私の風景

@DojoKota

全話

「痴漢からの帰り道。ふっと、気がつくと、ちんちんがライトセイバーに成っていたんだ。社会の窓から、だらしなくしなだれかかってたはずのそれが、さ。まるで、魔法にかかったみたいに。ぶらーん、ではなく、ぶーん、と唸り、ピカピカしていた。夜道を照らしていた。星空よりまばゆかった。電灯のまばらな痴漢街道、正直、助かったよ。刀身二メートル。薄ピンク色のほがらかな発光。根元の部分を握りしめて、振り回すと、切れる、切れる。電信柱を二、三本溶断しちまったよ。溶断っていうのかな。痴漢街道に沿って奔る電車道。深夜だからまばらな列車。乗客たちの驚く顔が見たくて、しばらく、剣舞していたよ」クラス委員の山本くんが訥々と語った。

 それからしばらく、喧々諤々議論紛糾甲論乙駁あって、文化祭の出し物は、男どもによるライトセイバー踊りに決まった。

 私たちは、その頃、一介の高校生に過ぎなかった。


 私は、花孒という。たぶん、主人公なのだと思う。この世界の中心は、私だ、と思う。昨日も、夢の中で、世界を征服し、人類種を滅ぼした。知能指数は五億。身長は百六十センチ。

 私には、左腕がない。生まれた時には、花子だった。けど、ひょんなことから、左腕が失くなって、花孒になった。別に、花孑でもよかったんだけど。花孑だと、ただ字の歪んだ人にしか思われない可能性が高くて嫌だった。識別可能性を考慮して、私は、花孑ではなく、花孒になった。

 私には、友達もいるし、先生もいる、父も母もいるけど、父と母のことは嫌い。自宅は捨て、いつも、電信柱の上の烏の巣に寝泊まりしている。

 こう見えて、学校の成績はかなり良く、いつも百点満点の試験で、十億点とる。正直、十億点もいらないので、九億九千万点はクラスメイトにわけてあげる。だから、私の学級の平均偏差値は、一億。

 けど、県知事の息子の枯木田くんには負ける。彼の前回成績は、π点だった。小数点以下テスト用紙の表面裏面びっしり点数が書き込まれていた。それでも足りないので、彼の点数を記載するためだけの冊子が特別に編まれ、授与されていた。その冊子はシリーズ化されていて、未完で続刊。毎月のように、最新刊が、枯木田くんの家に届く。枯木田くんは頭がいい。負けたな、と思った。頭の良さが全てではないけれど。

 けど、頭がよいに越したことはないよ。


 学校からの帰り道。

 伊奘諾(いざなぎ)さんに会いに行く。

 学校だけが世界じゃない。学生と先生とばかり関わっていたら、頭が固くなる。そんなのってないよ。学生鞄を振り回し、振り回し、邪悪の化身を打倒しながら、やっと、伊奘諾さん宅にたどり着いた。空き地に、木切れで、二階建て4LDKの見取り図が描かれている。それが、伊奘諾

さんのお家だった。いつみても清清しい。空空しい。自然と一体化している。

「私は、伊奘諾さんのことが、好き」これは、私の独り言。伊奘諾さんに、直接話しかける時は、いつも、ナギさんって呼ぶようにしている。

 伊奘諾さんは妻子持ち。

 架空の玄関扉を正面蹴りで蹴り破り、玄関で靴を脱ぐ。廊下を抜け、廊下とリビングルームを隔てる架空の洋扉を、正拳突きで吹き飛ばした。リビングルームに、伊奘諾さんは居た。

「ナギさん、何してるっすか」

「花孒さん、こんにちはだぜ」

「こんにちはっす」

「臍で茶を沸かしてるんだぜ」

「へー、そう」

 伊奘諾さんの前には、伊奘冉(いざなみ)さんが横たわっていた。死んでるみたいに。その伊奘冉さんの臍の上に、薬罐が据えられていた。

「伊奘冉が、孕んだんだぜ。軻遇突智(かぐつち)っていうんだぜ。火の化身だぜ。灼熱の赤ん坊だぜ」

「ふむふむっす」

「子宮の中に灼熱を孕んでいるんだぜ。臍といえば、子宮の真上だぜ。臍も超高温に熱せられているんだぜ」

「ふむふむっす」

「これぞ、好機だぜ。チャンスだぜ。今、此時を外して、臍で茶を沸かせないんだぜ」

 伊奘諾さんの目は爛々と輝いていた。伊奘冉さんの体は全体火照っていて、汗だく。たぶん、もう直ぐ死ぬ。ぷふう、と薬罐が鳴いた。

 死なないでほしいなあ、と私は思った。伊奘冉さん、死なないで。思いは内心に秘めた。ハードボイルドだ。(ボイルドなのは、伊弉冊さんだとしても。)

 伊奘諾さんは、沸騰したお湯で茶を淹れてくれた。伊奘諾さんと私は、ゆっくりと時を過ごした。煎茶が冷めるまで、そこにそうしていた。


 ラ子。ラッコ人間の、ラ子。

 県立邪馬台国高校の同級生。

 言い忘れてたけど、私たちの所属する県立邪馬台国高校は、県下名を轟かす進学校だ。最低知能指数三億。だいたいみんな超能力者。

 ラ子は、今年の初め、人間になった。去年まで猟虎だった。三年前、全国統一人間試験ファイナリスト。一昨年全国統一人間試験最優秀成績者。去年、人間改造手術を施され、人間になった。猟虎第一号の人間だった。

 ラ子は、まだ、人間語が不自由。だから、通訳役に、人間ラッコを引き連れている。人間ラッコの名前は、猪猟虎太郎。いつも、首輪に紐つけられて、ラ子に引っ張られている。まんざらでもないみたい。あいにく、彼の知能指数は五千程度なので、県立邪馬台国高校には入学できなかった。仕方ないので、二十三歳のくせして、県立邪馬台国小学校に在籍している。何年留年しているんだって、話。馬鹿は大変だ。短髪で、しなやかな肉体の、好青年。水球のオリンピック選手。

 ラ子は、育児放棄された。両親から学んだことといえば、貝殻の割り方くらい。あとは、全て独学で、ここまでたどり着いた。すごい、と思う。努力の鬼。将来、自己啓発本を執筆することだろう、って専らの噂。

 ラ子は人気者。

 私を除く、女生徒は、ラ子を見かけると、地獄の亡者の勢いで、ラ子を取り巻く。質問責めする。「ラ子、ホオジロザメと鯱、襲われるならどっちがマシ?」「ラ子、うちの駄犬の家庭教師になってよ。いつまでたっても犬のまんまつまんない」「ラ子、烏貝が固くて割れない。割り方にコツってあるの?」「ラ子、弟が池に溺れちゃった。土左衛門。引き上げるの手伝って」

 けど、本当は、笑顔の素敵な猪猟虎太郎が目当てなのかもしれない。

 自分たちより馬鹿だけど、そこそこ頭のいい、肉体と容貌の美しい、年若いけど、年上な好青年が、首輪をつけられ、同じ教室にいるのだ。

 女子なら、わくてかしない方がおかしい。

「私っておかしいのかもな」と思う。

 私は、そこまで、彼に惹かれないのだ。


「先生、何食べてるっすか」

「ふへへ」と先生は不気味に笑う。「花孒か。まずいところ見られたな」

「先生、何食べてるっすか」

「いつもの、あれだよ」皆まで言わせるな、とそっぽを向く先生。

 場所は、体育館付属の倉庫だった。先生と私の秘密の溜まり場だった。

 先生、先生、って呼び習わしているけれど、実は、ただ、いつのまにか学校に住み着いた、ホームレスのおじさんだった。でも、年齢的には、おじさんのくせして、おじさんっぽくない、不可思議な雰囲気のホームレスのおじさんだった。年齢不詳。

 住所不定。

 無職。

「生きるって疲れるっす」私はなんとなく、呟いてみた。

 先生は何も答えない。

 先生はいつも、ふた振りの日本刀を腰に佩いている。球技大会の時も、そのままの姿で、バットを構え、投球を試みた。

 ちなみに、私の左腕を切り取ったのも、この先生だった。

 痛くなかった。鮮やかな手ほどき。腕を切り離したわけなので、文字通り、手、解き。

 その話は、いずれおいおい。気が向いたら話すよ。

「諸行無常」と先生は、どっかそのへんで聞いたことのあるようなことを呟いた。「猟虎が人間になり、人間が猟虎になる。移り変わらぬものなどこの世にありはせぬ」

「あるっすよ。それは、愛っす」

「嘘こけ」

 私は十段まで積み上げた跳び箱に腰掛け、先生の肩に、両足を垂らしていた。その時私は、一本歯の木下駄を履いていた。いつ、何時、戦闘になっても、せめて一矢報いれるように。木下駄による蹴りは、なかなか、痛い。鉄下駄だと、過剰防衛な気がする。

「ひどいっす」

「ふははは」先生は喜ぶ。

「ところで、先生、何食べてるっすか」

「皆まで言わせるか」

「言わせるっす」

「女子高生のおまんこ味のハイチュー」先生の先生たる所以だった。先生は住所不定無職のホームレスだったけれど、化学の素養だけは異常に豊かだった。ちょちょいのちょいでちょいちょい化学調味料を創出し、ちょちょいのちょいと化学調味料を混ぜ捏ねることで、ちょいちょいどんな味でも再現できるのであった。だから、私は、彼のこと尊敬していた。

「アリスのも、作ってほしいな」アリスとは、私の友達。


 伊奘冉さんは、ダッチワイフ。なあんだ、と落胆するのはまだ早い。伊奘諾さんは、ダッチワイフを伊奘冉と名付け、本気で愛していたのだから。

 愛は、尊い。

 始まりは、湯湯婆だった。

 幼年期の伊奘諾さんは、湯湯婆に恋に落ちた。人肌の温もりに心安らいだ。

 けど、年輪を重ねるにつれて、ただの湯湯婆じゃ、満足できなくなってしまった。何故ならば、人の形をしていないからだ。想像力で補うのは、時に空虚だった。

 九歳の時、いつも、ひとり、ぽつねんと置き去りにされていた原っぱに、ダッチワイフを見つけた。気がつけば、伊奘諾さんは、そのダッチワイフの挿入口に、愛用の湯湯婆をぎゅうぎゅう、押しつめていた。湯湯婆は人の形を得た。ダッチワイフは、人肌の温もりを覚えた。

 それ以降、伊奘諾さんは、いくら罰せられてもへっちゃらになった。十歳の春、自分を取り巻くありとあらゆる事柄からの自立を決意し、例の原っぱに住み着くようになった。ダッチワイフと二人きりで。

 新たな国を作ろうと思った。

 二人だけの王国を作ろうと思った。

 やさしさ以外、存在し得ない王国。

 そんなの無理だよ、ってマキャベリストは言うだろう。けど、「ぐっじょぶ」とプラトニストなら応えてくれるだろう、と伊奘諾さんは思った。

 けど、陥穽は、思わぬ先に広がっている。

 臍で茶を沸かそうと思ったのが、まずかった。臍で茶を沸かそうと思い、カセットコンロを、伊奘冉さんの挿入口へ詰め込んだのが悪かった。着火したのが致命的だった。

 臍で、茶は沸かせた。

 けど、伊奘冉さんは、燃え尽きてしまった。

「魔が差したんだぜ」と伊奘諾さんはぼやいた。「つい、出来心だぜ」

 ダイオキシンを胸いっぱいに吸い込んだ。


「異能の伊能忠敬は、異能力者だった」と史子先生が語った。日本史の講義だった。史子先生は、年齢不詳。だけど、美人だった。日本史講師は、美人、と相場が決まっている。

 場所は県立邪馬台国高校のグラウンド。本当は、体育の時間で、みんなして百人組手に取り組んでいるところ。

 けど、史子先生は、仕事熱心な先生なのだ。たとえ、それが体育の授業時間であっても、日本史を教えたい、そういう思考の先生なのだ。美人は、だいたい、いい人。

 日本史が体育を侵食していく。

「彼の異能力は、テレポーテーション。目を閉じれば、いつでも好きな海岸線へ転移できた」

史子先生は、婚活中。苗字が、日本か、世界か、文明か、亜細亜か、古代か、人類が好ましいそうだ。もちろん、格好良くて、頭が良くて、優しいことが最低条件。

「ここで重要な点は。はい、日本くん」

「え、おれ」

「先生は、婚活中なのよ」

 史子先生は、日本くんしか、指名しない。露骨なのだ。

「一、二、三、四」

「待って、待って、今考えるから」

 まんざらでもないんだ。日本くんも。だって、先生、美人だから。

「えっと、異能力の定義が曖昧なところかな。海岸線へのテレポーテーションって、何を以って海岸線と見做すかって定義不能だから。満潮時と干潮時だと、波打ち際って違うし。それに、川口はどこまで海岸線なのか。干潟は海岸線なのか。氷期の影響で、海が凍っている場合はどうなるのかとか。そもそも論だけど、海岸線って、線だから、移動先の平面軸指定に幅が出ます。空間移動系の能力だと、移動先がブレないよう、単一の面や線ではなく、面ならば三重定義、線ならば二重定義で、そこでしかありえなくさせる必要があります」

「うーん。それもそうなのだけれど、もう一点、より基礎的な点は?」

「えっと」

 私たちは、体育教師鬼瓦をよってたかって、殴る蹴る殴る。日本くんだけ、熱病に侵されたみたいに、ぽーっとした表情で、史子先生を見つめている。鬼瓦先生は、空手家で、授業は大抵いつもこれなのだ。公私混同。体育の授業と称し、先生の練習相手に学生たちを利用するのだ。次々と、ぽいぽい、弾き飛ばされる生徒ども。

「異能力には、発動条件があるのよ。伊能忠敬の場合、目を閉じること、移動先を海岸線に限定したことが、それね。なんでもかんでも、好き勝手にテレポーテーションできたわけじゃない。その伊能忠敬に目をつけたのが、第十一代将軍徳川家斉の頃の江戸幕府。海岸線の測量に、こんなうってつけな人物いない、って有頂天に成ったのね、きっと。でも、私なら、他国の海岸線に伊能を飛ばし、ヒットアンドアウェイ方式の諜報活動に従事させるけど。昔の人って、馬鹿ね」

「史子先生、結婚して」と唐突に日本くん。

「待ってました」

 日本くんの肩甲骨に鬼瓦先生の正拳突きが減り込んだ。

「おのれ」日本くんのズボンをライトセイバーが突き破る。

「ふふ。貴様のライトセイバーがあたしの鉄拳に敵うとでも」と鬼瓦。


 アリスには、指がない。

 二十株の切り株があるだけ。

 古傷。

 目に見えるPTSD。

 昔、凄惨ないじめを受けたのだ。

 小学生って案外残酷。

 小学生でもできる、指削ぎ。

 用意するものは、カッターナイフ。鉛筆削り。手下五六人。示談金。

 私は、アリスからその出来事を聞くたびに、人間不信に陥ってしまう。

「冗談じゃないっすよ」と思う。

 アリスは大抵、電気の停められた自宅の薄暗い部屋のすみ、革張りのソファに座り込んでいる。

 私が尋ねると、「あ、花孒だ」と無条件に笑う。

 カッターナイフで肉を削ぎ、鉛筆削りで骨を削る。

(じょりじょりじょりじょり、がりがりがりがりり)

 指の無くなった、アリスは丸坊主にされ、青と白のペンキで塗りたくられ、『やーい、青ダヌキ』と囃し立てられた。四次元ポケットに指を突っ込まれたりした。

 小学生のすることじゃ、ない、と思う。

 その話を初めて聞かされた時、私は腹わたが煮え繰り返った。

 今なら、私も、臍で茶を沸かせるかも、って思った。

 でも、今じゃ、もう、そんなに、腹が立たない。

 なぜならば、いじめっ子は、ことごとく滅んだからだ。

 時の流れが、力関係を逆転させた。

 アリスは、いじめっこを一人残らず、死に至らしめた。

 そこまで、しなくても、な、と思う。でも、アリスの問題だからなあ、とも思う。

 アリスとは、県立邪馬台国高校の入学式の時に知り合った。

 アリスいわく、「入学試験の時に助けてくれたじゃない」

「そんなことあったっすか」

「たまたま、席が隣同士で、指がなくて鉛筆握れなくて、答案を書けないでいたあたしの代わりに、花孒が、二人分の答案書いてくれたんだよ」

「あ、そうだったっす」

「えへへ」

「だって、さ」県下に轟く進学校でありながら、県立邪馬台国高校の入学試験は、さほど難しくなかったのだ。試験問題が、あまりに簡単すぎて、退屈で退屈で、前後左右斜めに隣接していた受験生の答案全て私一人で作成したのだ。五教科掛ける九人。うっかり、自分の答案を書き忘れそうに成って、満点なのに名前書き忘れて落第する人みたいになりかけた。あの時は、慌てた。

だから、入学式のあの時、アリスも含め知らない新入生八人から声をかけられたのか。

「アリス」

「なに」

「人形になって」

 アリスが薄目になり脱力する。幽かに幽かに心臓と呼吸の音。

 私は、人形のふりをしたアリスにしなだれ掛かる。

 私は、こうして過ごす時間が結構好き。


 闇を切り裂くのは、パトカーのサイレン。

 今日もどこかで、ひどいことがあったらしい。

 あーあ、やんなっちゃう。

「ふははははははは」と叫ぶは、クラス委員の山本くん。

「なんだ、山本くんっすか」私は、二階の自室から、全裸で快走するクラス委員の山本くんを眺めている。山本くんの後ろから、パレードみたいに、けたたましくパトカー。

 山本くんは、クラス委員であり、なおかつ、県立邪馬台国高校痴漢部のキャプテンだった。専門は、個人的変態。文化祭では、クラス委員ってのもあって、みんなの先頭に立って、踊りの振り付けから、ちんちんをライトセイバー化する際のコツなどを、みなみなに伝授していたが、彼は本来、個人競技者だ。

 クラス委員にして、キャプテン。人の良さが彼をその地位へ押し上げる。プラトンの『国家論』にもある。地位とは、本人が望んでなるものではない。周りが望んでなるものだ。

 けど、本人は、仙人のように孤独でありたい。

 孤独な痴漢でありたい。

「ふははははははは」ちんちんのみでなく、乳首までライトセイバー化していた。ちんちんと乳首のライトセイバーで、三点立ち。そして、そのまま三足歩行。片足を失った馬のように、ぱからぱからぱからぱから。

「孤高の人っす」

 三足走行の山本くん。左手を失い、手足合わせて三本の私。なんとなくの親近感。

 ところで、全国高校生痴漢競技大会は、いくつかの部門に分かれている。個人種目、個人的変態。ペア種目、二人だけの世界。団体種目、集団的狂騒、別名、乱痴戯騒ぎ。自由種目、自由。そのほか、表彰のないパフォーマンス種目、刑法に触れない範囲で、がある。

 私は、意外と詳しい。

 山本くんに入部を誘われたことさえあるのだ。

「愛と平和ー」と山本くんは絶叫した。「愛と平和とちんちん」

 パトカーからの親切なおじさんの声。

「山本くん、山本くん、服を着ないと風邪ひいちゃうよ。秋だよ。もうすぐ、冬だよ」

「山本くんっていいっすねえ」と私は思う。「自由って感じ」

 ただ、

「山本くんのそれは、痴漢、ではないな、と思うっす」

 面と向かってそういったなら、山本くんのことだ、理路整然と

『花孒女史、それは、世間的解釈に流されていますよ。言葉を意味解釈する際は、熟語ならば、まず語と語を分解し、各語の語源字義を解釈した上、熟語そのものの意味内容を綜合すべきです。痴とは何か。ばかげていること、愚かなさまを表す語です。漢とは何か。男です。つまり、痴漢とは、愚かな振る舞いをする男に他なりません』

「じゃあ、なんで、私を勧誘したっすか」と空想上の山本くんに尋ねたい。

『花孒女史、漢とは、性別ではなく、心のあり方ですよ。中国思想における、道、の観念ですね』と山本くんは応えてくれるだろう。

 山本くんは、クラス全体への語りかけ方と、変態時の発言と、私個人との話し方が、微妙に、というか、大いに異なる。そういう人もいる。


 この街は、不眠症。

 山本くんが、毎夜毎夜、私たちを寝かさないのだ。

 正確には、山本くんとパトカーのサイレンの音が。

 どんな体力だ。山本くん。

 学校の成績もいいくせに。

 すごいぜ、山本くん。

 いつだったか、山本くんが、

『花孒女史、僕は、痴漢行為で、極刑に処されたいんです』とだいぶ極限的な発言をしたことがあった。

『いきなりどうしたっすか』

『花孒女史、僕の過去最高の刑歴は、交番で顔見知りのおまわりさんに三時間怒られるなんです。すごく、不甲斐ない。僕は、この程度じゃ、ないはずなんだ。もっと、もっと、もっと』

 私は、返事は先送りにして、くゆるくゆると烟草をふかした。

 狼煙の代わりに。

 私は、ここにいるよ。

 あなたの、そばにいるよ、の狼煙。

『僕は、痴漢行為の究極へ旅立ちたいんです。けど、痴漢行為の究極ってたぶん、ただ事ではないんです。ただ事で済むはずがないんです。きっと、僕は、異星人によって殺される。将来、僕の行う痴漢行為がとんでもなくって、どこか遠い惑星の異星人たちにとってのtaboo行為の、on paradeで、異星人たち怒り心頭で、費用対効果とか完全無視して、何億光年という距離を、とんでもなく莫大なエネルギーを費やして、ワープ技術を駆使して、僕を殺すためだけにやってくるんです。ああ、怖い。怖いです。でも、やりたい。究極の痴漢をやりたい。でも、ああああ』

 眠れない夜は、夢の代わりに、山本くんとの思い出に浸る。

 山本くんは、いつも、泣いてる。


 戦争が、だらしなく続いている。

 今日もほら、戦場用に地ならしされた埋立地めがけて、神様が二人、降ってくる。

 超人間、神様ズ。

 天空に、漆黒に穴開いた、神様穴から、降ってくる。

 片方は、なんだか人間に似ていて、もう一方は、怪獣っぽい。

 各々全長百メートルくらいある。体重もしっかりあって、ずしんずしんと余震。

 人間っぽい方が、味方、と呼ばれている。

 怪獣っぽい方が、敵、あるいは連合国と呼ばれている。

 味方の手に実物のゼロ戦闘機が握られている。

 怪獣の手に実物のワイルドキャットが握られている。

 味方が呟く。

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」「ずだだだだだだだあああん」「だっだっだっだっだっだ」

 怪獣も器用に呟く。

「ぷろぷろぷろぷろぷろ」「がっちゃーん」「ごごごごごごごごごご」「ずだだだん」

 それぞれの戦闘機には、それぞれちゃんと人間が搭乗しており、味方と怪獣の効果音に合わせて慌てて、操縦している。

 味方と怪獣、踊り狂う。

 手に手に戦闘機握り、踊り狂う。

 ずったん。がちゃちゃ。

 実弾が、街にたまに降ってくる。ちょっと迷惑。

 けど、大迫力で、ちょっと楽しい。

 今日は怪獣が勝った。

 生贄を求めてる。

 逃げなきゃ。


 新任教師、邪馬台国卑弥呼先生を、いびろう、と皆で決めた。なにしろ、私たちは、最低知能指数三億。知能指数三百以下の新卒教師じゃ、歯が立たない。せめて、一億は欲しいところ。初日早々引導を渡してやるのが、優しさってもの。

「傷つけすぎないように、傷つけすぎないように、そーっといじめるんだ」とクラス委員の山本くん。「だって、かわいそうだから」

「けど、傷つけないといじめにならないよ」と日本くん。ちなみに、姓は日本。名は国民。読みは、ひのもとくにたみ。

「そうよ」と史子先生。史子先生は、日本くんから、一秒も離れられない病気に罹っていた。病気なら仕方がない。

「逆に、傷つけて傷つけて、傷つけまくればいいじゃないの。あまりの傷の深さに、心の奥底に封印してしまうくらい」とアリス。

 予鈴がなった。靴音響かせて、卑弥呼先生が登場した。登場早々、罵詈雑言を浴びせかけようとした私たちを、ひと睨みで、沈黙させて、

「あたしの、知能指数は、三十兆。必殺技は『ラプラスの悪魔』。あなた、三秒後に死ぬわ」と淡々と言い放ち、卑弥呼先生の目前にいた、田中くんを指差した。「一、二、三」田中くんは死んだ。「知能指数三十兆のあたしには、世界は肥溜め。何事もスロウモウ。全てを見通せるわ。さて、あたしの担当科目は、生物。なぜ、彼、田中道郎十七歳が死亡したか、わかる人。わからなければ、わかるようにしてあげる」そういうと、卑弥呼先生は、メスでさくさくと田中くんを解剖し始めた。

「卑弥呼先生、先輩として、一つ忠告してもいいかしら」と史子先生。

「なに」と卑弥呼先生。

「なんでもかんでも教師がやってては生徒が成長する余地がないわ。生徒にできることは、最大限、生徒に任せなくちゃ」

「それもそうね。じゃ、あなた、桃山桃子十六歳、田中道郎十七歳を解剖して」

 後から聞いた話。邪馬台国卑弥呼先生は、四年前、この県立邪馬台国高校を、首席で卒業したのだそうだ。あまりに、母校愛が強く、姓名を佐藤遥から、姓を邪馬台国、名を卑弥呼に変じてしまったそうだ。

 ちなみに、『ラプラスの悪魔』は、確率論的に未来を予見する能力。知能指数十兆以上で発現。

 ちなみに、田中くんは、死因解剖の結果、新任教師をいじめるというシュチュエーションに過度のやらしさを感じ、そのために心臓発作で死んだ。


「先生、同級生が一人死んだっす」

「男?女?」

「男っす」

「ふーん」先生は興味が尽きた、というように、そっぽを向いた。先生は、いつものように、体育館付属の倉庫の中で、新作ハイチューの製作に熱中していた。私はいつも疑問だ。女子高生のおまんこ味のハイチューと、女教師のおまんこ味のハイチュー、どう味が違うのだろうか。『食べればわかるさ』と先生なら応えるのだろうが、正直、食べたくはない。

「今度は、何作ってるんすか」

「皆まで言わせるか」

「言わせるっす」

 考えてみると、私は、先生のこと何も知らない。名前さえ知らない。名前さえ知らないから、先生先生と呼び習わしているのだ。

「言いたくないなあ」

「言わないと、いつものあれやったげないよ」

「お金払うから」

「だめ」

 先生のハイチュー作りの原材料として、私の体液の一部を提供しているのだった。

「やれやれ」ふっきれたように先生は呟く。「僕にだって、幼い可愛げのある時期があったんだぜ」

「それがどうしたっすか」

「だから、今作ってるのはさ。初恋の人の」

「あーあーあー」と私。「やっぱり、皆まで言わない方がいい気がするっす」

「言わせろよ」と先生。「初恋の人のキスの味のハイチュー」

「アウトなのかセーフなのかよくわからないっす」おまんこと比べちゃうとなあ。


 後輩は、蜘蛛女。

 ラ子の蜘蛛版だ。

 幼年期より、英才教育を施された彼女は、つい、二、三年前、全国統一人間試験優勝者で、ラ子より一年早く人間化手術を受けた。そういう点では、ラ子より、一つ先輩。まあ、人間化手術っていっても、八本あった手足を、四本ぶちぶちっと引きちぎっただけなのだけれど。身長百八十センチ。四本足の蜘蛛が、二足歩行で、学内を歩き回り、指定の席に着座し、黒板をノートに書き写している。これほどまでに、手術が簡略化されたのは、彼女が、わりあい人間っぽい蜘蛛だったからだ。幼年期よりの、英才教育の賜物である。まあ、教育、というより、食餌療法に近いのだけれど、蜘蛛女の主食は、人間の脳。生まれた時からずっと変わらぬ。

 彼女の父と母は、何としても、彼女を人間に出世させたかったようだ。土蜘蛛と鬼蜘蛛の夫婦は、毎晩のように人間をさらって、脳みそをほじくり出しては、我が子に食べさせていた。彼女も父母の期待に応えたい一心で、毎日胃もたれを起こすほど、人間の脳みそを食った。食った。過疎村が、一つ二つと誰にも知られぬうちに消滅していった。

 全国統一人間試験の前日には、景気付けに、帝国大学学生の脳みそを食った。十年目の春。ようよう全国統一人間試験に優勝し、人間化の権利を得た。苦節十年。一昔前の弁護士浪人かよって話。

 彼女は美脚。だって、蜘蛛だもの。

 けど、彼女はモテない。なにせ、蜘蛛なのだ。

 猟虎と蜘蛛じゃ、やっぱ、猟虎だ。後輩だけど、可愛げない。可愛げない後輩って、ちょっと致命的。

 彼女は話せない。なにせ、蜘蛛だから、発声器官が人間のそれじゃないのだ。けど、蜘蛛ゆえに、適応している。蜘蛛は八目。彼女は、その八つある目のうち、二つを潰した。六目になるためだ。健気な努力。

 点字。

 彼女は点字で喋るのだ。すごい話だ。

 彼女は凄まじい勢いで瞬きする。ウインクする。どの目を見開き、どの目を閉じるかが、点字の凸凹と一対一対応しているのである。

 目は言葉より物を言う、とは彼女のこと。

 まあ、大抵の人は、点字の読み方なんて知らないから、意味が通じなんだけれど。

 そんなひねらず、筆談でいいんじゃないかなあ、とも思うけれど。

 そういえば、蜘蛛女は落ちこぼれだ。全国統一人間試験枠で、この県立邪馬台国高校に入学してきたのだけれど、知能指数が二千くらいしかない。ゲーテの十倍くらいしか頭が良くない。

 彼女は馬鹿だから、これまでのやり方に固執している。つまり、あれ。同級生の脳みそをかっくらおうと虎視眈々と機会を伺っている。知能指数三億の脳みそを食べれたら、自分の頭も良くなると思い込んでいるのだ。馬鹿。

「あなたはもう人間っす。脳みそ食いはやめた方がいいっす」食堂で一人ぽつねんとアゲハ蝶を食べていた彼女の隣に座る。

 私のトレーは、ラーメン定食と、先生からもらった特製ハイチュー。

 彼女のトレーは、アゲハ蝶のお浸し、カマキリの天ぷら。生小蝿丼。

「点点点点」と彼女の点字。その意は『うるさい』

「同族食いは病気の素っす。クールー病になっても知らないっすよ」

「点点点点点点点」

「余計なお世話かもしれないけど、一言忠告しておきたかっただけっす」


 路上ミュージシャン通りを通り抜けるのが、学校から我が家への近道。

 県立邪馬台国高校の生徒は、学外では、だいたい全裸、か、私服。

 何故ならば、一歩学校を出ると、私たち県立邪馬台国高校の生徒はアイドルと化すからだ。『見てみて、あの子県立邪馬台国高校の制服着てるよ。知能指数やばいのかな』見知らぬ高校生からサインをせがまれる。サインくらいならいいのだ。本当に怖いのは、爪の垢強盗。五、六十人で寄ってたかって羽交い締めにして、血が出るほどに、爪の垢を擦りとっていくのだ。やつらは。

 そして、県立邪馬台国高校生の爪の垢、という商品名で薬局で売る。

 悪魔か。

 全裸と私服の他に、他校の制服を着るってのもある。

 けど、それって、格好悪い感じがして、あんまり好きじゃない。

 そんなわけで、県立邪馬台国高校の正門と裏門では、せこせことみんなお着替えをする。便宜的に、正門は女子用。裏門は男子用と不文律の暗黙の了解。

 毎日朝晩、女子高生(時に男子高生)の裸専門の写真家たちが正門(時に裏門)へ寄って集って、フラッシュを焚く。

 そういうの、セクハラって言うんじゃないのかな。

 目下、学校の費用で、簡易更衣室を作ってもらえるように、署名活動中。

 けど、

 反更衣室勢力ってものが世の中にはいて、更衣室を作ってもらえないよう、署名活動中。

 まあ、例の写真家たちなんだけれど。

 学校って、経済団体、金のかかることはあまりやりたがらなくって、反更衣室勢力の肩ばかりもつのだ。やってられない。

 なんの話だっけ。

 路上ミュージシャン通りの話だった。

 そういえば、学外全裸は、山本くん率いる痴漢部員のみだ。

 一部例外として、県立邪馬台国高校生を気取りたがる人たち(大抵知能指数三億以下)は、邪馬台国高校指定制服を学外でも着用しているけれど、ある意味それって、知能指数三億以下の証拠。恥ずかしくないのかな。例の蜘蛛女もこの一味。蜘蛛女は、不人気なので、爪の垢強盗も見知らぬ高校生も遠巻きに遠巻きしてる。蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 ちなみに、県立邪馬台国高校の制服は、縄文時代っぽい衣装を、モダンにアレンジしたものだ。はっきり言って、可愛い。男子も女子もみんなスカートってのが玉に瑕。あと、下着未着用が義務。

 そういえば、なんの話だっけ。

 路上ミュージシャン通りの話だった。

 路上ミュージシャン通りには、路上ミュージシャンが巣食っている。以上。


「先生、デートしようっす」

「なんだよ急に」

「皆まで言わせるっすか」

「いや、そこまで言ってないだろ」

「一年中、体育館付属の倉庫でおまんこの味研究してるなんて不健全っす。たまには、外に出るっす」

「人生それぞれ。十人十色。構わないでくれ」

「やれやれ」私はため息をあからさまについた。「私が何を思って、先生をみんなにバレないように、体育館付属倉庫に匿って、一日三食出前注文してあげているか、薄々でもいいから勘付いて欲しいっす」

「物好きなんだろ」

「その物好きさ加減が、半端ないんす」好き。好き。好き。大好き。

「まあ、俺もお前も大概だよなあ」と先生の詠嘆。「俺だって、時には、ふっと、冷静になることがあるんだぜ。俺の人生、なんなんだって、な。けど、俺は、こう、ありたいんだ。これ以外がありえないって感じか」

「先生。先生はずっと体育館付属の倉庫に篭りっきりだから忘れてるかもしれないけど、季節は冬。もうそろりそろり、クリスマスっすよ」

「通りで寒いわけだ」

「暖房器具いるっすか?」

「いいよ。適当な化学物質、適当に科学反応させて、暖まるから」

「流石、先生っす」

「ふへ」褒めると、先生は弱い。「ふへへへへへへ」

「先生。私は、先生とデートしたいなり」


「俺様は、あなた様に、おっしゃりたいことがございますが」

 彼は、帰国子女だった。

「どうしたっすか。丸ノ内くん」

「趣味は、いじめ。けど、殺し良くない。殺さない程度にいじめることが趣味でございます。世界が平和になればよろしかろうに、と日夜祈願。神様に直訴。そんなこんなで、趣味はいじめ。鬼の子も泣かす」

「そうっすか。丸ノ内くん」

「姫殿下が、俺様に、直訴するのでございます。姫殿下とは、桃山桃子。ああ、ファッキンしたいでございます。もうすぐ、Marry Chrismas。俺様はChristianではございませんが、気もそぞろ、夢は枯野を駆け巡る状態でございます。ああ、桃山桃子姫殿下と夜空を占拠したいでございます。不法占拠良くない。きちんと、行政申請済みの上。俺様はあなた様を心の底からそこそこ崇拝、Well、すぅはぁしてございます。手前持ちい出したるは、四六の蝦蟇の恋文でございます。どうぞよろしく、どうぞよろしく、査読仕りたく存じ上げ候。存じ上げ候」

「いいっすよ」

『ファッキン桃山桃子姫殿下へ

 今宵、あなた様が俺様を夢魔するのでございます。

 姫殿下。嗟、ファッキン。

 喜悦。喜びの星。あなた様は、ブサイクではないし、馬鹿でもございません。

 もっといえば、どブスでもないし、うつけ者でもございません。

 あなた様は、童顔。どう頑張っっても童顔。

 とても、とても、こんな感じでございます。

 いつもいつも、鬱でございます。然れども、鬱からの躁。そして、死。

 俺様は生まれてきて、あなた様を見つけました。地獄でございます。

 地獄とはなんぞや。それは、あなた様でございます。

(以下略)』

「ふむふむ」と私。

「如何様に存じ上げ候か?」

「個人的には」と私。「いいと思うっす」

「ふはははははははは」と丸の内くん。喜びすぎだ。

「けど、もっと単純でいいっと思うっすよね。例えば」

『好き』

「これで、だいたい概ね、丸の内くんの気持ち伝わるっすよ。たぶん」

「表意文字の不可思議。意味の短絡。嗟、驚嘆」

 丸の内くんは、すたすたと、脇目も振らずに歩き去って行った。

 一体、どこの誰が、彼に日本語を教えたのか。まあ、私なのだけれど。

 丸の内くんは、真面目で優しいので、彼のことを好きな女子は、案外、そこそこ、多い。頑張ってほしいなあ、と思った。


 指森のことを、話しただろうか。

 まだな気がする。話そびれる前に、話しておこう。

 私たちの街には、指森がある。以上。

 指森とは、木々の代わりに指指が鬱蒼を生い茂る森である。以上。

 指森に生い茂る指指は、実は、私の指である。以上。

 ほらこの通り、私の右手の指と連動してうにょうにょと動く。以上。

 指森の話は、私にとって、恥ずかしい話。だから、早々に切り上げてしまいたい。けど、あまりに早々に切り上げすぎると、なんじゃそりゃ、って顔をされるだろうから、そこそこ長々と説明せねばならない。ピンポンダッシュのような軽快さは期待できないのだ。

 指森は自殺の名所で、よく指森に闖入した人々が死ぬ。というか、指森に侵入して、生きて帰ってきたやつは相当レアだ。指森に殺されるのだ。指森は、殺した人間含め動物類栄養源に、日々成長し、増殖している。近代兵器さえ無効なのだ。日進月歩で、拡大していく指森。私たちの街の約八分の一が、すでに、すでに、指森なのだ。多くの家屋人工物が、指森に取り込まれ、多くの人々、犬猫ペットが、指森に殺された。

 そんな指森も、元はと言えば、私から生まれたのだ。

「やれやれ」と私。「反省はしてるっす」


 県立邪馬台国高校の学生は、頭がいいので、移動手段は、基本竹馬。

 竹馬はすごいのである。背が、伸びる。もっと言えば、足が伸びる。

 伸びた感じがする。実際は、伸びちゃいないのだけれど。まあうん。

 例えば枯木田くんなど、全長二メートルの竹馬を操っている。足下一メートル。足上一メートル。つまり、竹馬搭乗時の山本の視点は、二メートル七十センチ。そこそこの巨人症だ。足下一メートルの竹馬に乗っていると、実質足の長さが一メートル延長したことになる。一歩一歩が馬鹿でかいのだ。

 竹馬に乗らない、ごく普通の高校生の一歩と、竹馬を乗りこなす県立邪馬台国高校生の一歩は、歩幅が違う。普通の高校生がてくてくとぼとぼ歩いている横を、竹馬ライダーたちは、わっさわっさと、竹馬の竹の部分をしならせて、巨人のごとく闊歩していくのだ。時速三十キロほどで。

 私たち竹馬ライダーは、マラソン大会でも、運動会でも、球技大会でも、インターハイでも、ルールの許す範囲で竹馬を常用する。バレー部員など、すごい。ネットを、こう、こんなふうに、またぎ越せてしまえるほどなのだ。竹馬の足の部分が壁。通称、竹林ブロック。ただし、レシーブは苦手。

 そういえば、邪馬台国卑弥呼先生は、三十メートル級の竹馬を乗りこなしている。三十って数字が好きなのかもしれない。

 史子先生は、県立竹馬高校じゃないや、県立邪馬台国高校では珍しく、竹馬を常用しない。『だって、竹馬に乗ってると、手を繋げないじゃない』史子先生は、いつも、全裸の日本くんと手を繋いで登下校するのが楽しみなのだ。日本くんは痴漢部部員だった。


 アリスは竹馬に乗れない。指がないからだ。

 私だって竹馬に乗れない。片腕がないからだ。

 片腕がない体だからだ。

 片腕がない体だ体だからだ。

 片腕がない体だ体だ体だ体だ。

 乗って乗れないことはないのだが、まあ、面倒臭い。左手で箸を操るくらい面倒臭い。

 アリスと私は友達で、家もわりと近所だったりする。

 なので、ちょっと、ちょうどいい。

 なので、私とアリスはいつも、平民のようにとぼとぼと徒歩で移動する。

 ちょうど良くない点があるとすれば、アリスは不定期的に、過去のトラウマに苛まれ、極度の鬱状態になり、一週間から数ヶ月スパンで自宅に閉じこもること。指がないから、自殺とかそういう器用なことはできないのだが、うーうー、唸りっぱなしで苦しそう。

 アリスは、いじめの一環で、父と母と兄弟姉妹を殺されている。

『やーい、やーい、青ダヌキ』

『やーい、やーい、お前の父ちゃん、袋叩き』と韻を踏んでいるのか踏んでいないのか。囃し立てながら、いじめっ子たちは、アリスから、アリスの父母兄弟姉妹を取り上げては、バービー人形の首をすっぽ抜くようなひどいことを平然と繰り広げたのだ。彼らは、そのあまりの惨さに、あっさり極刑を言い渡された。

 時が経ち、時の流れが法務大臣に判子を押させ、彼らは、死んだ。

 だからって、何にもならない。

「アリス、遊びに行かないっすか」日曜日。

「うん」

 アリスは、雨の日じゃなくても、ゴム長靴を履く。私のように、一本歯の下駄を履くことは難しいのだ。

 今日は、運良く、雨の日だった。ただ、すると今度は、アリスは傘を持てない。まあ、私が代わりに差すからいいのだ。

「花孒、合羽着るの手伝って」

 アリスの家を出て、私からんころん、アリスはばちゃばちゃ通りを歩く。遊びに誘ったはいいものの、特に予定などない。

 全裸に、透明のビニール合羽を羽織った山本くんとすれ違った。「二十点っす」と私。「流石、花孒女史。もう一工夫、何かが。精進します」と山本くん。彼は求道者だ。

 こんな日は、大亀停留所までいくのがいい。


 大亀停留所の簡易屋根の下、アリスと私が休んでいると、通りの向こうから、

 のっしのっし、と全長三十メートルほどの大亀が歩いてきた。なかなかでかい。

 街全体を定期循環する大亀にも様々な種類があり、全長五メートルの小型便から、この全長三十メートル大型便まで種々様々だ。

 一時期神様ズによる戦争ごっこが、激化して、ごっこ遊びがマジになって、街中に焼夷弾がばら撒かれたことがあったのだ。その際、国が新設したのが、この巨大亀交通ネットワークだ。

 私たちは、傘を折りたたんで、巨大亀の懐、つまり、甲羅の下へ潜り込む。

 甲羅の下は空いており、私たち二人しか利用客がいなかった。

 巨大亀が私たちの潜伏を確認してのち、再び、のっしのっしと歩みを始める。亀なので、歩みは遅い。けど、巨大なので、その分歩幅はでかい。ちょうど、大人の人間の歩速くらい。私たちは、巨大亀の進度に合わせてとぼとぼと歩いていく。アリスが雨合羽を脱ぎたそうにしていたから、手伝う。

 焼夷弾が町中に降り注ぐ中、それでも、どこか買い物へ行かなくてはならない時ってあると思う。そういう時に、この巨大亀は役に立つのだ。亀の甲羅は、固い。そして、水陸両生の亀は、どことなく湿っている。いくら焼夷弾が降りしきたって、湿り気を帯びてそれでいて固い亀の甲羅は、へっちゃらなのだ。そして、亀の甲羅の下に潜伏してしまえば、私たち人間もそこそこ安全なのだ。この国の福祉政策も捨てたものじゃない。

 問題があるとすれば、行き先が、巨大亀の気分次第だってこと。

 冬場は動きが緩慢になること。

 本格的な冬になると、冬眠してしまうこと。

 亀の横幅に合わせて、道幅が広げられ、周辺の民家が立ち退かされたこと。

 亀って実は雑食で、そこらへんの犬猫をパクつく姿が散見されること。

 焼夷弾ってそうそう降ってこないから、有事じゃない時無用だってこと。

 車の通行に不便。

 亀の便。

 けどその一方で、亀ってかわいい。あの、無愛想な無表情が、かわいい。

 こうして、特にゆくあてがないけれど、遊びに行きたい時、亀の気の向くままに行き先を決めてもらえたりもする。雨よけにもなる。

 亀が指森の縁で立ち止まり、指森の指をぱくぱくとパクついた。


 クリスマスが近づくにつれて、竹馬が流行らなくなった。

 クリスマスが近づくにつれて、急速に男女が恋人化し、孤高の竹馬ライドより、ほっこりほっこり、両手繋いで脳内御花畑を開花させることに力点が置かれ始めたのだ。

 県立邪馬台国高校において、最後の最後まで脳内御花畑を枯死させ続けるのは、知能指数三十兆の三十メートル級竹馬ライダーの邪馬台国卑弥呼先生と、年始の痴漢インターハイに向けて、最終調整に入り始めた山本くんくらいのものだろうか。いや、まだまだいる気がする。

 ふっと、伊奘諾さんのことが脳裏によぎった。すっかり、忘れていたなあ、と思った。

 彼は今、人生で一番辛い時期かもしれなかった。

 クリスマスプレゼントにダッチワイフを買ってあげよう、と思った。

 けど、ダッチワイフって結構高いのだよな、とも思った。

 かといって、安物の中古品をプレゼントしたくはないな、とも思う。

 不幸な伊奘諾さんにダッチワイフを、という題目で寄付金を募ろうか募るまいか。


「彼、絶対安全男は、絶対に安全であった。何しろ、その風貌からして、安全なのだ。全身くまなく、数え切れないほどの安全ピンが、ピアス感覚で、彼の膚に差し止められていた。その数、五万オーバー。オーバーも何も着ず、短パン半袖なのでよくわかる。安全ピンのために、Tシャツも短パンももこもこしていて気持ちが悪い。しかも、あれは、両手に、安全剃刀を握りしめ、振りかざしているのだ。しかも、ガニ股。これぞ、どこからどう眺めても、絶対安全男。安全の塊。『ふはははははは』と絶対安全男は呵々大笑した。『我こそは絶対安全男なり』そして、続けざま、下卑たる嗄れ声で『いいだろ?な、いいだろ?安全日なんだからいいだろ?やらせろよ』」

 国語の授業だった。

 国分文太郎先生が、検定教科書所収の文学作品を朗読していた。

 私たちはどきどきしていた。

 何しろ、国分文太郎先生は、私などがいうのもアレだが、なかなかに美男なのである。人品骨柄は、体育館付属倉庫に住まうハイチュー先生にかなわないけれど、観賞用としてなら、天下一品だろう。ラ子付属の、猪猟虎太郎が悔しさのあまり下唇を嚙みちぎりかけている。彼も、まあ、そこそこの美男なのだが、国分先生に比べたら、なんというか、人面虫のようなもの。

 そんな、国分先生が、『絶対安全男』なんて、わけのわからない変態文、朗読しているのである。顔、赭らめもせず。

 これで、どきどきしないほうがおかしい。

 男子さえ、どぎまぎしている。

「さて、ここまでで何か質問は」と国分先生。

「はい」と桃山桃子。「クリスマスのご予定は」丸の内くんが悶絶した。

「はて、文の意味が掴みかねますが。クリスマスの、ご予定、は…?クリス…マス…の、ご、予定…は?kurisumasu、no、go、yotei、wa?」国分先生は、国語教師なので、文学的でない表現は理解不能なのだ。「文学的でない質問は控えるように。他は」

 じゃあ、と森永さん。

「『いいだろ?な、いいだろ?安全日なんだからいいだろ?やらせろよ』のどこが文学的なのでしょうか」

「そんなこともわからないのか。馬鹿か君は」と国分先生。「仕方がない、じゃあ、初めから朗読し直そう。心で感じるように」そして、冒頭に戻る。「彼、絶対安全男は、絶対に安全であった。(以下略)」

 国分先生は、美男だが、授業は愚直だった。

 国分先生は、鑑賞用に限る。


 マジカルポンチョは、枯木田くんのお兄さんなんだって。

 夢が、壊れてしまった。

 漠然と憧れていた存在が、知り合いの血縁者だった。案外、自分と地続きの存在だった。それは、ある意味希望ではあるけれど、ある種の楽観的憶測を裏切る事実でもある。

 なんだ、マジカルポンチョもただの人なのか。

 しかも、枯木田くんのお兄さんなのか。

 なにかもっと、地獄の使者とか、そういう人類を超越した何かなのかと思っていたというのに。

 マジカルポンチョは、どこからともなく、現れて、先月の国政選挙で、国会議員になってしまった。

 年齢不詳。過去の経歴欄にはただ一文字、「闇」と記されていた。

 上下赤のスーツがお好みなようで、髪型は東京タワー。スーツの所々が、銃眼のように穴が空いていて、その穴から、栗鼠や野鼠が顔を出したり引っ込めたりする。スーツ裏地には蔓草が生い茂っており、その上を栗鼠や野鼠は駆け回るのだ。冬でも寒くないように。毛皮のコートの代わり。

 けど、そんなマジカルポンチョ参議院議員も、ただの枯木田くんのお兄さんにすぎなかった。

 なんだ。

 と思う。

 マジカルポンチョは、恥ずかしがり屋。選挙活動中、県知事である親の名前を出したくなかったそうだ。そういうしがらみ抜きで、政策のみを訴えたくて、枯木田一郎からマジカルポンチョに改名したそうだ。そう、弟の枯木田くんが教えてくれた。「自慢の兄貴だ。いや、自慢のマジカルポンチョだ」

「つまんないっす」と私は思う。

 マジカルポンチョの支持率は高く、彼の得票数は人口を超えていた。

 何かしらかの選挙法違反をしたのではないか、と嫌疑の目で見られている。確たる証拠はないのだけれど。


「俺は天才だ」とどこかの誰かが叫び始めた。名前はぱっとは思い浮かばないけれど、きっと、邪馬台国高校の生徒であることは間違いないだろう。天才大会が始まったのだ。「何しろ、知能指数は六億。まあ、んなこと、ここじゃ自慢にならないけど。が、知能指数だけが俺の天才性じゃないんだぜ」

 マイクロフォン越しで声が拡大されている。耳に突き刺さるような人工的な音。勘弁してほしいなあ、と私は思う。

 学校が終わって、正門へ向かう途中。

 学校が終業して、天才大会が開かれたのだ。

 天才大会とは、己の天才性を自慢しあう大会である。山本くんが出場している、痴漢インターハイの天才版だと思ったらいい。どちらも、参加することに意義がある、ではなくって、参加者にのみ意義があるってやつ。

「何しろ、俺は、両性具有アンドロギュノスだ。どう考えたって、正常じゃない。異常だ。異常な天才なのだ。ふははははは」

 天才大会において、身体的な特異性を論うことはままあることだった。県立邪馬台国高校において、知能指数がそこそこ高いくらいでは自慢の種にならないのだ。知能指数を自慢しようと思ったら、最低でも、知能指数百億はいる。そもそも、上には上がいるもので、たとえ知能指数百億でも、卑弥呼先生と比べられたら天狗の鼻がぽきっと折れる。

「しかも、ただのアンドロギュノスじゃない。金たまのあるべきところに、小さな、このくらいの大きさのおっぱいが二つ。おっぱいのあるべきところに、Cカップ大の皺皺の玉袋が生えているのだ。胸毛がすごい。物心がついた瞬間泣いたぜ。鏡を見るのが怖い。あと、のどちんこが、ほんまもののちんこ。喋りにくい。が、しかし。この異常性こそ、俺が天才であることを如実に示している。××と天才は紙一重。凡人がこんな体躯に生まれてくると思うか。ありえない。俺は、神から選ばれた真のエリートなのだ。それゆえの受難。吁」

 フィールズ賞五連続受賞とか、ノーベル賞総なめとかも、県立邪馬台国高校では、そこそこありうる話で、あまりに自慢の種にはならない。したがって、自然、よくわからない方向に自慢が転がる。

「次は俺の番だぜ」選手交代。「俺の知能指数は三億そこそこ、まあ、ここじゃ下の方だ。が、天才性は知能指数のみで決まるものじゃねえ。俺は超早熟の天才なのだ。なにしろ嬶の腹ん中にいる時から手淫してたくらいだ。産道通って出生する瞬間、たまたまイっちまって、自分が今来た道めがけて射精。着床。その成れの果てが、俺の弟なんだぜ。困っちまうぜ。産婦人科医もびっくり、なにせ、生まれたての赤ん坊が、ふさふさのロン毛だったからな。へその緒と絡み合って、死ぬかと思ったぜ。しかも、前歯まで生えていた」

 彼は、典型的な過去の栄光にすがるタイプだ。県立邪馬台国高校に入学したはいいものの、周りは全て天才。未来に可能性が見出せなくなって、懐古主義に走るのだ。私も通った道。

「生まれた瞬間ロン毛だったからよ。それを記念して、いまだに髪の毛を切ったことはねえんだ」彼は、五メートルの竹馬に乗り、五メートルのロン毛を垂らしていた。尾長鶏みたいだった。「たまに、近所の子供に引っ張られるんだが、やめてほしいぜ」天才自慢というよりただの愚痴。

「花孒は参加しないの」と隣を歩くアリス。

「別に。興味ないっす」別に、私にだって、自慢の種がないわけではないのだ。全国統一模試の現代文の回答がいつの間にか文芸雑誌に掲載されていて、いつの間にか、芥川賞を受賞していたとか。同じような成り行きで、ノーベル賞も、二部門もってる。けど、それがどうしたのだ、とも思うのだ。自慢したって私自身に変化があるわけでもない。そもそも、私が天才であることは、自明の理だった。


 桃山桃子は眉毛使いだった。

 ここだけの秘密。

 いや、秘密ってほどでもないのだけれど、わざわざ言いふらすことでもないだろう。

 桃山桃子自身どう思っているのだろうか。知らない。

 偶に、毛虫みたいにげじげじ眉毛の人がいる。ああいう人、実はみんな、眉毛使いなのだ。

 否。

 あのげじげじ眉毛、実は毛虫なのだ。

 否。

 あの毛虫みたいなげじげじ眉毛、その気になったら、毛虫みたいに這い回るのだ。

 すごい話である。

 ものすごく表情豊かで、感嘆詞の度ごとに、眉根を跳ね上がらせる人がいる。あいつらも、眉毛使いである。その気になれば、尺取り虫のような動作で、眉毛が顔中這い回り始めるのである。

 桃山桃子は、そこまでげじげじ眉毛ではない。まあ、やや男らしい眉毛ではあるのだが、ここでいう男らしさとは少年的、中性的って意味。

 桃山桃子は、「ふん」と鼻息込めて念じると、右の眉毛を右こめかみ、右上頬、そして、鼻の下へ。「ふふん」と続けざまに念じると、左の眉毛を眉間、鼻の上、唇の上、下顎まで這い進ませることができる。ぱっと見、眉毛を剃った、口髭顎髭を蓄えた妙に鳩胸の男がそこに立ち現れる。桃山桃子は実は、CIAのスパイなのだ。この眉毛術を用いて、一瞬のうちに、女子高生から、無眉毛髭男へと変貌することで、種々様々な立ち入ってはいけない場所へ潜入しているのだ。

 すごい話だ。

 ところで、丸の内くんは、駅前の噴水広場で、待ちぼうけを食らっていた。

「定刻より幾星霜。嗟、桃山桃子姫殿下。孤独死へのcountdown」

 そこへ、

「だーれだ」と飛び跳ねるような明るい声。丸の内くんの視界が背後より回された手のひらに塞がれる。けど、その声には聞き覚えがあった。

「何奴。否、彼の音声は、桃山桃子姫殿下で御座候?」ちなみに、こんな台詞だけれど、丸の内くんの表情は、だらしなくやに下がっている。よかったね、と私は思う。

「あったり」と桃山桃子。丸の内くんの両目から手のひらを離す。

 振り返る丸の内くん。

 無眉毛、髭面、鳩胸の小男が、桃山桃子の声で「えへへ」と笑っている。

「ふひやらわあ」と言語化を忘れた丸の内くんの叫び。

 桃山桃子はああ見えて、眉毛使いで、ああ見えていたずら好きなのだ。男子の純情を手玉にとるのだ。俗に、小悪魔というのだ。

 気絶した丸の内くんを、私と桃山桃子は二人して介抱した。

 路上に寝かして、噴水の水をびちゃびちゃ浴びせた。


 ハロウィーンだから、羆を放とう、という話になった。

 他に、面白そうなアイデアがなかったから、消去法でそうなったのだ。

 今年のハロウィーンは盛り上がるだろうなあ、とみんなで明後日の未来を想像してにやにやした。

 みんなというのは、私とアリスと日本くんと桃山桃子と枯木田くん。山本くんも誘ったのだけれど、山本くんからしたら、ハロウィーンの仮装って素人臭くてやんなっちゃうそうだ。

 私たちは二班に別れた、材料調達班と、羆調達班に。羆は、近所の動物園に二頭いた。けど、どうせなら、三頭くらい走らせたい。だから、隣の県の動物園まで遠征した。檻を電鋸で解体して、羆を三頭連れ出した。材料調達班は、羆のサイズにあうように、キングサイズのシーツ三枚と瞬間接着剤を一瓶用意した。今年のハロウィーンは予算少なくて懐が助かる。

 シーツに幽霊の目を切り抜く。シーツをかぶって、『お化けだー』ってやるあれ。西洋的なお化けのあれ。そして、シーツ裏に瞬間接着剤を塗布。その上で、羆たちにシーツを被せてしまう。羆たちは面倒臭そうにもがくけれど、我慢してもらう。事が済んだら、鹿肉でもあげればいいだろう。そして、夜。羆たちを街に放つ。

「亡霊っす、亡霊っす」

「悪霊じゃあ。この街は呪われたんじゃあ」って私たちは浮浪者の格好で叫ぶ。

 みんなびっくりして、そして、びっくりしっ放しだった。


「おかしいじゃないですか。子供達を馬鹿にするのも大概にしてください。何を考えているんですか」とマジカルポンチョが力説していた。国会答弁だった。

 場所は体育館付属倉庫。そこにポータブルテレビを持ち込んで、眺めているのだ。先生は、相変わらずハイチューに夢中。初恋の人のキスの味ハイチューはとうの昔に完成していて、私も試食した。唾液と歯垢の味がした。現に、唾液と歯垢が原材料なのだ。私の。あんまり美味しくない。食後の感想は『おかえり』

「なんだ」とがっかりする私。「マジカルポンチョってただの真面目だったんすね」

「大概、期待は裏切られるものだ」

「けど、もっと、ありえない人なのかと思っていたっす」

「おかしいですよ。ありえないですよ。なにが『異能の伊能忠敬は、異能力者だった』ですか。そんなわけないでしょう?なに、子供達に嘘教えているんですか。なに、平然とあくびしているんですか。それでも文部大臣ですか」

「うるせえなあ」と文部大臣のトラベラー哲は応えた。

「正式な返答を願います」とマジカルポンチ。

「文部大臣、トラベラー哲くん」と例のあの声。

「はいはい」とトラベラー哲くん。よたよたと、壇上まで上がる。「わたしゃね。こう見えて、タイムトラベラーなんだよ。そういうの得意なの。で、タイムトラベラーのわたしゃが言うんだ。『実際問題、伊能忠敬は、異能力者で、海岸をびゅんびゅん瞬間移動しまくっていたよ』ってね。それ信じられないのかい、あんたは。わたしゃ現地で見てきたんだよ」

「それは詭弁だ。だいたい、あなた以外、タイムトラベルしていないじゃないですか。私は、私が現にこの目で確かめたもの以外信じられないですよ」

「それこそ詭弁じゃないかね。あんた、電子や陽子見たことあるの?クォークも」

「それとこれとは話が」

「ま、いいや。じゃ、証人喚問しましょ。それが早いや」

 私はじっとテレビに見入ってしまっていた。

「証人って一体誰が証人になるっていうんですか。あなたの自称、タイムトラベラー仲間ですか」

「伊能忠敬」とトラベラー哲。「ご本人登場と洒落込もうや」

「先生」と私。「この文部大臣一味違うっす」

 先生は、私に無断で、私の体液を無断で採取している最中だった。「ん、トラベラー哲味のハイチューを作ればいいのか」食べてみたい気もする。

「伊能忠敬を呼びましょ。まあ、呼ぶと言ったって、『ここ』ではないがね」

「何言っているんだ。貴様」と語調荒くなる、マジカルポンチョ。「人を馬鹿にするも大概に」

「さては、あんた、学生時代、勉強できなかったね。教科書は熟読するものだよ。『異能の伊能忠敬は、異能力者だった。彼の異能力は、テレポーテーション。目を閉じれば、いつでも好きな海岸線へ転移できた。』とあるね。この文章の意味わかるかい?つまり、伊能忠敬は『いつでも好きな海岸線へ転移できた』んだよ。例えば、今、この時間軸上の東京湾近郊海岸線、なんかにもね」

「な、なに」

「言葉は文字通り解釈しなきゃだめだぜ。こういうのを行間を読むって言うんじゃないのかい?」とトラベラー哲。「それじゃあ、みんな、ちと季節外れだが、海水浴と洒落込もうぜ。もうすでに、俺がタイムトラベルして伊能忠敬にはこっちの海岸まで飛んでくるようにお願いしているんだ。さあさ、カメラマンも一緒に。証拠映像を国民に見せなきゃ、またこのマジカルポンチョみたいな馬鹿が出てくるからさ。やれやれ、だ」

「ぼ、僕は」とマジカルポンチョ。「僕の得票数は、あんたら与党全員分より多いんだ。日本人口より多いんだ。僕のが国民に信任されているんだ。僕を馬鹿にすることは、国民を馬鹿にすることだ」

「やれやれ、これだからお坊ちゃんは。そもそも、まともに考えたら、答えは自然浮かんでくるものさ。あんな便利な異能力もってて、何十七年もかけて地図作ってんだよって話だろ。それは伊能が、現在過去未来さまざまな海岸線を可能な限り飛び回っていたからさ。彼は異様に仕事熱心だったんだよ」

 マジカルポンチョはがっくりとうなだれてしまった。

 そして、みんな、ぞろぞろと、潮干狩りに出かけてしまった。国会議員たちが、寒空の下、ばちゃばちゃと海水を掛けあう姿は、ちょっと新鮮。生の伊能忠敬もテレビ初登場。国会中継を見ていた学生たちが何人か先回りしていて、日本史の教科書にサインをねだっていた。国立博物館所蔵の、『大日本輿地全図』にも、サインしていた。

「国会答弁って歴史の勉強にもなるんすね」と私。

「そういう日もある」と先生。

「あ」

「うん?」

 テレビの片隅に史子先生が写っていて、ちゃっかり伊能忠敬からサインをもらっていた。にっこり、テレビカメラにピースする史子先生。次回の授業で、自慢するんだろうなあ、と思う。


 指森は、強姦の森である。

 今日もまた、物好きなおばさんが一人、ふらふらと指森に立ち入って、へとへとになるまで強姦されてしまった。おばさんは死んだ。

 かわいそうだなあ、と思う反面、自業自得じゃないか、とも思う。指森をこの世の中に誕生させたのは、私の責任であり、そういう意味では自責の念にかられるのだけれど、だからって、公的に立ち入り禁止認定されいてる区域に侵入して、結果死んでしまったおばさんの命にまで責任はもてない。

 これで何人めなのだろう、とふっと疑問に思って、地元新聞を眺めてみる。

 おばさんの死の報道がほんの片隅になされていて、業務連絡みたいに累計死者数、千五十六人。

 指森が誕生して早半年。全国からセックス中毒者がわらわらと集まってきて、ばたばたと死に絶えていく。

 指森に立ち入ると、犯されるのだ。指に。

 指森は指森と言うくらいだから、そこら中に指が生えている。

 たけのこみたいにあたり一面の地中より指。その指も、所々の関節で枝分かれしており、樹齢百年の桜の大木のごとく。

 あれが、もともと私の左手だったなんで考えられない。私の背丈とほとんど変わらないくらいの親指だってそこには生え揃っているのだ。

 こんなわけもわからないほど馬鹿でかい指に犯されたら、そりゃ、死んでしまうだろう。重みに耐えかねて自壊してしまう。ひどい話。

 けど、おばさんは、笑顔で指森に突入したそう。遺書は残していたから、死は覚悟していたみたい。そう、地元新聞に。

 個人のプライヴァシーだから、遺書までは掲載されていない。

 けど、気になる。何を彼女が思っていたのかって。

 人生最大のエクスタシーと引き換えに、指に犯されて死ぬ、釣り合いが取れているのかわからない。

 彼女の人生だから、彼女の価値観で何事も決めてしまえばいい気もする。けど、彼女が指森で死んだがために、指森が、また、ほんの少し、畳一畳分くらい拡大した。彼女死体を栄養源として、指森の指たちが、大いに繁殖するのだ。街がまた少し、指森に呑まれる。街そのものが、指森に犯されていく。

 よく、人から指をさされたり、石を投げられたりする。

 お前が、左腕が指森なんかになったばっかりに、俺たちの家がなくなっちまったんだ。

 多くの民家や商店が指森に呑まれてしまった。

 そう非難されてしまったら、ぐうの音も出ないけれど、そう、私ばかり責めないでほしいなあ、とも思う。

 千五十六人。つぎつぎと指森で死んでいく彼らだって悪いのだ。


 案の定、次の日本史の授業で、史子先生の自慢が始まった。

「えへへへ」照れて笑ってただ見せびらかす。

 日本史の図録の、江戸時代の項。伊能忠敬の似顔絵の上に、妙に達筆なサイン。毛筆。『伊能忠敬より愛を込めて。未来の若人へ』

 クラス全員が耽読できるように、日本史図録がリレー方式で回し読みされる。

「えへへへ」と始終嬉しそうに、史子先生は笑っているだけ。授業にならない。先生がこんなに伊能忠敬が好きだったなんて知らなかった。と、ふっと、図録の他のページをめくると、歴代徳川将軍の肖像画にもサインが。妙に達筆な毛筆のサインが。

「あ、気づいた?」と待ってましたとばかりに史子先生「なんと、なんと、先日伊能忠敬のサインで、日本史図録所収の肖像画すべてに自筆サイン揃ったのよ。ねえ、ねえ、すごいでしょ。すごくない。日本くん、ほめてほめて」日本くんが、史子先生をよしよしする。史子先生は、授業中でも、教壇ではなく、日本くんの隣に座っているのだ。もともと、日本くんの隣だった山梔子さんは、所在なさげに、教卓に腰掛けて足をぶらぶらさせている。

「えらい。えらい」と日本くん。

「実は、私は、伊能忠敬の上位能力者なの。瞳を閉じれば、日本全国、どこでもいつでも、テレポーテーション。能力を一回使うごとに、寿命が一ヶ月縮んじゃうんだけど、そんなこと知ったこっちゃない。日本史の教師たるもの、日本史上の人物全てに面会しなくちゃ気が済まない。おかげて、寿命がえらいことになったけど、美人薄命というからね。明智光秀には、『こんな時にサインなんかかけるかあ』と怒鳴られ殺されかけたけど、なんとか説得。『後世の学生の勉学のためならば致し方あるまい』と納得。蘇我入鹿、そんな悪い人じゃなかったよ。というより、話してみると、みんな意外といいひとでびっくり。ところで、私の計算によると、今日が私の命日。一度、百年後に飛んで、墓石に刻まれた命日確認してるんだ。そこから、マイナス百ヶ月。ああ、生き切った。充実した人生だったわ。日本史図録は、学校図書室に寄贈するから、好きな時、好きな人が好きなだけ眺めてちょうだい。私のタイムトラベルダイアリーは、日本史見聞録として、後日自費出版するから、勉強の足しにするように。それではみなさんさようなら。日本くん、最後のデートをしましょう」

 史子先生は日本くんを引き連れ、意気揚々と学校を去って行った。


 すべては、手淫から始まった。やりすぎたのだ。右手に、エロ漫画を持ち、左手で、特に、左手親指で手淫しまくっていた。

 私だって、いい年こいた高校生なのだから、仕方がない、ことなのだろう、とは思う。

 恥ずかしくは、ない、と思う。

 手淫しまくっていると、左手の指たちが、特に左手親指が、性に目覚めてしまった。

 やばい、と思った時には、もうすでに、事が始まっていた。もうすでに、時遅しだった。

 私の左手親指が、左手小指を強姦していたのだ。いや、和姦だったかもしれない。わかんない。

 指たちのタイムスケールと私たちのタイムスケールとは、かなり隔たりがあるようだ。事が終わった次の瞬間、小指の下腹部が、ぷっくりと膨らんでいた。受胎したのだ。一分後、出産。小指のぷっくり膨らんだ下腹部を突き破るように、親指と小指のちょうど合いの子みたいな指が出芽。えっと、なんて呼べばいいのだろう。私は咄嗟に、『子宝指』と名付けたのだった。

 けど、事態は、それだけで済まなかった。私の左手親指は、絶倫だったのだ。子宝指の出生に脇目も振らず、親指は薬指を犯していた。小指は嫉妬に身をよじっていた。薬指は、優越感からか身をくねくねくゆらせていた。有りえない、関節の蠢き。薬指も受胎。ぷっくり膨らむ下腹部。一分経過。出産。出産というより発芽。指七本。けど、親指は絶倫。続けざまに、中指、人差し指、受胎。

 そんなこんなが、延々と続いた。困ってしまった。

 こんな左手嫌だなあ、と思った。

 手淫しすぎたばっかりに、指たちが、性に目覚めてしまったなんて。

 できるだけ、だぼだぼの、サイズ違いのパーカーを羽織った。それでも、私の左腕の蠢きは生地越しに見て取れた。

 指たちの関係はどんどんどんどん爛れていった。子宝指が、小指を犯した。近親相姦上等。手のひら手の甲指まみれ。手首二の腕へと、どんどんどんどん、指が侵食していった。私は、指折り、千まで数を数えられるようになっていた。

 絶倫の親指に、コンドームを被せることに成功し、勢いは弱まったが、かといって、その他の指たちの近親相姦は止まらない。

 アリスに相談しようかと思ったけれど、相談してどうなる。

 そんな折だった、先生に出会ったのは。

 先生は、たまたま私の目の前の交差点で、信号待ちしていたのだった。

 先生は、腰に二振り、日本刀を穿いていた。

 見ず知らずの赤の他人ではあったけれど、この際、致し方ない。

 このままでは、全身指まみれになってしまう。みんなから、『指をさすな』と怒られてしまう。

 ありとあらゆる角度から、突き指の恐怖に怯えなくてはならなくなってしまう。というより、全身指まみれになったら、多分死ぬ。口の中まで指まみれじゃご飯なんか食べられないし、そもそも、指の重さに押し潰されて自壊してしまう。

「あの」と私。

 先生は私に気がつかないのか、ぼんやりと上の空。

「あの」

「なにかな」先生はくちゃくちゃと、ハイチューらしきものを噛み締めていた。

「左腕を切り落として欲しいっす」

「お安い御用だ」と、鮮やかな日本刀捌き。パーカーの袖ごと私の左手が宙を舞う。

 左腕は、宙を舞いながらも、生殖をやめなかった。何かの拍子に、親指のコンドームが取れたのだろう。勢い、いや増しに増した。空中で、ぼんぼんぼん、と雪だるま式に体積を増量したのだ。たまたま、すぐそばで信号待ちしていたおばさんのそばを左腕がかすめ通った。おばさんとすれ違う一刹那、左腕から、シャワーの如く、おばさんめがけて指たちの精液が振りかけられた。おばさんは、「ひやあ」と言った。おばさんの両手両足の指指がつぎつぎと受精した。受胎した。一分経過。懐胎した。おばさんの体を、幾何級数的に指指が繁殖していった。「ひやあ」「ひやあ」とおばさんは、叫びっぱなしだった。「気持ちー」とおばさんが絶叫した。それが辞世の句であった。身体中にふじつぼのごとく、何万という指を生やしたおばさんは、その指の重さによって、くしゃくしゃに崩折れてしまった。おばさんの洋服を突き破るようにして、長さ二三十センチほどもある指指が顔をのぞかせた。

 それが指森の始まりだった。

 私と先生は血を滴らせながらその場を走って逃げた。

 逃げ遅れた人々は、次々と指森に取り込まれていった。

 あれから、もう、半年も経つ。

 指森は、現在、推定約百兆本の指の集合体。

 正直、指森のことは、あまり話したくない。恥部だから。

 でも、そんな指森も、私の人生の一部。

 指森観光名所化計画、なんてものも、街のどこかで勃興中だけれど、うまくいくは知らない。


 戦争が激化していく。味方と敵とがマジになり始めたのだ。

 当初、ごっこ遊びの体であったそれが、だんだん、ちょっとどついてみる。どつきあってみる。殴るふりをする。蹴る真似をする。殴る。蹴る。本気で殴る。本気で蹴る。怪獣が泣き出す。まで発展してきたのだ。

 困ったことになり始めたな、と街中の人たちが予感した。心ある大人たちが、南無阿弥陀仏と唱え始めた。けど、効験はなかった。

 ついに味方が、物を投げた。手にしていた、ゼロ戦闘機を怪獣めがけて投げつけた。

 ゼロ戦闘機は、怪獣の鳩尾に命中した。パイロットごと爆散した。

 怪獣は腹立ち紛れに手にしていたワイルドキャットを握り潰した。

「痛いじゃないか」と怪獣が言った。

「うるせえ」と味方が応えた。

 そこから先は相撲。

 怪獣と味方とが四つに組んだ。近隣の人々はなんとなく、嫌な予感がして、そろりそろりと距離をとった。

 怪獣の上手投が決まった。味方の巨体が、埋立地をはみ出して、市街地へのしかかった。オフィスビルの幾棟かが押しつぶされた。

 多くの社長が息絶えた。それに連なる人々もまた。

 味方と怪獣とは、何がおかしいのか、わはは、と破顔した。

 親しみを込めたどつきあいをしばらく繰り広げた後、肩を組んで、神様穴へと戻って行った。

 アリスと私とは、そうして出来上がった廃墟群を二人して散策した。

 ジャーナリスト他そこには様々な人がいた。

 ライトセイバー駆使して、高校生が人命救助に勤しんでいた。

 そんなわけないのに、廃墟というのは、すべてが灰色に見える。

 誰かの心の中を歩いているみたいだ、と思った。誰の心の中かは不明。

「戦争、終わらないっすねえ」

「私たちが始めたんじゃないもの。いつか勝手に始まった戦争は、いつか勝手に終わるのを待つほかないから」

 ふっと、思った。私たちには目的がないのだ。それと同様、味方と怪獣にも目的がないのだ。だから、だらだらと、戦争ごっこが続けられる。目的がなければ、終わらないのも道理。どちらかが、どちらかを殺してしまうところまで行き着いてしまえば、強制的に終了するのだろうけど、それはそれで悲惨だなあ、と思う。

「アリス、どうしてこの頃学校へ来ないっすか」

「ここでこうしてるのが好きだから」


「私、桃太郎になるから」と言い捨てて、桃山桃子が県立邪馬台国高校を去ったのはつい、先日のこと。

 別に、物珍しいことではない。何度も繰り返しになるけれど、県立邪馬台国高校の最低知能指数は三億。みんなそこそこそれなりに個性的なのだ。

 個性的だからって理由だけじゃないけれど、みんな自我が強いのだ。エゴの塊なのだ。

 ふとした弾みに、なんでもない日常に嫌気がさして、県立邪馬台国高校の衛星軌道上からはみ出したくもなる。

 中途退学したくもなる。

 中途退学した後、どうするかは本人次第。

 桃山桃子は桃太郎になった。

 数の暴力に訴えたかった桃山桃子は、黍団子五億個作った。持ち運ぶのが不便だった。ひとまず、三百個くらいを風呂敷に包んで背負いこんで、旅立った。

「この世のありとあらゆる悪鬼羅刹を征伐するの」と無眉毛髭面の小男が私に囁いた。

「鬼なんて、どこにいるっすか」

 場所は、駅前の噴水広場で、私たちは並んで、噴水の台座に腰掛けていた。目の前には一畳ほどの茣蓙を敷いて、その茣蓙には、三百個の黍団子を均整に並べて。

 駅前広場に巣食う鳩と雀はだいたいみんな仲間になった。

 どこからともなく蟻の行列が延々延々続いてる。

「昨日だって、私の夢の中に出てきたよ。あいつ、許せない」

「あ、そういえば」とふっと記憶が蘇る私。「蜘蛛女のお父さんは鬼蜘蛛っす」

「知り合いのお父さんは、征伐できないよ」意外と軟弱な桃山桃子。

 丸ノ内くんはどうするのだろうか、とふっと思った。このまま何事もなかったように高校に残るのだろうか。桃山桃子の後を追うのだろうか。

 いくら、異性として好きだからといって、その好きは、たまたま同じ高校の同級生としての桃山桃子が好き、なのであって、桃太郎としての桃山桃子が好きってわけではないのかもしれない。

 だとしたら、丸ノ内くんは、とんだ女子高生マニアだ。丸ノ内くんは、桃山桃子という一個人が好きだったのではなく、桃山桃子のJKという属性に夢中だっただけなのだ。どんな変態だ。人間のクズが。

 彼女が高校中退した途端、好きじゃなくなるなんてひどい話。

 逆の見方もできる。

 桃山桃子が桃太郎になった途端、家来になった、鳩、雀、蟻にしたって、桃山桃子という一女性に好意があるのではなくって、桃太郎という桃山桃子の新たな属性に心惹かれただけだ。

 真心じゃない。

 真心ってなに。

 この世の中にはクズばかりだ。

「花孒、私はね。鬼どもを征伐して金銀財宝をぶんどったら、それを元手に土地を転がすの。大量の土地を購入するの。そして、その土地すべてを黍畑にする。熟練の農夫も雇ってね。秋になって、黍が収穫できたなら、再び黍団子を作り、次々と仲間を増やすよ。ありとあらゆる雑食性の動物が私の傘下に収まる。そうなればもう、こちらのもの。私は、国家として独立する。独立に足る軍事力を擁したから。桃太郎の国と名付け、国連の常任理事国入りを目指すの。その国家は、超安全で平和だよ。なにせ、桃太郎が統治しているのだからね。鬼が出没する余地がない。国中に野犬、野猿、野雉の群。ちょっとひどいことをするだけで、あたりに潜んでいた犬、猿、雉の群に、噛みつかれひっかかれ啄まれる。運が悪ければ、死ぬよ。他所の国が飢饉にあえいでいるなら、大量の黍団子を物質援助と称して送り届けるよ。そして、傀儡国家をどんどん増やす」

「Bow Wow Bow Wow」と何処からともなく犬の鳴き声。それは丸ノ内くんだった。

 四つん這いになって、丸ノ内くんが走ってくる。

 県立邪馬台国高校の制服も捨て、竹馬も捨て、ありきたりな私服姿で走ってくる。

「遅いよ丸ノ内くん」と桃山桃子。

「申し訳ございませぬ。俺様、日本の昔話に疎く、桃太郎?なにそれ?って感じでございました。ただいま、柳田國男全集読了仕り候、アニメ日本昔ばなし全話視聴仕り候」そして、丸ノ内くんは、物欲しそうな瞳で、桃山桃子をじっと見つめる。

「欲しいの、黍団子」

「うん」

「えへへ」

 丸ノ内くんは、桃山桃子ほど踏ん切りがつかなくて、県立邪馬台国高校には籍だけ残している。


 海岸線に、史子先生と日本くんの溺死体が流れ着いた。

 心中というのだ。

 古風だった。

 発見したのは伊奘諾さんで、一瞬、第二の伊奘冉さんかと思ったけれど、どう見たって、ダッチ ワイフではなかった。だいたい、そういう発想は不謹慎だ。不謹慎ではあるのだけれど、それは事実なのだから、仕方がない。伊奘諾さんは、どこかにダッチワイフが落ちていないものか、と街中をうろつき廻っている最中だったのだ。そういう頭で世界を見渡せば、溺死体をダッチワイフと見間違うことだってあるだろう。

 何処からともなく、史子先生のタイムトラベル仲間だった伊能忠敬が出現して、黙祷を捧げて、捧げ終わると、何処へともなく掻き消えてしまった。

 後日、トラベラー哲も弔辞だけ送ってよこした。

 古代から続く名家から続々と哀悼の言葉が捧げられた。「祖父がお世話になりました」「曽祖父が「曽曽祖父が「曽曽曽祖母が「曽曽曽(略)曽祖父がお世話になりました」

 二人は、海中で離れ離れにならないように、互いの両足を固く固く結びつけていた。ひどく痣に成っていて、そこだけ縊れていて痛々しかった。

 お葬式。

 二人一緒にお葬式。

 二人揃ってお墓に入る。

 日本ノ墓。

 日本国民、永眠。

 日本史子、永眠。

 一時代が終わった感がある。

 日本くんのことも、史子先生のことも知らない赤の他人の墓参者が、ふっと、墓前で立ち止まり、思わず黙祷してしまうらしい。


 彼女は、ドッグフードを飼いならしていた。

 ペットショップで五キログラムのドッグフードを買い込み、自宅に放し飼いしていた。

 廃棄肉をさまざまな調味料と混ぜ合わせ、乾燥させ、粒状に形成した、あのよくあるドッグフード。

「私は馬が好きなのじゃが」と彼女は私に教えてくれた。「本当のところ、馬を五、六十頭飼いならして、ぱからぱから、したいのじゃが。馬は金がかかるじゃろう。私にそれほどの金はないのじゃ。じゃが、聞くところによると、ドッグフードの原材料は馬肉じゃそうな。馬は買えぬが、ドッグフードなら買えるでな。これで我慢じゃ。忍耐忍耐」

 彼女は、金が余る度ごとに、その金すべてドッグフードに費やした。みるみるうちに、家がドッグフードまみれになった。何処からともなく、野良犬がやってくるのであるが、彼女は、その野良犬どもを蠅叩きで以って、殴って殴って、たまに殴り殺した。

 リビングルームを腰まで埋めるドッグフード。彼女は、そのドッグフードの海に、埋没するのが好きだった。始終満面の笑み。

「こしょばゆいじゃろ。よせやい。よせやい」とドッグフード相手に戯れるのだ。

 彼女の中では、ドッグフード四百キロ=馬一頭という計算らしく、今では家に、八頭の馬の屍が飼われていることになる。窓という窓が、ドッグフードという内圧にみしみし言っている。

 ゴキブリや野鼠がドッグフードの海を泳ぐ。

 時に彼女は、ドッグフードを袋に詰めて、トラックに積み込み、近所の牧場まで連れてゆき、放牧する。

 時に彼女は、ドッグフードの山に跨り、ぱからぱからと、擬音を発する。

 彼女は私の祖母である。父母は健在なのであるが、県立邪馬台国高校に通うには、親元からだとちょっと遠くて、祖母の家に寄宿している。

 だから私は、だいたいいつも、ドッグフードくさい。

 私はわりあい犬に好かれる。

 けど、第一印象がいいだけでもある。

 初め、しっぽふりふり近寄ってきた見知らぬ犬が、なんだにおいだけかってがっかりした顔して、散々私を嗅ぎ尽くした後、立ち去る姿は、なんとなく遣る瀬無い。

 私はしばらく、桃山桃子および丸ノ内くんと一緒に街中を散策した。

 私が犬を惹きつける係で、丸ノ内くんが犬とお尻を嗅ぎ合って挨拶して打ち解けて、桃山桃子が黍団子を与える。

 三人の連携プレイ。

 けど、この中で最も重要な役割を演じているのは、丸ノ内くんだ。

 私の代わりはドッグフードで十分だし、黍団子をあげるくらい、誰だってできる。

 何はともあれ、人の役に立てるのは嬉しい。祖母に感謝を。

 将来、桃太郎の国の名誉市民にしてもらえるって口約束。


「俺にだって、若い頃があったんだ」と先生。

「今も十分かっこいいっすよ」とほぼ自動的に褒める私の口。

 場所は、いつもの体育館付属倉庫。宿無しだという先生をこの場所に連れ込んで以降、先生はずっとここ。日に日に、肌の色が褪せていく。出会った当初は、あんなにも小麦色だったのに。

 色白だろうが、小麦色だろうが、私にはどっちでもいい。

「かつて俺は腹話術氏の彼女と付き合っていた」今日の先生は、思い出に浸りたい気分のようだ。十段まで重ねた跳び箱の斜面に寄りかかって、私が与えた煙草を燻らせている。

 私は私で、十段まで積み重ねた跳び箱の中に潜り込んで、塹壕で戦う兵士ごっこをして遊んでいる。跳び箱の隙間からプラモデルのマシンガンを突き出して、ダダダダダ、と口で。遊んでいる、とは言っても、先生の話には一応耳は澄ませているのだ。

「先生に彼女なんていたんすか」

「ふははははは」と先生。「ふは」

 人は中身じゃないんだな、と思う。見かけがすべてなんだな、と思う。先生は、私が持ち込んだ折りたたみ式のテーブル(祖母がさらなるドッグフードを買い込み、家財道具一式、置き場がなくなってしまったのだ)の上に、県立邪馬台国高校所属の、女教師、女学生、各種各味のおまんこ味のハイチューを並べている。私のもある。アリスのもある。桃山桃子のも。今はなき、史子先生のも。それぞれのハイチューに、氏名をメモした付箋が貼り付けてある。先生のことだから、そんな付箋などなくたって見分けがつくのだろうけれど、コレクター心理としてできるだけ整然とコレクションを陳列し悦に浸りたいのだろう。ちなみに、このハイチューコレクションは昨夜完成したそうだ。昨夜完成したばかりだからか、先生は、妙に腑抜けた表情して過去を語り始めている。

「ふははははは。俺には元カノが十億人いる。現在生存している人類の約半数が俺の子供か孫だ。みんな、こっそり俺と不倫してるのさ」すごい話だ。

「プレイボーイっす」

「少年って年齢じゃないがな。それに、ホテル勤めでもない」

「実際のところどうなんすか」

「何が」

「先生の年齢」

「うーん。内緒。秘密。恥ずかしいだろ。まあ、そこまで年じゃないよ。十九ってわけじゃないが、九十一ってわけでもない」

「けど、孫はいるっすね」

「人間、十二、三で子作りしようと思えば、できるからなあ」とあっけらかんと先生。

 なんの話だっけ。そうそう。

「その約十億人の元カノの中で忘れがたい彼女が何人かいるんだ。一人はエイリアン。一人は国家機密。そして最後の一人が腹話術師」

「国家機密が気になるっす」

「言ったら殺されるんだ。俺」

「私が守るよ」プラモデルのマシンガンを、ダダダダダと、口で。

「そういうレベルじゃなく、殺されるんだ。花孒も死ぬよ」

「そっか」無力って嫌だな。

「エイリアンは今頃、アンドロメダ星雲で俺の子種を鼠算式に増やしてくれているだろう。国家機密は、機密だ。腹話術師なんだが、彼女は、おまんこの腹話術師なんだ。こう、おまんこを、右手人差し指と、左手人差し指でぱくぱくさせるだろ、そのぱくぱくに合わせて、しゃべるんだ。おまんこが。いきなり、何脈絡もなく、そんなことを初めてさ、一瞬、本当に、おまんこが自我を持って喋ってんのかと思ったくらいだ。びっくりした。後で聞いたら、プロの大道芸人でさ、腹話術も、ジャグリングも、玉乗りも、切り絵も、お手の物なんだ、あいつ。だからって、いきなりそんなことされたら、こっちだって、びっくりするぜ。魂消るよ。魂が消えるかと思った。しかも、そのおまんこ、何を言い出すかと思ったら、『我は神なり、崇め奉れ』とか言うんだ」

「そっすか」と私。

「事に及んでいる最中、腹話術で喘ぐから、何が何やらわからなくなった。青春の一頁ってやつだな」

「そっすか」と私。先生のこと少し好きじゃなくなったかもしれない。

「怒ってるのか」

 どうだろう。

「怒っているのだとしたら、申し訳ない。喋りすぎたのかもな」

「先生」と私。「何処から何処までが嘘で、何処から何処までが本当っすか」

「俺は嘘つかないぜ」

「嘘こけ」

「皆まで言わせるか」

「ゲロれ。ゲロれ。すっきりするっす」

「実は今、酔ってるんだ」酒のせいにした。

「先生」と私。「先生は、正直、あまり倫理的じゃないし、それほどいい人ってわけでもないし、頭のネジが五、六十本抜けてるけど、嫌いじゃないっすよ。どっちかっていうと好きっす」どこをどのくらいどんな感じで好きなんだろう。

 好きって感情は人それぞれ。

 けど、まあ、祖母よりかは好き。

 祖母がドッグフードを愛しているくらいには、愛している。

 何故だろう。特に理由など、ないのかもしれない。


 桃山桃子と、史子先生が政府より補充された。

 桃山桃子は桃太郎になり、史子先生は死んでしまったからだ。

 欠けたものは埋めなくてはならない。

 日本くんも死んだのだけれど、男なのでどうでもいいそうだ。

 いや、嘘。

 日本くんもそのうち、補充される予定。

 けど、代役の目処が立たないみたい。

 丸ノ内くんへは、『どっちつかずの態度はいかんぞ』と勧告。警告。脅迫。『股裂きの刑にするぞ』

 丸ノ内くんは、困ってしまった。

 私だって、この場をさる事になったら、また私とは違う誰かが、私の役を演じるのであろう。

 ありがたいような、そんなことどうでもいいような。

 新しい桃山桃子は、別に、桃山桃子って名前じゃない。

 網代鯛子という。

 日本史教師の方は、

 水増鏡子。

 水増鏡子先生のことは、慣例通り初日からいじめ通した。

 鏡子先生は、史子先生や卑弥呼先生ほど強くはなかった。

 塩をかけたナメクジのように小さくなって、縮んで縮んで消えてしまった。

 仕方ないから、しばらくの間、卑弥呼先生が日本史も兼ねる。

 そういえば、卑弥呼先生の担当科目が不明。

 初日は、たまたま死んだ田中道郎十七歳の死因解剖を執り行い、生物の教師っぽかったのだけれど、授業のたびに科目が変わる。

 そもそも、生物と化学の授業は、化け物が担当している。

 そういえば、田中道郎十七歳の代わりには、田中道郎十七歳のお父さん、田中道老五十七歳が補充された。

 最低知能指数三億というのがやはり厄介なハードルなようで、なかなか順当な欠員補填が行えないようだ。ノーベル賞受賞者は少々歳を食い過ぎている。


 アリスがこの頃ハードボイルドになっているらしい。

 ハードボイルドになったアリスが、白昼堂々、街の人々を襲っているらしい。

 ひどい話だ。

 今のアリスには、血も涙も無い。

 なんとなく虫を踏み潰す感覚で、道ゆく老人の脇の下をくすぐっている。

 指も無いくせに。

 道無き道をアリスは進んでいる。交差点の花壇は、すべてアリスに踏み潰された。

 きっと、私には窺い知れぬ事情で欲求不満なのだろう。

 親のいない反抗期なのだろう。

 こういう時は、自然と触れ合うのがいい。

「アリス、キャンプに行こうっす」私はアリスをキャンプに誘った。

キャンプへ出かける下準備として、私たちは、コンビニで大量のコンドームを購入した。

 先生も誘おうか。誘ったら来てくれるだろうか。先生の分のコンドームも余分に購入した。


 コンビニでコンドームを購入。

 コンビニでコンドームを購入。

 こんなわくわくする買い物ってない。

 コンビニでコンドームを購入。

 これをなんていうか知っているだろうか。頭韻っていう。

 恋人とコンビニでコンドームを購入、なら、なおよろしい。

 今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入。

 今後に備え、今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入。

 コマーシャルの後は、金輪際、今後に備え、今夜、コルセットを締めた恋人と、煌々と光るコンビニで、こんな感じの極太コンドームを購入しない子供達のこまっしゃくれた小顔に刻まれた小じわこそ、コモン・ロー。

「流石にくどいよ」とアリスの弁。

「うん」と私。

 アリスと二人、深夜のコンビニで、頭韻を踏みながらコンドームを物色した。

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」

 このくらいがちょうどいい。

 店内構造が複雑怪奇で、仕方なく、店員さんに

「極細」と尋ねた。

「極細ポッキーですか、極細コンドームですか」と親切な店員さん。不親切な店員さんなら、『極細ポッキーですか、極細ボッキーですか』と反問するだろう。少々、というか、いささかおやじくさい。

「後者っす」

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」と歌うたうアリス。

「こちらにございます」

「ありがとう」極細から極太までそれぞれ二ケース購入したら、札入れが空っぽになってしまった。


「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」を私もアリスも気に入ったから、路上ミュージシャン通りまで出っ張ることにした。

 本当は、先生とのデートコースにと措定しいたのだけれど、先生はなかなか奥手で、私の誘いには乗ってくれないのだ。

 今夜は、下見ということにしよう。

 アリスと私は、ただの友達、というには、あまりにずぶずぶした関係なのだ。私にちんちんが生えていたら、一瞬のためらいもなくアリスの中に潜り込んでいたことだろう。そういう雰囲気がアリスと私にはある。

 路上ミュージシャン通りでは、路上ミュージシャンたちが、路上ミュージックを奏でている。

「俺たちはうんこくさい。

 俺たちはうんこくさい。

 なにせ、一年、風呂入ってないんだ。

 朝ごはんに、うんこたべた。うんこうんこ。

 夕飯もうんこなんだぜ。うんこうんこ。

 まともな食い物どこにもない。

 犬のうんこはうまいんだぜ。」

「せめて君がパンチラしないように。

 町中に障子を張り巡らせるんだ。

 襖でもいいんだけど。

 見通しが悪くなるだろう?

 せめて君がパンチラしないように。

 坂道は全て、コンクリートで塗りつぶしたんだ。

 すごく金がかかった。

 子供っぽいあたしの愛着。

 せめて君がパンチラしないように。

 いつも高気圧になるように

 気象庁に交渉中。

 金がかかるぜ。

 けど、あたし政治家の娘。」

「僕は繊細。

 僕はナイーブ。

 僕は繊細な線で、繊細な犀えがく。

 ああ、セックスしたい。

 セックス。セックス。セックス。

 僕は戦災

 孤児。

 僕は戦災居士。

 ああ、死んじゃった。

 こじつけばかりさあ。」

 私たちは、三人の路上ミュージシャンを通り過ぎ、ちょうどいい隙間を見つけた。

 それぞれの路上ミュージシャンには、それぞれのファンが取り囲み、微かな声で合唱している。

 路上ミュージシャン通りには異様な熱気がある。通り抜けるだけで、魂を吸い尽くされかねないような、そんな熱気がある。

 気を引き締めなくてはならない。

 私たちも、二人並んで、歌うたう。

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」

「今夜、恋人とコンビニでコンドームを購入する子供」

 ただ、それだけの、一行しかない歌詞をあの手この手の韻律で、繰り返す。私が歌う番、アリスがボイスパーカッション。アリスが歌う番、私が手拍子足踏み、指ぱっちん。

 気がつくと、黒山の人だかり。みんな涙を流している。

 その中には、国分文太郎先生もいた。実は、先ほど素通りした路上詩人の一人が、国分先生でもあった。国分先生は、路上詩人でもあり、夜毎夜毎、路上ミュージシャン通りで、詩吟しているのだ。

 国分先生は、「ブラーヴォ、ブラーヴォ」と手を叩き、金をくれた。

「コマーシャルの後は、金輪際、今後に備え、今夜、コルセットを締めた恋人と、煌々と光るコンビニで、こんな感じの極太コンドームを購入しない子供達のこまっしゃくれた小顔に刻まれた小じわこそ、コモン・ロー」観客ともども合唱した。

 私もアリスも顔が火照っていた。

 詩情とはエクスタシー。


 痴漢部の練習風景を見学しないか、と山本くんに誘われて、まあ、今後の予定も未定だし、まあ、いっか、と私はとことこと山本くんの後を追った。

 痴漢部の部室は女子トイレ。

 総部員数十六名。うち幽霊部員一。

 一応彼らのために弁解しておけば、彼らが部室に使用している女子トイレは、現在排水管のつまりで、本来の目的使用されていないのだ。

 痴漢部は、文武両道。頭脳も肉体も重要なのだ。

 なので、その練習内容も、前後半、文と武に二分される。

 前半は、読書会。今回は、サルトル『自由への道』を原書で輪読。

 後半は、基礎体力作り。腹筋、背筋、スクワット、腕立て伏せ。懸垂。合計一万回。ただ、どうみても普通のやり方ではない。どう普通じゃないかは、言いたくない。表現をためらわざるを得ない。

 すごいなあ、と私は思う。

 女子トイレのタイル敷きの床は、男どもの汗でびしゃびしゃである。

 すごく真面目だ。

「すごいっす」

「ふははははは」と山本くんの照れ笑い。「花孒女史、どう。痴漢部いいでしょう。一緒に汗を流しましょう」

「うーん」ちょっと迷う。

「いいですよ、痴漢。楽しいですよ、痴漢。やりましょう、痴漢。向いてますよ、痴漢。おすすめです、痴漢」

 そこまで言われると、却ってひいてしまう。

「組織に属するのは、何か違うと思うっす。痴漢とは本来孤高であるべきものっす。組織的痴漢は、いずれセクハラに堕落するっす。真の剣豪は、剣道の試合には出場しないっす。私は、山本くんのことは好きだし、尊敬しているけど、痴漢は部活動でやるものではないっす」これが私の答えだった。「けど、山本くんは、山本くんの道をゆけ」自由への道を。

「ああ、僕の痴漢は、純粋痴漢じゃない。大衆痴漢ですよ。でも、大衆性の中にこそ、真の痴情があると思うのです。花孒女史」

 私と山本くんは、ゆっくりゆっくり靴脱ぎ場まで歩いた。それでは、正門と裏門へそれぞれ別れた。


 トラベラー哲とマジカルポンチョが学校へやってきた。

 新任と編入だ。

 トラベラー哲は、先日いじめ退職した水増鏡子先生の代わり。日本史講師として。

 マジカルポンチョは、日本くんの代わり。これで我が学級も、定員三十名ちょうどになった。

 丸ノ内くんは相変わらず、欠席続きだけれど。

 トラベラー哲という人選にはなるほどな、とクラスメイト皆が唸った。現役の文部大臣、しかも、タイムトラベラーが日本史講師とは、これいじょうないほど適任だ。

 マジカルポンチョは、ポンチョで、先日の国会答弁でトラベラー哲にコテンパンにやられていこう、自信阻喪。高校生からやり直そうと、編入してきたのだった。

 トラベラー哲は、タイムトラベル術を駆使すれば、同一時間軸上に散在できるので良しとして、タイムトラベルできないマジカルポンチョは、いくら参議院と言ったって、国会議員と高校生の二足のわらじは厳しい。

 マジカルポンチョの便宜のために、県立邪馬台国高校の一教室が新国会議事堂になった。何しろ、マジカルポンチョの得票数は人口より多いのである。マジカルポンチョそのものが一般意志と言っても差し支えない。だから、このくらいの御都合主義、至当だった。

 高校生に混じって、国会議員が会期中県立邪馬台国高校に登校するのだ。議員たちのベンツの脇を竹馬ライダーたちが悠然と追い越してゆく。国会議員たちの間にも、にわかに、竹馬ブームが巻き起こる。

 しかし、しがらみの多い政治家のこと。大臣クラスじゃないと、五メートル級の竹馬は使用してはならない、とか、新人は竹馬使用を遠慮しなくてはならない、とか、そういう暗黙のルールが張り巡らされているようだ。早く、竹馬に乗りたい、と新人議員たちは、身もだえしている。

 そういえば、私たち県立邪馬台国高校の学生たちも政治とは無関係ではない。何しろ、知能指数が高いのだ。県立邪馬台国高校に入学した段階で、年齢問わず、選挙権を認められている。しかも、一人、三百万票投票可。知能指数が、一般人より三百万倍なのだから、当然といえば、当然の責務だ。ノブレス・オブリージュっていう。

 けど、私は野暮ったくて投票なんて行かない。

 政治家たちからの接待が面倒臭い。


 国土が膨張した。

 伊奘諾さんの仕業だった。

 伊奘諾さんが必殺技を覚えたのだ。

 けど、覚えたてじゃ、心許ない。

 その心許なさを解消すべく、伊奘諾さんは、日夜必殺技の練習に励んだのだ。海岸線で。その影響で、伊能忠敬が圧死した。深刻なタイムパラドックスが発生したが、時の流れが解決してくれるだろう。失恋の身を割かれるような痛みのように。

 すべての問題は、放っておけば、なんとかなるのである。

 伊奘諾さんが私を呼びつけた。

 ドッグフードの館まで、伊奘諾さんがやってきたのだ。

 人間嫌いで野原在住の伊奘諾さんなのに、わざわざこんな住宅街までやってきたのだ。

 ただ事ではないな、と思ったら、ただ事ではなかった。

「花孒さん、こんにちはだぜ。俺、必殺技覚えたんだぜ」

「ナギさん、すごいっす。見せて見せて」必殺技なんて、卑弥呼先生の『ラプラスの悪魔』ぶりだ。いや、桃山桃子の『眉毛使い』も、必殺技に分類されるのだろうか。私の『絶倫親指』も必殺技といえば必殺技だ。必殺技すぎて、制御できなかったけれど。史子先生、伊能忠敬、トラベラー哲の必殺技は『条件テレポーテーション』。山本くんをはじめとする男子生徒は、『ちんちんライトセイバー』を習得している。考えてみると、だいたいみんなん、何かしらかの必殺技を習得している。伊奘諾さんもようやく、必殺技を習得できる年齢に達したのか。昔でいう、元服。

「ふははは。見せたいのは山々だぜ。けど、ここじゃ危ないんだぜ。なにしろ、閑静な住宅街だからだぜ」

「そっすね」

 私たちはとぼとぼ歩いた。海岸線まで歩いた。海辺まで歩いた。もともと砂浜だった場所は、テトラポッドまみれになっていた。否、テトラポッドっぽく見えただけだ、直径一メートル超の巨岩まみれだった。そもそも、そんな岩石地帯が、水平線を押しつぶしそうなほど、広がっていた。

「俺の必殺技は『君が代』だぜ」と伊奘諾さんは気負うことなく呟いた。

「君が代」と、反復する私。

「さざれ石を巌に変えちまうんだぜ。試しに、海浜の砂つぶ全て巌に変えてみたんだぜ。伊能忠敬のおっさんにはすまねえことしたぜ」

 さざれ石とは、小さな石のことで。巌とは大きな岩のこと。まあ、砂浜の砂も、極小の石といえば石。

「折角、おっさんが、半生かけて作図した『大日本輿地全図』無駄にしちまったぜ。海岸線、塗り替えちまったぜ。それに、あのおっさんが海岸にいるの気が付かなくって、うっかり、巌と巌の間に挟んじゃったぜ。南無阿弥陀仏」まさか、冬の海辺に人がいるとは思わなかったのだそうだ。伊奘諾さんは、泣きながら、手近な巌に頭突きしていた。「ごめんなさいだぜ」

「そっか」と私。

 必殺技、とは、必ず殺す技なのだ。

 業が深い。おいそれと発現していいものじゃない。私の『絶倫親指』だって、多くの人命動物の命を絶ったのだ。そして、今も奪い続けている。

 私も泣きたくなった。

 その涙が、海水に溶ける。


 先生をアリスと私の二人掛かりで引っ張り出す。

「誰、この人」とアリス。

 先生は、私が個人の独断で、勝手に体育館付属倉庫に匿っているのだ。実は、誰も、先生のこと知らない。先生は、みんなのおまんこの味まで知っているっていうのに。

「ふはは」と先生照れ笑い。

「私の未来の恋人っす」

「ふはは」と先生照れ笑い。

「またの名をハイチュークリエイター」

「お菓子職人?パティシエってやつ?」とアリス。

「似たようなものだ」と先生。「花孒くん、いきなりどうしたんだ」

 私たちは数の暴力によって先生を体育館出入口まで引きずり出したのだった。先生もそこまで抵抗しなかった。一通りハイチューを作り終え、先生の研究室と化した体育館付属倉庫に固執する理由が薄れたのかもしれない。

「毎日毎日、閉じこもってたら、体に悪いっす。たまには屋外で日光浴っす」冬にしては、天気が良かった。

「そうだ。そうだ」とアリスも同調。

 本当は、授業時間なんだけど、アリスも私も先生と遊ぶために教室を抜け出している。そもそも、アリスは、学校にやってくるのは二週間ぶりくらい。今頃、教室では、国分先生が、二千五百六十九回目くらいの『絶対安全男』の朗読を続けているのだろう。文学は読めば読むほど理解が深まる、とうのが彼の持論で、確かにその通りなのだった。けど、いい加減しつこかった。夢に出るのだ。絶対安全男が。

「ふははは。太陽ってこんな色だったんだ」と先生。腰には二振りの日本刀。

 遥か頭上、教室の開け放たれた窓から、国分先生の朗読の声。

「コマーシャルの後は、金輪際、今後に備え、今夜、コルセットを締めた恋人と、煌々と光るコンビニで、こんな感じの極太コンドームを購入しない子供達のこまっしゃくれた小顔に刻まれた小じわこそ、コモン・ロー。」

 あれ、今日は、『絶対安全男』じゃない。

「いい歌だな」と先生。

「えへへ」と私とアリス。

「ところで、どこへ連れて行く気なんだ」と先生。

「キャンプっす」と端的に私。「先生は極細で良かったっすよね」とコンドームを一箱手渡す。

「食うか」と二個のハイチューを私とアリスに手渡す先生。

「いただきます」とアリスと私。

「孫子も言っている。彼を知り己をしれば百戦危うからず。まずは、己を知ることだ」

 先生は深い。

「人肉の味がする」とアリス。それはそうだ。おまんこだって人肉だ。けど、

「人肉の味なんてどこで覚えたっすか」素朴な疑問。

「昔ね。ほら、これ」とアリスは指のない手のひらをひらひらさせる。「口の中に詰め込まれちゃって。あたし、どうしようもなかったから」

「そっか」私はアリスをぎゅぎゅっと抱きしめる。ポケットから煙草を一本取り出して、アリスの口に咥えさせて、ライターで火をつける。

「にしても、キャンプって、こんな寒空どこにテント張るんだ。寒いぜ」

「指森っす」

「なるほどな」と先生。ぱちんぱちんと音立てて、先生自身の指先へ、極細コンドームを装着して行く。指先コンドームは、指森へ侵入する際、命が惜しければ必須の装備だった。事前に避妊しておかなければ、四方八方から指を犯されまくり、かつての私の左腕みたいになって、最後には、死ぬのだ。

「足の指も忘れちゃだめっす。あと、念のため、三重に避妊しておくっす」

「あたしは」とアリス。

「アリスは大丈夫っす。指がそもそもないっすから」

「えへへ」と嬉しげにアリス。

 私は、片腕だから、アリスと先生に手伝ってもらって、右手両足の指に極細コンドームを装着した。念のため、三重に。一本歯の下駄からタラタラ垂れる、薄ピンク色のコンドーム。

 実を言うと、ゴム手袋とか、宇宙服とかでも代用できるのだけれど、前者はなんだか阿呆らしい姿になるし、後者は金がかかる。

 世界で最も尊いものってなんだろう。それは、今、この瞬間だ。

「ふはははは」

「えへへへへ」

「ふはははは」言葉も意味もなく、ただ、なんとはなしに時は過ぎて行く。てくてくと、三人不揃いな歩幅で、指森まで歩いて行く。なぜ、アリスのことが好きなのか、なぜ、先生のことを慕っているのか、私自身、そのアルケーは掴めないのだけれど、まあ、楽しいからいいや。

 冬のキャンプ地に、指森ほどうってつけの場所はない。

 何しろ天然の肉布団なのだ。

 冬場の指先は冷えるものだけれど、自分の指先は冷たくても、他者の手のひら指先、なぜだか暖かいもの。


 楽屋裏オナニー先生が、外国語講師。

 否、本当は、もっと立派な名前なのだが、私たち日本語を母国語とする生徒の耳には、どうにも、楽屋裏オナニー、と聞こえるのである。

 生徒の慈悲。

「teacher 楽屋裏。teacher 楽屋裏」と彼女のことを呼び習わそうとするのだが、その度ごとに、

「教師をファーストネームで呼ぶとは何事か。私を呼ぶ際は、ファミリーネームにミセスをつけなさい」という旨をラテン語で教示するのだ。

 仕方がない。

「Mrs.オナニー。Mrs.オナニー」

 楽屋裏オナニーは、凡そ三百億の言語を習得している。そのうち、約三百億語は彼女の自作言語である。彼女はちょっと変わったノーム・チョムスキー信者で。生成文法理論を真と仮定すれば、仮に、例えば、「オナニー」という発語方法のみ親が子供に教えても、新たな言語体系が生成されうるだろう、と考えている。そういう論文も学会に発表している。で、現に、そんな感じの言語を約三百億語生成している。

 私たち県立邪馬台国高校の生徒たちは、彼女の指導のもと、サミュエル・オーギュスト・ティソの『L’Onanisme』を原典講読している。おかげで、私たちは(一部例外を除いて)記憶力がいい。


 彼女のあだ名は、「Cカップの峰不二子」。

 けど、時折、仲間内で、

「Cカップなのに峰不二子」の方が言い得て妙ではないか、という議論が噴出する。

 もちろん、そういう話題に、私はかかずり合わない。

 そういうなんというか、低劣な話題は、男子高校生が担うべき仕事だ。

 確かに、この複雑な社会において、さまざまな役割が人々に割り振られている。

 そういう「Cカップの峰不二子」か「Cカップなのに峰不二子」かどちらが適当なあだ名であるか、という事柄を、仔細漏らさず、微に穿ち、徹底的に論議する役所も必要だろう、と私は思う。

 けど、それは専ら男子高校生が担うべき職掌であり、私はぼんやり、窓の外の風景を眺めている方がいい。

 って、授業と授業の隙間時間、休憩時間に思う。休憩時間だというのに、国分先生は、時を忘れて、朗読を続けている。

 国分先生のその姿は、一心に読経に向かう修行僧の如く。

 不誠実な瞳を爛々と燻らせる。


「Cカップの峰不二子」

「Cカップなのに峰不二子」

「Cカップですが何か?峰不二子」

「Cカップだが、峰不二子」

「Cカップと見せかけて、峰不二子」

「Cカップかよ、けど、峰不二子」

「Cカップの中の峰不二子」

「Cカップこそ峰不二子」

「Cカップ?峰不二子!」

「Cカップじゃない、峰不二子」

「Cカップでもいいじゃない。峰不二子だもの」

「not only Cカップ but also 峰不二子」

「Cカップの魔術師峰不二子」

「名誉EカップのCカップ」

「Cカップかつ峰不二子」

「或る集合Cカップは、集合峰不二子に内包されている」

「∃!x: Cc(x)∧Mf(x)」

「もし峰不二子がCカップだったら」

「以下、帰謬法によって峰不二子のカップ数を措定しよう。峰不二子がCカップであると、仮定する。この仮定より(以下略)」

「さらしを巻いた峰不二子」

「峰不二子ったら峰不二子」

「Cカップの奇跡」

「名誉峰不二子」

「奇跡」

「名誉」


 取り返しのつかないところまで進んでしまった気がした。

 田中春は、うんざりしたように頬杖をついていた。

 田中春が、いかにCカップでありながら峰不二子であるかが、論文にまとめられ、natureに掲載されたのだ。また、田中春がCカップでありながら峰不二子であることを証明するために、新たな非ユークリッド幾何学が要請された。その他、文学、哲学、歴史学、心理学、現代芸術、種々様々な学問領域に、田中春の影響は広がっていった。津波のごとく。それら各領域の学問的発展を有機的につなぎ合わせるために、田中春学が、提唱され、各国の主要大学で田中春学部が新設された。

 田中春は、うんざりしている。

「うがあ」と吠えた。


 そういえば、私とアリスと先生は、指森へ向かう途上であった。

 指森へ向かうならば、やっぱり、大亀停留所を利用したほうがいい。亀って意外と肉食よりの雑食なのだ。なので、大抵大亀たちは、指森に立ち寄ってくれるのである。

 私たち三人は、大亀停留所のベンチに腰掛け、大亀が来るのを今か今かと待ちわびている。コンドームのにおいがあたりに飛び散っている。

「先生はどこから来たっすか」

「忘れたなあ」

「そして、どこへ行くっすか」

「煙草の煙みたいなものだ」

 意味がよくわからない。

「先生は元カノが十億人いて、現人類の半数が子孫なのに、どうして私とは付き合ってくれないっすか」

「更年期なんだ」

 そんな年齢には見えないけれど。

「すり切れたんだ」

「何が」とアリス。

「五劫の擦り切れ。擦り切れてしまったんだ。物質的存在にすぎない、人間の限界だな」と先生は黄昏ている。

「そっか」と私。

「それに」

 大亀がやって来た。私たちは大亀の下に潜り込む。そして歩く。どこからともなく、味方の放り投げた零戦が飛んで来て、大亀の甲羅に当たって爆散した。けど、大亀は、どこ吹く風と、歩みを止めない。

「それは、近親相姦になってしまうだろう」

「あ」

「目下、現人類の約半数が俺の子孫で、故に、目下、恋愛関係恋人関係に陥っている男女の約半数が近親相姦なんだ」先生は深く深く溜息みたいに煙草を吐き出す。「ふははは」

「罪づくりな男っす」「このこの」と私とアリスは先生の横腹を両サイドから突きまくった。

「ふはははは」


 体育教師の鬼瓦先生は、胎教のエキスパートだ。

 いや、詐欺師だ。

 県立邪馬台国高校は、県下に轟く名門進学校。(実は、卒業生のほぼ全てが碌に進学せずに、CIAになったり、大学を新設して理事長になったり、自作の宇宙船に乗ってどこか遠くの方へ旅立ってそれっきり、だったりするのだけれど、そういう実情は、部外者にはどうでもよくってイメージだけが先行している)そのため、県立邪馬台国高校の教員ってだけで、かなりのブランド効果がある。

 そのブランドを看板に提げて、鬼瓦先生は、胎教で荒稼ぎをしているのだ。

 詐欺師だ。

 ところで、鬼瓦先生は、四歳の女の子だった。

 身長は私の腰くらいしかない。けど、半端なく強い。

 そんな鬼瓦先生が、

「あたしが、この年齢で、このくらいまで強くなれたのは、受精した時より絶えず鍛錬を積んで来たからだ」と自信満々に呟くと、なかなか説得力があるのだった。「なので、皆さんも、我が子を空手マスターに育てたいならば、胎教が大事」

 そう言うなり、鬼瓦先生は、妊婦のぷっくりと膨らんだ腹を、殴る、蹴る、殴る。

 体壁越しの、スパーリングなのだ。

 胎児も負けてなるものか、と、子宮壁をぼこぼこ殴る。妊婦の腹が、ぼこぼこ波打つ。

その波打ちを、鬼瓦先生は華麗に捌く。

 ある程度胎児たちが育ってくると、胎児同士で練習試合を執り行う。妊婦と妊婦が腹をぴったりと押し付け合った状態で、母の肉壁越しに、胎児たちが殴り合うのだ。技が決まると、負けた方の妊婦が、二、三メートルぶっ飛ぶ。

 鬼瓦先生の教室に通って、だいたい一ヶ月でみんな早産する。生まれてくる子供達は、だいたいみんな精悍な顔つきをしており、「おぎゃあ」ではなく「きぇええ」と泣き喚き、うるさい。

 鬼瓦先生は、ひどい詐欺師だ。

 そういえば、鬼瓦先生の下の名前は、楓っていう。

 鬼瓦楓。


「実際のところ、私は先生の子供なんすか」尋ねてみる。

「実を言うとよくわからない」と先生。「なにせ、世界人口の半分が子孫なんだ。いちいち、一人一人の顔覚えてられないから。けど」

「けど?」

「十五歳未満五歳以上はほぼほぼ、俺の子供か孫だ」

「私は十七歳っす」

「うーん、微妙だなあ。三割の確率で子供だなあ」

「あたしは?」とアリス。

「何歳?」

「十六」

「じゃあ、四割」

 六割弱の確率で、私とアリス、少なくとも一人が先生の子供だ。

 いろんなことにうんざりして、思わず学校を抜け出して、街中をぶらぶらしていた田中春と、私たちはたまたま遭遇した。大亀の進行方向田中春が立ち尽くしていたのだ。

「あ、春ちゃん」

「花孒に、アリスに、えっと誰」

「人類の父っす」

「宗教の人?」

「文字通りの人類の父っす。こんなところでどうしたっすか。不良になったっすか」

「人生に疲れた」と田中春。「世界中の人間に視姦されてる気分」鬱々としていた。

「いい気分?嫌な気分?」

「面倒臭い気分」


 県立邪馬台国高校付属国会議事堂で、今朝、「産婦人科医はサンフジ(りんご)しか飲食してはならない。罰則は医師免許永久剥奪」という法案が可決された。

 いつものように、マジカルポンチョが、

「ちょっと、待ってください。なんですかそれ。おかしいじゃないですか。基本的人権の侵害ですよ。憲法違反ですよ。こう言う法案を通したいなら、まず、改憲して、基本的人権を蔑ろにするような憲法を制定してからじゃないと筋が通りませんよ。憲法第百三条、ただし、産婦人科医には基本的人権を認めないものとする、の一条を加えるべきです」と熱弁した。

 けど、時の総理大臣、ブルゴーニュ藤田はそんな旧態然としたマジカルポンチョの発言を一蹴する。

「君ねえ。文句ばかりじゃ、何も変わらないんですよ。君ねえ。『医者の不養生』って言葉知らないのかえ。君ねえ。りんごは体にいいんだよ。この法案のお陰で、産婦人科医がどんどん健康になるだえ。それに、りんごといえば、女性性のシンボルだえ。産婦人科医にサンフジ。月にすっぽん。富士に月見草だえ」

 という記事内容の号外を、私はぼんやり、風に吹かれながら眺めている。


 県立邪馬台国高校には、仏教部がある。仏教学部、ではなく、仏教部。部活動の一環だった。上座部とか、そういう感じ。

 部員は六名。けど、少数精鋭で、みんなだいたい、どことなくただ事じゃない感じにすごい。

 私も入部希望届を出したのだけれど、門前払いされてしまった。門前払いされると、門前の小僧に昇格し、そこで習わぬ経を読めるようになって、初めて正式に入部を受理されるそうだ。私はそこまで付き合っていられなかったから、結局帰宅部。

 全国の仏教部員を対象に、毎年、どこかの山奥で悟り大会が開かれる。悟り大会とは何か、というと、規定時間内に何回悟れたかを競う大会。

 世界レコードは一時間で五万回。

 全日本記録は一時間で三百九十二回。世界の壁はまだまだ厚い。

 とはいえ、世界記録保持者は、初代チャンピオンの、ゴータマ・シッダルータ。

 世界歴代二位の記録は、四万七千回で、ナーガールジュナ。

 しかし、これら記録には様々な疑義が呈せられている。

 そもそも、ガリレオ以前のゴータマやナーガールジュナの時代の一時間と、ガリレオ以後の現代の一時間とでは、果たして同じ一時間として計測されたのか、という疑義。そもそも、原始仏教における悟りと、仏教が複雑に体系化を遂げた現今の悟りとは、同一の概念なのか、という疑義。そもそも、競技中に何万回も悟るということは、競技開始以前に、何万回と悟り損なっていたということではないのか、という疑義。主にこの三つ疑義が呈されている。

 私はそんなこと知っちゃこっちゃないけれど。

 でも、問題な人にとっては問題なようだ。

 何はともあれ、五万回はすごいし、三百九十二回もすごい。

 やっぱり、駒澤大学が強くて、県立邪馬台国高校と雖も、しばし優勝を逃しているそうだ。そもそも、現日本記録保持者も駒澤大学関係者だそうだ。

 という、世間話で、私とアリスと田中春と先生は交歓しながら、とぼとぼと歩き続けた。田中春の憂鬱も、日常会話の中に少しずつ溶けていった。

 田中春は、留年してて十八歳。もう、ほぼほぼ、先生の子供ではないらしい。


 倫理の授業で、私たちは哲学者を飼育している。

 そういえば、県立邪馬台国高校の物理講師は、クローン培養されたネオ・ガリレオ・ガリレイとネオ・アイザック・ニュートンのコンビなのだけれど、(アインシュタイン以後は、卑弥呼先生が担当している)彼らと同じ要領で、有名どころの哲学者たちをクローン培養して、飼育しているのだ。

 私が飼育しているカントは現在レベル五十九だ。

 アリスはキルケゴールで、レベル三十九。レベルがあと一つ上がれば、キェルケゴールに進化するそうだ。理屈はよくわからない。

 田中春は、ゴルギアスでレベル六十六。名前の格好よさで選んだそうだ。

 レベルは、哲学書を与えたり、対話したり、そんな感じで上がっていく。

 哲学者を飼育してレベル上げして何がしたいか、というと、戦わせるのである。何か適当な或る倫理的な命題を掲げて、それに対して、応か、否か、に別れて育て上げた哲学者同士を戦わせるのである。まあ、端的に言えば、ディベート大会。

 私のカントの得意技は、『それ、仮言命法ですよ。論外。全然話にならないね』だったりする。意外と効果的。

 レベルだけが勝敗を分けない。相性だって重要だ。その辺が倫理って科目の面白さ。

 私たちは、教室付属のロッカーを鳥の巣箱みたいに改造してて、そこに各々、各々の哲学者を飼育している。

 いつだったか、『哲学者をクローン培養して、教室奥付のロッカーに飼育することは人道に反する』という命題のもと授業が行われた。

 多くのクローン哲学者たちは『そうだそうだ』『横暴だ人権侵害だ』と賛成側に回ったが、ただ一人、明石焼夕子の飼育するディオゲネスレベル九十九だけは、反対に回った。ディオゲネスにとって、樽も学校のロッカーも似たようなものなのだ。その授業は、明石焼夕子とディオゲネスの圧勝だった。ディオゲネスのレベルが百になった。ストイックな哲学者のレベルはサクサク上がる。

「カントのレベルがなかなか上がらないっす」

「キルケゴールだと汎用性が低くってやになる」

「ゴルギアス人が良すぎるんだよね。レベルガンガンあげてるのに、いつもあっさり唯々諾々」

 そんな私たちの会話を、何言ってんだこいつらって顔で、けど、そ知らぬそぶりで、先生は聞き流している。

 私たちは未成年だからお酒を飲んでいるわけではない。

 煙草は吸うし、投票も気が向いたらいくけれど。


 空を眺めていると不安になる。

 今日という一日が着実に流れていくのがわかり、あああ、って気持ちになる。

 例え、知能指数五億でも、人間である以上、種々様々な制約にがんじがらめ。

「ああ、今、あの人、私のこと視姦した。視姦したあ」と通りすがりのおじさん指差し、田中春が耐えかねたように呟く。

「大丈夫っす。大丈夫っす」

「指のない手に意味なんてあるのかな。箸も持てない。筆も握りにくい。できることといえば、手相占いくらいなもの」とアリスが、気分に流される。

「俺の人生ってなんなんだ。十億人と付き合い、人口爆発起こさせ、全人類の半数を子孫にしてみた。けど、それがなんなんだ。その達成感という名の虚しさに抗うがために、十億人と付き合った経験を活かそうと、ありとあらゆるおまんこ味の研究に没頭してみた。しかし、その研究さえ、つい先日完成してしまった。ああ、俺はおまんこ味の博士号だ。ノーベル賞おまんこ味部門最年少受賞者は俺だ。そんなのないけど。俺は、今後、何を目指せばいいっていうんだ」と先生の傍白。

 ふっと、秋から冬に変わる瞬間ってある。割と目に見えるように変わる。まあ、それが何って話だけれど。

 河川敷で、鬼瓦先生が、嬰児引き連れ、寒中水泳。冬に生まれてきた赤子はかわいそうだ。だって、寒い。


 祝。

 強姦したい女、第一位。

 犯したい女、第一位。

 強姦されてそうな女、第一位。

 犯されてそうな女、第一位。

 強姦されたい女、第一位。

 犯されたい女、第一位。

 女犯という言葉が似合う女、第一位。

 父親に犯されてそうな女、第一位。

 叔父ないし伯父に犯されてそうな女、第一位。

 祖父に犯されてそうな女、第一位。

 実母に毒殺されそうな女、第一位。

 実祖母に呪殺されそうな女、第一位。

 靴に画鋲入れられそうな女、第一位。

 担任教師に犯されてそうな女、第一位。

 学校長に犯されてそうな女、第一位。

 教頭に犯されてそうな女、第一位。

 体育教師に犯されてそうな女、第一位。

 市長に犯されてそうな女、第一位。

 権力者に犯されてそうな女、第一位。

 相談員に犯されてそうな女、第一位。

 スクールカウンセラーに犯されてそうな女、第一位。

 医者に犯されてそうな女、第一位。

 警察官に犯されてそうな女、第一位。

 政治家に犯されてそうな女、第一位。

 政治家秘書に犯されてそうな女、第一位。

 官僚に犯されてそうな女、第一位。

 小説家に犯されてそうな女、第一位。

 芸術家に犯されてそうな女、第一位。

 ゴールデンレトリバーに犯されてそうな女、第一位。

 ニホンザルに集団で犯されてそうな女、第一位。

 幼稚園児を発情させそうな女、第一位。

 老いてますます盛んにさせそうな女、第一位。

 累計視姦回数、第一位。

 累計盗撮回数、第一位。

 累計下着紛失回数、第一位。

 累計学校用具紛失回数、第一位。

 累計好きな人を私刑された回数、第一位。

 累計ナンパされた回数、第一位。

 自称親衛隊総数、第一位。

 自称ファンクラブ会員数、第一位。

 知り合いを自称する人々の数、第一位。

 友人を自称する人々の数、第一位。

 関係者を自称する人々の数、第一位。

 自称マネージャーの数、第一位。

 美容整形で、「こんな顔にしてください」のこんな顔、第一位。

 美容院で、「こんな髪型してください」のこんな髪型、第一位。

 専属パパラッチ人数、第一位。

 傾城の美女、第一位。

 世界三大美女、第一位。

 人間椅子志願者数、第一位。

 その他諸々、第一位。

 田中春、のこと。

 彼女も、いろいろ、大変なのだ。

 ただ、もはや、峰不二子ではない。


 ちなみに、私とアリスは、千位から百位くらい。

 意外と上位で、身の危険を感じざるを得ない。


「どうして、こんなしょうもないランキングが、存在するのだろうか」と思うことも、あるのだそうだ。

 そりゃそうだ。

「けど、存在するものは、潜在するわけで、顕在化した方がまだいいのだろうなあ」と田中春。

 私とアリスは、『年間田中春統計』という統計学の専門誌をパラパラと眺めている。田中春から渡されたのだ。国際田中春学会、という部活動が、県立邪馬台国高校にはあって、そこの統計部門が発刊している年刊誌だった。巻頭論文のタイトルは、『なぜ、田中春は視姦されるか』だった。なぜだろう、と思って、読み進めてみるけれど、理由がどこにも書かれていなかった。ただの自己弁護の詭弁って感じ。

『年間田中春統計』には、種々様々なランキングや統計が乗っており、その全ての第一位が田中春なのだった。いかに、田中春が第一をとる統計データを集めるか、が、主眼なようだ。

 なぜだか、アリスが田中春に親近感をもったようで、もじもじしている。

 手を繋ぎたいのだけれど、指がない。

「ふはははは、ふひひひひ、ふへへ」と特に意味もなく先生が笑った。場を和ませようと配慮したのだろう。

 懸賞論文の、第一席は、『田中春のために今年度生産される精液の統計的予測とその有効な再利用方法についての試論』

 第二席は、『田中春以前の絵画と田中春以後の絵画の比較を通し、美術界における田中春の影響を探る〜田中春の世界史的影響を探るための序論あるいは踏み石』

 内容的には、第二席のほうが面白そうだったが、論題が「田中春への統計学的アプローチの新しい可能性」であったため、第一席があれなのだろう。


 そういえば、クラスメイトの枯木田くんの下の名前は、二号という。

 お兄さんが、枯木田一郎。次男の枯木田くんは、枯木田二号。

 私生児なのだ。

 次男かつ私生児。

 枯木田くんの父、枯木田県太郎は、枯木田くんが、受胎したと知った途端、ぽん、っと膝を打ったそうだ。「いいことおもついた」と呟いたそうだ。そう日記に書かれている。県知事引退後に自費出版しようと思っている、『枯木田県太郎語録』および、『回顧録。枯木田県太郎』の草稿にも書かれている。

 枯木田くんがそう教えてくれた。

 妾の子だから、二号。次男だから、二号。

 安直なだけじゃないか、と思うのは私だけなのかなあ。

 枯木田くんは、妙に嬉しそうにそのエピソードを語ってくれた。「俺の名前の由来はなあ」って。「自慢の親父だぜ」

 そういえば、そろそろ、住民投票が始まる。

 私たちが暮らすこの県は、××県なのだけれど、いっそ県名を『枯木田県』にしてしまおう、という案が議会に提出されたのだ。流石に、県議会の一存で決められることじゃないから、住民投票に移行した。

「俺は、絶対賛成だな。だって、県名が、枯木田県になったら、俺の親父、枯木田県太郎は、枯木田家の県太郎、じゃなく、枯木田県の太郎って感じになるだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチ、みたいな感じで格好いいじゃないか」と枯木田くん。

「うーん」と私。


「儂の名は老耼。みんなからは、老たん、老たん、呼ばれとるんじゃ。愛嬌があって、ええじゃろ。耳たぶのながい老人じゃ。どのくらい長いのか、というとな。世界を一周して蝶々結びができるほどに長いのじゃ。実際、そうしとるんじゃ。すごいじゃろ。自慢じゃ。いつも孫に自慢しとる。北欧の方では、儂の耳たぶのことを『ヨルムンガンド』と呼ぶそうじゃ。格好ええじゃろ。南米では、『ケツァコアトル』。この地日本では、ちょうど、関東と関西の境目を通っておってな、『フォッサマグナ』呼ばれとんじゃって。意味はよくわからんがの。

 儂の名は老耼。

 耳たぶの長い老人。

 北欧神話にもちゃっかり登場。

 世界に塒を巻く、

 儂の耳たぶ。」とアリスが呟いて、

「私が子供の頃、世界各国の神話に熱中したものだ。特に夢中になったのはギリシア神話。あの破天荒な想像力に虜にされた。特に、ヘラクレス神話には、心惹かれた。今だに不思議でならないのだ。彼の下半身はどうなったのだ、と。なんかようわからんが、ヘラクレスは死んだのち、半身だけ、天上の神の世界へ行くわけである。そこで、神の世界の門番を務めているそうだ。今風に言えば、天下りだろう。しかし、残された半身はどうなった。しかし、ここで問題なのは、神の世界へ向かったヘラクレスの半身とは、上半身と下半身だったのか。おそらく、上半身ではないか、と思われる。では、残された下半身はなおさらどうなったのか。ヘラクレスの体力で、煩悩を制御するための前頭前野を失った下半身である。こんなものこの世に取り残されたら、えらいこっちゃやないか。仮に、ハデスが支配する冥府へ彷徨いこんだら、どうなる。えらいこっちゃやないか。ドンドコドコドコ。バカスカスー。って感じやないか。ヘラクレスの体力で、下半身オンリーやで。エライコッチャやないか。ドンドコドコドコ。バカスカスー。やで。」と私が呟いた。

 どちらも、現代文の授業で、国分文太郎先生が、いつだったか私たちに朗読してくれた文章だった。いつも通り、くどいほど、繰り返して朗読するものだから、すっかり暗記してしまったのだ。サミュエル・オーギュスト・ティソの教えを破り、すっかり記憶力の低迷した、けど、知能指数五億の私でさえ暗記してしまったほどなのだ。国分文太郎先生の熱意はすごい。だいたい、平均、五千回くらい繰り返している。もちろん、一回の授業で、五千回も朗読できるわけがないから、授業が終わっても教室の隅の方で、BGMみたいに、朗読しているのが常だった。国分先生は、いつも喉が枯れていた。

 けど、そのハスキーボイスがよいのだった。

 世界トップクラスの美男が、

 男薫るような錆れた声で、

 よくわからない文章を朗読しているのである。

 これで、ドキドキしない方がおかしい。

 国分先生は、いい先生だ。

 ちなみに、国分先生が使用している『新しい現代文の教科書』は本当に新しくて、先月国分先生が書き下ろしたばかりだった。国分先生の直筆サイン入りで、生徒たちに配布された。先日、改訂版が出版されて、現代文の授業中、出版記念パーティが教室内で開かれた。改訂版には、ちゃっかり、私たちの歌が収録されていた。

 生徒のために、教科書まで書き下ろす、国分先生はいい先生だなあ、と思う。

「やっぱり、ベストオブ国分文太郎は『地獄のヘラクレス』っす」と私の主張。

「あたしは『耳たぶの人』が好きだな」とアリス。

「ふふふ」と田中春。「ベストオブ国分文太郎は何と言っても『一日中手の平を見て遊んでいた』だよ」得意げに。

「なにそれ」とアリス。

「知らないっす」と私。

「ふふふ」と田中春。「何を隠そう。私が、一年留年したのは、国分先生の次回作を読みたかったからに他ならない。国分先生の現代文の教科書は、改訂版を除けば、全て新作。前々回の教科書の白眉が、『一日中手の平を見て遊んでいた』なのだ」自分事みたいにすごく嬉しげに、田中春は宣言するのだった。

「読みたい」とアリス。

「読みたいっす」と私。

「今度うちに遊びに来なよ。国分先生の『新しい現代文の教科書』全部揃えてあるから」と田中春。


 校長先生は実力制だった。

 歴代校長先生は、己の拳のみで、校長位を死守して来た。

 他校のことは知らない。けど、県立邪馬台国高校では、そうなのだ。

 第四十九代県立邪馬台国高校校長は、とある格闘技団体のチャンピオンだった。実は、鬼瓦先生の師匠にあたる。

 そして、今期の挑戦者、すなわち、教頭は、とある横綱だった。

 一つ、付言すれば、世界中に相撲はあり、相撲の数だけ、横綱は散在するのだった。

 普段は、さまざまなしがらみや組織の看板のゆえに、ガチンコバトルできない、各種団体の実力者たちが、己の全てをぶつけることができる場、それが県立邪馬台国高校の校長室だった。

 金的、目、喉は、攻撃してはいけないのだった。

 レフェリーは化け物。

 保健室の先生もそばでスタンバイしている。手には注射器。

 勝敗を決するは、競技者自身による「まいった」か死のみ。

 校長室の四囲に飾られた歴代校長また教頭の写真は、遺影。

 年二回、県立邪馬台国高校校長決定戦は開催される。

 校長も教頭も事前に判子を押している。「死んだって恨みっこなし」って書かれた公的文書に。教育委員会に提出するのだ。

 男の世界だった。

 男しか立ち入ってはならない世界だった。

 保健室の先生は女医さんだったけれど。

 化け物は性別がよくわからない。


「その関取は、よく猫を騙して、キャットフードを横取りしていた(いや綱取りか)。金がなかったのだ。そして関取はよく食う。町中の猫どもは枯れ木のようにやせ細り、鼠どもの反撃になすすべがなかった。その関取は、「にゃあにゃあにゃあ」猫なで声で、子猫に擬態して、母猫の乳を、これでもかと吸い尽くすのだった。猫どもはさらにやせ細って行った。枯れ枝のように。しかし、影あれば、明。枯木に擬態した猫どもにそれと気付かず小鳥がとまる。そんな小鳥を、猫どもは、アホウドリと名付け、不意をつくように鉤爪で殺し、食い、なんとか糊口をしのぐのであった。けど、そんなこと俺はどうでも良く、一日中手のひらを眺めて遊んでいた。吁、運命線が面白い。」


 大亀がようやく指森に到着した。大亀が指森の指をもしゃもしゃ食べ始める。

 私は、田中春に見返る。「春、どうする」右手にはコンドームの箱。

「じゃあ、お言葉に甘えようかなあ」と田中春。両手両足、コンドームを装着。

「森に入る前に、もう一度、コンドームを確認するっす。穴は開いてないか。三重になっているか、隙間はないか」

 アリスが手持ち無沙汰で、私たちの確認を待ちわびている。

 私たちが指森に立ち入ると、一斉に指たちから精液がほとばしる。指たちだって、待ちわびていたのだ。けど。

「早まるなっす。よく見るっす。私たちは、コンドームしてるっす。森よ鎮まれ。無駄な精液を撃つべからず」

 指たちはしゅんとした。

 けど、私たちの体は、もうべとべとだった。

 源泉垂れ流しって感じの勢いなのだ。

 威勢がいいのだ。

「あまり指たちに近づきすぎないように。コンドームを脱がされるっす」

 指森の指たちは、わきわきわきわきわきわきわき、と超絶技巧のピアニストのイメージトレーニング中みたいに空を掻く。

「きゃあ」と田中春。指にスカートをめくられたのだ。

 私たちは、指森の奥へ奥へと分け入って、もう、街の声も届かない。

 もう、指たちの、わきわきわき、という音しか聞こえない。都会の喧騒から遠く離れた。ここは、

 先生がずた袋のように無造作に倒れた。

 私もふっと、それに続いた。

 アリスも。

 田中春も。

 そういう気分に冒されたのだ。

 苔むした湿地帯の大地。そこに生い茂る指ども。

 無責任な気分になって、焼酎にプカプカと浮かぶ梅の実の気分になって、私たちは午睡に耽る。


 昔、私が今より遥かに幼かった頃、父にこんなことを教わったことがある。

「花子よく聞いてごらん。蝉が、蝉が鳴いているよ」

「うん」

「蝉はなんで鳴いているのかな。蝉はどうして鳴いているんだろう」

「わからないよ」

「蝉は、蝉語でね。『苦しい苦しい苦しい』『痛い痛い痛い』『嫌だ嫌だ』『死にたい死にたい死にたい』って鳴いてるんだよ。『ミーンミーン』っていうのが、『苦しい苦しい』『ジワジワジワ』ってのが『痛い痛い痛い』。『カナカナカナ』っていうのが、『嫌だ嫌だ嫌だ』。そして、『ツクツクボーシ』が、『死にたい』なんだよ」父は、そう、平然と私に嘘を吐いた。

 私は、夏が、嫌いになった。

 けど、本当に嫌えばよかったのは、父の方だ。

 でも、私は、その頃、幼くて、自分自身の人生の選択さえ覚束なかった。

 或る日、どこか夜空の下で、猫が「ぎああああ」と鳴いた。

「ああ、今、どこかの飼い猫が『殺されるー』って叫んで殺されたね」と父は呟いた。

 秋の夜長が恐ろしい。

 蛙の合唱も恐ろしい。

『なんで、人間にうまれられなかったんだあ』『虫なんて嫌だあ』『殺虫剤怖いい』『うわあ、蟻があ。蟻があ』『飛蝗に下半身を食われるう』『母虫が人間に踏み潰されたよう』『嫌なことが沢山あります』

『兄弟のうち、変態できたの俺だけだあ』『ヤゴに弟が食われたあ』『うぎゃあ、ウシガエルが来たぞお』『蛇だ蛇だあ』『目が、目がしみるよお。ひどい農薬だああ』『耕運機がくるぞお』『耕されるぞお』『逃げろお』『小学生に生皮剥がれるぞお』『烏が、烏があああ』

 私は、もう、何も聞きたくなかった。

「心臓の音によく耳をすませてごらん。耳の奥に血管のどく・どく・どくって音が聞こえるだろう。それが心臓の音だよ。心臓さんが呟いている。『疲れた。疲れた。いつまで働かされるの。疲れた。疲れた。いつまで働かされるの』心臓さんは、実は女の子なんだよ。全身筋肉でできた女の子なんだ。本当は、たまには、ゆっくり休みたいんだよ。ふふふ」

 そんな父親だった。

 男の人って、みんな父みたいな人たちなのだろう、って中学生くらいの頃、私は、思っていた。

 男性教師が担当する科目は全て休んだ。

 時折、思う。人間ってなんなんだろう。

 なんのために生きているんだろう。

 父親はなんのために生きているのだろう。

 父は、何思って、私に嘘、吐いたのだろう。

 父親が、「鳥になる」と言って家を出たのは、そういえば、私が小学五年生の頃だ。

 指森で、ぼんやりくつろいでいると、そんな遠い過去のことが蘇ってきた。

 対処療法として、すぐ隣に寝転ぶ、アリスの指のない手のひらを握りしめた。

 ふっと思う。

 あの、烏たちの鳴き声。『花子、花子や。お父さんだよ。お父さんだよ。思い出しておくれよ』だったりするのかなあ、と。そんなわけないか。


 校長室では、新たな校長が誕生していた。いや、怪物、と言ったほうがいい。

 第五十代実力制県立邪馬台国高校校長は、怪物だった。化け物がそう証言するのだから、間違いがない。

 首の下が、とある横綱。そのとある横綱の首のあるべきところから、とある格闘団体の無差別級チャンピオンの上半身が生えているのである。それが、新しい校長だった。

 怪物だ、と誰もが首肯する。

 さもなくば、魔王。

 チャンピオンの打撃力と横綱の耐衝撃性とが、拮抗した末の奇跡だった。

 チャンピオンは、横綱の頭頂部めがけて、ドロップキックをかましたのだ。横綱の頭部は、めり込んだ。めり込みすぎた。肩と肩の間に横綱の頭部は没した。しかし、めり込みは、まだ、止まらなかった。「しまった」とチャンピオンが思った時には、時すでに遅く、横綱の変幻自在の肉体に、チャンピオンの足首、脛、太腿が飲み込まれていくのだった。横綱の肉体は、あまりに懐が深かった。底なし沼と化した横綱の肩と肩の間に、チャンピオンの腰がすっぽり埋まってしまったのだ。チャンピオンは、とっさの判断で、壁に掛けてあったチャンピオンベルトを腰に巻きつけた。埋没は、腰までで止まった。実は、相撲取りとは、先天的に金属アレルギーなのだ。だから、いつも裸か、木綿の浴衣姿なのだ。チャンピオンベルトは、ぎらぎらと貴金属で装飾されているから。

 もう、これでいいんじゃないかな、とレフェリーの化け物は思った。

 勝負とか、格闘技とか、そういうの、通り越しているな、と化け物は思った。

 というわけで、新校長は、そういうことになった。

 首から下が、横綱。首から上が、チャンピオンの上半身。体重、三百十五キロ。身長、二メートル八十七センチ。腕の数、四本。足の数、二本。

「いいなあ」と私は思う。「腕が四本あっていいなあ。一本分けて欲しいっす」

「がはははは」と新校長の高笑いが、街中に谺する。「がはははは。サインしてやろうか」ファンサービス旺盛なのだ。

 みんな優しかった。


 時は、流れ行く。

 美容専門学校の生徒たちが大挙して、指森にやってきた。

 ネイルアートやネイルエステの実習にやってきたのだ。

「さて、みなさん」と厚化粧すぎて、化け物と怪物を足して二で割った上腐敗させたような余命五百年くらいありそうな、香水が臭い髪の毛が妙にふさふさした不細工なおばあさんが、生徒を見渡し嗄れた咳きを漏らすことによって、大気を汚染した。生徒のうち、一割が、汚染された大気を吸引したために、死んだ。美容専門学校のネイル講師は、死んだ生徒の頬を、似合わぬハイヒールのかかとでぶち破り踏みにじり、絡みついた痰を吐き捨てた後で、こう続ける、「実技の時間ザマス」生徒がもう一割、死んだ。ネイル講師の必殺技は、『厚化粧』および『大気汚染』だった。

 さすが、美容専門学校講師。化粧で人を殺す。死化粧というやつだ。

 ばたばたばたばた、生徒たちは死んでいく。けど、死んでも大丈夫。ある程度生徒が死ぬことは織り込み済みなのだ。そのため、大挙してやってきたのだ。生徒の初期人数は、五百人ほど。今、百人くらい死んだ。まだ、四百人いる。

 ネイル講師も、生徒を殺しすぎないように、言葉を謹んでいる。ここでべらべら喋り散らそうものなら、生徒の大量絶滅は必定。生徒なんてどうでもいいが、監督責任を問われて、専門学校理事長から叱言を言われてしまう。理事長の必殺技も、『厚化粧』なのだ。

 が、一方で、生徒をそこそこ殺して、生徒の選別も進めなければならない。美容業界は厳しいのだ。専門学校の段階で、そこそこ篩にかけておかなければならない。

 生徒を篩にかけることこそ、師の役目。だから、篩って書くのだ。師が、生徒を竹槍で、ぐしぐし刺し殺す、と言う意味が、篩の語源だ。

 ネイル講師は、考える。後、二百人は殺そう。そう心に決めたネイル講師は、面倒臭そうに、嗄れた咳きで、さらに大気を汚す。「死ね。死ね。死ね」と端的に呟いた。

 ネイル講師の目算通り、生徒どもが、だいたい二百人、死んだ。

 ネイル講師は、内心、『ふへへへへへ』と嗤った。

 これ以上、言葉を話せば、予定以上に生徒が死んでしまう。ネイル講師は、手話で生徒どもに指示を出す。生徒どもは戦々兢々唯々諾々。指森の指たちが、めったやたらにネイルアートされ、ネイルエステされまくる。生徒どもは、指たちのはきちらす精液に塗れていく。生徒どもも、一応コンドームを装着しているのだが、私たちほど入念じゃなかったようで、何人かが、種を植え付けられ、全身指まみれになって死んだ。

 私とアリスと先生と田中春は、手で口と鼻を覆い、そろりそろりとその場を後にした。万が一、ネイル講師に見つかり、面白半分に殺されてはたまったものじゃない。ただ、息を吐いただけで、人を殺せる。今の私たちじゃ、対抗のしようがない兇悪な必殺技だった。

 ふっと思う。校長が、このネイル講師に倒されてしまったら。

 この鬼婆そのものと言っても過言ではない、ネイル講師が県立邪馬台国高校の新校長になってしまったら。

 この世界は、滅んだも同じだ。


 私にだって、中学時代、と言うものがあって、私は知能指数五億だったから、県立邪馬台国高校へ進んだけれど、同級生の中には、高校へは行かず、専門学校へ上がった人たちもいた。

 美容の専門学校に上がった人たちもいた。

 その人たちの中の何人かは、名前くらいは知っている知人だった。

 そんな彼らが、ついさっき、私の目の前で死んだ。

「かなしいっす」と呟いてみる。


 明石焼夕子(ゆうこ)は、タコだ。

 もう、何年も何年も前に全国統一人間試験に優勝して、何年も何年も前に、県立邪馬台国高校に入学してきた。

 今年で留年八年目だそうだ。

 八年も高校生をやっていると、もともとタコだった夕子も、夕日なんかをぼんやり眺め、黄昏ている様は、ただの美少女にしか見えない。

 夕子自身、擬態しているのか、自然にそう振る舞ってしまうのか、自分自身判然としないそうだ。

「ラ子、蜘蛛女、一緒に帰ろう」と夕子は後輩を誘う。海の生き物という点でラ子と、足の本数で蜘蛛女と、なんとなくの親近感が夕子にはあるのだ。蜘蛛女とラ子。互いに警戒しあっていた二人の間をとりなしたのは夕子だった。

「ありがとう。夕子先輩」と猪猟虎太郎の通訳。

「点点点点点」と蜘蛛女の点字。

「いいってことよ」と夕子。

 どこからともなく尾長酉乃進が現れた。えっと、あれあの人。産道で射精した人だ。夕子たちは、教室で帰り支度をしている最中で、尾長くんは、窓の外で、五メートル級の竹馬にまたがっていた。目の高さがちょうど合う。開け放たれた窓ガラスを竹馬の柄でノックする。「あの、夕子さん」

「あ、酉乃進くん」尾長くんは、正真正銘人間だったのだけれど、夕子は、尾長って名前とその風貌から、尾長くんのこと、元尾長鶏なんだって、思い込んでいた。元タコの夕子は、そんな思い込みゆえ、尾長くんに、ほのかな親近感を覚えていた。「どうしたの。忘れ物でもした?」夕子は尾長の座席をちらっと見返す。

 その後、ぐちゃぐちゃとした会話を経て、尾長くんと夕子は付き合うことになった。

 よかったね、と私は思う。

 ラ子も、蜘蛛女も、猪猟虎太郎も、よかったね、と思う。

 天才大会ではあんなだったけれど、尾長くんは、ちょっと尾長鶏っぽいだけの、人の良い、好青年なのだ。天才大会のあれは、つっぱり、だ。純粋な青年ほど、よくわかんないところで、つっぱって、露悪的に振舞ってしまうものなのだ。つまり、尾長鶏のあの髪は、進化した襟足なのだ。尾長くんは、とても弟思いで、兄のくせに、弟を殴ったり、弟からお菓子を取り上げたりしたことは一度もないのだ。

 尾長くんと、並んで校庭を歩きながら、夕子は頬を赤らめている。タコ的擬態なのか、そうでないのか、夕子には、もうよくわからない。

 そんな夕子たちの目の前で、校舎の壁をぶち破って、新校長が現れた。「がははははは。がははははは。サインしてやろうか」


 指森には、さまざまな人々が、非人道的な目的のために集まってくる。

 私たちみたいに、のんびりキャンプしにやってくる人間は少数派なのだ。

 ネイル講師が、受け持ちの生徒を殺すためやってくる。

 外科医が、手術の練習に指たちを切り刻む。

 怒れる主婦が、出刃包丁で指を滅多刺しにして、すっきりする。

 噛む爪が無くなった深爪の人が、指森の爪を噛みまくる。

 科学者が指たちを使って局所的な人体実験をしまくる。

 看護婦は、指どもを注射の練習台にする。

 鍼灸師は、指どもをサボテンみたいにする。

 爪の垢強盗が、爪の垢をごっそり収穫する。

 格闘家が、指たち相手に、人体破壊の練習をする。

 黒魔術師が、呪術で使う、人肉や人骨を収穫する。

 居合の達人が、試し斬りする。

 違法拳銃製造業者が、威力試験する。

 女子高生という単語に性的魅力を感じる人々が、やらしいことをする。

 だから、指森をのんびり散策するのは、危険を伴うけれど、刺激的で面白い。

 この街の約八分の一が指森に覆われている。指森は、広大なのである。そして、その広大な指森をさまざまな非道い人々が互いに住み分けているのである。暗黙のうちに引かれた明文化されていない境界線が、縦横無尽に走っているのである。

 ある一帯では、死に絶えた女学生たちが腐りかけている。

 ある一帯では、指たちが美学生たちの現代芸術と化している。

 ある一帯では、剥製マニアが、指たちの生皮を剥いでいる最中だった。

 ある一帯では、外科医が、ペースメーカーを指に埋め込んでは、取り出し、埋め込んでは、取り出し、あたり一体血まみれだった。

 ある一帯では、私に無許可で、大量の血が輸血用に採血されていた。口封じに私たち四人を殺そうとして来たので、先生の日本刀が煌めいた。

 ある一帯では、怒れる主婦が、怒っていた。

 ある一帯では、ビーバーみたいな歯をした小男が、爪かんでいた。その一帯の指は全て深爪で、だらだらと血を流していた。

 ある一帯では、カニバリストに感謝された。「あ、花孒さんだ。花孒さんのおかげで、誰も殺さず、墓荒らしもせずに済んでいます。本当に、ありがとう」

 ある一帯の、指は、緑と青のストライプ模様に変色しており、人体実験は成功したようだった。

 ある一帯では、満開の桜。彫り師たちが文身の練習に明け暮れていたのだ。桜。歌舞伎。昇り竜。ここでも、彫り師たちに感謝された。カニバリストに感謝されるより嬉しい。「お役に立てて、よかったっす」

 ある一帯では、看護婦たちが、指たちに空気注入して遊んでいた。

 ある一帯では、サボテン、サボテン。指たちがめちゃくちゃ元気になっていた。

 ある一帯では、爪の垢強盗と遭遇した。「へっへっへ。県立邪馬台国高校生徒が三人。飛んで火にいる夏の虫とはこのことだぜえ」と強盗。けど、すぐに舌打ち。「アリスと花孒かよ。アリスは爪がねえし、花孒は指森のおかげで、プレミア度が低いんだよ。たくよお」爪の垢強盗が、よってたかって田中春に襲いかかった。

 ある一帯の指たちは、ことごとく関節が外されていた。ここは、第四十九代校長の、関節技研究所なのだ。

 ある一帯では、黒ミサが行われていて、別のある一帯では、日本刀の試し斬りおよび、日本刀即売会が催されており、別のある一帯では、ちょび髭を生やした燕尾服のおじさんが、指揮棒片手に踊っていた。指たちは、おじさんの指揮に合わせて、巧みに指パッチンを繰り出し、ニューベルンゲンの指輪、指パッチンバージョンが奏でられており、聴き浸った。

「ふう」と田中春のため息。

「ふう」と無意識にアリスと私も田中春のため息を真似る。

「ふはは」と先生。

「爪がヒリヒリするけど」と田中春。「ちょっと、意外と、楽しかったかも」

「うん」とアリス。

「えへへ」と私。

 命の危険さえ省みなければ、指森は一大テーマパークなのだろう。

 ハイチューと物々交換して手に入れた日本刀をぶんぶんと振り回して、先生は、とても楽しそう。「ふははははははは」

 私たちは、厳かな指パッチン交響楽を聴きながら、菌糸類のように寄り添いながら、夜空を眺める。そう、指森を探検しているうちに、昼をまたぎ、夜になっていたのだ。どこかの星座好きの悪戯だろう。あたり一体の、指指の根元に、彫刻刀で、『デネブ』『アルタイル』『白鳥座』などと、血文字が彫り込まれている。血文字付きの指が、指差す先には、星。

 今、この瞬間が永遠に続けばいいのに。

 あるいは、

 今、この瞬間が永遠。


「実は、俺」と先生も日本刀を鞘に収め、私たちのすぐそばに寝転んだ。適当な小指を草枕にして。先生はなんでもないように、呟いた。「実は、俺。軍部の人間なんだ。特殊将校ってやつ。俺の場合、特殊すぎる将校、かもしれないが」

 私たちは、井の字に寝転んでいた。なので、先生の呟く声が、私の脛にぶつかってくすぐったかった。

「実は秘密なんだ。バラしちゃいけないんだ。口外したら、俺がバラされる。そういう類の秘密なんだが、俺は、軍部の秘密特殊将校なんだ。いや、秘密特殊情報科学特命将校なんだ。いや、秘密特殊情報科学特命匿名将校なんだ。いや、もしかしたら、正式には、語順が違ったかもしれないが、とにかく、秘密で、特殊な、情報関係の、科学的な特別な任務を帯びた、匿名の将校であることは確かなんだ」

「そうなんだ」と田中春。

「ふーん」とアリス。

 指森はいい。人間と指と下生えの植物しかいないからだ。昆虫の鳴き声も、蛙の鳴き声もここではしない。昆虫にしろ、蛙にしろ、ありとあらゆる指ある生き物は犯される、コンドームをつけていない限りは、それが指森のルールなのだ。

「俺の特命は、代替性奴隷の製造。戦争ってのは、今も昔も、男たちがドンバチするんだ。今日明日死ぬかもしれない兵士たちが心の底から欲するものってなんだと思う。性奴隷だ。従軍性奴隷だ。けど、この性奴隷の調達維持が、なかなか面倒臭いんだ。倫理的に。大義名分的に。だから、俺にお鉢が回って来た。『お前なら、おまんこ味のハイチューくらいちょちょいのちょいで作れるだろう。性奴隷の役割を味覚的に代替するハイチューを製造するのだ』そう、軍部大臣、背水陣一郎から命じられたんだ。ブルゴーニュ藤田の発案だそうだ。名案だと、俺も思う」そして、先生は、「ふははははははははははははははははははははははははははははは」と夜空めがけて高笑いを放つ。「ふはははははははははははははははははははは」疲れたように、私の脛の上で脱力する。ふははは、と笑っている間、先生の体は微振動して、先生のインドア男特有の肉づきの悪い骨ばった体が、アスファルトを穿つ掘削機のように私の脛を打ち、ちょっと痛い。けど、まあ、別に、構わない。ちょっとくらい。「ふははははははははははははははははははははははは」

「いい加減にやめるっす」

「うん」

「もう一回笑ったら、蹴るっす」

「ふはは」

「おいこら」

「数万人の性奴隷需要が、俺のハイチュー開発で、解消するんだ。それはそれでいいことなんじゃないか、なんて思ったりするんだ。確かに、性奴隷の中には、生活のすべを奪われたと感じる人もいるだろうけど、性奴隷にしたところで、いつまでも性奴隷生活は続けられないんだ。性病で死ぬか、戦争に巻き込まれて死ぬか、廃業するか、だろう。じゃあ、やっぱり、俺のハイチュー制作は、どこかの誰かの役に立ったんだ。きっと、そうなんだ。けど、ふっと思うんだ。俺がいくらハイチューを作ったって、戦争は終わらない」

 指パッチンのレクイエム。指揮者のおじさんは、機を見るに敏。会話のムードに曲を選んでくれる。

「まあ、ああ、うん」と田中春。実は、指たちの体温が気持ちよくって、ちょっとうつらうつらして来ている様子。

「そう」とアリス。何が、そう、なのか。

「まあ、えへへ」と私。なんとなく笑ってみる。

「戦場で、今もどこかの戦場で、俺が作ったハイチュー噛み締め、兵士たちが死んでいるんだ。エクスタシーを感じながら死んでいくんだ。それが、なんになる」

「そのハイチューって」とアリス。

「そうだ。県立邪馬台国高校の女生徒と女教師のおまんこ味のハイチューだ。まだ、量産化はされていないけれど、俺が手作りできる分は、最小限のサンプルを除いて全部発送済みだ。ほとんど生存の見込みのない、玉砕作戦に割り当てられた兵士へ、試験的に配られているそうだ。ハイチューを配る際、それぞれモデルとなった女生徒と女教師のプロフィールをお見合い風に兵士に提示し、兵士に好みのを選んでもらっているらしい。アリスのプロフィールを見て、多くの兵士が泣いたそうだ。けど、その兵士の殆どが、もう、この世にはいない。作戦は成功。兵士は死亡。動物から、無理やり人間化されて、そのくせ、人権無視で、戦場へ投下された、元犬猫海豚象像海豹鯨などなどは、ラ子、蜘蛛女、夕子のハイチューを求めるらしい。人間が嫌いなんだろう。ふっと、思うんだ。もし、俺が、これから死んでいくといたら、どんなハイチューを選ぶだろうか、って」

「そんなことないっすよ」

「俺は、軍人なんだ。軍人は、いつ何時、死ぬことが仕事になるかわからないんだぜ」

 先生は淡々と呟き続ける。

 あまりに、淡々と喋るものだから、私たち三人は、だんだんだんだん、眠気しか感じなくなっていった。

 指揮者のおじさんは、優しい優しい曲しか演奏しなくなった。ベートーヴェンの運命とかいきなり流して、びっくりさせるような、あくどい人ではないようだった。

 大量の赤ん坊が、その両手両足にコンドームをかぶせられるか、その両手両足の指を裁ち鋏で断ち切られるかした状態で、指森近郊に捨てられる。赤ん坊たちは、自分たちの口の大きさに見合った小指を探し当て、母親のおっぱいのかわりにしゃぶるのだ。そういう一面さえ、この指森にはある。

 ふっと、思う。知能指数五億なのに、無力って、何故。

 どうでもいいや。

 寝よう寝よう。

 アリスが、

「あたしのハイチューを選んだ人たちのこと、ほんの少しだけ知りたい」

「だいたいが、片端だ」と先生。「それ以外は知らない」

 先生のこと、私は、やはり好きかもしれない。

 それはさておき、星がそこそこ綺麗だ。

 それはさておき、もうすぐクリスマス。

 どこか遠くの方で、今夜も痴漢の練習に励む山本くんの大きな声が響き渡る。「愛と平和ー」「愛と平和とちんちんー」「山本くん、山本くん、服を着ないと風邪ひいちゃうよ。秋だよ。もうすぐ、冬だよ」もうすぐクリスマス。


 クリスマスといえば強姦である。

 クリスマス前後日は強姦確率が否応なしに上がるのである。

『年間田中春統計』に載っているシンポジウム基調講演の書き起こし『個人統計から見えてくる人生の価値〜田中春を強姦したくなった回数の年間を通しての推移をもとに』を読めばわかる。講演者は、東京大学教授兼邪馬台国高校一年の田中永徳なのだが、彼は、去年一年間を通して、田中春を強姦したくなった日時を分単位で記録し、集計したそうだ。

 クリスマスやバレンタインやホワイトデーなどそういった日や、三月末、四月初めに顕著な値がでるそうだ。

 寝起きに読む記事じゃなかった。

 ふて寝の二度寝。

 眠って忘れようと思ったら、夢に出た。


 アンドロギュノス安藤の口の中は、だいたいいつも臭い。

 アンドロギュノス安藤とは、いつだったかの天才大会で、己のアンドロギュノスっぷり熱弁していたあの人だ。生粋の日本人で、だから、本来は、安藤アンドロギュノスって名前なんだけれど、語呂が悪いからみんな、姓と名をひっくり返して呼び捨てる。なんとなく、敬称をつけたくない雰囲気が彼にはある。

 アンドロギュノス安藤ののどちんこは本物のちんちんである。だから、だいたいいつも口の中が臭い。当人もそれがコンプレックスで、週に一度歯科衛生士さんの元に通っている。唇の端から、口腔におさまりきらない本物のちんちんをはみ出させながら、申し訳なさそうに、(歯)垢を除去してもらうのだ。

 アンドロギュノス安藤行きつけの歯科衛生士さんは、アンドロギュノス安藤に優しい。そもそも、優しくなかったら、アンドロギュノス安藤を客として受け入れない。彼はよく、店先の警備員に睨まれる。彼は警備員と小学校PTA役員が怖い。しばし、石を投げつけられるのだ。

 なぜ、この歯科衛生士さんが優しいのか安藤アンドロギュノスにはよくわからない。

ただ、同情されているだけなんじゃないか、と思うと、ひどくつらい気持ちになる。

 実は、最低知能指数三億の県立邪馬台国高校生だから、そのブランド名に媚を売ろうとして、優しいのではないか、などと考えたりもする。

 憐れまれるのは好きじゃないが、軽蔑や見下す感情抜きで、憐れまれているのなら、それはそれで幸福な関係じゃないのかな、なんて夢想したりもする。

 あるいは、そもそも、単に金目当てなのかもなあ、と思うとさらにやりきれない。

 安藤アンドロギュノスは、喉ちんこのかわりに本物のちんちん、おっぱいの代わりにCカップの金玉袋、本来金玉袋があるところに、ぶどう粒のごとき小粒のおっぱい二房、という安藤自身意味がよくわからない体型をしている。いくらダイエットしても筋トレしても治らない。そもそも、俺はアンドロギュノスなのだろうか、と思うこともしばしばだった。そんなわけなので、安藤アンドロギュノスは親に捨てられている。そんなわけ、のわけは、気持ちが悪いからだ。母体は、臍の緒引きちぎって、走って逃げ出した。一方、父親は猟銃持って安藤を追いかけてきた。今は刑務所。

 安藤アンドロギュノスは、自分には、行きつけの歯科衛生士さんしかいない気がして、どうにもやりきれない気持ちになる。

 そんな夢を、私は見た。

 どういうわけか、夢の中で私は、安藤アンドのギュノスになりきっており、彼の気持ちがだいたい隈なくわかるのだった。

 知能指数五億の私には、知能指数六億の安藤くんのことを全てはわからないけれど、だいたいはわかるのだった。六分の五くらいはわかるのだった。


 そういえば、県立邪馬台国高校の倫理の先生は、死んでいる。

 いつだったか、「倫理的に許せん」と言い残し、どこかへ旅立ち、チェ・ゲバラっぽい感じで亡くなったのだ。翌日、現代社会の先生が、最新の世界情勢の一環として、倫理の先生の死を教えてくれた。倫理の先生は、パンダっぽい犬をどこからともなく拾ってきて、「倫倫」と名付けるくらい倫理の先生だった。倫理の先生の名前は、山田。現代社会の先生の名前は、田山。


「その頃、ペルシア帝国では、荻野目さんが王の目、近江さんが王の耳が務めていたんだ。受験には出ないけれど、とっても大事な点だよ。それは、つまり、王の目、王の耳という役職が、代々荻野目家、近江家という一家系に独占されていたってことだから。つまり、部族社会なんだね。荻野目さんは、代々全身魚の目になるって奇病に苦しんだ。ダレイオス一世は、そんな荻野目さんたちのことをかわいそうに思い、王の目って名誉職を彼ら一族に与えたんだ。とっても優しい王様だったんだね。ちなみに、王の道の建設は、尾道さんたちに一任されていた。尾道さんたちは、頑張って、ペルシア中を行脚して、道を踏み固めた」

 ふっと、気がつくと、私は県立邪馬台国高校の教室にいて、びっくりしてしまう。一瞬、国分先生の授業かな、と思ったけれど、世界史の授業で、なあんだ、と思う。

 世界史の先生の名前は、えっと、そうだ、音声発音不明な古代象形文字で書かれているので、日本語表記できない、ということにしよう、じゃないや、とういうわけだ。というのも、古代象形文字は、現代の感じと同様、同じ記号でも様々な意味を持たせるからだ。

 そのため先生の名前を日本語翻訳しようとすると、「歴史男」なのか、「歴史的ペニス」なのか「歴史的性行為」なのか、「記録的男」なのか、「記録的ペニス」なのか、「記録的性行為」なのか、「保存された男」なのか、「保存されたペニス」なのか、「保存された性行為」なのか、「記念の男」なのか、「記念のペニス」なのか、「記念の性行為」なのか、不明なのだ。あるいは、これら様々な組み合わせをすべて含有したものが、世界史の先生の名前なのだ。少なくとも、意味するところはそうだ。

 文脈のない、名前だけじゃ、意味が無限に拡散される。

 いくら歴史が好きだからといって、我が子の名前を古代象形文字で命名してはならないなあ、という生きた教訓。

 アリスは今日も学校に来ていない。

 アリスがそこにいないだけで、ここは退屈だ。

 田中春はぼんやり天井の染みを数えている。

 枯木田くんは、授業中だというのに、教室を行ったり来たり、同級生全員に、握手を求め「枯木田、枯木田二号をよろしくお願いします」と授業に差し障りのない声量で挨拶をしている。

 そういえば、丸ノ内くんは、もういない。正式に退学したのだ。きっと、そのうち、補充が来るのだろう。

 丸ノ内くんの代わりに、丸ノ内くんの席には、等身大の藁人形が据え付けられている。丸ノ内くんからの置き土産。丸ノ内くんがいなくなっても、みんなが寂しくないように。

 しかし、困ったことに、この藁人形は、徐々に徐々に自我を持ち始めており、もしかしたら、このまま丸ノ内くんの補充として正式に県立邪馬台国高校の生徒になりかねない勢いである。

 どっちでもいいけど。

「ところで、遣隋使、遣唐使とは、行きは、遣隋使、遣唐使、であったが、帰りは検尿使だった。このことを知っている奴はいるか。お、柄本さんと山本くんは知っていたか。流石だな。これも、受験には出ないが、こういうなんというかな、立場の逆転、みたいなことは歴史上しばし起こる。で、そういうところまで把握しておくと歴史を五感で感じられるようになるというのかな。楽しいのだ。遣隋使、遣唐使は、当時の中国皇帝の検尿を大量に日本へ持ち帰った。否、皇帝が持ち帰らせた。よく動物がやるだろう。自分の縄張りにおしっこするあれ。マーキングっていうのか。つまり、倭も隋、唐の縄張りなのだぞ、ってことを示すために、おしっこを持ち帰らせたのだ。国土が広がると、大変なのだ。マーキングが。節度使ってあるだろう。彼らは、皇帝に代わって、各地方、国境周辺で立ち小便することが最大の任務だった。翻って日本はどうか。日本はなあ、地理的に恵まれているんだ。島国だろう。外敵からの侵入はまず以ってない。何が言いたいかというと、我々日本人にとっては、四囲を取り囲む外洋こそ、天然のおしっこだったわけだ。おしっこも塩辛いし、海未塩辛い。だから日本人には、立小便をしてマーキングする習慣がないんだ。マーキングって感覚が理解しにくいんだね。情けない話だがね。我々が世界史を肌感覚で理解するための最初のハードルがここ。マーキングの必要性の有無だ。これがわかると、なぜ、これまで人類史において、男ばかりが権力を握って来たかがわかる。男は、立小便できるからだ。ジッグラド、ピラミッド、エッフェル塔は、より遠くまで立小便を飛ばすための補助具だったのでは、という最新の仮説もこの観点から導かれている」

「先生」と山本くんの挙手。「ふと思ったんですが、黄河が黄色いのは」

「うむ。いいところに気がついたね」と先生。

 私は、途中で、眠たくなってしまっていて、寝てた。

 ちなみに、柄本さんは、世界史だけ得意などこにでもいる女の子。アカシックレコードを丸暗記してるって噂。

 いつか、邪馬台国卑弥呼先生の『ラプラスの悪魔』と、柄本蓮見の『アカシックレコードプレーヤー』を戦わせてみたいのだが、達人同士は、なかなか勝負の舞台に上がってくれない。

 ちなみに、邪馬台国卑弥呼先生は知能指数三十兆だけれど、柄本蓮見は知能指数は一だ。本人曰く、「ちゅべてが、あかちっくれこーどに、かかれているのでちゅ。あたちたちは、ただそれをなぞるだけのにんぎょうでちゅ。にんぎょうにちのうなどいらんでちゅたい」だそう。「あばばばばば」と意味もなく、柄本蓮見は笑う。


 再び目覚めると、先生もアリスも田中春もすでに、起き上がって、私のことをじっと見下ろしていた。

 何かが寂しいな、と思ったら、耳寂しいのだ。指揮者のおじさんによる指パッチン演奏会はお開きになっていたのだ。いい子守唄だったが、寝覚めまで付き添ってはくれないのだ。急に、心臓の音が耳の奥で意識されて、父のことを思い出す。

 指森の朝は、指たちの射精によって始まる。なぜならば、絶倫だからだ。私の『絶倫親指』の成れの果てが、この指森なのだ。

 対象のない無意味な射精。無意味さこそ生命の謳歌。

 いや、違うかなあ。

「いつまで寝てるの」とアリス。

 どろどろの精液が、溶岩流かアメーバのように、私たちを取り囲み、徐々に徐々に、そういう粘菌のように、流れ込んで来る。ちょっとした窪地に寝転んでしまっているのだ。

 精液が、先生やアリスや田中春の靴にべったりとまとわりつく。寝転ぶ私のすぐそこまでも。

 そういえば、この街では、指森が絶倫すぎるお陰で、花粉アレルギーならぬ、精液アレルギーを発症する人が、少しずつ現れているそうだ。割と深刻な不妊症。

 私は、べたつくのが嫌だから、起き上がる。

 白い靴下がさらに白く。

 指森は、夜眠るのには、ほかほかで気持ちがいいけれど、朝目覚めるには、くさくてべたつくなあ、と心の中にメモ書き。

 先生が今更のように、「昨日のことは忘れてくれ。じゃなきゃ殺されるんだ」

「何の話っすか」

 先生はほっと、安心安心のため息をつく。

 田中春が、「街へ戻るの嫌だなあ」かといって、ずっと指森にいたいのか。

 さあ、と強く風が吹いて、さわさわと指たちがそよいだ。残り滓のような最後の最後の射精。

 恋愛ってなんだろう。そんなことをふっと考える。脈絡はない。


 美術の先生は彫り師である。つい先日、指森で遭遇した、彫り師たちの師匠である。

 彼はすごい。

 否、とんでもなく、すごい。

 彫り師、というのは、刺青彫るタイプの彫り師である。まあ、手先は器用そうだから、木彫りもできそうだけれど。

 地元ヤクザ、殴る会、専属彫り師兼県立邪馬台国高校美術講師だ。

 彼の名前は、堀身文(ほり・みふみ)。

 指森つながりで、私とは友達。よく、小粋な刺青を指森の指たちに施してくれる。昨年の誕生日には、弟子の一人を全身刺青して、私の家まで送ってよこした。その弟子にはラップの才能があり、六時間連続ラップで私の生誕を祝ってくれた。よく、舌が回るなあ、と思った。嬉しかった。六時間連続ラップで過呼吸になって死にかけたその人を介抱したのもいい思い出。『生きろ。生きるっす。最期の言葉が、ダジャレでいいのか』

 その弟子の彼とは、よく路上ミュージシャン通りですれ違う。

 すれ違いざまに歌い出す。『Yo-Yo』

 堀さんの話だった。

 堀さんはすごい。

 堀さんというか、堀さんと契約している地元ヤクザ殴る会もすごい。その名の通り、徒手空拳ひたすら拳に訴える人たちなのだが、それ以外にもすごい。

 組長がレンブラントなのである。

 若頭は、炎の男ゴッホ。

 組長の愛人はガルチキネータ。

 舎弟頭は、水木しげる。

 すごい。

 種明かしをすれば、堀さんは、組長はじめ、全構成員の顔面に、精彩に入れ墨を施すのである。組長の顔には、レンブラントの晩年の自画像が彫り込まれているのである。

 若頭の顔には、ゴッホの自画像が彫り込まれているのである。

 組長の愛人の顔には、ダリによって描かれたガラそのまんまの色彩で描きこまれているのである。

 舎弟頭の顔には、水木しげるの幼年期の自画像が彫り込まれているのである。

 なので、組長は一見、とても優しげなおじさんにしか見えない。実際、やさしい。

 一見整形手術かな、と思うほどの変わりぶりなのだけれども、よく見ると、種々様々な絵画的技法が散りばめられているのである。

 殴る会は、周辺ヤクザから、なんなんだあいつらは、と恐れられている。

 私も初めは恐ろしかった。けど、話してみると、ただ顔に刺青を入れた人だった。

 彼らもよく、指森に遊びに来て、殴る練習をして帰っていく。

 彼らからも、しばし、「花ちゃん、ありがとう」と感謝される。いい気分だ。

 堀さんは、あまり喋らない。喋るより、刺青で自己表現する人なのだ。いつだったかの誕生日のように。「うおおおおおおおおん」これが堀さんの口癖。

 なので、県立邪馬台国高校の美術の授業は、堀さんの工房に遊びに行き、ただ堀さんの仕事を眺めるだけ、という単簡なもの。にも関わらず、卒業生の三割が彫り師になるのだから、すごい話だ。

 堀さんはこの頃、動く刺青を研究中。


 今度、

 地元の美術館で、『殴る会展』が開催される。

 展示場に、ずらずらずらあ、と立ち並ぶ、ヤクザ団体殴る会の構成たち。彼らの前には、額縁が宙吊られており、その枠内で各々、ポーズをとっている。

 一糸乱れぬ団体芸『夜警』。改めて考えて見ると、ヤクザって、夜警だ。

 展示期間には、クリスマスも含まれており、恋人たちが、手に手を握ってヤクザを見に来ることだろう。五歳くらいの男の子が、組長の愛人のあまりの美しさに、思わず呆然として、触ろうとして、学芸員に止められるなんて場面もあるだろう。

 地元の小学生、中学生、高校生が、何かしらかの名目で視察に訪れるだろう。

 私も。

 招待状を、もらってしまった。

 しかも、ペアチケットだ。


 田中春が、とぼとぼと指森から立ち去った。私たちは、その後ろ姿をただぼんやりと眺めていた。田中春は、お腹が空いたのだそうだ。お腹が空いたので、朝ごはんを食べに、自宅へ帰るそうだ。キャンプだキャンプだと言っておいて、ハイチューを除けば、一切の食べ物を持参し忘れていた私たちは、お腹がぺこぺこで、多分、このままじゃ、七日後に死ぬだろう。

 けど、街には戻りたくなかった。なんとなく。ずっと、指森にいたかった。家に帰ったって、そこは、ドッグフードの館だった。

「じゃあね」と田中春。

「うん、じゃあね」

「またね。それまでお元気で」

「それまで、お元気で」

「あ、これ」と借りっぱなしの『年間田中春統計』

「あげる。もう読んだから。おじさん」と田中春は、先生へ。「花孒ちゃんをよろしく」それっきり、振り向きもしないで、指と指の間に消えていく。

「よろしくと言われてもな」と先生は少し困った顔をしていた。物珍しそうに、その困った顔を私は眺めていた。

 しばらく、その場に突っ立っていた。空腹はどんどん募っていった。腸や胃がぺちゃんこに潰れていくのがわかった。パンクしたタイヤのような五臓六腑だった。喉の渇きは唾を飲んで癒したけれど、癒しきれなかった。

「アリス」

「なに」

「なんでもないっす。先生」

「なんだ」

「なんでもないっす」

 祖父は、ドッグフード葬された。ドッグフード葬とは何か、というと、死んでしまった肉体を、ドッグフードにして弔うという葬送である。祖父は、ドッグフード葬された。

 祖父の肉体は、杵と柄を用いて、ミンチにされ、ビー玉サイズの肉団子にされた挙句、ヘアドライヤーで、からっからに乾燥ささせられたのだった。祖母によって。当初、仏壇に、山積みにされていた祖父のドッグフードは、その他市販のドッグフードといつの間にやら混ざり合い、現在では、どれがどれやらわからなくなっている。

 食べればわかるのかもしれないが、食べたくはないなあ、と私は思う。

 そんなわけで、私は祖母の家に帰りたくない。

 かと言って、母の元へ帰りたいわけでもない。

 母は、私を見かけると、殺虫剤をふりかける。

 祖父は、先週、新幹線と勝負して、負けて、死んだ。いや、新幹線側も、車輪とか窓とか車体とか、祖父の正拳突きによってぼっこぼこされていたから、勝負は互角だったのかもしれない。けど、どちらにしろ、死んだ。新幹線は廃車になった。

 争いは、何も産まない。

 母は、私を見かけると、殺虫剤をふりかける。

 もし、私が亡くなったとしても、祖母は、私をドッグフードにしてしまうのだろうか。してしまうのだろうなあ。嫌だなあ。

 父は鳥になった。

 帰るあてがない。

「アリス。今晩泊めて欲しいっす」

「うん。いいよ」

 アリスと私が並んで歩いて、その後ろを、のっそりのっそり先生が歩く。


 その頃、

「おぎゃあ。おぎゃあ」と私は泣いていた。

 随分と昔の話で、記憶が定かではない。

 泣いていたのは泣いていたのだけれど、どうして泣いていたのか、もう、忘れてしまった。けど、

 その時父は、母に向かって、

「花子がまた、泣いているね」と呟いた。

「はい」と母。

「憎い憎い、と泣いているね」と父。「僕は、赤ん坊の言葉がわかるんだ」

「はい」

「おぎゃあ。おぎゃあ」と私。

「死ね死ね死んじまえ、と花子は泣いているね」

「はい」

「殺してやる、歯が生えてきたら、お前の喉仏を噛みちぎって殺してやる、と花子は泣いているね」

「はい」

「物心がついて、学校へ上がったら、毒物について学んでやる。お前を毒殺してやる。と花子は泣いている」

「はい」

「学校へ上がったら、飛び級してやる。飛び級して飛び級して、工学部教授になってやる。全人類を滅亡へ追い込む破壊兵器を開発してやる。お前らがどこへ逃げようと、探し出し、見つけ出し、ぶち殺す暗殺ロボットを開発してやる。と花子が泣いている」

「おぎゃあ。おぎゃあ」

「この子は将来有望だ」と父は、私の頭をぽんぽんと撫でた。「えらいぞ。花子」

「うん」と私は返事をした。知能指数五億の私には、以上の会話で、だいたい日本語の構造を体得できたのだった。父に褒められたくって、「死ね、死ね、死んじまえ」父の言葉を真似てみた。

 父は、欣喜雀躍、首の据わらぬ私を高い高いした。


 私は、その日、レンブラント組長と並んでブランコを漕いでいた。

夕暮れ。

 けど、街灯はまだ灯っていない。

 空が赤い。燃え立つように赤い。

 レンブラント組長は、レンブラントな顔で、夕日を眺めて黄昏ていた。私が差し出した葉巻を美味しそうに燻らせていた。組長にして、レンブラントなのだ、彼ほど、葉巻だったり、タバコだったり、パイプが似合う男もいない。

「こないだは」と私。「ありがとうっす」

「なんのことかな」とレンブラント組長。

「殴る会展の招待状っす」

「なんのことはない。いつもお世話になっているからな。ささやかなお礼状だよ」レンブラント組長は照れたようにそっぽを向き、立ち漕ぎを始める。「こういう商売をやっていると、いつ死ぬかわからないからな。感謝やお礼は忘れたくないんだ。例年喪中だが、年賀葉書は欠かさないくらいだ」お中元もな、と組長。

「今年も誰か死んだんすか」

「義兄弟が三人。義理の息子が五人。計八人。縁起のいい末広がりの八人だ」

「末広がっちゃだめっすよ。それ」

「細かいことはいいじゃねえか。何はともあれ、今年もありがとうな」

「もうしばらくあるっすよ」

 殴る会展楽しみにしていてくれ、と組長言い残し、舎弟頭の水木しげると徒歩でどこかへ消えて言った。私は水木しげるから、「姉さんちーっす」と挨拶された。多分、同い年くらいなんだけど。


 クリスマスツリーの飾り付けをする。

 毎年、お金のない私たちはクリスマスツリー探しに苦労する。なかなかちょうどよいそれが、見つからないのだ。

 今年は、国分文太郎先生著『新しい現代文の教科書(改訂版)』をクリスマスツリーにすることに決めた。

 アリスの家で、二人きり、『新しい現代文の教科書(改訂版)』をクリスマス的に飾り付けする。中原中也の詩を書き込んだり、ルイス・キャロルの詩を書き込んだりするのだ。雪っぽい感じになり、冬っぽい感じになり、キャロルっぽい感じになる。その他、私たちは銘々好き勝手に、詩を書き込んだり、絵を描き込んだり房飾りをつけたりする。背表紙に。

 去年は、ディケンズの『クリスマス・キャロル』をクリスマスツリーにした。その前年は、太宰治の『メリイクリスマス』をクリスマスツリーにした。どちらも、クリスマスっぽくなって、ほんわかした気分を醸し出した。けど、太宰は、ちょっと大人な感じがしたし、ディケンズはちょっと説教くさくもあった。

 今年はもっと、身の丈にあった、クリスマスを楽しみたかった。そこで、思いついたのが『新しい現代文の教科書(改訂版)』だった。クリスマスっぽさが醸し出されるかは未知数だったけれど、ちょうど私たちの歌も収録されているし、身の丈にあった感じにはなりそうだった。知能指数五億の身の丈に。ちなみに、アリスの知能指数は複素数で、三億足す五千iだった。漢字だと変な感じだ。アラビア数字だと、300000000+5000iだ。アリスは天才肌だから、一次元的な価値尺度では、その知能指数測りきれないのだ。どうしても、平面的になる。私も、来年こそは、知能指数を複素数にしたい。

「もっと可愛い感じにしたいっす」

「うん」とアリス。

 だから、私たち二人は、近所の市民病院に侵入して、生まれたての赤ちゃんの手形をとりまくった。赤ちゃんたちの両手に、朱色の墨汁を塗りたくって、ぺたぺたと『新しい現代文の教科書(改訂版)』に手形を押し付けてもらうのだ。季節外れの紅葉のようなそれは、国分文太郎先生の文章に足りない、幼さ、可愛らしさを存分に付加してくれた。

 追いかけてきた警備員に「よいクリスマスを、それによいお年を」と手を振って別れを告げた。

「ただ、可愛らしさだけじゃ、物足りないっす」

「うん」

「もっと、ハードボイルドに。もっと、ワイルドに」

 というわけで、殴る会を訪れた。

「ゴッホ若頭。この教科書を拳銃でぶちぬいて欲しいっす。硝煙の香りと弾痕こそ、クリスマスツリーには必要っす。唐突な暴力が、子供心にファンタジーを掻き立てるっす」

「うーん、県立邪馬台国高校の学生さんの言葉は難解やのお」とゴッホ若頭。「まあ、いつもお世話なっとるし、お安い御用やけど」

 ゴッホ若頭が、私たちの手にした『新しい現代文の教科書(改訂版)』二冊ともをおもむろに撃ち抜いた。

 背後の花瓶が割れた。

 レンブラント組長が大切にしている、なんとかという、宋の時代の花瓶だ。顔がレンブラントなだけあって、美術品収集が趣味なのだ。

「ふははは」とゴッホ若頭。「チャカぶっ放すのは、気持ちええなあ」

 私とアリスの手も、銃弾の衝撃にビリビリと震えていた。アリスは口と両手のひらを使って、教科書を支えていた。教科書には、綺麗に真ん中に、焦げに縁取られた弾痕が穿たれていた。

「ありがとう、ゴッホ若頭」

「ありがとうっす」

 その後、私たちは、石川啄木の『ROMA字日記』沼正三の『家畜人ヤプー』夢野久作『猟奇歌』など、クリスマスっぽい文章を、『新しい現代文の教科書(改訂版)』に色彩豊かに書き込んでいった。その他、クリスマスにふさわしいエロ漫画の切り抜きなども糊でぺたぺた貼り付けた。クリスマス当日はまだまだ先なのに、気持ちだけほんの数日先の未来へ飛び立ってしまっていた。もぬけの殻になった体が、機械みたいに、『新しい現代文の教科書(改訂版)』を飾り付けるのだった。クリスマスが終わったら、この教科書、国分文太郎先生にプレゼントしようと思った。

 それからしばらく、絵の具と糊と油性マジックで泥だらけになった手のひらを、電灯に透かして眺めた。万華鏡のように煌めいて見えた。血潮が、赤だけじゃない多彩な色で、流れて行った。

 私とアリス以外の、同級生や後輩たちも、山本くんも、柄本さんも、網代さんも、枯木田くんも、田中春も、国際田中春学会の諸メンバーも、アンドロギュノス安藤も、尾長酉乃進も、夕子も、ラ子も、蜘蛛女も、田中くんも、マジカルポンチョも、卑弥呼先生も、化け物も、トラベラー哲も、田山先生も、ネオ・ガリレオ・ガリレイも、ネオ・アイザック・ニュートンも、鬼瓦先生も、楽屋裏オナニーも、新校長も、世界史の先生も、堀さんも、国分先生も、ブルゴーニュ藤田はじめ国会議員も、それぞれにそれぞれの好みで、それぞれのクリスマスの準備に勤しんでいるのだろうか、と想像した。その想像は、ちょっと楽しい気分にさせる。ああ、伊奘諾さんのことを忘れていた。私はいつも、ついつい、伊奘諾さんのことを忘れてしまう。桃山桃子と丸ノ内くんは、そろそろ、桃太郎の国を建設し終えた頃だろうか。

 アリスと私は、それぞれに勝手気ままに飾り付けた『新しい現代文の教科書(改訂版)』を交換して、読みふけった。アリスの字は、指がないのに、すごく達筆で、それがなぜだかおかしかった。一頁目に、ひたすら、『尻』と書かれいた。

 私は悩み始めていた。クリスマス当日、先生と二人で過ごそうか、それとも、先生も含めて、アリスや田中春や伊奘諾さんや、その他諸々の人たちと、ともに過ごそうか。どちらでもいい気がしたけれど、どちらもいい気もした。クリスマスが二日連続で続けばいいのに、と思った。そうしたら、どちらのパターンも味わえるのに。

 二十日から三十日まで、クリスマス色に塗りたくられたカレンダーとか売られていないかな。(聖母マリアのおまんこを、胎児イエスが出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったりするのだ。奇蹟のように。幼児がウォータースライダーに夢中になるように。(滑り台もウォータースライダーも産道っぽい。))

 意味もなく、疲れ果てた私たち二人が、折り重なるようにして眠る。


 伊奘諾さん。伊奘諾さん。私は、伊奘諾さんに呼びかける。

「ナギさん。ナギさん。これどうっすか」

「花孒だぜ。こんにちはだぜ。藁人形がどうしたんだぜ」

「丸ノ内くんっす。いや、丸ノ内くんの代打っす。で、新しい伊奘冉さんとしてどうかなっと思って持ってきたっす。一応人型だし、藁人形もダッチワイフも似たようなものっす」

「ふはは」と伊奘諾さん。「俺は、もう女には興味がないんだぜ」続けざまに、「ふはははは」

「私にもっすか」

 ちょっと迷った末、ぶんぶんと首を振る伊奘諾さん。

「あの、ナギさん」

「なんだぜ」

「ふっと思いついたこと言ってもいいっすか」

「構わないぜ。言論の自由だぜ。思想良心の自由だぜ。報道の自由だぜ」

「この藁人形を新しい伊奘冉さんだと思って、丑三つ時に、ナギさんの五寸釘を打ち込むっす」

「意味がよくわからないぜ」

「ナギさんはまだ子供だから」実際、伊奘諾さんの実年齢は幾つなのだろうか。年齢不詳の児童。学年や制服でラベリングされていないと案外子供って年齢がわからないものだ。そもそも、私自身、自分の年齢がよくわからないくらいだ。零より上で、七十より下だとは思うけれど。

 伊奘諾さんは、ちょっと拗ねた表情で私のことを睨んでいる。

「まあ、うん」と私。「これから寒くなるし、燃料の足しにでもしてよ」と等身大の藁人形をぽいっと伊奘諾さんに投げ渡す。「じゃあね。それだけ」

 私はスケボーに乗って、その場を後にする。


 網代鯛子が、ばかにされていた。

 みんなの先頭に立って、ばかにしているのは、山本くんだ。「ばーか。ばーか。網代さんのばーか」

 他の同級生たち、および、ロッカーで飼育されている哲学者たちも、山本くんの音頭に合わせて、唱和する。五十人近い人間の大合唱だ。何人かは口パクだろうけれど、窓扉がびりびりと震える。網代さんも少し震えている。

「あーほ。あーほ。網代さんのあーほ」と山本くん。それに続けて、私たち。プラトンやソクラテスにあほ呼ばわりされるとちょっと凹む。網代さんも現に凹んでいる。教室の角の方で体育座りをして、頭を抱えている。

 網代鯛子がばかにされるのには、訳があった。つい先ほど、網代鯛子の知能指数が三億以下であることが判明したのだ。網代鯛子は、当初知能指数三百億と目されていたのだが、その実、三十万そこそこしかないらしいのだ。

 ひどい話だ。

 なので、みんなで寄ってたかってばかにすることに決めた。

「ばーか。ばーか。網代さんのばーか」山本くんが繰り返す。その山本くんの台詞を残る私たちが繰り返す。教室がびりびりと震える。網代さんが、おにぎりみたいに、ぎゅっぎゅっと小さくなる。

 網代さんは、ルート使いだった。

 ルートを使って、自己の知能指数を改竄したのだ。その手があったか、と私たちは驚嘆した。

 県立邪馬台国高校の試験は二段階に分かれる。第一段階は、筆記試験。だいたいこれで落ちる。八面六臂じゃなきゃ受かりっこねえよ、と巷で噂されるくらい、問題量が膨大なのだ。八面六臂だったら、カンニングし放題だ。けど、現に千手観音が受験しにきたことがあったそうだけれど、不合格だった。第二段階は、面接および口頭試問。この面接および口頭試問において、知能指数の自己申告を求められるのであるが、その際、彼女は、『私の知能指数は、三(ごにょごにょ)百億、です』と答えたのだった。(ごにょごにょ)と言葉を濁した箇所が、ルートだった。『知能指数三百億、すごいですね』ってことで、彼女は編入試験を無事通過したのだった。

 3√10000000000って、300000だ。

 なんだ、とみんながっかりした。

 同級生が知能指数三百億のすごい人かと思っていたら、たかだか三十万だったのだ。

 というわけで、みんなして、ばかにすることに決めた。

「あーほ。あーほ。網代さんのあーほ」と山本くん。山本くんは、ばか、と、あほ、以外悪口を知らない。何故ならば、彼の専門は痴漢だから。私たちもそんな山本くんに合わせて唱和する。

「嘘、吐いてないもん」と網代さんの抗弁。「私の知能指数は、三(ごにょごにょ)百億だもん」

 確かにその通りだなあ、と思って、私たちはばかにするのをやめた。

「ごめんね、網代さん」と田中春。

「ああ、傷ついた。心にぽっかり穴が空いた。ああ、痛い痛い」と網代鯛子。

「一緒に保健室行こう」と田中春と網代鯛子は仲良く階下へ降りて行った。


 久しぶりに先生の元を訪れる。

 久しぶりってわけでもない気がする。記憶が定かではない。

 校庭を突き抜けて、体育館を突っ切ると、体育館付属倉庫。そこに先生は暮らしている。

 先生は眠っていた。

 いつも私が、もたれかかっている十段組の跳び箱に、物干しみたいな格好で引っかかって眠っていた。

 先生が、寝言を漏らす。

「ちんちんが」

 私は仕方がないから、バスケットーボールが詰まったコロ付きの特大の籠に、半身浴する。これがなかなか気持ちがいいのだ。バスケットボールのつぶつぶした肌触りとか。根拠なく、無重力ってこんな感じかな、って気分が味わえる。

「ちんちんが五劫の擦り切れー」「ちんちんがー」「五劫の擦り切れー」

うなされているのか、手足をばたつかせる。

「大丈夫っすよ」と私の無責任。

「ちんちんがー」と先生。「五劫」「牛蒡」「牛蒡の擦り切れー」「ちんちんがー牛蒡」

自由な夢の世界を楽しんでいるようだった。

 夢の世界でなら、なんだって可能だ。

 私は、先生の寝言を聴きながら、退屈な時間を退屈だ、退屈だと思いながら過ごした。一秒間が、一時間にも匹敵した。時が止まるかと思った。机の上に散乱していた、ミルキーっぽいお菓子を口に放り込んだ。本物のママの味がした。先生の新作らしい。

 その後、先生が目覚めるまで二時間ほどぼうっとして、ぼうっと天井のシミを数えていた。五万六千二百十七。

 目覚めた後、先生に、ミルキーの感想を告げて、先生はちょっと喜んで、照れ臭そうに、世界中の子供達に先生自作のミルキーを配るという壮大なのか矮小なのかよくわからない計画を得々と語り始めた。私はその計画をくだらないなあ、と思いながら、聞き流した。

父や母が死んだ子供や(例えば)母親に殺虫剤を振りまかれる子供に、化学調味料でできたママの味を与えて、なんになるというのだろう。

 先生にクリスマスの予定をそれとなく聞くと、

「多分、生きていると思う」

 じゃあ、のんびり、街をぶらぶらしましょう、と提案すると、

「まあ、死んでいなかったら」

 今更のように、私は先生のことが好きかもしれないのだ、と伝えると、

「俺は、五劫の擦り切れだからなー」と訳のわからないことを呟く。

 でも、そんなわけのわからないところが、神秘的で心惹かれるのだ。大人って感じで。

 どういう経緯か忘れたけれど、みんなでぞろぞろと散歩をしていた。

 そこには、私もいたし、アリスもいたし、田中春もいた。私とアリスは、手を繋いで並んでゆっくり歩いていた。秋風を追い越したり、秋風に追い越されたりした。

 田中春は、誰かを探している風だった。竹馬の上で、背伸びして、四囲を見渡した。

 川沿いの土手で、延々長蛇の列をなしていた。何人いるのだろう、何百人はいる。

 先生もその中にいて、腰に履いた日本刀が周囲の人々にぶつかり、迷惑がられていた。

 その行列には、いろんな人々が含まれていたけれど、県立邪馬台国高校の生徒の割合が多かった。だから、竹林が歩いているようだった。竹林が、歩いているのだった。県立邪馬台国高校の生徒は大半が竹馬ライダーだから。

 痴漢部の人たちは、乳首と股間からライトセイバーを生やし、片足を失った馬のように、三点走行を試みている。それなりの技術が求められるのか、時折転倒する人々もいた。山本くんは慣れたもので、いつもお世話になっている、警官のおじさんを背に乗せ、悠々と皆の先頭を駆け抜けている。

 山本くんとは、この頃、あまり話さない。微妙な季節なのだろう。高校二年生って。お互いにお互いの世界が確立しつつある。私の世界と、山本くんの世界とが、少しずつ少しずつ隔絶しつつある予感がする。いつからか、山本くんは、いつもいつも遠い目をして私と話すようになった。話も少しずつ噛み合わなくなった。私の焦点と山本くんの焦点がずれて、まるで、テレビの画面に相槌を打つような虚しさを覚えるようになった。山本くんにとっても同様の感覚だったらしく『花孒女史にはわからないでしょうが、』が口癖になった。

 たまたまポケットに残っていた一本きりの煙草をアリスと私で交互に咥える。私が煙を吐く間、アリスが煙を吸っていて、アリスが煙を吐く間、私が煙を吸っている。いつもより、早く早くに、煙草が燃え尽きていく。

 伊奘諾さんも前に与えた藁人形と仲良く手を繋いで歩いている。どういう仕組みで藁人形が自立しているのかと思ったら、伊奘諾さんのすぐ側を竹馬で歩く尾長酉乃進の進化した襟足に藁人形を結びつけて浮かせているのだった。糸につられた操り人形のごとく、尾長くんの微妙な後頭部さばきによって、藁人形は現に生きているかのように、手を振り、足を上げ、とぼとぼと歩いていく。尾長くんの隣では、明石焼夕子が、いつもにこにこ竹馬を操っている。

 ゴキブリのように小顔、蟻のように括れた腰つき、蜘蛛のようにすらりと伸びた手足。すっごいスタイルの人だなあ、と思って眺めていると、案の定蜘蛛女だった。蜘蛛女は、林立竹馬と竹馬の間に、特大の蜘蛛の巣を張り巡らせ、私たちの上空を揺蕩っている。風に揺られて気持ちが良さそうだ。

 田中春を遠巻きに窃視する国際田中春学会の人たち。彼らも竹馬に乗っている。

 彼ら二人が寂しくないように、まるで、祭りの神輿のように担ぎ上げられる、日本之墓。日本国民と日本史子先生が眠っている墓だ。その墓を担いでいるのは、年端もいかぬ赤子である。どんな赤子かと思ったら、鬼瓦先生が指導教練している赤子たちだ。胎内にいるときから鍛えられ、出産からの寒中水泳、そして、今度は墓石担ぎ。鬼瓦楓の赤子たちに対する要求は厳しい。けど、赤子たちも鬼瓦先生の期待に一心に応えようとしているみたいだ。私より背の高い赤子もちらほらいる。将来の校長は、この赤子たちの中から生まれるのだろうな、と思う。

 拳銃をぶっ放す音が聞こえると思ったら、殴る会の面々だった。私とアリスは竹馬に乗らない。だから、竹馬ライダーの先輩たち同輩たち後輩たちからはわっさわっさと竹しならせて追い抜かれていく。鬼瓦先生と赤子たちも、墓石担いで疾駆していく。山本くんたちは、とっくの昔に、点のようになってしまった。代わって、私たちの両隣を歩くようになったのは、殴る会の構成員たちだった。みんな拳銃ぶっ放す。殴る会展の宣伝も兼ねているのだろう、それぞれ空の額縁を両手で捧げて、額縁の中で思い思いのポーズを決めている。泣く子も黙らす水木しげる。泣く子をさらに泣かす泣く女たち。サービス精神の塊なのだ。すれ違う人たち一人一人に向かって、空の拳銃ぶっ放し、額縁の中でポーズを決める。

 桃山桃子と丸ノ内くんと、雀五千羽、烏千羽、雉五百羽、猿五百匹、犬五百匹、羆十頭、象五頭、麒麟三頭、縞馬十頭、その他諸々。地元の動物園が桃太郎に征服されたという噂を聞いたのだけれど、事実のようだ。動物たちに囲まれて桃山桃子と丸ノ内くんは、妙に嬉しそうだ。あれだけモルモットに取り囲まれたら誰だって嬉しくなるだろう。いいなあ、と私とアリスは、陶然と彼らを眺める。

 国会議員たちもぞろぞろと続く。一体、どこへ向かっているのだろう。知らないけど、誰一人、歩みを止めようとしない。首相のブルゴーニュ藤田。法務大臣のキリングマシーン麒麟児。文部大臣のトラベラー哲。軍部大臣の背水陣一郎ら、閣僚メンバーは、特に仲がいいのか、サッカークラブの集合写真みたいに、肩を組んで道幅いっぱいに広がった状態で、わっせわっせと歩いていく。通行の邪魔だ。無所属のマジカルポンチョは、一人寂しく、東京タワーを整えている。枯木田親子はそんなぽんちょを、三メートル後方から見守っている。

 新校長の巨体が地響きたてて前進する。それに続く県立邪馬台国高校の先生たち。邪馬台国卑弥呼先生は、目を固く閉じ後ろ歩きしている。卑弥呼先生はいつもそうなのだ。全世界の全地形、および、ありとあらゆる人身事故の可能性風向風圧などを計算し尽くした知能指数三十兆の卑弥呼先生は、五感に頼る必要がないのだ。目など潰れてしまって構わないし、鼻も耳も口も膚も腐れ落ちてしまって構わないのだ。だからと言ってそんな大道芸人みたいなことを日常的に行う必要もないのだけれど。国分文太郎先生は、こんな時でも、教科書を開いて、朗読を続けている。世界史の先生はマーキングしている。

 看護婦たち。鍼灸師たち。美学生たち。美容専門学校の生徒たち。剥製マニアたち。外科医たち。深爪たち。黒魔術師たち。居合道の達人たち。格闘家たち。違法拳銃製造業者。やらしい人たち。怒れる主婦たち。カニバリストたち。彫り師たち。爪の垢強盗たち。

 ネイル講師が無辜の命を面白半分に奪い続ける。祖母がドッグフードにまたがり、皆の後を追いすがる。祖母に飼いならされたドッグフードが桃山桃子の家来たちを噛み殺す。

 アンドロギュノス安藤が、ちんちんを唇からはみ出させながら、歯科衛生士さんと並んで歩いている。竹馬にも乗らずに。そんな二人の関係は、打算に満ちていた。

 ロッカーを抜け出した哲学者たちが、くっちゃべりながら、道草を噛みながら、悠々自適に素足で土手を歩いている。その後ろを、まるで、平行台でも歩くかのように慎重なカニ歩きで、味方と怪獣とが、のっそりのっそり歩を進める。

 ふっと視線を川面へ移すと、ラ子と猪猟虎太郎が、じゃれ合うように泳いでいる。二人とも毛深いから、寒くないのだろう。

 その行進は、日の出から日没まで休むことなく行われた。一体何が目的なのか、誰にもわからなかった。誰の発案かもわからなかった。わからないまま、土手をぐるぐる回り続けた。

 私とアリスは行列を抜け出した。団体行動は私もアリスも苦手だった。どこか行くあてがあるってわけでもなく、影を追いかけるようにただ無目的に歩いた。まず、西へ、お昼ご飯をコンビニ弁当で済まし、それから東へ。


 殴る会が壊滅した。

 ぶち殺されたのだ。

 対抗組織が殴る会展へ殴り込み、絵画作品になりきっていた殴る会構成員たちを次々とぶち殺してしまったのだ。

 レンブラント組長は、「芸術は不滅だ」と言い残してぶち殺された。

 対抗組織の殺し屋は、「お前の血は絵の具なのか」と吐き捨てて引き金を引いた。レンブラント組長の血は、赤かった。赤い絵の具だった。ゴッホ若頭の血は青い絵の具だった。

 幸いなことに、レンブラント組長の遺言に基づき、殴る会展は予定通り、期間いっぱい運営されるそうだ。レンブラント組長たちは、額縁にだらしなく引っかかっている。少しずつ肉が腐り始めている。けど、季節は初冬。冬でよかった。致命的な腐敗じゃない。

 学芸員たちの閃きでワークショップ『レンブラント組長たちの血で壁画を描こう』が企画された。当意即妙だった。予期せぬ不幸をものともしない、精神のタフネス。

 私は、本当は生きているんじゃないかなあ、本当は死んだふりなんじゃないかなあ、ただの演出なんじゃないかなあ、って疑問を確定させたくてうずうずした。

 美術館の前を通るたびに、腐臭が鼻についた。この腐臭さえ、演出の可能性があるから、殴る会は侮れないのだった。


 気がつくと、クリスマスイブだった。

 クリスマスイヴは日が暮れてからが勝負なのだった。日が没した。

 日が没すると、みんないそいそとせわしなく働き出した。全ては、明日、ホワイトクリスマスを迎えるために。

 みんな家庭用冷蔵庫に保管しておいた、年始の雪を取り出して街に振りまいた。

 かき氷機を用いて、人工雪を振り撒く篤志家もその腕が疲れるまでかき氷機を回し続けた。みんなの努力が結晶となってあたり一面雪景色となった。

 無意味な努力だったけれど、努力って大体無意味なのだ。

 私もアリスと協力して、腕がくたくたになるまでかき氷機を回し続けた。それから、アリス家の冷蔵庫に毎年保管し続けている、先祖伝来の七十二年ものの雪だるまを玄関先に飾った。それは雪だるま、というより、もはや、氷の玉といったほうがいいほどつるつるしていた。毎年、一月二月、大雪の降るたびに、雪上を転がし、七十二年かけて形成された巨大な氷玉である。七十二年前、冷蔵庫が一般的であったかどうか、は知らない。知らないけれど、アリス家では、そのように言い伝えられてきたのだから仕方がない。

 古式ゆかしい家々の門扉には、アリス家同様、先祖伝来の、雪だるま、かまくら、雪像、などが、飾り出されている。そうじゃない家々も、去年とか一昨年とかに作った雪だるまを飾っている。

 祖母の家では、ドッグフードが飾られている。

 祖母にだって、お祭り気分を楽しみたいという人間の心が残っているのだ。

 ドッグフードになった祖父と一緒に、ドレス姿の祖母が、頰赤らめて踊っている。

 私は厚着をした。厚着をして、路上に背の低い電信柱のつもりで立ち尽くした。このまま、深夜十二時を待つのだ。深夜十二時一秒。クリスマス当日午前零時一秒になったら、先生の元へゆっくりゆっくり歩いて行こう。

 アリスも途中まで付き合ってくれる、深夜十一時くらいまで。人工雪に覆われた公道を二人並んで立ち尽くしていた。

 生姜入りのクッキー頬張り、体を温めた。

 明日、クリスマス当日午前十時までが猶予時間だった。きっと、午前十時を過ぎてしまえば、摂氏十度くらいの気温が、町中の人工雪を溶かし切ってしまうだろう。何事もなかったように町は平熱に戻るのだ。

「クリスマスツリーは持った?」とアリスが尋ねる。

「うん」と私。


 町のいたるところに、正月を糾弾するポスターが貼りまくられていた。

 この時期になると、いつも決まって、正月を糾弾するポスターが貼りまくられるのだ。

『正月ぼ撲滅しろ』『正月を許すな』とポスターには、激烈な檄文が真っ赤な血文字で踊っている。

 クリスマスシーズンを経て、折角いい感じになった男女交際を引き裂くものは何か。それは正月である。親族の集いである。実家帰省である。ロマンティックな雰囲気は、親戚に一人はいる、正月だけセクハラ発言を連発する気の優しいおじさんにぶち壊される宿命にあるのだ。途端に何かが現実的に変わるのだ。

 運命のいたずらだ。

 楽あれば苦あり。

 良薬口に苦し。

 けれど、それも人生というものだろう。

 人生、山ありば、谷あり。

 人生、クリスマスもあれば、正月だってある。


 そもそも。

 親戚のおじさんに破壊される程度のロマンスって何だ。

 無に等しい。

 さもなくば、

 ゴミだ。


 父に再会した。

 父は宣言通り、鳥になっていた。

「久しぶりだね。花子」

「あ、お父さん?」

「そうだ。お父さんだ。大きくなったね。花子」

「今は、花子じゃないっす。お父さん」私は、中身のない左袖を摘まみ上げる。「今は、花孒。お父さんが人間から鳥になったよに、私にもいろいろ変化があったっす」

 父はまだ何か喋りたそうだったけれど、私は、捕まえて、焼き鳥にしてしまった。

 父は七面鳥だった。

 こんな時期に、よりにもよって七面鳥になって現れなくてもなあ、と思う。

 どんな孝行息子でも、どんな孝行娘でも、どんな良妻賢母でも、クリスマスイブ、七面鳥に変化した父親を丸焼きにせずいられないだろう。タイミングがタイミングだ。

 人間には、抗えないものがそれなりにある。

 父は、私とアリスの夜食となった。食べ残しは、弁当箱に詰めて、先生への差し入れにしよう。

 父の辞世の句は、「うげえ」


 気がつけば、クリスマスだった。

 十二時五分。

 午前零時五分。うっかりしていた。

 ちょっとだけ気が緩んでいた。

 結局、アリスは、こんな時間まで私と並んで突っ立っていてくれた。

「ありがとうっす」

「それじゃあね」


「あたしは、おじいちゃん子だった。いつもおじいちゃんにまとわりついていると、おじいちゃんとあたしとの間にだけ、特別な引力が働くようになった。あたしは、おじいちゃんの上を素足で歩き回った。その様は、卜、って感じだった。垂直の長い棒がおじいちゃんで、垂れ下がっているのがあたし。

 やがて、弟妹が何人か生まれて、彼らも、おばあちゃん子になったりおじいちゃん子になったりした。おじいちゃんとおばあちゃんが並んで歩くと、韭、だった。

 祖父母が立て続けに亡くなると、あたしたちは、たんぽぽの綿毛のように飛び立った。

地球の重力は祖父母への引力に比べて軽かった。」

 月明かりを頼りに、『新しい現代文の教科書(改訂版)』を読む。今、この時間帯は、人通りも車通りもほとんどないから、前方不注意で歩いても、何一つ問題がない。目を瞑ったって構わないし、目を瞑ったまま全力疾走しても構わないだろう。塀や電信柱に激突しても、きっと死にはしないから。

 アリスの家から、学校までほんのしばらくの距離があって、その退屈を紛らわせようと思って、教科書をポケットから引っ張り出した。教科書じゃないや、クリスマスツリー。

 やっぱり、教科書をクリスマスツリーと呼び習わすのは無理があっただろうか。

 けど、この世の中には、嘘から出たまこと、とか、ごり押し、って言葉もある。

 たまたま、開いた頁を読んだ。『たんぽぽ』だった。

 目を閉じて、卜、な二人と、韭、な人々を想像した。

 ふっと思うこと。

 手を繋いで歩く恋人たちは、Hだ。極端に年が離れていたり、身長差があった場合はhだ。

 この連想は、むらむらしてしまうだろう。

 けど、よくよく考えてみると、手を繋いで歩けば親子だって、Hだし、手を繋いで歩きさえしたら、だいたい、Hかhだ。

 Hは恋人たちの特権ではない。つまらない。

 早く、卜や韭のような特別な関係になりたいものだ、と思うけれど、それは特別なんじゃなくて、特殊な関係だ。

 唯一無二の関係に憧れるけれど、それは、おざなりな関係じゃ嫌だ、ってことを言い換えているに過ぎない。

 私は先生のことを本当に好きなんだろうか。先生は、私のことを特別に好きになってくれるのだろうか。けど、その、本当とか、特別とか、ってとてもありふれている。

 私という存在も、先生という存在も、極めてありふれた人間であり、まるでゴミなんじゃないかなあ、と思えてしまう。「処女雪を、思い切り踏みつけると、処女膜を突き破ったように足元で何かが破れ、血が足跡を満たすように、どぼどぼと溢れ出した。死体が埋まっていたのだ。サンタクロースの死体だ。やさぐれた少年法ギリギリの子供達たちに嬲り殺しにされ、プレゼントを強奪されたサンタクロースの死体だ。私は思わず呟かずにおられなかった。「いい子にしかプレゼントあげないだなんて、差別主義者だから、そんな憂き目に遭うのだ。自業自得じゃないか」

 馴鹿に跨った殺人者どもが、得意顔で国道を走り抜ける。信号は赤なのに。殺人をすべての犯罪の免罪符のように振り回しているのだ。」


 体育館付属倉庫にたどり着くと、半跏思惟像な、寝相で先生が眠りこけていた。寝顔だとか、寝相だとかを他人に見られるのって何だか恥ずかしい。けど、見る分には、なぜだかほっこりしてしまう。よく知っている先生のまだ見知らぬ一面を垣間見えたようで。

 単純に、知りたいのだろう。もっと知りたいのだろう。寝顔さえ知りたくって、だから、なぜだか、嬉しくなるのだろう。

 腕時計を覗くと、深夜一時だった。

 暖房器具も何もない、薄い板で四方を覆われただけの妙に天井の高い空間。

 先生は寝返りを打ち、名前のわからない瑜伽のポーズで、白目をむいた。

 きっと、私には想像も及ばない、悪夢でも見ているのだろう。見ているだけで、関節が外れてしまいそうだった。

 起こそうか起こすまいか、しばらく迷って、起こさないことに決めた。このままこうして、先生の寝相のレパートリーを研究しようと思った。

 いつか、先生と一緒に、キングサイズのベッドを共有することもあるかもしれないのだ。その時、先生が白目をむいて逆立ちを始めても、驚かないでいられるように。何事も、下調べと予習が大切なのだ。

 眠る先生は、雲梯、跳び箱、マット、鉄棒、トランポリンと、新体操種目を次々とこなしていった。所狭しと、体育館倉庫を駆け回り、やっぱり狭かったのか、体育館へ飛び出すと、ボールも持たずに、あっちのバスケットにスラムダンク、反対のバスケットにも、スラムダンク、を延々と繰り返した。一方のバスケットゴールにぶら下がった姿勢から、そのまま腕の力だけを使って、反対側のバスケットゴールへ、ひょひょい、と飛びすさり、そのままスラムダングを連発するのである。

 どんな夢を見ているのだろうか、と疑問に思ったけれど、きっと、見たままの夢を見ているのだろう、と思った。先生は夢の中でも、現実の体育館で同様、スラムダンクを無意味に連発しているのだろう。私は、先生の夢の中に、迷い込んだ気持ちになりながら、先生の寝相をぼんやり眺めた。私の頭上を、ひょひょい、とまたまた、先生が飛び越えていった。

 やがて、抜き身の日本刀を振り回し始めた先生には、近寄ることさえ躊躇われた。

 誰と戦っているのだろうか。

 何をそんなに頑張っているのだろうか。

 夢の中で。

 夢の中で五百人くらい斬り殺したところで、先生は、はっと目を覚ました。

「なんだ、花孒か。どうしたんだ、こんな夜更けに」ぼんやりしたまなこで私に尋ねた。


 深夜三時くらいだろうか、先生と一緒に、私は夜の住宅街を散策していた。

 私たちは、サンタだった。

 私たちは、次々と、窓や勝手口の鍵を閉め忘れたうっかりものの住居へと侵入していった。なにしろ、今日は、クリスマスなのだ。クリスマスにはクリスマスらしく振る舞いたい。

 私たちは、ゴミ袋いっぱいのおまんこ味のハイチューと本物のママの味ミルキーとを携えていた。私たちが見知らぬ他者に分け与えられるものといえば、それくらいしかなかったのだ。

 眠る子供の口を私が力づくでこじ開け、その咥内へ、先生が本物のママの味を投入するのである。子供達は、エクスタシーという言葉を連想させる表情で喉を鳴らす。

 私たちは、通俗的サンタのような差別主義ではない。子供にプレゼントを与える一方、大人にだって余念無くプレゼントを配るのだ。私が眠る大人の口を力づくでこじ開け、先生がおまんこ味のハイチューを投入する。男どもは子供達同様の反応を示し、私と先生は達成感に打ち震えた。が、女どもは、不服げな寝顔を浮かべるだけだった。けど、先生に不可能はない。その場で、新味ハイチューを開発し、女どもの咥内へハイチューを再投入するのである。そして、全てが丸く収まった。

 私たちはねむりこける人間たちに、次々と淫夢を与えてほくそ笑んだ。何も知らぬ彼らの恍惚の寝顔が、私と先生の胸をほっこりさせた。

 たとえ、朝になれば忘れてしまう夢だとしても、今この瞬間彼らが楽しいなら、それに越したことはないのだ。私の指先は、子供、女、男の唾液でべとべとになり、路上の雪にいくら擦り付けても、しつこい粘液は拭い去れなかった。

 私たち以外にも、様々な流派のサンタたちが、暗躍していた。とあるアパートで祖母と鉢合わせた。祖母は、子供達一人一人にドッグフードを振りまいていた。ラ子は、烏貝を一家庭一家庭毎に配り歩いていた。枯木田くんは、眠れる有権者一人一人と握手して回っている。山本くんは、素っ裸になって、ライトセイバー踊りを披露する。

 善意って身勝手だ。

 そして、露骨だ。

 エゴ振り撒く、サンタたちに、嫌気がさした私と先生は、夜の線路を、つめたいつめたい、と言いながら素足で歩いた。なぜ、そんなことをしたのか、後になって意味不明なことをしよう、と私が提案したのだ。きっと、思い出に残るだろうから。

 恋人に恵まれなかった、男どもが、コンドームもつけずに、ぞくぞくと指森へ突入していく。自殺だ。死ねば死ぬほど、指森は拡大していく。指森がこの街を呑み込んでいく。

 堀さんが、サンタのコスプレをして、眠れる子供達に刺青を施そうとしているのを、すんでのところで止めに入れた。私たちのサンタ行脚も無意味ではなかったろう。子供達は、ありとあらゆるサンタのありとあらゆる善意を総身で受け止めなくてはならない。ゆえに、多くの子供達が、クリスマスに、善意中毒で死ぬ。有り余る善意に肉体が持ちこたえられない弱い子は、死ぬ。どんなに、優しく頭を撫でられとしても、五億回連続で、絶え間なく頭をよしよしされたら、虚弱体質の子供なら、運良くて永久脱毛、運悪くて、頭部が五劫の擦り切れである。悪意の介在しない殺人、これがクリスマスの醍醐味である。

 知らぬ間に殺されたくなければ、クリスマスは眠ってはならないのだ。

 抜き身の肩を抱えて、暖炉の前で寝ずの番をするのだ。

 そういうものだ。

 私の幼馴染たちも、多くが、クリスマスに死した。死因がクリスマス。口、目鼻、耳、校門、ありとあらゆる人体構造上の穴に、菓子を突き込まれ、死んだ子だっている。金の延べ棒の重さに耐え切れず、圧死したのは、田中くん。

 面白半分に、サンタの国に連れ去られたのは、明美ちゃん。翌年サンタの国から年賀はがきが届いたのだ。


「先生、このようなものが、なぜかポケットに入っていたっす」と見せびらかすは、殴る会展のチケットである。露骨だなあ、と我ながら思う。

「こんな夜更けに開いているのか」

「押し入るっす」どうせ、殴る会の面々は死んでいるのだ。文句など言わないだろう。

 私と先生は押し入った。

 館内はサンタであふれていた。サンタどもは、死に絶えた殴る会の面々から靴下を脱がせては、その靴下に溢れるほどのプレゼントを詰め込んでいるのだった。ドッグフード臭かったし、性液の臭いさえどことなく臭った。ありとあらゆる善意とありとあらゆる悪意とが混ざり合い溶け合っている。

「レンブラント組長。こんばんはっす」

 返事がない。

 やはり、死んでいる。

 死んだまま額縁にぶら下がっている。

 表情はレンブラントのまんまで。

 ゴッホ若頭も、夜警の面々も、思い思いの血を滴らせて死に絶えている。

「花孒姐さん」と息も絶え絶えの水木しげる舎弟頭が私に話しかけた。

 彼だけが、唯一、かろうじて、生き延びていたのだ。

 けど、彼の命だって、風前の灯だった。

「救急車救急車」と慌てふためく私を、彼は視線で制して、ただ一言

「メリークリスマス」と言い残して、彼もその場で息絶えた。彼は、私に、その一言を告げたい一心で、今まで生きながらえていたのだろう。

 私は、一入感動した。

 けれど、その感動は空虚だった。

 感動って、後に何も残さない。

 私と先生は、終着点を見失ってしまった。何もかも、わからなくなってしまった。性欲も、エクスタシーも、不毛であることがひしひしと感じられた。そもそも、私は、こんななりだし、先生だって、ちんちんが五劫の擦り切れなのだ。性愛に溺れて、めでたしめでたしとは、どう工夫を凝らしても、至らないだろう。


 路上ミュージシャン通りを、Hって感じで手を繋いで二人で歩いた。路上ミュージシャン通りでは、騒がしいくらい発情音楽が掻き鳴らされていたけれど、どれも皆、私たちの心に響かなかった。

 今更、どう、発情しろというのだ。

 ミュージシャンたちは、技巧に技巧を凝らし、婉曲に婉曲に、あるいは、晦渋に晦渋を重ねた独特な節回しで、How to SEXを歌い上げた。保健の授業より、保健の授業らしかった。彼らの歌は、さぞかし、コンドームの売り上げに貢献することだろう。ピル服用のリスクを世界中に訴え、HIVは、桃太郎と同列の昔話として、盲目のババアの寝物語の一レパートリーとなるだろう。HIV対桃太郎、みたいな、創作民話が、自称柳田国男の正当後継者によって書き上げられるだろう。そんなわけないか。

 路上ミュージシャンたちは、ありとあらゆる花の名前をその歌詞に織り込むが、それらすべて、おまんこの隠喩だった。一方、すべての力強い、背中を押すようなポジティブシンキングなワードは、ちんちんの隠喩だった。虹や雨や川は、精液とおしっこを。

 先生の顔をまっすぐ見れなくなった。

 本当に、どうして、私は、先生のことを好きになろうと決めたのか。それが、しこりのように謎だった。


 先生は、ただ、おまんこ味のハイチューを作っただけのしょぼくれた軍人にすぎないじゃないか。


 夜が明けるか開けないかの間際、軍服を着た、サンタたちが、どこからともなく現れて、私たち一人一人に赤紙をくれた。

 唐突な話だけれど、大規模な戦役が始まるのだそうだ。

 誰も彼もが徴兵された。

 県立邪馬台国高校の学生も教師も。

 国会議員たちまでも。

 河原で野宿していた伊奘諾さんも。

 母も祖母も。

 埋立地で遊んでいた神様たちも。

 路上ミュージシャンも。

 先生も。

 誰も彼も。


 私は少佐になった。知能指数一億以上は、自動的に佐官になるのだ。そういう規定だった。私は佐官になどなりたくなかったが、一兵卒より死ににくいだろうから、受け入れた。

 一兵卒たちは、開戦初日に死んでしまった。

 伊奘諾さんが、「君が代」を熱唱して、海底に敷き詰められた、さざれ石を、ぼこぼこと巌に変えて、我が国と敵国との間に、天橋立を築き上げた。それだけが、伊奘諾さんの役割だった。伊奘諾さんは、流れ弾に当たって死んだ。流れ弾が五億弾ほど、命中して、伊奘諾さんは死んだ。

 私たちは、戦うしかなかった。勝利を収めねば、殺されるのだ。伊奘諾さんが築き上げた天橋立を私たちは、もう、後先考えずに駆け抜けた。

 男どもは、ライトセイバーと化したちんちんを引きちぎり、両手に構えて敵軍めがけて突撃した。何もかもおしまいだ。みんな死んだ。

 新校長も、そのきょたい揺らして突撃した。路上ミュージシャンたちは、扇情的な音楽を奏でて騒いだ。そいつらみんな五億発の流れ弾を一身に受けて、死んだ。血も骨も何も残らなかった。

 鬼瓦先生が、愛弟子の新生児たちを引き連れて突撃した。死んだ。

蜘蛛女とアンドロギュノス安藤が、蜘蛛の糸と精液とを吐き散らして、敵兵を大量に死滅させたのち、戦死した。

 化け物も死んだ。

 世界史の先生も死んだ。

 ネイル講師も、多くの美容学校生徒たちを道連れにしながら死んだ。

 神様も死んだ。

 大亀も死んだ。

 祖母もドッグフードも死んだ。

 桃山桃子と丸ノ内くんも、多くの手下を引き連れて突撃したはいいものの、近代兵器の餌食となって、死んだ。

 私もちょっとだけ頑張った。右手でオナニーをした。戦場でオナニーをした。すると、かつての左手同様、右手親指も絶倫になり、凄まじい勢いで、指が発芽した。その右腕を、先生に切り取ってもらった。そして、その切り取られた腕を敵軍めがけて、先生が放り投げた。敵陣営に恐ろしい勢いで、指森が広がっていった。多くの敵兵が死滅して。私は、花孒から、花了になった。

 けれど、とめどなく敵はやって来た。

 私は、右足も左足も同様にした。

 私はダルマになった。

 気がついたら、先生は死んでいて、私だって死んでいた。







資料

アリス、

卑弥呼、

鬼瓦、あたし。


田中春、語尾に、あ。


伊奘諾、俺。


柄本蓮見

網代鯛子

山本

日本国民

枯木田二号

田中春

アリス

花孒

丸ノ内

桃山桃子

アンドロギュノス安藤

尾長酉乃進

ラ子

蜘蛛女

明石焼夕子

田中永徳

田中道郎

田中道老


邪馬台国卑弥呼

日本史子

化け物

トラベラー哲

ネオ・ガリレオ・ガリレイ

ネオ・アイザック・ニュートン

国分文太郎

鬼瓦楓

楽屋裏オナニー

校長

教頭

新校長

山田

田山

世界史の先生

掘身文(弟子たち)




ブルゴーニュ藤田

トラベラー哲

キリングマシーン麒麟児

背水陣一朗

マジカルポンチョ

枯木田県太郎


ネイル講師

理事長


先生


大亀


伊能忠敬


伊奘諾

伊奘冉


味方

怪獣


祖母

祖父


警官のおじさん

指揮者のおじさん

歯科衛生士


看護婦たち

鍼灸師たち

美学生たち

美容専門学校の生徒たち

剥製マニアたち

外科医たち

深爪たち

黒魔術師たち

居合道の達人たち

格闘家たち

違法拳銃製造業者

やらしい人たち

怒れる主婦たち

カニバリストたち

彫り師たち


県立邪馬台国高校


痴漢部

仏教部

国際田中春学会


爪の垢強盗


殴る会

レンブラント組長

ガルチキネータ愛人

炎の男若頭

舎弟頭の水木しげる


哲学者たち

カント59

ディオゲネス99

キルケゴール39

ゴルギアス66

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