第二十六話「高倉エマという少女」



 とにかく人と話すのが苦手であった。

 中学生時代の休み時間は顔を机に突っ伏して、寝たふりをしてばかりいて、なんとか無事に時間が過ぎるのを我慢していた。

 人づきあいという物が苦手である。

 これは母から、人間同士の付き合い方という物を学んでこなかったからだろう。

 だが、何も母が全部悪いというわけではない。

 母に邪険に扱われたこともなければ、頬を叩かれた覚えさえない。

 私を娘として愛してくれたのだと理解している。

 ただ、どうにも。

 母も母で私と同じく人づきあいが苦手で、娘である私にコミュニケーションというものを教えられなかった。

 私の性根も生まれつき暗く、どうしても人と話すときに喉がつっかえるのだ。

 吃音(どもり)を患っていた。

 だから、我慢して中学生時代は顔面を机に突っ伏すのだ。

 幸いにして中学では虐められることもなく過ごしていた。

 そんな私にとって、漫画やライトノベルと言ったサブカルチャーは自分の素朴な情緒を慰めるための必須アイテムであった。

 私はぼっちであり、引きこもりのオタクであった。

 私の。

 私の人生に光明が差したのは、高校時代からである。

 高橋部長と出会った。

 トランジスタグラマーで、銀縁眼鏡をかけた、背の低いけれど人目を引くちょこまかと小動物じみた動きを見せる彼女が、ウチの教室に訪れて。

 どうもどうも、オタクです。

 私はオタクなんですが、貴女はどうですか? とばかりにA4プリント用紙を配って回っていた。

 私も一枚だけ紙を受け取り、そこには「現代文化研究会」と銘打たれている。

 オタクの同好会参加への勧誘チラシであった。

 少し、勇気を出した。

 なけなしの勇気をかき集めて、高橋部長に声をかけたのだ。

 オドオドとした声であったと思うのだ。

 だが、高橋部長はあのいつもの笑顔で――ああ、最初に会った時から何も変わらない。

 あの陰キャも陽キャもひとまとめに引き受けると言った感じの、あの陽気な笑顔で答えてくれたのだ。


「ひょっとして入部希望? いやー、歓迎するよ」


 と。

 私は喋ろうとして、喉がつっかえて、どうにもできずにコクコクと頭をぶんぶん前に振って頷いたのを覚えている。

 光が差したのを感じていた。

 あの日、私は高橋部長と、高橋千尋という人間と出会い、手を差し伸べられ、確かに握手をしたのだ。

 生まれて初めての友達であった。

 15歳にして、生まれて初めて友達という物が出来たのだ。

 あの時の感動は誰にもわからないだろうし、容易く誰かに理解して欲しくないものだと思っている。

 そして、友達が増えた。

 同じ現代文化研究会の人間である藤堂初音と瀬川涼音の二人だ。

 彼女たち二人も、吃音の私に優しくしてくれた。

 同じオタクなんだからと。

 もっとゆっくり落ち着いて喋ってくれたらよいからと。

 なにも焦ることはないのだと。

 手を柔らかく握り、時にはけたけたと笑いながら話しかけてくれている。

 私は途中で声に詰まり、何がなんだかわからない感傷に襲われて、泣きそうになることが多々ありながらも。

 四人で一年間、仲良くやってきた。

 鉛色の青春(アオハル)だった。

 色々あったが、私にとって最高の一年間であった。

 この高校での一年は私にとってかけがえのない想い出になったと思う。

 そこに、更にスパイスが加わった。


「アンタップ、アップキープ、ドロー」


 眼前で呪文を唱える梶原一郎君である。

 カードゲーム初心者である私に優しく微笑んで、自分のカードを広げている。

 私はと言えば、その姿に見惚れるばかりだった。

 何せ、私の世界は母と、現代文化研究会の皆の友好関係だけで閉じているのだ。

 まさか、男の子とこうしてゲームする環境に放り込まれるとは思っていなかった。

 もちろん嫌ではない。

 嫌ではないが、ちょっと困った。

 嫌われないようにしないと。

 その思いばかりが先行して、どうも話そうとすると喉がつっかえる。

 いつもの緊張性の吃音(どもり)だった。

 現代文化研究会の皆と喋る時は大丈夫になってきていたのだが、梶原君と喋るとなると再発するのだ。


「……あ、あの。攻撃される前に焼きます」

「ごーごー」


 ジャッジ役の高橋部長が、良い判断だとばかりに「ごーごー」とひらがな口調で応援してくれている

 なんとなく――いや、凄く楽しい。

 あの4人でいる鉛色の青春(アオハル)も無論楽しかったが。

 こうして、自分が男の子と遊んでいるなど夢にも思わなかった。

 そもそも人生で遭遇する機会があるとすら考えもしなかったのだ。


「ハイ、焼かれました。墓地送りにします」


 丁寧な口調で、優しく私のアタックを受け止めてくれている。

 そんな梶原君を見て思う。

 青春(アオハル)がしたい。

 別に、彼氏になって欲しいとは言わない。

 だけど少しばかりの思い出を望むくらいの事は……二人して手を繋いで下校するとか。

 そんなことばかりを考えている自分は、欲張りなのだろうか。


「……」


 沈黙する。

 ジャッジである高橋部長がハテナマークを頭に浮かべながら、私の顔を少し覗き見た。

 視線が合う。

 なにか、梶原君と高橋部長の間で進展はあったのだろうか。

 高橋部長は自分なんて大したことないと卑下するが、そんなことはない。

 部長は本当に素晴らしい人で――自分みたいな陰キャにとっては救世主みたいな人だ。

 きっと、多分、梶原君も部長を好きになるんじゃないかな。

 いや、もう人間としては好きだろう。

 部長を嫌いになれる人間なんて、そんなにいるものか。

 ただ、その感情に恋愛が絡むかどうかといえばまた別となる。

 梶原君の入部時に、高橋部長がおっしゃったように、彼は女漁りではなくオタクの友達を探しにこの同好会に入部してきたのだ。

 だから――それを守るために、変な色気は出さない方がいいとは思うのだが。


「どうしたの、エマちゃん」


 私としては、部長と梶原君には恋愛関係として交際して欲しいのである。

 その上で、その関係の隙間に私も入り込みたい。

 できれば、藤堂さんや瀬川さんも一緒にいられるともっと良い。

 五人で仲良く暮らすのだ。

 そんな有り得ない展開を夢見ている。

 口にすれば、皆が呆れるだろう。

 でも、本音なのだ。

 私はこの心地よい環境を誰にも奪われたくないのだ。

 私の閉じた世界においての、とんでもない欲求だ。


「いえ、なんだか」


 声が詰まる。

 部長の笑顔を見ていると、またなんだかたまらなくなってしまったのだ。

 私は高橋部長と出会って幸せになれた。

 きっと、梶原君もそうだろう。

 きょとんと、自分のターンを終えて、私のターンが始まるのを穏やかに待ってくれている彼を見て思う。


「い、いいなあって。こんな風に、現代文化研究会の皆で、いつまでも遊べればいいなって思って」


 何言ってるんだろうか、私は。

 笑われても仕方ないことを言っている。

 しかし、これ以上にない本音なのだ。

 そして、こんな感傷を口にしても――


「そうですね」


 笑う奴は誰一人としていないのが、我が同好会なのだ。

 梶原君が笑顔で、こくりと首肯した。

 そして口を開く。


「エマさん、僕もいつまでもこの時間が続けばよいと思います。こんなに楽しいんですから」


 肯定される。

 それだけで、私の身体はとんでもない多幸感に包まれるのだ。


「おお、言うね。梶原君。そうだね、そうだ」


 部長が、にこやかに笑う。

 そうして、私の背中に回ってぐにぐにと肩を揉んでくる。

 私はあわててカードを取り落としそうになりながらも、辛うじてぎゅうっとカードを指で握りしめる。


「ずっとこうしていられたらいいね」


 部長が、私の耳元で囁いた。

 どうしよう、泣きそうだ。

 二人に、こんなにも気持ちを理解してもらえるなんて。 

 目端では藤堂さんと瀬川さんがにこりと笑いながら、こちらを見ている。

 私は幸せだ。

 今、とんでもなく幸せなのだ。

 カードを握りしめ、指が感動のあまり震えているのを誤魔化しながら。


「アンタップ、アップキープ、ドロー」


 ターン開始の呪文を唱えた。

 そして――自分に出せるカードは何か。

 現代文化研究会の皆のために、自分が出来ることは何なのか。

 それだけを必死に考えながら、どうか貢献できますようにと願い、手札から一枚のカードを取り出して。

 梶原君とのコミュニケーションを続けるのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る