第二十一話「やらかした」


 やらかした。

 一言で言えばそれに尽きる。


「おお……もう……本当に申し訳ない。皆さんに対して、申し訳ない」


 顔を両手で覆う。

 誰にも合わせる顔がない。

 横では高橋部長が、心配そうに僕に付き添ってくれていた。

 部長にも本当に申し訳ない。

 僕は騒ぎを起こした。

 とんでもない騒ぎを即売会で起こしてしまった。


「いや、いうてイチロー君は何も悪くないと思うよ? 正当防衛だろ」


 カズキさんが心配そうに僕をみつめている。

 さっきまでずっと警察の方に事情聴取を受けており、げっそりとした顔つきであった。

 僕の方も簡易な事情聴取を受けており、それが終わったばかりである。

 警察署のベンチで三人座っている。

 おそらくは現場にいた他の方々も、目撃者として似たように事情聴取を受けているだろう。


「これは過剰防衛では?」


 僕は人を殺しかけた。

 冷静なつもりが、とてつもなく動揺してしまった。

 手首を折った時点で普通の人間は行動不可能なのだから、その場でとどまるべきだったのだが。

 僕は前世の死因である死の恐怖に打ち勝てなかった。

 無我夢中であったのだ。

 あのまま、あのワンピースの女性が死んでいたらと思うとゾッとする。


「相手が殺害の意志を持ってナイフ刺してきたのに過剰防衛を問われるわけがない。まして救命の意志を持って、僕らは二人がかりでアイツの蘇生までしてやったんだぞ? 殺す気など欠片もないことは客観的に見て明らかだろうが。正当防衛だよ、正当防衛。警察の方もそう判断してただろうが」

「まあ、そりゃそうなんですが」

「繰り返すが、こちらに殺害の意図がなかったのは明らかだ。実際死んですらいない。今は意識もはっきりしているし、ただ左手首を折って病院送りにしただけだ。裁判にすらならんよ。厳重注意ぐらいじゃないか? 最悪、裁判沙汰になっても僕が親に頼んで弁護士を用意するよ」


 警察の待合室。

 事情聴取のために僕とカズキさんは連れてこられて、こうして座っている。

 まあ命に別状はないそうだ。

 しばらく病院送りだろうが。

 あのストーカー女の今後については別にそれほど興味もない。

 顔を覆うのをやめて、ちらりと横を見る。

 付き添いの高橋部長だ。


「……」


 彼女は黙って正当防衛に関する事例を、真剣な顔つきでスマホにて調べていた。

 さっきからずっとだ。

 いや、本当に申し訳ない。


「梶原君、空手や柔道の段位とか持ってる? 武道経験者は拙いってネットに書いてある!」

 

 無茶苦茶真剣な顔つきで高橋部長が聞いてきた。

 ずい、と顔をこちらに近づけて来る。


「持ってません」

「多分、多分大丈夫なはず……梶原君は何も悪くない。本当に何も悪くないんだから……」


 ブツブツと呟いている。

 ちょっと涙声が混じっていた。

 本来は高橋部長はついてこなくても良いはずなのだが、心配で付き添いとして来てくれた。

 本当に、本当に申し訳ない。


「えーと、彼女の名前はなんだっけ?」


 カズキさんが僕に問いかける。


「高橋部長です。高橋千尋さん」

「そうか、高橋さん。心配しなくても絶対大丈夫だって。これイチロー君何も悪くなくて、完全に僕が発端だし。僕を助けようとして、こうなった」


 カズキさんが目を瞑り、申し訳なさそうに丁寧に頭を下げた。

 

「イチロー君にも感謝する。あのままだと僕が死んでいたよ」

「いえ、とっさのことでしたので。それにしてもやりすぎました」


 さっきまで警察官にも口にした言葉を、再度口にする。

 それにしても、やらかした。

 ここまでの騒ぎになるとは。


「……」


 高橋部長は冷たい目でカズキさんを見ている。

 そうだよ、お前が何もかも原因だよという考えに行きついたような視線である。

 だが、殺されかけたカズキさんを責めるというのも、また筋違いであることも理解しているのか。

 ただ沈黙している。


「元婚約者なんでしたっけ?」

「そう、親が決めた婚約者。話が全く合わなくて、完全に別れたつもりだったけどね。イチロー君も女には気をつけてくれ。君は婚約者なんているの?」

「いませんよ。母親は自由恋愛至上主義者ですので」

「そうか、珍しいな。選べる立場なら、君は恋愛相手を良く選びなよ。こんなとんでもないことに巻き込まれるかもしれない」


 はあ、とカズキさんがため息をついた。

 婚約者は婚約者で結婚して、本命の結婚相手は自由恋愛で探すなんて話も一夫多妻制の世の中じゃ、珍しくないけどね。

 まあ、さすがにあそこまで嫉妬深い女だとそれもできないしね。

 親が婚約者を決めた時点で、僕は詰んでいたよ。

 そう愚痴を漏らす。


「あの後、即売会ってどうなったんでしょうか?」


 僕は高橋部長に尋ねる。

 部長は僕の付き添いで警察署まで来てくれたが、他の皆さんは即売会に残ったままだ。

 正直、気まずいにもほどがある。

 

「目撃者として他のカメラ小町と一緒に、警察から簡易の事情聴取を受けてたみたい。そのまま解散」

「そうですか」


 僕は色々と心配している。

 こんな人殺しかけた筋肉達磨相手に、皆さん引くんじゃないだろうかとか。

 そういう心配だ。


「皆、梶原君のこと心配してたよ。変なことに巻き込まれて大丈夫かって」


 先んじて、高橋部長が口にした。

 本当にそうだろうか。

 あの筋肉達磨は頭がおかしい、加減とかわかってないと思われていないだろうか。

 人殺しかけておいてなんだが、僕は自分の身の心配ばかりしている。

 本当に気恥ずかしい。


「梶原君、大丈夫だよ」


 高橋部長が、僕の手をぎゅっと握ってくれる。

 小さな手だった。

 かつて重ね合わせた時とおなじ、本当に小さな手だった。


「こんなことで梶原君を誰も嫌いになったりしないよ。人の命を守ろうと庇って、それで嫌いになるなんていうのはおかしいよ」

「……部長は僕が怖くないんですか?」

「全然」


 本当のようだ。

 僕は左手で柔らかく彼女の手を握り返し、ほっと息をつく。

 例え世界中が敵になっても、高橋部長がそういってくれるなら僕は安心できる気がした。


「……君ら付き合ってないの?」


 カズキさんが問う。


「ないです」


 きっぱりと口にする。

 こんなにも素敵な高橋部長が僕と付き合ってくれるわけがないのだ。

 ちょっと自覚してしまった。

 僕なんて、高橋部長は釣り合わない。

 うぬぼれにもほどがあると言うのだ。

 あんな勘違いのストーカー女をみたばかりだからこそに、自制していかねばならん。

 

「お似合いだと思うけどなあ」


 カズキさんは、はあ、と大きなため息をついた。

 殺されかけた当事者である。

 さぞかし気疲れしているだろう。

 それでも状況が気になるのかスマホを取り出して、何やらSNSをチェックしている。


「やっぱりネットじゃ騒ぎになってるよ。見る?」

「見たくないです」


 僕は口にする。

 筋肉ゴリラが人を殴り殺しかけている瞬間を生身で見たとか、そういう感想だろう。


「あー、何を心配しているのか大体わかるけど、大丈夫だよ。僕がナイフで刺されかけたのを心配してるファンの声がほとんどだし、もちろん君に対しても擁護意見がほとんどだ。皆わかってくれてるよ」

「本当ですか?」

「本当だよ。なんなら見せても良い」


 本当に、本当だろうか。

 何やらすべてに疑わしくなっているが、本当なら安心した。

 大きなため息を吐くが。

 自分のスマホから受信音が鳴る。


「……」


 電話先は、自分の母親であった。

 出たくないなあと思うが、出ざるを得ない。


「もしもし?」

「一郎、大丈夫? 警察から電話がかかって来たけど、怪我とかは」

「うん、大丈夫。怪我一つないよ」


 僕の方はない。

 あくまで、僕の方はだ。


「……それならいいの」


 いいのか。

 事情は聴いてるだろうに。

 僕は母の優しい声がなんだか申し訳なかった。

 皆が気を使ってくれている。


「とにかく、余計なことは考えずにコーヒーでも飲んで一息つきなさい。誰か傍にいる?」


 横をゆっくりと見つめる。

 相変わらず、高橋部長は僕の手を握ってくれたままである。

 確かに傍にいてくれる人はいる。


「現代文化研究会の高橋部長が付き添いで」

「代わって」

「あの、部長は僕を心配してくれて、傍についてくれているだけで」

「何もこんなどうしようもないことで、彼女を責めようとかそんなこと考えているわけじゃないから、いいから代わりなさい。むしろ付き添ってくれている御礼をいいたいのよ」


 そこまで言われたらどうしようもない。

 僕は高橋部長にスマホを渡す。


「もしもし、あの、初めまして。部長の高橋千尋と申します。はい、彼が心配で付き添いに……はい、お母様が来られるまで私が傍にいますので。ウチの母にも連絡して、許可をすでに取っております。大丈夫です。はい」


 母と高橋部長が話をしている。

 何を話しているかわからんが、それにしてもだ。

 正当防衛になったところで、暴力男の印象はぬぐえないだろう。


「やらかした」


 とにかく、どんな面して明日から部活に行くのか。

 それだけを考えていた。

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