第十一話「母親」
「普通に写真を撮り直しなさいな。なんで誰も気づかないの? 一郎を含めて馬鹿ばかりなの?」
母さんは冷静にそう告げた。
この世界の有名五大商社における第一営業部の営業として勤めている一流ビジネスウーマンの母である。
風俗のような写真ではなく、もう正々堂々と顔を晒した方がマシじゃあないかと。
笑顔でピースサインでもしていろと。
その見識からはじき出された答えは、そのような内容であった。
確かにそうである。
夕食を食べながら、母さんは眉を顰めている。
「……いや、別にいいんだけどね。了承。別に『現代文化研究会』とやらの部活に入るのもよいし、その同人誌即売会に参加するのもよい。母さん、オタクのことよくわからないけれど。けどね、この写真はないわ」
「まだSNSには晒していませんが。高橋部長が結局難を示したから」
高橋部長が、SNSに写真を載せる前にとりあえず止めておこうと発言したのだ。
僕は別にいいんじゃね、と思ったのだが。
「そう、よかったわ。母さん、息子が淫売だって会社で噂されずに済むもの。今の情報化社会、どこで炎上するかわかったもんじゃないし」
母さんの様子を見るに、どうも駄目だったらしい。
高橋部長の判断を信じて良かった。
僕のスマホを弄り回して写真を見ながら、こっちならいい、普通に顔を晒している奴にしなさいと言う。
最初に撮影した写真なら良いのか。
満面の笑みの僕と、ぎこちない笑顔の瀬川さんが写真に写っている。
「別に何も卑屈になるところがないなら、堂々とやりなさいな」
母はそういう主義だ。
何も自分に卑下するところがないのならば、まっすぐ進んで勝負しろ。
相手が卑怯な真似をした?
なればブチのめせ。
パワーさえあればなんとかなるはずだ。
そういう性格をしている。
「この写真に写っている瀬川涼音とやらのレポートを読んだけれどね。母さんは気に入ったわ」
ひらひらと、僕が瀬川先輩から渡されたレポートを手で弄っている。
そんな母さんはその質実剛健で、メリット・デメリットのみが書かれた内容を気に入ったらしい。
「何か詐欺師めいた文言でも並べ立てていたなら母さんは青筋立てて怒ったけど、本当にデメリットは全部説明してあるし、それを一郎が吞んだと言うならまあ自由よ」
自由だ。
母さんは躾や門限に厳しい。
なれど、基本的には僕に自由にさせてくれているように思う。
正直、前世の両親より話が通じるのではなかろうか。
オタクを毛嫌いしていた前世の両親とは大違いである。
こんなディストピアめいた世界だというのにな。
「今度家に連れてきなさい。お母さんが見定めてあげる」
「いや、別に恋人とかそういうんじゃないんだけど。まだろくに話をしたこともないよ。誤解してない?」
なんか母さん勘違いしてないか。
瀬川先輩とは今日話したばっかりの関係である。
高橋部長よりも乳がデカいことが特徴の先輩としか、僕は瀬川さんを認識していない。
そう口にすると。
「あのねえ。この年頃の女子高生がそんな関係で済まそうなんて考えるわけないでしょ。皆がエッチなことで頭が一杯よ。私がそうだったもの」
「母さんがそうだったからといって、他に適用するのもどうかと」
「一緒よ。誰もがファック&ゴールイン、ファック&ゴールインのことしか考えてないわ。それのみよ。猿のようにそれしか考えてないわ」
そこはファック&サヨナラではないのだろうか。
そんなディストピアめいたネオサイタマみたいな用語を普通は聞かない。
なんとなく前世の知識に触る。
「どう男を騙くらかしてファックするか、そして妊娠して責任を取ると言い張って男と結婚までゴールインするか。年頃の女なんて、それしか考えていないわ」
「母さん、下品だよ」
母さんは時々下品であった。
確かに、まあ前世の価値観を考えれば男は性欲しか頭になかったし。
なんなら、この世界でも僕にだって性的衝動はあったが。
僕はそれ以上に、ただのオタク友達が欲しかった。
それは前世でも今世でも変わらぬ。
「げへへ、こいつは私の事をただの友達だと思っていやがるぜ。そんなところがたまんねえんだよなと。母さんはそうだった! 誰だってそうよ、思春期の女なんてケダモノで、いかにどう男の子と人生未来予想図を描くことしか妄想の中に無いわ」
「知らないよ。高橋部長たちはそんなんじゃないよ」
別に聞いていないよ。
なんというか、実の母親の性欲を聞くのは厳しいものがあった。
第一、父さんと母さんは恋愛結婚であったと聞いているのだが?
別にファック&ゴールインしたわけではなかろうに。
そう口にする。
「貴方! 一郎が言うことを聞いてくれないの! 恋人の顔も見せてくれないの!!」
母さんが写真立てに向かって叫ぶ。
父は若くして事故で死んだと聞いている。
父親の顔ははっきりくっきりと覚えているが、それは居間に並べた写真で顔を毎日目にするからである。
物心がつき、前世を思い出した時には父は早世しており、顔を拝んだことはない。
「お父さんの遺言が、もう少し自由な社会で生きたかった、だったのよ。だからこそ貴方には自由にさせているというのに、この子ってば」
「それは知っています」
それは感謝しているよ。
この世界の男が、ピアノを弾かずに空手をやろうだなんて望んでも怒られて駄目だったろう。
僕は確かに自由だった。
「恋愛だって――貴方が、一郎が選んだ子なら、自由でいいのよ?」
なんなら、恋愛すら自由にさせてもらえなかっただろう。
いかに裕福な家庭と縁を結んで、その援助で自分の老後を援助してもらえるかを考えただろう。
愛されているとは思うのだ。
思うのだが。
「でも、お母さんはね。看板の下で卑屈な笑いでニタついている乳がでかいだけの性欲の塊みたいな瀬川さんはちょっと……見定める必要があると思って。息子が夜に壊されそうで。この子絶対に一郎の鎖骨辺りをエロい目で見てるわ! 私にはわかるの!!」
「人の話を聞いてた?」
マジでそんな関係を求めていないのだ。
僕はオタク友達が欲しいのだから、そんな不健全な感情、高橋部長をはじめとした彼女たちに抱くのは不敬である。
だいたいだ。
「なんというか、見解の相違があるみたいだけど。僕、将来普通に見合い結婚かなんかするものだと」
先ほどの言葉が気になる。
一郎が選んだ子なら自由でいい?
今まで考えたこともなかった。
別に前世のように独身でいようと思ったわけではないが、恋愛結婚を今世で望んだわけでもない。
この世界、見合い結婚が普通だからと考えていたが。
「いや、一郎、普通の女の子じゃ無理でしょう? オタクだし……一般人女性相手だと会話や趣味が合わないと思って」
それはそう。
普通の男がお稽古事で女性への気遣い、エチケットを習う間に、僕は正拳突きと一本背負いをしていた。
どうにも腹を刺されるトラウマが癒えなかったのだ。
「じゃあ自由に恋愛してもよいと?」
「そうなるわね」
そういうことらしい。
それはそれで困るのだが。
僕、普通に恋愛する自信なんてないぞ?
伊達に前世で30過ぎても童貞だったわけではないのだから。
「とにかく、まあ報告せずにこんな写真を載せてたなら私だって怒ったけど、その高橋部長さんとやらは話を聞く限りマトモみたいだしいいわよ。自由にやんなさいな。入部も、その即売会とやらも」
「本当に自由にしても?」
「自由によ」
母さんは、笑顔で頷く。
その視線は、今の亡き父親の写真立てに向けられている。
僕は亡き父親に感謝しながら、サバの味噌漬けに箸を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます