第九話「何か問題が?」

 メリットは、『現代文化研究会』の頒布物がより売れるようになること。

 デメリットは、梶原君がSNSに晒されて、変な女に目をつけられるかもしれないこと。

 彼の性的価値を売り物にしていること。

 それだけ。

 それだけをひたすらにレポートへ綴った。

 彼にとっては何のメリットもない内容をだ。


「何か問題が? 別に構いませんよ」


 二つ返事でオーケーされてしまった。

 それも笑顔つきで。

 まだ何も喋っていないよ!

 彼は手にレポートを握っていて、私の返事を待っている。


「……」


 返事をしようとして――舌を噛んだ。

 あまりの痛みに、喋れないでいる。

 結局、この瀬川には男と喋る勇気など出なかった。

 だから二時間ほど睡眠時間を削ってレポートを書いた。

 一生懸命に書いた。

 梶原君がSNSで宣伝してくれることで、どれだけ私たちの本が売れるか。

 いかに梶原君の性的価値を売り物にして、それを販売数につなげるか。

 これを読めば男は引くだろう。

 寝ぼけ眼の様子で書きながら、これはアカンやろうなと思いつつ書いた。

 そして朝に寝不足眼で読み返して見たら、これはアカンかった。

 何一つ人情という物が感じられへんやんけと。

 何故か大阪弁でそう感じたのだ。

 梶原君を完全に性的な売り物としてしか判断していない。

 だが渡した。

 何分、同人即売会まで時間がなかったし。

 いっそ、ここまで来たら彼にとっての嫌われ者になろうと思ったのだ。

 断わられたり、気分を損ねても、私が、この瀬川が悪かったと言うことで済むだろう。

 あくまで私自身の印象を損ねるだけで留まると思えた。

 覚悟を決めた。

 自分には『現代文化研究会』の広告宣伝としてのプライドがある。

 本を一冊でも多く売るぞ、SNSは遊びじゃねえんだ、というプライドである。


「……怒らないんですか?」

「何が?」


 首を傾げる。

 太い首であった。

 筋骨隆々としかいえない梶原君が小首を傾げた。

 私のフェティシズムである鎖骨は清潔なワイシャツの下に隠されている。

 だが、体格の良い彼の身体からは、鎖骨から背筋を覆う僧帽筋上部線維が浮き出ている。

 ほう、とフクロウのように吐息が漏れそうになった。

 めっちゃ好みだ。

 正直言えば、瀬川にとって彼の鎖骨と、その周囲を覆う筋肉は好みであった。

 思わず齧りつきたくなる。

 いやいや、そんなことを考えている場合ではないぞ。


「……私はきっと怒られると思っていました。梶原君の気分を損ねると判断しました」


 真意を問わねばならない。

 二つ返事は良いが、意に添わぬと言うこともあるのだ。

 あくまで新入りだから、部に気兼ねをしている。

 たとえば誘ってくれた部長に気を遣うがゆえに応じている。

 それはよろしくなかった。


「僕はただSNSにて笑顔で写真を撮って宣伝する。そして売り子をする。それだけですよね?」

「……いえ、それだけといえばそれだけなのですが」


 レポートにてちゃんと説明をしたのである。

 やや卑怯な振る舞いについてである。

 売り子の仕事の目的は、少しでも多くお客さんに頒布物を販売することである。

 そのために、普段男との触れ合いもない同人女を引き付けるために、君の性を売り物にする。

 男を売り物にして本を売っている。

 まるで性的なグラビアモデルのように。

 あれだ、それは当然のように話題にされるだろう。

 SNSにて悪口を書き込まれたりもするかもしれないぞ。

 そのような脅し文句さえレポートには書いた。

 だから、嫌ってくれていい。

 ちゃんと内容を読んだのかい?


「このレポートの内容についてですか?」

「……そうです」


 ちゃんと読んでくれたようである。

 なれば、思うところがあるはずだ。

 人の事を何だと考えているのかと。


「……不満に思うところなどは、その」

「ないですね」


 ないのか。

 少し、きょとんとする。


「あの誠意のある文面のどこに不満を抱く点があったのでしょうか?」

「……ありましたっけ、誠意?」


 言葉を濁らせず、口にする。

 誠意なんてなかったぞ。

 完全にメリットとデメリット。

 我が部活動に対するメリットと、梶原君にとってのデメリットしか書いていなかったぞ。

 我が部活のためにお前を生贄にするぞ、と。

 これは書いた奴は真剣な馬鹿なんじゃないかというビジネス文書であった。

 アカンやつであった。

 これはアカンやつだと思った。


「……私には誠意などありません。ただ一冊でも本を売りたいだけなんです」


 正直に言う。


「僕についてのデメリットを何一つ隠さずに明確に教えているのは誠意なのではないでしょうか?」

「……私にはそうは思えません」


 目を逸らす。

 なんでこの男の子は、私と視線を合わせようとするのだろう。

 男とはなよなよとした軟弱な生き物というイメージがどうしても強かった。

 私たちナードのように、下を見て、うつむいてばかりの生き物。

 何故、私と視線を合わせようとするのだろうか。


「……その、私にとって都合のよいようなことばかりを書いていて、その」

「詐欺師ならば、都合の良いことばかりを口にするのでは? デメリットをこうも明確にはしませんよ?」


 まるで慰めるように。

 彼は、呆れた様子さえ感じさせて口にした。


「あれです。なんというか、その、嫌われよう嫌われようと無理しなくていいですよ。必要な事だと理解していますので、そんな自分が犠牲になろうだなんて考えの下に動かなくてもいいんですよ」


 私に投げかける視線は不思議なほどに優しかった。

 まるで、この私を一人の少女のように扱っているのだ。

 同じ部活に入ったのだから、出来るだけ親しくなりたいなと。

 そんな感じの一介にすぎぬ部員のようにして。

 いや、事実その通りではあるのだが。

 男の子って、こんな風に優しい物だろうかと思う。

 何分、他の男を知らぬので比較はできない。


「別に自己犠牲というわけではないのですが……売り子が嫌ではないのですか?」

「いえ、別に。売り子と言っても、別に卑猥なコスプレをするわけじゃあないんでしょう? パンツ一丁で会場を練り歩けってわけじゃないんですよね」


 まあそれはそうだが。


「とにかく腹を刺されない限りは大丈夫ですよ」


 どれだけ腹を刺されたくないのだろうか。

 私は彼の過去が知りたかった。

 自衛意識は極端に高い癖に、性的な事に関してだけ自衛意識が極端に低い。

 私は、この瀬川は梶原君のことがよくわからなくなっている。


「……嫌じゃあないんですね」

「嫌じゃあないんですよ」


 そっかあ、と口にした。

 どうも私の心配は杞憂であったらしい。

 息を吐く。


「嫌ならば、高橋部長から売り子を望まれた時に断っていますよ」


 それもそうだが。

 やはり積極的な宣伝となると、我々のようなナードには気が重いだろうと思えた。

 エマのように臆病な例もある。


「触れ合いを求めて、オタク仲間を求めて部活動に参加したわけですから。部活動のためなら使って頂いて構いませんよ。一度言いましたよね」

「……聞きました」


 私が心配しすぎているだけなのだろうか。

 それとも、やはり無理をしているのか。

 悩む。

 言葉通りに受け取って良い物だろうか。

 ためらいを瞳に浮かべる。


「一緒に写真を撮りましょうか? SNS用の写真を」

「うん?」


 問いかけ。

 それは私に対してではなく、高橋部長に対して行われた。

 部長が応じる。


「いいね、私が写真を撮るよ。ヘイ! 瀬川ちゃん、梶原君の横に並びな!!」

「……ワッツザット!?」


 まるでエマの口癖である短英語のように呟いて、現状を把握する。

 え、私と一緒にとるの?

 いや、邪魔だよ。

 男一人の方がいいよと口にしそうになって。


「そうですね、誰か先月の頒布物を持ってきてください。それを僕が持って、瀬川さんが新刊ありますって看板をぶら下げて……」


 いや、確かに新刊あります! の看板は部室にあるけれどね。

 男の子と一緒に写真を撮るなんて。

 それではまるで青春(アオハル)じゃあないかと口にしようとして。


「瀬川ちゃん、ほら、看板を持ってきた」


 エマが意気揚々と看板を持ってきたので止める。

 看板を受け取り、梶原君が先月の頒布物を持ってニコニコとした顔で立っている。

 高橋部長も同じくニコニコとした笑顔で、はいチーズ、とばかりにスマホを握っている。

 あれだ、これで梶原君が写真に写るのに、私が嫌だとは言い出せない。


「……お手柔らかにお願いします」


 カチカチとした緊張をして、梶原君の横に立ちながらも。

 とうとう私は観念して、何もかもを受け入れた。

 あれだ、なんだ。

 梶原君は良い子なんだ、多分。

 そんな良い子と仲良くなれればいいなと思いながら、私は「はいチーズ」という高橋部長の合図と同時に、ぎこちない笑みを浮かべた。




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