第十九話「凶刃」(旧ルート)


「彼女が気になるのか?」


 今は小休憩中である。

 いくらカズキさんが芸に優れていると言えども、ずっと同じポーズを取り続けている体力はなかった。

 用意していたスポーツドリンクの一本をひょいと投げ渡されたので、それを受け取る。

 ボトルキャップを軽く捻り、一口分だけ口に含んだ。


「彼女と言うと?」

「あそこの眼鏡チビ胸デカおかっぱ頭だよ。名前知らんけど。なんなら覚える気すらないけど」


 指が指された方向を見る。

 そこには高橋部長が、ちょっと心配そうに僕を見ていた。

 名前ぐらい覚えて欲しいものだが、覚える気もないと断言されては仕方もない。


「お前、さっきからチラチラと彼女の方を観てたろ。ポーズ取ってる最中に。気になるんだよ。なんでカメコじゃなくて彼女に視線やっちゃうんだよ」

「すいません」


 僕は謝罪する。

 コスプレはちゃんと真剣にやっていたつもりであるが、どうしても気になってしまうのだ。

 高橋部長は午前中には帰るつもりであったというし、僕なんかに付き合わせてしまって申し訳ない。

 現代文化研究会は遠くから僕の様子を見守ってくれているが。

 それだけだと、つまらなくはないのだろうかと。

 どうしても気になってしまうのだ。


「どういう仲よ。恋人には見えないけど」

「まさか、僕なんかじゃ釣り合いませんよ。ただの先輩後輩の関係です」

「そうとは思えんがね。君の性格を少しだけ把握できてきたが、意外とお似合いかもよ。俺はあんな気の強い女、絶対に御免だがね」


 そうカズキさんが口にして、少しだけ笑う。

 なんだかんだ強引な方ではあるが、悪い方ではないのだ。

 というか、正直言えば部長とお似合いかもと言われて悪い気はしない。


「君、なんだかんだ引っ込み思案なタイプだろう。そんなに恵まれた体格してるのに」

「わかりますか。どうにも根っからの性分で、昔から直りません」

「雰囲気や態度でわかるね。だから俺も多少強引に行ったんだよ。もっと乗り気なタイプなら、ここまではしなかった」


 自分がかなり荒っぽいやり方をしたのは認めているのだろう。

 カズキさんが肩をすくめながら、言う。


「別にいいんだぜ。恋人がいたって。今時のコスプレイヤーには恋人がいるなんて問題になりゃしないさ」

「というと、カズキさんにも恋人が?」

「いや、いない。別に女が嫌いってわけじゃないが、俺は皆のアイドルなんだよ」


 コスプレイヤーとしても、芸能人としても恋人がいたら駄目ってわけじゃないぜ。

 ただ、俺の今は仕事が恋人なんだよ。

 そう言い切る彼は少し格好いい。

 僕なんかは恋人なんかどうせ出来やしないと下を向いて生きているタイプだしな。

 この貞操逆転世界でもモテた覚えはない。

 いや、それこそ手段さえ問わなければ、誰でも良いとなれば恋人の一人ぐらいは作れるんだろうが。

 誰でもいいから付き合いたいだなんて下世話な事を考えることはなかった。


「僕、本当に高橋部長とお似合いですかね?」

「え、いや。本当に心からそう思ってるけど。結構乗り気なのか?」

「いや、僕は相応しいとは思ってないんですが、ワンチャンあるかなあぐらいには」


 僕なんかじゃダメだろう。

 あんな光り輝く陽のオタクである高橋部長に、僕なんかは似合わないだろう。

 そうは思うが、そうは思うがだ。


「ちょっと憧れてるんですよねえ」


 憧れちゃ駄目ってわけでもないだろう。

 僕はそう口にして、顔を少し赤らめた。

 カズキさんはにやりと笑う。


「ほうほう。詳しく聞かせてもらいたいし、なんなら相談にだって乗ってやるぜ。恋人は今いないけれど、かつていなかったわけじゃないからな」

「そうなんですか。てっきり仕事一筋かと」

「まあ、恋愛経験があるといっても最悪の女だったけどな。君のコイバナ聞かせられた代わりに、俺の愚痴もちょっと言うが。あーあ、嫌な事思い出したぜ。具体的にはあそこの眼鏡チビ胸デカおかっぱ頭より最悪だった」


 カズキさんが、本当に気を悪くしたように口にする。

 かつて付き合った女性の愚痴らしい。


「なんというか、束縛系の女って嫌いなんだよ。まあどこもかしこも、男をトロフィーダーリン扱いする世界だ。別に束縛する女なんて珍しい話じゃないけれどよ。俺が以前に付き合った女は本当に最低だったぜ。コスプレイヤーも芸能人も辞めろというんだぜ。人が半生以上もかけてやっている仕事を辞めて、男は家の中で大人しくしてろなんていいやがる」

「女性はやっぱり、そういった人に男らしさを売り物にする商売は嫌がるものでしょうか?」


 まあ、僕だってこれが前世で。

 高橋部長がコスプレイヤーで芸能人で、ちょっと露出度の高いコスプレをすると言ったら嫌というかもしれない。

 まさか前世に産まれ戻れるなんて、有り得ない仮定なので馬鹿馬鹿しい話だが。


「嫌がるね。普通は嫌がる。それはまあわかるが、俺はこの仕事を生きがいとしてるんだ。男性性を売り物にして、チヤホヤされて、注目されて、人を魅了して、自分も相手も喜ばせる。別に『枕仕事』をしようってわけじゃないんだぜ。何が悪いってんだよ」

「そこまで言いますか」

「言うね。俺の本心さ」


 僕はそこまで割り切ることができない。

 というか、前世的な意味でもカズキさんはある意味『男らしい』のだ。

 ちょっと憧れるものがある。

 なんなら、高橋部長の露出度高いコスプレ姿が人に見られたら嫌だと思ってしまう、自分が少し恥ずかしいくらいだ。


「さて、休憩終わりだって、いいたいところだが。丁度『悪く』嫌な女が来やがった』

「丁度悪く?」

「今ちょうど話をしただろ。俺にとっての最悪の女だ。かつての恋人で、元婚約者だ」


 ふい、とカズキさんが顎をしゃくる。

 その方向には、白いワンピースに麦わら帽子姿の、絵画のような女性が佇んでいた。

 明らかにカメラ小町ではない。

 専属のカメラ小町である月島さんは彼女が近寄るのを止めようとするが、「月島。危ないから近寄らんようにしとけ」とカズキさんが声をかける。


「カズキさん」

「人の名前を呼ぶな。今は仕事中だ。今すぐにここを立ち去れ」


 カズキさんが彼女にづかづかと近寄り、指を指して退去を命じた。

 そんな憤懣やるかたない姿を無視するように、薄ら笑いさえ浮かべながら彼女が口にする。


「仕事? あられもないコスプレ姿で女性を前に沢山写真を撮られて、それで悦に浸るのが仕事? 馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。そんな仕事辞めても食べさせてあげると言っているのに」

「人は銭金だけで生きる糧を得ているわけじゃねえんだよ。それがわからんお前は、どっかいけさらせボケが」


 怒っている。

 カズキさんが、だけではなくて、白いワンピース姿の女性も怒っている。

 両方が怒っており、誰もが近づけずに見守っている。


「私は貴方の婚約者です」

「過去形で話せ。俺の母親とはすでに話し合った。お前の母親と俺の母親は話し合って、婚約を破棄した。俺は最初から最後まで筋を通したんだ。今更くだらない元婚約者の戯言を俺が聞く筋合いはない」


 なるほど、確かに丁度『悪く』、カズキさんにとっての嫌な女が来たらしい。

 先ほど言っていた束縛の強い恋人で、元婚約者。

 子供の頃から『出荷』とさえ呼ばれる男子の生育環境では婚約者がいても珍しい話ではない。

 それをカズキさんは嫌がって、破棄したようだが。


「私は貴方の婚約者です」

「同じ台詞を口にするな。お前はオウムか? 失せろ」


 誰もが近づけないでいる。

 ……マズイな。

 なんとなく嫌な予感がする。

 僕なんかより頭が良いだろうカズキさんも、その口では月島さんに「危ないから近寄らんようにしとけ」と言いながらも、それに気づけないでいる。

 頭に血が上っているのだ。


「本当にお前は最悪な女だった。俺が人生を懸けている仕事を侮辱した。人がコスプレグラビアを飾った時に涙を流して喜んだ、漫画の読者からのファンレターをびりびりに引き裂いて捨てた。心底おぞましいって口にしてな」

「事実おぞましいではありませんか。何が楽しくてこんなコスプレなんて下賤な事をやってるんです!」


 女性がヒステリックに叫んでいる。

 カズキさんは、それを聞いてますます血が上ったように、吐き捨てた。


「俺は何度も何度も言った。口にした。仮にも婚約者だから、恋人だからいつかは判ってくれるだろうと思ってな。もういい失せろ! お前とは口も聞きたくないわ!!」

「私は貴方の婚約者です」


 ワンピース姿の女性が三度、呟いた。

 それこそカズキさんの言うように、オウム返しのようにして。

 マズイ。

 何かわからんが、とてつもなくマズイ気がする。

 悪寒がして、僕はカズキさんとワンピース姿の女性に近づく。


「何が言いたい!」

「永遠に貴方の婚約者です」


 ワンピース姿の女性の右手が、左手の手提げ鞄に伸ばされた。

 太陽の光を鈍く反射するもの。

 輝くそれが引き抜かれ、カズキさんの腹部を突き刺そうとした瞬間に。

 僕の身体が反射的に二人の間に割って入り、そのワンピース姿の彼女が握る包丁が突き出された。

 

 

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