夢日記ー食肉 (12月24日)

修学旅行はあくまでも修学が目的である。そうはいっても、行き先が学校なんていうのはあんまりじゃないか。確かにいつもとは異なる校舎で、いつもとは違う先生にいつもとは違うことを教えてもらうのは刺激的だろう。だがそれだけとは何とも味気ない。他校のように、京都とか奈良に行きたかった――私は観光バスに揺られながらそんなことを考えていた。

「ねえねえ、この学校、変な形だよ。」

先ほどまで隣の席でいびきをかいていた李依は、いつの間にか目を覚ましていた。そしてこんなにも呑気なことを言っている。彼女は素直なのだ。素直だから、こんな修学旅行でも楽しめる。

「そうだね。」

私はそうとだけ応えた。楽しんでいる彼女の気持ちに水を差してはいけない。不満は自分の中で処理をしよう、と決めていた。きれいな彼女を汚すような真似はしたくない。

バスはグラウンドの中央あたりに停まった。右手には木造の校舎、左手には山が見えている。バスを降りると、学校のグラウンド特有の砂が風に巻き上げられていた。しかし何もないな、と思う。ふつう、いくら小さな公立高校でも鉄棒の一本や二本、倉庫くらいあってもよいだろう。しかしそんなものすらもないグラウンドは、まるで砂を失った砂漠のようであった。

さっきまであんなに不満を漏らしていた私が言うのもなんだが、授業は思いのほか面白かった。教室はまるで大学の階段教室のようになっている。前の方にはこの学校の生徒だろうか、私たちとは異なったデザインのジャージを着ている女子生徒が何人かで塊をなして座っている。私たちはその彼女らの少し後ろ、そして修学旅行生の中では一番前にあたる位置を陣取る。李依は時折あくびを噛み殺しながらも、真剣にノートをとっていた。

これはきっと国語の授業なのだろう。日本人作家の話をしているから間違いない。なんとかという変わった名前のミステリー小説家の作品を、いろいろな角度から検証していく。私も何作か読んだことがあったから、この授業は楽しんで受けることができた。

授業が終わると、しばしの自由時間が与えられた。時間内にこのグラウンドに戻ってくればいいと告げられたが、さしてやることもない。クラスの男の子たちは連れ立って山へ向かったようだ。グラウンドには私たちだけが残った。そういえば、このクラスには私と李依しか女子生徒がいない。ずいぶんと男女比率が偏ったな、とまるで他人事のように思った。

手持無沙汰になった私たちは、図書室に行くことにした。さっき授業で取り扱われていたミステリー作家の本があればいいな、と思ったのだ。

「あなたは、クラスの男子のことを『男の子たち』って呼ぶよね。」

 道中、李依はそんなことを言った。李依はわたしのことを名前で呼んでくれない。だから私は時折、自分の名前が何であるかわからなくなってしまう。

 「そうだね。なんでだろう。」

 「いいじゃん。かっこいい。大人っぽいよ。」

 そうだろうか。そうなのかもしれない。私は時々、彼らが妙に子供っぽく見えるときがある。年齢は変わらないのに、ずっと無邪気でいる彼らが羨ましいのかもしれない。羨ましい気持ちを隠すために、私はわざと彼らを「男の子たち」と呼ぶ。

 結局、目当ての本は見つからなかった。見つからなかったが、李依はわたしと図書室めぐりができたことを喜んでいた。ちょうどよい時間になったので、私たちはグラウンドへ戻り、バスの中に乗り込む。私たちが一番乗りのようだ。男の子たちはまだ戻ってきていない。

そして、ついに私たち以外の生徒が誰もバスに乗り込まないままバスは発進してしまった。観光バスに乗っているのは私と李依と、後は先生が数人。男の子たちは居なかった。

 「あの、何かあったんですか。」

 私はがらんどうの空気に耐えられず、思わず先生に聞いた。若い女の先生は困ったように笑いながらごまかす。

 「気にしなくていいのよ。大丈夫だから。」

 返事になっていない。何が大丈夫なのだろうか。彼らの身に何かあったのだろうか。

 「気にしなくていいって、そんな……。」

 そんな、何だ? 私は喋るのが苦手だ。声に出すと思考がそのまま空気に溶けて行ってしまうように、思っていることがうまく言葉にならない。

 すると、体育会系の男の先生がやってきた。

 「いや、話しておいた方がいいだろう。」

 実はな、とその先生は切り出す。

 「さっき、男子たちが入っていった山があるだろう。そこには、危険な植物が生えていたんだ。彼らはそれを食べてしまった。そちらの対応は警察と救急に任せてあるから、お前たちは心配しなくていい。」

 無邪気なもんだ、と私は安心した。

 「その植物って、どんなものなんですか? みんなは大丈夫なんですか?」

 李依は泣きそうな声で言った。彼女は素直なのだ。素直だから友人たちの危機にいち早く傷つくことができる。

 先生は困った様に眉間にしわを寄せてから、言った。

 「あんまり他言はしないでくれよ。実は、その植物を食べた人は必ず人肉を食べたくなってしまうんだ。植物を食べてしまった数名は周りにいたクラスメイトを食べつくした後、自らの肉も食べつくしてしまった。」

 高速道路を走るタイヤの音だけが車内に響く。私と李依は絶句してしまった。そんなことが、本当にあるのか。

 しばしの沈黙のうち、李依は目に涙を浮かべながら言った。

 「ねえ、あなたは私のこと、食べたりしないよね?」

 私は少し可笑しくなった。本気で食人気を恐れている彼女がいたく愛おしくなったのだ。

 「食べないよ。知ってるでしょ? 私、お肉嫌いなんだ。」

 「でも、鶏肉は食べられるじゃん。それに、牛肉もこの間克服したんでしょ。」

李依は、私の名前は呼んでくれないのに私の食の好みは把握している。

「そうだね。でも食べられるようになったのは、炭火で焼いた牛肉だよ。ガスとかIHで調理された牛肉はまだ食べられない。」

肉は肉の味がするから嫌いだ。そう李依に初めて言ったとき、李依は腹を抱えて笑ってくれた。何がそんなに面白かったのかは私にもわからない。

「そっか。良かった。」

そう言うと、李依は制服の袖で涙を拭くと私の腰にぎゅっと抱きついた。そしてすうすうと寝息をたてはじめる。

李依の肉は、きっと炭火で焼かなくても美味しい。でも、食べてしまったらこの暖かさは失われてしまうだろう。こんなふうに落ち着いた鼓動を刻んだりもしなくなってしまう。

だから私は、きっとこの先も李依を食べたりなんかしない。

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