台風が神様の指紋のようだ、と思ったことはなくもなないかもしれないけれど、そんなことを思ったことがあったとしたなら、なんだか出来損ないのロマンティズムって感じで、自分で自分のこと好きじゃなくなりそうだ、私はそんな私のくだらない煩悶を救済するためにその発想をくだらないありきたりのくだらない缶詰に放り込んでくだらない封印を施す。私は一人ぼっちになって歩きたい気分で歩く。思いっきり山火事になる程、火を吹きたい。


空には相変わらず私の手のひらが浮かんでいて、まるで空が海になったならクラゲがそうするであろうようにゆらゆらと揺れていた。全長十五センチくらいの小さめの手のひらが二つが元々は同じ一つの生き物のパーツであったことなど忘れたかのようにてんでばらばらに右往左往と飛び交っている。私はそれを捕まえたいと思う。でも、捕まえるための手のひらが私にはもうないのだ。ああ、私の目の前で、日に日に空を舞う私の手の指の爪が伸びていく。汚いなあ、切りたいなあ、って思う。ああ、あんなに手のひらだけ日焼けしちゃって。


これが蝶々的計画とでもいうのだろうか、私の手のひらが飛んでいる。蝶々のようにひらひらと飛んでいる。私の残された胴体は相変わらず沈んでいる。私は水泳さえろくにできないんだ教わってもわからないんだなぜか。だって、私は水中でも息ができた。だから、息継ぎが理解できなかった。私は水上で走ることができた、だから泳ぐなんてよくわからなかった。みんなは私を溺れているといった。私は深い水の中にいるだけなのに。深い水の中にいると、まるで、私の心臓の鼓動が、世界中へ広がっていく気がする。


空を飛ぶ手のひらを眺めていると、虫ピンで射止められた昆虫標本中のアゲハチョウと、十字架に手のひらを釘付けられた大工の息子とは、案外似ているんじゃないか、って思えた。私の飛び交う私から逃れて飛んでいる手のひらもいつか釘付けして、逃げ出さないようにしないと、ならないのかな、って思った。


深い水の中にいるといろいろなことを忘れてしまう。だって、世界が水色に覆われて、音だって上手く聞こえなくなるのだから。相変わらず昨日の朝ごはんのおかずなんか思い出せないくらい。手のひらのない私は犬のようにそれを食べたはずなのに。犬のように私には昨日の記憶がない。深い水の中にいるとそうした忘れてしまったことに出会うことがある。深い水の中には、昨日の朝ごはんの味噌汁が混ざっている。私の体内と体外が水中というシチュエーションのなかで、例外的に出会えるんだ。


私の手のひらを覗くおじいさんが眼鏡をかけている。あれは、易者だろうか。空を舞う、爪の伸び放題の、放埓な、私の手のひらをじっと見つめる町中の人間がみんな易者だとしたらきっとこの街の未来も安泰だろう、みんなが未来を見つめている。まるで過去や現実なんかないかのように。私は嬉しくなる。この街には未来を見ている人間ばかりが暮らしているんだ、こんな嬉しいことってないよ。私の布団からは、昨日までの私の匂いがする。私は半分その匂いから抜け出して、寒いな、と思う。


「私は、私の手が好き。でも、逃げちゃった」と私は呟いて、そのつぶやきを記録したいと思って、使い捨てカメラのシャッターを切った。私のつぶやきに反応した雲が、真顔で、フレームに収まった。


その綿雲には、私の独り言はよほどに大声で大反響だったのだろう、マンガの吹き出しのように、私のセリフがそっくりそのまま刻み込まれていた。


栞たちが自我を持ち始め私の部屋で本棚の端々でかくれんぼをしている、ことに先日、気がついた。畳の隙間とか、押入れに仕舞われた布団と布団の隙間とかにまでも、そんなところに隠れなくてもいいだろうに、と内心思った。でも、彼らが稚児のように楽しんでいるなら、そもそも、私はそんなに本を読まないし、勝手にすればいいのじゃないかな、と思った。栞たちは様々な本のページや様々な隙間に挟まれてかくれんぼをしている。私が手のひらを半ば失い本がろくに読めなくなったことを良いことに栞たちが栞ちゃんたちが自我を持ち始め、てんでばらばらかくれんぼをしている。十分おきくらいに本棚から「みつけたよ」と幼い声が聞こえる。私は別にそれでも構わない。


綿雲からつり革が、私めがけて、つり革が、私めがけてってわけじゃないかもしれないけれど、つり革が、バスとか電車とかみたいなつり革が、ぶら下がっているのですが、ぶら下がっているのですが、風がとても強くて、雲の流れがとても早くて、は、や、く、て、スロットマシーンの流れる数字や果物のように雲がびゅんびゅびゅびゅーんと流れていくものだから、いくものだから、私の手が届かない。雲は掴めないけれど、雲からぶら下がるつり革くらいになら、ぶら下がれると、一瞬、夢を見てしまったけれど、夢はやっぱり夢だった。醒めるために痛みが要った。綿雲に雲梯のように、綿雲の雲底にぶら下がりたいものであるけれど、それが叶わない。か、な、わ、な、い。台風が、私の街を襲う。ちまちま、と私の街を、お、そ、う。


私のバッグは人間を食べるので(私のバッタは人間を食べるので)ジグザグチャックで鋭い牙みたいにジグザクなチャックで人間を咀嚼するから(仮面ライダーには、なれそうにない)、私はバッグの中身に事欠かない。生首だ。生クリームだ、人間の血だ。そんな中身に。気がつけば食虫植物のように、私のバッグが人間の腕を咥え込んでているんだ、悲鳴が聞こえるんだ。「うぎゃあ」けれど、私のバックは、私が所有者だって自覚があるのか、私のことは食べないでいてくれる。だって、私は飼い主だからだ。私が死んでしまえば、私と一緒に火葬場で燃えてくれるくらい私のバッグ私に心を捧げてくれているのだ。私は一人じゃない。私は一人になりたい時、トイレに立てこもる。


唇は私には甘い。チョコレートみたいに、甘い。(甘い、って変な文字だ、どこが、甘いの、知らないけれど。)私はだから、唇を舐めないようにしている。唇を舐めると、唇が溶けてしまうし(だって、チョコレートだから)、それに、私も四六時中甘みを感じていたくはないから。甘みってマッハで走るばあさんのように、その場限りのもの。甘みを消すために、口紅には、唐辛子を混ぜているくらいなんだ。でも、それじゃあ、誰とも唇でつながれない。それはそれでいい。私は、チョコレートアイスクリームを舐めている時、私は私と私とそっくりの同じだけの甘さをもったチョコレートアイスクリームと、私は私自身と口づけをしている気分になる、まるで自慰のように。


その人にはまるで毛がなかった。つるつるしていた。衣類からはみ出た肌はとてもつるつるしていた。スケートリンクのようだった。だから、引っ掻いた、両手にスケート靴を携えて、引っ掻いた。私はカマキリ人間。とっさに飛びだす正当防衛、私はその人に殴られて、ふらふらと、後ずさる。「君の毛を見せてよ」私は呟く。だから、私は頼んだんだ。「お願いだから、君の毛を、一本だけでいいから、私に見せてください」私は呟く。あくる日、その人は、私が建てた小さな教会の陰で、石仏になっていた。


あたしだって、ひどいことをするよ。ひどいことをすると、ひどいことがどんどん、増えていく。だってましになりたいんだもの、建て増ししてしまう。


私には息抜きが必要で、それは何故かはわかりらないけれど、一人でつぶやく「まざふぁっか」と一人でつぶやく「まざふぁっか」、一人部屋でつぶやく、「まざふぁっか」とつぶやく、誰かに見つかってはならない、内緒の言葉、私は人々から隠れている身の上「まざふぁっか」本棚の栞たちがつぶやく「まざふぁっか」私の口真似をしているのだ「まざふぁっか」。嫌な子たち。カマキリの卵みたいに、嫌な子たち。栞って、森って文字を逆さにしたみたい。かといって、森の中で逆立ちしても栞にはならないし、その逆も起こらない。


「ふぁざふぁっか」じゃ、ふぁふぁふぁって感じで、ダメなのだ。


小さな世界には小さな穴からしか潜り込めない。私は小さな穴を探して町中をうろうろうろうろうつらうつらうろうろ、夜通し眠気まなこで、うろついて、ようやく見つけたうろに潜り込む。その世界にはとりあえず私しかいなくって、私は、ようやく、彼らからの尾行から逃れたことになる。彼らとは、か、れ、ら、だ。られられられられかかかか、だ。彼らは私の命を狙っている、ピストルマン、ってわけではないけれど、私を狙っている。彼らは私より瞳がひとつ多く、その分私をより多く見つめることができる、多勢に無勢なのだ。私は小一時間ほど、小さな世界で彼らをやり過ごす。


そして、反撃の狼煙をあげる。


私の部屋が小さな龍でいっぱいになっている。小さな籠じゃない、龍だ。たった一匹の龍じゃない五、六匹いて、彼らは私の部屋にずっとじっとしているから運動不足で、肥満状態で、ちょっと朝青龍に体型が似ている、日に日に太っていく、固太りって感じで。室内は彼らによって充満している。その密閉具合は、なんだか化学式の教材にうってつけって感じで。私はスライドパズルのようにして彼らを常時連続的に移動させながらじゃないと、部屋の中を動け回れない。それはそれで悪いことではない。何よりも暖かい。


シリアはシロアリの帝国なんだ。そんなことはない。シリア人はみんな人間大のシロアリなんだ。そんなことはない。すごい高知能のシロアリで東京タワーより高いアリ塚がずらずらと立ち並んでいるんだ。そんなことはないよ。私は自分に自分で言い聞かせるしかない。でも、そんなことはないよ、と自答しつつも、でも、私はまだシリアに行ったことがない以上、シリアがシロアリの国ではない保証はどこにもない。私は自分が不安になる。どきどきする。私は私の不安が色々なものたちへ、伝染して行く。


歳をとった私は魔女扱いされるだろう。そんな予感がする。でも、私は魔女にもなれないかもしれない。何にもなれないかもしれない。魔女ってなるの難しいんだ。儀式だってあるし。そうしたら私は、ただ髪の毛の白い人になる。髪の毛が、長くて、白い人。それはそれでいいなと思うけれど、影まで白くなってしまうかもしれない。大事なところまで白くなるかもしれない。大事なところって何。黒目とか。髪の毛の白い人は、みんなの目には映らない。鏡の目にだけ映る。鏡は私の目の前で私に向かって輝き続ける。鏡はロボットだから、人の気持ちも知らないのだ。


実は私は二人いる。二人も同じ人間がいると、一人は余分で実はいらなくて、やることもないからいつも寝てばかりいる。あるいは文章を書いている。あまりに寝すぎると、体が布団と一体化してしまう。あるいは文章と一筆書きになってしまう。もう一人の私が、そんな寝たきりの私を介助している。ヨボヨボになりつつある自分のもうひとつの肉体を、手のひらがなくて不便だけれど、大便だけれど、排便の解除だけれど、揉みほぐして、白湯で洗って、そして、洗濯物と一緒にベランダに干している、彼女/私の体を。まるでひょうたんたわしのようになってしまった私の体を。


バスローブを着た女性は、生クリームの上に生首って感じに見える。見える。真っ白の、ふわふわのバスローブならば、尚更に。それはちょっと、ちょうちょ、ちょっと、お化け、可愛らしい気がしなくもないけれどお化け屋敷みたいに雨が降ってきた。お化け屋敷の中にも雨が降っている。どしゃ濡れなのだ。それが、お化け屋敷の怖さの秘密。私はバスローブを羽織る。相変わらず私の手のひらは、飛び立ったまんま、はるか上空でトンビとじゃんけんしている私の手のひらはパー。


「ばーか、私の手のひら、戻っておいでよ」と呟くけれど、罵られて戻ってくるほど、単純でもない。


洞穴の中はこたつだった。だから、暖かかだった。たまたまさ迷い込んだ洞穴はこたつだった。こたつって、あの四本足の、UFOみたいに、照射するもの。私は子供の頃よく、こたつの中に潜り込んで、一人、UFO、アブダクションごっこをした、すこしだけ、雰囲気出るんだ。私はそこで/洞穴こたつで、まりものように丸まって眠り込んだ。たまたま迷い込んだ洞穴はこたつだった。だから私は嬉しくなって嬉しくなったときに見るとっておきの夢をみた。


鼻の穴の中もこたつだった。だから、指を突っ込むと気持ちが良かったんだ。今はもうできない。だって、手のひらは飛んでいる、ずばばばばって。私はせいぜい、一匹の子猫を二つに割って、左右それぞれの鼻の穴に吸い込むことくらいしかできない。猫はこたつの中でみかんになる。


魔界らしき門が開き、鬼たちが立ち現れ、「もういいかい」「もういいよね」と言っている。鬼たちがかくれんぼを始めたがっているんだ。


放課後、私はクラゲ活動に勤しんだ。クラブ活動がカニになって横歩きを楽しむ活動なら、クラゲ活動は、クラゲになって海中を縦泳ぎする活動なんだ。ゆらゆらと。私たちは、海に大量の月を流したんだ。よくもまあ、こんなに地球上に月があるもんだって思えたくらい大量に、大漁に。灯籠流しみたいに、大量の白い光る兎たちの暮らす球体が海に浮かんでそしてしぼんで沈んでいったんだ。私はそんな廃棄物の夜の海をクラゲの気分でたゆたった。水着だけは身につけていた。


クラゲは海月と書く。月の模様はカニにも見える。だから、海月活動とクラブ活動は、案外、近しい関係なのだ。海の中でやる野球やバレーでは、クラゲを球に使うのだ。


空が鏡になって私の顔が浮かんでいて、その顔を洗ってやろうと思って私は涙から雨を上空へほとばしらせて、そしたら浮かんでいた私の顔が、ゆらゆらと揺れ始めちゃって、そんなこと/そんなとこで、何しているの、鏡になった私の顔を浮かべた空と地上の私との間に、私のちぎれたままの手のひらが相変わらず浮かんでいて、飛蚊症のように、邪魔じゃないけれどしゃらくせえ気もする。


太陽が煙草を吸っているけれど、誰も注意しない。なぜだろう。葉加瀬太郎。太陽が大麻を吸っているけれど、誰も注意しないみたい。私は、物は試しと思って注意してみた。「こら、だめだぞ」すると、いきなり赤の他人に注意されたから、太陽は驚いちゃって、真っ赤になっちゃって、目を白黒させて、吸っていた大麻を取り落としちゃって、燃える大麻が雨のように降りしきって、天変地異。ああ、だから、誰も、注意しなかったんだね。


ぬいぐるみのロッククライマーたちが絶壁を登っている。だって、落ちても平気なのだ、わたってすごい。くまが、ぶたが、わにが、かめが、へびが、一心不乱に、ごつごつとした岩肌を登っている。私も共に登りたくなるほどみんな楽しげだった。山火事である。私たちは山火事である。私たちは逃げ惑う。ぬいぐるみのスカイダイビング、ぬいぐるみの全身刺青、ぬいぐるみの外科手術、いろいろな場面で、私が捨てたぬいぐるみ達が活躍していた。私を見返したいのだろう。


「私の舌はどんなトンネルでもひと舐めで舐めつくすことができる」と私の祖母が私に向かって自慢している、その声は拡声器のように、今朝からずっと。私は、それは素晴らしいことだ、と思いながらも、その自慢を紙に書き留めてポストに投函する気にはなれない、なぜならば、私には手がない。私の祖母の舌が世界を救うこともあるだろう、たとえば、たとえば、たとえば、わからない。私の心も何かの役に立つかもしれない。例えば、今。


遠くの方で、私のこける音がする。私のこける音からは、私の焦げる匂いがする、のだけれど、私はこけていないのだけれどな、と思うほかない。私は手足をもがれたダルマのようにこけるはずがない。「ねえ、向こうの方で、Aちゃんのぶっ倒れる音がするよ」と友達が私を突っつく。一緒に見に行こう。私がぶっ倒れている様をそのあと、私は目撃する。それは、つまり、私の眼窩が銃口となり、私の目玉が弾丸となり、撃ち放たれる。


私はAちゃんと呼ばれていた。しかし、それが本当の名前であるか私は知らない。本当は私以外の誰かの名前を私が無断で借りているのかもしれない。遠くの方で私のこける音がして、現にぶっ倒れている私を目撃した後となっては、私の名前すら私の名前なのか、不確かになって当然だろう。でも、私には名前がない、というわけでは決してないんだ。私には名前がある。けれど、それが私の名前じゃないかもしれないってだけで。


私は私の音を集めていく(私は首を集めるわけじゃない)。街中に私の音が落ちている(私の首が落ちているわけじゃない)。私は巨大な靴下をランドセルがわりに背負っている小学生だった、そして音を一つ一つ吟味して、近未来のためにきんぴらごぼうを食べる、音色の良いものだけを背負った靴下に詰め込んで進む、その靴下を明日履くんだ、音色の詰まった靴下を履くとどうなると思う?明日になればわかるよ。私の音はどれも甲高く、私の気持ちはあまり落ち着かない。落ち着かないけれど、それはそれで良いと思っている。何故ならば、私は落ち着きたいって思ったことがないから。天国にはたくさんの音が必要だ、ということはみんなの意見が一致しているから、天国への道にはたくさんの足音が必要だ、とみんな思っている。私は今日も私の音を街中から集めて(怪獣からじゃない、でも、それも良いかもしれない)、それを履いて明日遠足へ行かないとならない。


星が泣いていると思うと悲しくなる。石が泣いていると思うと悲しくはならない。漬物石なんか、しょっぱい涙が似合っている。どうして目の前に転がっている、歩道に転がっている、私に蹴られている石が、星でないのかが私にはよくわからない。だって、だとしたら、だとしたら、だとしたら、こんなに星があって私にけられ放題ってすごいこと、私は何者。石が星になったとしたら、私の指先だって燐寸になっていい気がする。私の髪の毛が風になれば良いのに、と思うこともある。暑い夏の日には、私の汗が、甘い蜂蜜になれば良いと思うくらいに、ありとあらゆるものが、これまでとは違った何かに置き換われば良いのに、と思いながら、私は歩いている。


私の手のひらがの左手のひらが、何者かに捕まって、ペットショップで売られていたんだ、密売。私はそれを檻に入れられた私の左の手のひらをぼんやりと眺めている。周囲の人々は手のひらのない私のことをちらちらと観察している。犬たちは吠えていない。その捕獲されペットショップに生体展示されている私の手のひらは、ひらひらと、ひらひらと、随分と綺麗に、丁寧に、爪なども切りそろえられて、いつの間にか、婚約指輪まではめている。私の、しらない、ところで。


私の、しらない、ところで、私の左の手のひらを購入してしまった人がいたらしく、ペットショップの檻の中はもぬけの殻だった。セミの抜け殻みたいにあっけない。私はペットショップごと、くしゃくしゃと、セミの抜け殻みたいに、その抜け殻を踏み潰した。私は仕方なく、私は、誰のものかは知らないけれど、少なくとも私のものじゃない、右足首を、十万円支払って、購入した。トコトコと歩き出す右足首を私は追いかけるんだ。雨が降っていてずぶ濡れなんだ。右足首なんて不用意に買ってしまったから、私はもう、アパートには戻れないんだ。傘一本買えないんだ。


右足首は、水虫を患って、死んだ。それは不治の死に至る病だった。かわいそうな死に様だった。水虫くらいで死ぬなよな、と思ったけれども、右足首にとってそれは一大事だった。私には、ふうふうと息を吹きかけて、右足首の気持ちを紛らわせるくらいしか仕方がなかった。だって私には、手のひらがないのだもの。人間手のひらを失うと、できることって随分と限られてしまうもの。私は、罪悪感でいっぱいのまま、真っ黒く腐った右足首を抱きしめて街をぶらぶらと歩く。警察に呼び止められる。「これは、ちょうど、人間の足によく似た干し柿です」私はそう釈明した。


その警察は風鈴だった。風が吹けば、音が、なるのだった。なるほどだった。私はどうせなら、風になりたかった。風になって、風鈴の周りをとぐろを巻いて眠りたかった。家へ帰ると母がドッグフードを食べていた。


あの警察も風鈴だった。どの警官もそうだった。私は思わず、うちわで扇いでしまった、夏だった、夏休みだった、休みだった、私は休んでいた、涼んでいた、風鈴がちりりんりん、となった、りんご飴をかじった、祭りだった、つまり、祭りだった、警察は風鈴だった、夏祭りを巡回する警察はどこもかしこも風鈴だった。


警察が発砲する。それもまた、風鈴の音色。


私はしばし、迷路に迷い込んだ気分になるのだけれども、それは私が方向音痴だから、というわけではなくって、道の方が方向音痴で、ぐねぐねとぐねぐねと、じぐざくと、私の肌を行ったり来たりする横断歩道だったり、生えては引っこ抜かれ生えては引っこ抜かれる、雑草のように庭中に繁殖してとても困ってしまう信号機だったり、線路が私とかくれんぼをしたがったりしているから、だった。それはなんだか、横断歩道の白が蜘蛛の巣の糸になって、私ん体にベトベトにまとわりついた悪夢に似ていた。


私は恥ずかしさが追い風となって走っていた。どこまでもいつまでも恥ずかしさが私を追いかけて、私は追いかけられると走りたくなる性分だから、走っていた。車よりも早く。手裏剣よりも早く。私は、速く、より、早く、という時の方が好きだった。だから、とても、早かった。「ああ、恥ずかしい」と私はつぶやきながら、手足をぶんぶん振り回して、町で一番大きな道を南から北へ突っ走るのだった。それは大忙しだった。恥ずかしさ以外なにも、私を追いかけていないっていうのに。


「ねえ、Aちゃん、ねえ、Aちゃん、あなたの手のひらがとてもとても大きくなっていたわよ、きっと、この長雨でふやけたのね、なんとすごかったわ、一メートル半はあったわね、下手をしたら本体のあなたよりも成長していたわよ、全長が、そして、人差し指と中指とを器用に動かして、パリコレのモデル見たいにすたすたと、商店街を歩いていたわよ。あなたの手のひらが。あなたの手のひらが市内の商店街をスタスタと歩いていたわよ」友達のBが親切に教えてくれるために走ってやってきて、そしてそのまま教えてくれた。


私はそれを見たい、と思った。私は私の手のひらが私を離れて独自に進化して遂げていく様を見たい、と思った。でも、見れなかった。二十四時間瞼を閉じて外界を想像し続ける、という遊びに耽っていたからだ。私はきっと、このまま目が見えなくなるのかもしれない。そんな気持ちが心に満ちてくるところが、この遊びの醍醐味だった。


私の手のひらから私が溢れて、私の手のひらが私からどんどん離れてゆく。それはそれで良いことである。よくないことなど、よくないコオロギなどこの世の中にないだろう。きっと、そうだ。でも、もう私はつり革にぶら下がれない。ぶらんこにも乗れないよ。犬の散歩も厄介だ。でも、ちょっと工夫すれば、犬の散歩くらいならできる。雑巾掛けだって、できる。たすき掛けも。手のひらのないたすき掛けって、なんだかプラナリアの顔みたいに腑抜けた感じだけれど。だから、もう、いいじゃないか、と思う。諦めよう。


散歩犬が散歩していた。私は散歩犬がどこか人間のように見えていつも怖かった。焦りを感じた。夕暮れ影がどんどん伸びていくように、散歩犬がどんどん人間に見えてきて。散歩犬はこの街に三匹はいる。私は数えて調査したんだ。調べた結果わかったけれど、散歩犬は私のことが好きらしい。いつも尻尾を振って駆け寄ってくる。私はそれを怖いと思う、けれど、ごめんね、とも思う。私はいつか、怖くなくなりたい。


私は美しくないな、と思った。私は取り立てて、美しくないのである、美術品とは違うのである、と思った。私はそれ以来傘をさすことをやめた。傘をささないでいると、雨が降るたびに化粧が崩れるのである。な・だ・れ。それが、なんだか、私は美しくないな、の気分とうまく、合致するのであった。私は小学二年生であった。ランドセルの代わりに羆を一頭を背負っていた。いじめられないための予防線。


私は嘘つきだった。でも、誰も私を嘘つきだって気がつかないからこの街にはどんどんと嘘が増えて塗れていく。そういうわけだ。私の言葉をみんな本当のことと思ってこの街はどんどん私の心の中へ進んでいく。そういうわけだ。それはめでたいこと。めでたいことだと思うのだった。私にはそれが真善美と思えるのだった。そういうわけだ。私は明太子茶漬けご飯を食べる。


真善美とは、何か。志向すべきもの(真)、みんなが志向するもの(善)、私が志向するもの(美)、それら三種の志向するものが重なり合えばいいよね、というそういう話であると、今更ながら、私は理解するのであった。でも、重なるという必然性は、まだ見出されていないのであった。その辺は、わかんない、のであった。でも、私はその理解を、明日には忘れたいんだ。何もかも忘れて、ぼんやりと眠っているから、起こさないで。


「私は熊だぞー」と寝言でいうと、みんな震えて、私に近づかない。


「私はパンダだぞー」と寝言でいうと、目がさめると、私は動物園の檻の中にいる。その檻の中には、私と似た境遇の子たちが、たくさん集められて竹槍で遊んでいる。


全ての植物の影は怪獣の背中のようにぎざぎざしている(見てごらん、本当だから)、怪獣の背中に見える(見える。木目がお化けに見えるみたいに)。私は怪獣たちの繁茂する荒野(荒野を)を影人間として歩く(あ・る・く)。影のみで歩く(足音が消えている)。トボトボと歩く。トンボたちと歩く。とんぼ返りをする。先祖返りはしない。祖先には申し訳ない、と思う。不甲斐ない孫だから、申し訳ないと思う。私は影の中を歩く、なぜならば、特に理由はないんだ。


隕石を背負って、スカイダイビングをしているから、もうすぐ、わたしは、死んじゃう、ような、気が、している。


死ななかった。大地がトランポリンになったからだ。それはびよよよよよんだった。それは、「私はあなたに死んでほしくない」だった。私たちはどこまでも高く、飛び上がることができるほど地上は、柔らかかった。


その話をしていたら、そのトランポリンのように柔らかい地面こそ、地球のほっぺたなのだと、祖父は優しい声で私に教えてくれるのだった。そして、私は、祖父の、ふにゃらららな、柔らかい、ほっぺたに、くちづけをした。


私が炎を吐き散らす前に、私の口を塞いだ方がいいわよ、とママが言った。だから、私は斧を振り回したんだ。斧を、そしたら、母の唇がちぎれて飛びました。ママ今よ、炎を吐き散らすのよ、ママは今私が口を押さえるより早く母の唇をちりちりに焼き焦がしたのでした。


家族はいつも会話している。


私はバッターだから、彼はバターだから、私はキャッチャーだから、彼はキッチンだった、だからうまく行くのだと思う。名コンビ。なんていうか、バッテリー。私が野球を全力で楽しんだ後にしろ、彼が私たちにご馳走を披露してくれるのだ。それは腹ペコを楽しむということでもあるよ。


私はサードで、彼は砂糖。私はファーストなのだけれども、彼はファーストフードのように私に食べられるのだ。むしゃむしゃもぐもぐごっくんだ。私の犬歯が彼に食い込むのだ(痛い。虫歯より痛い。)。食い込むのだ(歪むのだ)。食い込むのだ(凹むのだ)。穴の空いた服のように、彼に穴が開くのだ。その蟻地獄の穴の中で私から逃げようとしている蟻のような彼なのだ。


わ・た・し・は・しょ・く・じ・ん・き。


巨大なトカゲがいて、そのトカゲの影に涼んでいたんだ、夏、去年の夏、牛、去年は牛年、夏、去年の夏、たくさんの蝉が死んだ夏、私たちの街には巨大なトカゲが山のように山みたいなトカゲが発生して、夏だけれども、涼しかったって、去年生まれたばかりの妹が今年の夏の暑さに驚いているものだから、私は言ってあげた。不思議なことは毎年は起こらない。つまり、去年はサンタクロースが来なかったってこと。


その日私は川に懐かれたのだった。その川は、りんごの皮というわけではなく、はごろも川と言った。川は私の後を追いかけてどこまでついてくるのだった。私は遊歩道を歩くのだった。それは風景なのであった、私が風景なのであった。私の後をささ舟が流れ追いつき追い越してしまうのであった。ただ、それだけなのであった。川は、やがて、とぐろを巻いて、私の周囲を湖にしてしまうのであった。けれど、それから土砂降りの土砂が降って、私たちは地下水と、なるのであった。


父はやがて、私に懐くのであった。それは猫の人間のような犬であった。だから、やはり、ヒゲが生えており、耳はぴくぴくと動き、私は闇雲に父の首に、私の尻尾を巻きつけるのであった。私には尻尾があった。毎日抜け替わった。リレーのバトンのようだった。すぽん、すぽん、すぽん。尻尾が所々芭蕉の葉っぱのように落っこちていた。猫は可愛いけれど、猫のしっぽだけが、黒々とあたりに散乱していると、踏んづけた時、ちょっと、躊躇うほど、怖いのであった。巨大な毛虫のようで。そんな私にはもう切り株に腰を下ろすことはできないのであった。父はやがて切り株のように切り取られる運命にあった。


私が注目していることをことごとく教えてくれるのは、手品師だった。手無しの私は手無し師であるけれども、そんなこと手品師は気にもしないで、私の感情を弄ぶのだった。手品師の爪がとてもとても長く伸びて私の目の前でその指がクラゲの尾っぽのように揺れ惑うのだった。手品師が私から始まる物語を作ってはくれなかったから、私はその場を黙って(黙祷していたわけじゃないけれど)離れて、河川敷まで少年野球を見に出かけるのだった。少年野球は手品ではなかった。


高速道路を走る虎を眺めて、私も、高速道路を走る虎にまたがりたい、と思った。黄色と黒が交互に視界を覆い尽くすほど、目の前の虎は、大きかった。目の前で父母を食べられる気分はいかがですか、虎のインタビュアーに尋ねられたことがある。その虎は、尻尾がマイクになっていて、私の父母を大きな口で飲み込むと同時に、その尻尾マイクを私に向けて尋ねるのでした。私は答える。「まるで山の中に一人ぼっちみたいだ」私は悲しいってことをその時知ったけれど。た・い・ふー。


だから、父母はもういない。稲刈りされた後の田んぼのように。いないのだけれども、私には、なんにもない、ってわけじゃなかった。


例えば、財産。


金銀財宝珊瑚礁。


骨董品。


例えば、私は、父母の残した一軒家の庭先に、弟のなる木を植え育てていた。だから、年に一度は弟が実り、そして熟れ、鳥に啄まれ、種だけが残るのだった。だから、家族には事欠かない。妹が流れている川も近所にあって、日に一度は必ず妹が川上から流れてきて、私に手を振って、川下へと流れ下っていくのだった。だから、父母の死など、私にとって些細なことだった。父母は今頃天国でラーメンを食べていることだろう。


ラーメンを川に流した。川はラーメンの味を覚えてしまった。それ以来、私の近所のラーメン屋さんは、川に懐かれてしまって、店内はいつも川。


魚たちは川のいなくなった川を泳いでいる、つまり、ただの乾いた窪みに泳いでいる。こんな風にして動物は空を飛ぶことを覚えたのだろう。私はその様を画用紙に描いて美術の課題として提出する。美術の先生は、か・み・ひ・こ・う・き。


王様に羽が生えてしまってはダメだろう、けれど、私たちの国の王様には、羽が生えてしまった、鶏じゃない、コンドルのような羽。そして自由に飛びまわれるようになった。王様の肖像画が刻印されているコインも紙幣も、同様に翼が生えて、飛び回ってしまって、私たちは、もう、ろくに買い物さえできない。きらきらひかるコインを追いかけて捕まえようとする、空一面の鴉たち。


でも、考えてみれば、私たちの街は、もう、買い物どころ、じゃ、ないのだった(父母も死んだし)。でも、楽しくないわけじゃないし、寂しいだけでもない。


野蛮なサバンナを私は歩いているのだけれども、だって、私は私の街を脱皮しちゃったもの、けれど、私は虎じゃないんだ。虎になりたかったな。虎に生まれたならば、生まれてすぐに、妊婦さんも産婦人科医も食べちゃったのにな、私は人間の格好をして、サバンナにいる。


「私の足を大根おろしにして食べてください」と妹が言うんだ、妹の足は白くて寸胴。僕はちょっとびっくりしてしまった。「でも、君はそんなに太ってはいないよ」「いい鯖を焼いたんです」「そっか」私はそこまでのセリフを漫画本の中から拾い上げて、しばし己の足を見下ろしていた。


私は、とても、真面目なんだ。お面の真ん中に目のある化け物。


もう何も残らないほど、私は、街を爆発して回った。町の人々がポップコーンのように空中へ弾ける様は、楽しげで私の心はそれでもあんまり晴れないのだった。もっともっと爆発させて。もう一度ねえもう一度。って、高い高いをせがむ子供のようにみんな童心に返っているんだ。私は、なんども何度か十回くらいかな、街を、ぼんぼんぼんとビルが数棟倒壊するくらい、爆発させたそれは疲れる重労働、でもやりがいが少しだけある。ほんの少しだけ、でも、疲れたな、お腹すいたよ。家に帰って早く帰って眠りたい。私はとても疲れてしまう。


私の頭からちょうど耳の上のあたりから手が、耳の下あたりから足が生えてきて、それでいきなり四股を踏み始めたんだ。ああ、私はこれで、顔面だけの相撲取り。私の気も知らないで(なにこれ、なにこれ、なにこれ、って私の気も知らないで)。そして私の手足の生えた頭はそのまんま相撲部屋に入門して土俵に上がって、順々に勝ち進んでいくんだけれども、私の気持ちにもなってほしい(な・に・こ・れ)。ちゃんこ鍋は、美味しかった。


私が煙になったばっかりに、家が火事になった。私は本当は綿雲になるはずだったんだ。でも、私はただの煙だった。そして、私の影が追いかけるように炎になった。だから、これから少しずつ世界が燃えていくんだ。だから、燃えた。私は煙となって燃えていく燃え尽きていく世界を見下ろした。


夜空を眺めていると、月の隣に鼻が浮かんでいる。月と同じ大きさに見えるから、だから、相当に大きな鼻なのだろう(こんなに高い鼻は、きっと、異人さんの鼻だろう。)。私たちは嗅がれている。私たちの排出する様々な毒ガスが、巨大な鼻に、嗅がれている。何か巨大な何かにくんくんと匂いを嗅がれている。私は香水を新調したくなった。


花束一面に植わっている。生花が一面に植わっている。私はそんな花束畑をのんびりと、午後、歩く。歩きながら、不自然さをぼんやりと感じる。風が気持ち良いな、と思う。私は一瞬にして凧となり、舞い上がる。空には湿疹のように、無数の月が浮かんでいる。夜なのだ。


マウスピースがわりに空に噛み付いているから、どんなに殴られても、どんなに隕石が私の頬やまぶたにぶつかっても痛くない(私の瞼は雨戸だった)、私は壊れない(私は、壊れない)。けれど、この試合が終わったら、空にくっきりと私の歯型がついてしまうのだろうと思うと少し悲しい。悲しい環境破壊。虹よりも汚い私の、よだれまみれの歯型。でも、まあ、いいじゃん。勝てばいいじゃん。勝つんだからいつだって私。私は両腕をブンブンと振り回して、火星を火星を火星の空をマウスピースがわりに噛んでいる火星人をリング際に追い込む。ぱんち。ぱんち。ぱぱぱんち。火星を火星を火星人に猛烈に殴りかかる私は、まだ、十代、高校生だった。でも、闘う。


空全体を噛みしめていると、完全体になった気もする。


とは言え、条件は、対戦相手とイーブンなのだけれども。


私の握りしめた卵から折り鶴が生まれたけれど、私はこれを焼き鳥にして食べてもいいのだろうか。誰も答えをくれないのはとても困るよ。私は握り寿司を握ることにした。握り寿司の卵からも、寄生虫のようにわらわらと小さな折り鶴が這い出してくるんだけれど。どうしよう。


卵じゃなくて、ハマチを食べよう。


空から私が降ってくるけれど、それは雷だ、と思った。無数の雷が。


だから私は一人じゃない。


私は、三人、だ。


と、神様は言った。


三位一体の神さまは、いつも、電車の座席を三人分くらい、横着に、占領するんだ。


コーヒー雨だった。コーヒーカップの中で、局所的に、豪雨ってわけで、スコール、雨が、コーヒーカップ中に、直径十センチにも満たない範囲で、局所的な雨が、雨が、地球温暖化のせい、その雨は、熱々のコーヒーで、黒い雨、黒い雨がコーヒーカップの中に降り注いで、黒い雨が、コーヒーカップをなみなみいっぱいにして、だから、私はその黒い雨をずぞぞぞと啜るのだった。暑いよ猫舌。猫の死体。


その日は何にもなかったけれど、私の手のひらが、星を捕まえたって聞いた。私は嬉しくも悲しくもない。


青い子供だから青子だと名付けられた。でも、もし、私の体が半分空だったり、半分空っぽだったりしたら(キカイダーみたいに)、青空子と名付けられただろうに、私は残念に思う、空を飲み込めたら何かが変わるだろうか。喉の腫れとか治るだろうか。


医者に滝を処方された。私は、毎朝二つ、滝を飲み込む。目が、すごく、醒める。


光る夜が私の心です。光る夜が私の心なのに。だれも、その光を縄ひものように手繰り寄せない。私は夜道心を突き出して、夜道を歩く人の街灯になろうとしていたけれど、もう、やめにした。私の心はクリオネみたいに私の胸郭の内側で光っているしかないようだった。夜、光る、私。


私が草原に寝転んでいると、気がつくと、私自身の影が、私の肉体に這い上って、毛布の代わりになっていた。私の風邪が私が影ひかないように、じゃなくて、私の影が私が風邪ひかないように気を遣ってくれていた、というわけだ。というわけだった。私は狸寝入りが好きだからいつまでも眠っていたかった。その草原には私たちのほか誰もいなかったから、私たちの奇妙な姿に誰かが驚くこともなかった。だから、それは、とても、静かな、雲の流れのように静かな、時間だった。太陽と雲のように、私と影はいい関係だった。


私は願っていた。でも、その願いは、郵便ポストにさえ、聞き入れられないようだった。それでもいいか、と思った。私はたくさんのことを願っていた。手のひらがないと、祈りを捧げることさえ苦労するけれど、でも、願いは私の心から私の心へとつながっていくのだった。心の中で心の中へトンネルを掘るのだった。そのトンネルが貫通すると、ぱあ、と一瞬間だけ、風景が、変わるのだった。わかるのだ。それは、一人芝居の願いだった。


私の願いの中で世界が回っていく。世界が私の願いに飲み込まれていく。それは銀色の胃袋だった。私は私の願いの中で世界が溶けていくのを見る。見る、みるみる溶けていく。高い塔だって、蝋燭のように、燃えてもいないのに、根元から、蕩けていくんだ。人間以外のありとあらゆるものが溶けていく。そう、私だって。私の金属部が、金切り声をあげる。


私は世界を飲み込みたいと思う。の・み・こ・み・鯛、と思う。大きな口を開けて飲み込もうとする、鯨のように。雲がすっぽり私の口をふさぐ、あんぱんのように。私は綿雲を一つ吞み込めるる程度のことしかできない。私は私の喉で大きな雨が降る。降った後で気がつくのだけれども、私は急速に人間から水へ変化していく。綿雲一分の降水量が私の浸透圧をめちゃくちゃにするんだ。それはそれでいい気分で、このまま死んじゃうかも知れないけれど、いい気分だった。私は死にたくないから、夢から目覚めた。目覚めたら、ただの私の部屋だった。


一方で、私を飲み込む私じゃない存在もいた。その存在は私ではないわけだから、私にはそれがなんであるかわからないから、私じゃない存在なんて言う馬鹿っぽい曖昧な指示しかできないのであった。そいつは、ソイツにして其奴は、私を私に無断で飲み込もうとした。私は、そんなちっぽけな存在に、だって、私は巨大なのだ、飲み込まれはしなかったけれど、そいつは、ソイツは、其奴は、私を執拗に飲み込もうとしたんだ、私はあと一歩遅ければ、オブラートに包まれていた。私はそいつを殺すこともできたけれど、私の手には鈍重なトロフィーが握られていたわけだし、けれど、私の手足に絡みつくそいつを殺したりはしないのだった。だって、殺したくなかったから。


私は苦しんでいるわけじゃなかった。く・る・し・い、じゃなかった。でも、私はアイスクリームじゃなかった。私は是が非でもアイスクリームで胃袋を満たしたくなった。甘味で感性を鈍らせたかった。この世の中が回転寿司屋のレーンを回る皿のように感じた。私の世界はレーンの上をくるくる回っている気がした。く・る・く・る、だった。私はアイスを食べなくては、と思った。全てが崩れていく気がした。崩れるって、月が真っ二つに避けるって感じ。ミカヅキモの分裂生殖って感じ。私は私の武器を強化しなければならなかった。今日か明日かにでも強化しなければ明後日にでも戦死しそうだった。自ずから自らを貫く武器が必要なんだ。案山子みたいに。


やっぱり苦しいのかも知れない、と私は思うけれど、それを口にするには、周囲は暗闇すぎるのだった。


「口にするな」


「⬜︎にするな」


「■にするな」


「目の前の誰かの幸せなんて、目の前で生きている生き物の命なんて、どうだっていい(よ)」と言う態度で、巨人が歩いているのだった。私はその巨人にタップダンスを教えようと思ったけれど、巨人の歩く地響きで、私の身振り手振りはブラウン管の中のように霞むのだった。頭の中の脳みそのシワと、眉間のシワが一筆書きで繋がるくらい、私は頭が割れそうなくらい、寝ぼけていた。寝ボケると私の手足がちぎれると思われるほど肉体が緊張した。そう、痛い。新しい世界が明日には開くだろうけれど、今は何にも見えなくって、ジッパーを下ろすように、太陽が下っていく。何にも見えないことが却って、私は安堵させるのだった。私はぽっかりと空いた穴のような気分で味噌汁の面を眺めていた。味噌汁の面は夜空に似ていた。


彼女の瞳をじっと眺めると、その瞳中央の黒目は、海月だった。白目の中をぼわんぼわんと泳ぐ、小さな、可愛い、ゼリーフィッシュだった。


崩壊していないの私だけじゃないか、と思った。そうだったんだ、と思った。やっとわかった、ってわかった。エレベーター人間な私。


「偽物から逃れることはできないよ」って妹が私に教えてくれる。妹は優しくない。なぜって、私の思っていたことをそのままに口にしてしまうからだ。「この世の中は、娯楽で満ちているね。娯楽以外なんにもないね」なんてことまで妹は呟いて、ぺんぺん草のお尻をぺんぺんと叩いて三味線のような音を奏でていた。そうだ、ぺんぺん草のお尻を叩くと三味線のように古風なのだ。私もそれを真似しようとしたけれど、私の半身は言葉の外にあったから、妹のようにそれができなかった。私は残念じゃなかった。別に。妹には妹の生き方があって、それを眺めているのは、素敵なことだから。


母が、マッハ、で、はっはっは、だった。私はその観客だった。他の観客は全て観音菩薩だった。私の調子が崩れていくのがわかった。何を呑気なことをしているのだ。私は私じゃなかったのか。これはドラマだ、と思った。この世界が端(鼻)からおかしいのに(すごい臭い)(世界が、焦げている!/腐っている!)、そうだ、世界には花がないんだ(香りが、薫りが、かおりが)、どうして、私だけこんな気持ちでいるんだろう。私の気持ちを歌ってくれたら良いのに、と思った。コスモスの花とかが、散り際に、私の気持ちを歌ってくれたら良いのに、と思った。


街路樹の影、かげ、植えられた花壇が、かだんが、花びらが散ったと言うだけで、掘り返されて消えていくのが、私には、なんだかしようもなかった。誰のせいなのだろうと思った。軍手をはめた人間。一面の花が、散り際に、私の気持ちを、アコースティックギター片手に、歌ってくれていて、観客は、無数の泡となった私だった。それは、にやにやしてしまう、楽しい世界なのだった。お酒の味とは、どんどんどんどん散っていく花の味なのだ。花はいつも酔っ払っているから、あんな顔をしている。


鏡の前で、分身の術ができた、できた、「できたぞお」と喜ぶ、忍者の卵にして、初めて鏡を見た少年。私という一人称視点において、私は常々分身分裂している。


憂鬱に俯いていると、月が私の家を占領していた。月という漢字は脚立に似ている、梯子にも似ている。月は、はしご、だった。私は、我が家に不時着した月を縄梯子のようによじ登って、でも、私は手のひらが相変わらずないんだけれどな、よじ登って、天上へと到達した。


日という漢字は、テニスコートのようだ。


それから、私はフンコロガシのように月をゴロゴロと転がしては、高層ビルなどで火事しているのを見かけると、月を梯子に見立てて、消防のはしご車に見立てて、避難の遅れた人々を救出する仕事に従事して、けれど、多くの人々が、ゴロゴロと転がる月に踏み潰されて、しまうのだった。ぐちゃぐちゃぐちゃ。踏み潰された人々は、紙人間となった。紙人間はよく燃えるから、街は、以前よりましてよく燃えた。私は忙しく人々を救助するのだった。


助けられた人々の叫び声が赤子のようで可愛かった。私は可愛い食器を洗うように、彼らの涙を食器洗い用のスポンジで拭った。彼らはたちまち泡立つのだった。立った泡が座るのだった。彼らは洗剤なのだった。助けられた人々は洗剤だったから、スポンジでこすると、泡になって、四方八方に飛び立って、私は「助けてよかったな」って思って。思った。思った。


私は私が明るく温かくなるのを知った。でもそれは私だけが知っていることだった。尻尾のようなものだった。のどちんこって尻尾なんだ。だから、カンガルーみたいにうまくバランスをとって二足歩行ができるんだ。私には尻尾が生えているから、私は獣なんだ。それは私と私ののどちんこを見たことのある人だけの秘密だった。私ののどちんこは尻尾だから、狐の尻尾のようにふさふさの毛で覆われているんだ。嬉しい時はぶんぶん振り回すんだ。そして、悲しい時は毛が抜けるんだ。ビーバーの作るダムのように、私の喉が私の尻尾の脱毛で塞がれて、それが嗚咽ということだった。


どうか、十日で、世界を変えてください、神様。


どうか、九歳の私を、救済してください、神様。


か・み・さ・ま。


い・か・さ・ま。


私の願いが聞き入れられたようで、神様が「面倒臭いな」と返事をしつつも、ぼりぼりと、お尻の穴をかきつつも、のっそりと立ち上がって、「仕方ないな」と言って、私にはよくわからないけれど、世界が、変わった。九歳だった私も、救済されて、気がつけば十歳だ。実際、私にとって大切なものが、天から、降ってきたんだ。それは雨だった。


私は濡れるのが好き。傘は重たいから好きじゃない。私が濡れるとどんどん濡れると、私の、それまで、無感覚だった皮膚感覚が蘇ってくる。その皮膚が、まるで余った皮膚で折り鶴を折ったかのように、漣だって、私(に)は感覚されている。


私はリモコンの消灯スイッチを消した。すると、川一面で輝いていた蛍の灯りがぱたりと消えた。このままでは性行為をつつがなく行えない蛍たちは仕方なく「こっちこっち」「ちんこちんこ」「こっちこっち」「こっちにちんこ」などと話し始めつづがなく生殖を続けるのだった。


私はリモコンのボリュウムボタンを押した。すると、セミが、蛍と同様、いや、蛍とは少し違ってて、手話でしゅわしゅわと話し始めるのだった。私はそれを美しいなって思った。どこが美しいのかは、私も知らない。けれど。私は、ホタルの音量ボリュウムを極限曲げ下げて、美しいセミを眺めた。それは、綺麗なものだった。


謝りと、雨宿りは、似ていると思った。豪雨に打たれ、雷に撃たれそうになって、軒先に駆け込む人はどこか謝っているようだし、私は傘をさしている時、誰かに謝罪している気分になった。謝罪はそんなに気持ちの塞ぎ込むものではなかった。私は時には雨に濡れたいと思った。だから、ごめんね、と謝りながら、雨宿り先の軒先から、半身をのぞかせるのだった。雨に濡れて灰色に変色するコンクリートのように私の肌も灰色に濡れるのだった。いつだったか、黒い雨をコーヒーカップ一杯分飲み干したことを、そんな風にして、あえてずぶ濡れになっている今夜に、思い出すのだった。


私の手のひらが、夜空を飛び交い、今日も誰かの夜間手当となっているころ、私は深夜だっていうのに、自動販売機とおしゃべりしたくなって、夜道へ、私はもう大人だ、夜道を歩く小学生は、大人なんだ、背も、たんと伸びる、そういう気がしている。あの頃は、私の幼き頃は、あんなに怖かった暗闇が、私の手のひらが今も夜空を飛び交っているっていうただそれだけの憶測で、不安が、掻き消えてしまう。


自動販売機は、本当はおしゃべりなくせして、私が一本も缶ジュースを購入しないことにはぶてたのか、ただ、ぶーん、ぶーん、と唸るのみだった。私は、あのさ、昨日さ、誕生日でね、などと、何を話せばいいのかわからぬからぬらぬら、己のことなどとうとうと語るのだった。自動販売機は、どっこいしょ、と私の隣で体育座りをした。


「俺は誰かの幸せのために作られた生き物なんだ」と自動販売機は、まるで全身がタバコのように、くしゅくしゅと身を屈めながら言った。私はシケモクを吸うように、そんな彼にの体に唇を近寄せた。「お前は、誰のために作られた生き物なんだ」「私は誰のためにも作られていないようです」「そんな無意味なことがあってもいいのか」「あってしまったようです」「そうか」と自動販売機は、彼自身の価値観を疑うように呟いた。「俺はもう、こんな生活嫌なんだ」私たち二人は旅に出ることになった。


自動販売機はのそりのそりと歩いた。旅先では、私たちのコンビを面白がってくれた人たちが、自動販売機に賽銭のようにお金を投入してくれた。私は持ち前の藝で金を稼いだ。ほとんどの人が、私たちに好意的だった。私たちは路銭を稼ぎながら、どんどんどんどん人の群れからはぐれていった。


コンビニの店内にのそりのそりと自動販売機が侵入した時、店員たちはまるで、東京湾にゴジラが現れたかのように、恐慌をきたした。人を驚かせることはよいことだ、とその時私は思った。だから、私は、ぱん、ぱん、ぱん、と拳銃を発射し続けた。手のひらもないくせに拳銃だなんて、まるで狙いの定まらない、照明が割れる様をじっと見つめていると綺麗だった。


警察官に捕まってしまったけれど、その警察官は私のことチューイングガムだと思ってくちゃくちゃと私を噛み始めたけれど、私は期待に応えようと、体をできうる限り柔らかくして、警察官の吐き出す息に従って膨らんだ。私はダイエットをしなければ、そのうち、と思った。


期待されている、と思った。期待されると、気体になって、あるいは機体になって、浮かび上がって、辺りを見回してしまうのだった。私は劇団員だった。小学校の劇団員だった。私は期待されているから、空気になって、四方八方へ飛び散った。期待されると全身が空気になってしまうのは私だけじゃないと見えて、はるか上空に飛び散った私だったけれど、そこには、照れて頬を赤らめた空気子供達が、散在していた。赤い太陽というのは、照れて頬を赤らめた私たちの集積体だった。けれど、私たちは積乱雲に巻き込まれ、互いに混ざり合い、恥ずかしさのあまりうきゃあ、と叫ぶと、それは雷の音のように轟いて、私たちは。離れ離れ。


その雲は、実は、巨大なタンポポの、綿毛の、集合体で、強く風が、吹くと、空一面に、飛び散るの、だった。私はその頃、そのタンポポの、綿毛の、集合体の、一員で、私も、真っ白な、髪の毛を、静電気で、ぶわぶわと膨らませながら、空を飛ぶのだった。私はもう、随分と歳をとって。白いお髭に白い髪、手足は萎えて、行動の手段といえば、このように、髪の毛に、風を、孕ませて、天高く、風まかせに、飛び流離うことでしかなかった。


喜びあまって横飛びしている。


私がタンポポ化し、空を舞っていると、周囲に期待され、照れて気体になった頬を赤らめた空気子供達が舞い上がってきて、白い髪の毛をぼわぼわと膨らませた私を面白そうにつつくのだった。


私はまとガラスを割った。だって、その窓は的だったから、仕方ないんだ。私の野球球はそれを突き破って、屋内へ闖入した。私は褒められて、同時に、叱られた。


その栗鼠は、ちょっとしたストレスで、野人に襲われたとかそんなストレスで、どんぐりと鹿の糞の区別がつかなくなっていた。糞を口いっぱいに頬張っていた。私は散歩中、彼女に出会った。だから、私はその彼女を保護した。私は毎日、彼女に、鹿の糞ではなく、ドングリを選り分けて与える。でも、彼女は、私の指を毎日のように噛む。私は自分の行いが間違っているような気がしてしまう。


気がつけば、栗鼠は私の指を頬張っていた。まるで手榴弾のように、小さな栗鼠が、私の指を頬張っていた。それは、私に、まだ手のひらがあった頃の話。私はそんなに指が食いたいなら、と言うことで、庭に、指を植えた。庭に指の木が芽生えてきた。指の木に指指指指が実った。私はそれらをかき集め、栗鼠に与えた。私は栗鼠が好きだった。「恋人になっておくれよ」と栗鼠に言った。


雨が降っていた。雨が止んだ。止んだと思ったら違った。私のちょうど上空に、パラシュートで降下する人が一人いた。いや、二人、三人、四人と続々と増えていった。風をはらみ膨らんだパラシュートが私から雨滴を取り除いてくれるのだった。よく見れば、だ。落下する雨滴が、上空数百メートル地点で、ぱっと、パラシュートを背負って降下する人間に変化しているのだった。降下。硬化。効果。校歌。「なにそれ」と私は思った。「傘もささずに歩いていたら風邪ひくじゃないよ」と彼らは声を揃えて教えてくれた。


「風邪を引きたい気分なのです」


庭に、私の庭の中心に、小さな信号機が芽生えた。タケノコのようにひょっこり顔をのぞかせたのだった。私は、子グマにでも出会ったかのように喜んだ。私は山奥に暮らしており、田舎に暮らしており、信号機なんて日常的に見ることがないのだ。小さな信号機は少しずつ育った。赤目玉、黄色目玉、青目玉、と順々に目玉を増やした。紫目玉、灰色目玉なんてのもあった。紫は、まわれ、灰色は、ぴょんぴょんとびはねろ。未だ幼い私は、そんな気分屋の信号機のいいなりになるのが、楽しいのだった。


雨の日の散歩は楽しいです。だって、私以外ほとんどだあれも、出歩いていないのですから。私は明るい闇夜を歩くような気分で、昼間の雨を楽しみます。


雨が降る日は、ピアノ人間になりたい、と思います。全身の神経全てがピアノの鍵盤に繋がれた弦なのです。ピアノが私の蜘蛛の巣になるのです。私はピアノの箱人間です。そして、その弦に雨滴が着弾すると、ぴん、ぽん、ぱぱん、ぽん、と澄んだ音色が奏でられrのです。私は、白黒のゼブラ柄になってもいいですから、はやく、ピアノ人間になりたかった。


私は私の表情を捨てたい。顔っていらんでしょ。朝顔なんか枯れてしまえばいい。表情ではなく、色彩を顔面に貼り付けたい。その方が、死ぬ時綺麗だろう、と思う。信号機みたいなケロベロスでいいよ。自動車に轢かれるとして、私は、表情ではなく、真顔ではなく、色をぶちまけたい。私は自動車に轢かれる時、液体になりたい、絵の具になりたい、水彩絵の具になりたい。なりたい。色になりたい。なりたい。死体にはなりたくない。


神様の足跡の周りで遊んでいると、神様の足跡はとても大きかったけれど、それはまさに、まさにって感じで、神様の水虫が私の両足に乗り移ってしまった。とても・とても・とても足が痒く地団駄を踏んでいると、足がどんどん早くなって、湖の上を、ひょいひょいと歩けるようになった。神様というのは、私たちにとってそんな存在だった。


神様を拝む時、オーガニズムに達するのだった。


たぬきに化け方を教えてもらい、人間大のハムスターになって私は街を練り歩いた。「ハムスターだぞー」みんなが私をかわいい、と言った。二足歩行をするボンレスハムみたいでかわいいって言った。私はただそれだけで嬉しかった。嬉しいな。私はたぬきのことがとても好きだった。


私は、大人には、なれない。


背中がかゆい。背中がゆかい。でも、私にはもう手のひらがないから背中を掻くことができない。私の手のひらが私の背中でタップダンスを踊ってくれることはもうない。でも、大丈夫だった。背中のちょうど痒みを覚えるその地点からめりめりと指が二、三本生えてきて、ぽりぽりと、自らの生え際を掻きむしってくれたから。痒みの収まった後、私は、ただ、安全カミソリでその背中の指をそぎ落として、栗鼠にやれば、それでよかった。


でも、私は、子供にも、なれない。


私の子供は、私の生まれたばかりの赤ちゃんは、私を哺乳瓶の中にぎゅうぎゅうと詰め込むと、私を哺乳瓶越しちゅうちゅうと吸う。私は酷く憂鬱な気分で、もう二度と、哺乳瓶の外側へ行きたくない。と・思・う。と・あ・ぺ・い・ろ・ん。私から漏れ出る乳を我が子が吸う。それはそれで良いことなのだ。私はあ(り)ふれすぎた、余(命)分な乳の中、ぷかぷかと浮かぶ。すごく、乳は、臭い、けれど。


私は落ち葉になりたかった。落ち葉になって、ただ黙って、世界を眺めていたかった。私は落ち葉に私の眼球を縫い付けて、眼球以外の肉体はその辺にうちやって、その辺の道端に置き去りにして、警備員さんこちらです、この世界を、今とは違う、警備員さんこちらです、落ち葉の視点で、眺めていたかった。でもよくよく考えてみれば、私は、落ち葉以外にも様々なものに己の眼球を縫い付けてみたかった。カモメの足とか鯉のぼりの尻尾とか。私はとぼとぼと歩いて、きょろきょろと辺りを見回すしかなかった。警備員さんこんにちは。


私は、落ち葉に、なった。枯れてしまった。


ある現実の世界が私の前に広がっていた。ゲームプレイング。その世界では、私が様々な何者かになることによって世界が回っているのだった。私は泡になったり、落ち葉に縫い付けられた眼球になったり、ハムスターになったりした。その度ごとに、世界は私に大げさに驚き、世界はちまちまと回転を始めるのだった。私は胡桃のように部屋の隅で丸まっていることにした。気がつくと私は下半身がダニになっていた。


早く私も苔が生えてこないかなって思う。髭の代わりに髪の毛の代わりに苔が生えてきたら、かわいいのになって思う。たぶん、じっとしていればいいのだと思う。苔むす石くらいじっとその場に佇んでいたら、きっと、影くらいじりじりと、何年もじっとしていれば私にも、きっと、苔が生えるだろう。


でも、どんなにじっとしていても、私の影は日の傾きに影響されじわじわと動くのだ。影の質量が増大して、肉の私が傾いてしまう。私が、倒れて這いつくばって、私はこの場で苔むしていたいのだけれども、だって、苔は可愛いから、私を引きずって影が、家路を急ぐのである。


影よ歩くな、と私は命じた。


人間の赤ん坊の頭をした赤とんぼが群れている。「可愛くないな」って私は憮然と呟く。けれど、懐かれたからには仕方がない。遊んでやる。翼が生えて飛べる子供達、私だってそんな豊かな才能が欲しかった。私は、赤ん坊の顔をした赤とんぼに懐かれながら、トボトボと夕日で伸びきった様々な影を跨ぐようにして歩く。ひとりぼっちにも、もう随分となれた。


「報われなくてもいいから、救われてください」郵便ポストが初めて口にした言葉がそれだった。郵便ポストが赤いのは彼がまだ赤子だからだ。やがて肌色になるだろう。私は、うん、って頷くしかない、けれど。郵便ポストの赤が、青空に滲み出すんだ。


私の手袋が寒そうにしている。早く手のひらに帰ってきてほしいんだ。寒そうな手袋を暖めてあげようと、私は、手袋を燃やす。ありったけの手袋を燃やす。もう、いらないもん。


鰯雲を、焼き殺そうと、だってお腹が減ったのだから、食べたいから、私は、火を吐きます。げぇげぇおえええって火を吐きます。生のまま食っては、腹を下すからです、それに、美味しくないです。


私は救われる。私がパンツを履けるように、私は、救われる。私は道端の地蔵菩薩に、彼がおねしょをしてもいいように、紙パンツを履かせる。それは簡単なこと。


私の絞り出すような叫び声が、すべて、タバコの煙と、わた雲と、わたしの雲と、わたあめと、わたしの雨と、蝶々になる。気持ちが、いいな、って思う。手足をバタバタさせるだけで、どこかどこかへ進める水の中は、心地が良いな、と思う。私は、クラゲである。苦・楽・偈。クラゲ活動である。カニの横歩きにはない自由である。99%水だけれども、それはそれで良い気がした。良い気がした。良い気がした。私の鼻の穴や耳の穴や汗の穴や目の穴までが、歌い始めた。


テレビをつけるとね。それは、私にはよくわからないけれども、何か格式ありそうな、立派な、丁寧な、荘厳な、くらっしく音楽の祭典の映像で、舞台の中央で、私の手のひらが、たぶん、私の手のひらが、グランドピアノの鍵盤の上を飛び跳ねるようにして、幸せそうな音色を立てていた。立てていた。立てていた。奏でていた。それは波のように、大洪水になって、テレビの画面のこちら側まで押し寄せてきて、私は、困った。私は、少し困った。困ったけれど良いことにした。私にはもう、手のひらはないけれど、こういう風に音色に酔えるのは良いことだと思った。


私の足が、その川を越えようとする。すると、その川は、より合わさり、一本の糸となり、綱となり、私は気がつけば、一人で、随分と高い場所で、視点で、綱渡りをしている、それはそれで楽しい。川を素足で渡り歩きたかっただけなのに、私は、随分とアンバランスなことになっている。でも、落ちなければいいや、と思う。


背後霊と廃校の幽霊を戦わせたら、廃校の幽霊が強かった。それは夏休みの自由(研究)だった。


彼は枯葉よ、と枯葉が言った、彼は枯葉の隣で黙って俯いていた。私は彼と枯葉をごちゃ混ぜにして、焼き芋を焼くの燃料にして、焼き芋を食べた。焼き芋の湯気の中で、彼が浮かんでいた。


ハダカデバネズミは、私です。そして、ネクタイを締めています。


ハダカネクタイデバネズミです。


ねえ、サルを舐めたらしょっぱいよ。サルの真っ赤なお尻は梅干なんだから。


誰かが死んでいる間、笑う。


間奏曲。笑う。


「花の上だけを選んで歩けば、すぐに秋になるよ」と私の妹のとっておきに春の過ごし方です。夏さえ通り過ぎてしまうのだった。


ハーモニカのように。


放火後は、クラゲ活動。クラブ活動が、カニになってみんなで横歩きを楽しむ活動なら、クラゲ活動は、クラゲになってみんなで海中で縦泳ぎをゆらゆら楽しむ活動。夏。夏だった。夏。夏だった。だった夏。赤。赤だった。赤。赤だった。赤。夕日がまだ十分に明るかった。波、波、波、波が徐々に砂浜に食い込んでいる。私は、ぼんやりと、放課後、実はそもそも学校なんて通ってさえいないのだけれども、なぜって、私は、あまりに無責任だから、無責任すぎると、中学校さえ通い切ることは困難なのだ、だけど、私は、放課後とされるのんびりとした時間帯、靭帯を、浜辺をぼんやりと歩くのだった、靭帯を切りました、人体をキリキリしました。言うまでもなく、夕方まで間も無く、けど、夕暮れではなく、私は一人ぼっちで、クラゲになる見込みは、これっぽっちもなかった。でも、よくよく考えたら、くよくよくよ、ぴよぴよぴよ、そこまで真剣に、クラゲになりたいわけでもなかった。ただ、クラゲみたいに漂ったり、クラゲみたいに分裂したいだけだった。


私のしたいこと。漂うこと。分裂すること。


私は、私の街をぬりえの真っ白な輪郭線だけの絵に見立てて、私の好き勝手に彩色したいのだった。それは、これまで、積年、この街を築き上げてきた人々に対してとても失礼なことのように思うのだけれども、でも、そんな人々とっくの昔に死んじゃってるし、私にはこの街が一個の無印商品のように思えてて、とても、別に無印商品が悪いってわけじゃないけれど、無味乾燥で、退屈で、私の退屈に期待で以って応えてくれないそういうところが、私はあまり好きになれなかった。街って平凡。私は破壊活動に着手したいわけじゃなかった。そうじゃなくって、破壊活動も、誰も傷つかないなら楽しそうだけれども、そうじゃなくって、灰色ののものを私なりの色で彩りたいだけだった。私には、漂って、分裂して、色を塗りたい、って欲望があった。そういう思いは胸にぎゅっと握りこぶしみたいに閉じ込めておくのが一番だろうか。花が開く。扉が、閉じる。


私の足跡が、私の手のひらの上を、トコトコと(ここではトボトボじゃない)、歩き回っている。


雲、雲、私の愛している雲、私の愛している雲が、雨を降らしている。


耳、耳の穴から私が逃げ出す。ヤドカリのように逃げ出す。全身裸足になって逃げ出す。私はヤドカリでしたか。


彼女、彼女の手のひらは、花びらです。私の手のひらは、手のひらです。ねえ。


死、死ぬときは赦そうと思っている。私が死に至った遠因のだいたい全てを。


ティッシュ、ティッシュが私の鼻を噛んだ。痛いよ。


さようなら。

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