第八話「広告宣伝」
家の少し遠い梶原君が、門限があるため早めにと部室から退室して数分後。
唐突に争いは起きた。
いや、予想できたことなので唐突とは呼べないか。
「ウォォオオオオオ、高橋部長。どうして私に水を向けたんですか!!」
「エマが私を羨ましそうに見ていたからね。少しだけ水を注ごうと思ってね。シャーーーーー!」
我々は所詮力弱きナード、人を傷つける強き力などない。
にもかかわらず、相も変わらずポカスカと殴り合いをしているのであるが。
「有り難うございます!」
「どういたしまして!」
エマとしてはその実、喜んでおり、別に殴り合う理由は特にない。
ないのだが、何故か二人は殴り合っていた。
餌を分け与えられたばかりのモンキーが、餌を分け与えたモンキーとともに興奮しているのであった。
発情した猿かなと、この瀬川涼音としては少し不満に思うのだ。
私に水を向けてくれても良かったのに。
だがまあ、あの場ではエマの例を持ち出すのが適切であったか。
「でも私、男の子と喋る自信がありません!」
「これからだよ、少しずつエマは彼と喋っていけるようになるんだよ」
いつもの事である。
高橋部長には特異な癖(へき)があった。
「自分が何をして良いか分からなくて、そんな自分にコンプレックスを持っている人間」を見ると、どうにも面倒を見てやらねばと思う癖だ。
ああ、私がなんとかしてやらねば。
そうだ、出来れば一緒にやってあげたら相手も喜ぶんじゃあないのかな。
そんなことを自然に考える。
まるで導き手だ。
光のオタクであった。
癖(へき)といわずに、他に何と呼ぶべきか。
それに先導されて我ら部員は付いてきた。
その中でも特に臆病で自分に自信のないのがエマであろうか。
彼女は一人のナードであった。
「一人のナード」だ、我らのようにナード仲間がいたわけではない。
本当に一人きりだったナードだ。
それも自分では創作をせぬ無産のナードであると、別に誰も責めぬのにそれを卑屈に思っている。
部に入った当初は、私たちとさえもあまり話せなかったのだ。
どもるのだ。
人と喋ると、時々、つっかえづっかえで話をしてしまう。
高橋部長が優しく聞いてやれば、中学生時代は誰ともろくに話をしたことがないと聞く。
人と話すことに慣れていないと。
中学生時代の休憩時間は、机に突っ伏して寝たフリしていたのだ。
だから、このオタク部に『現代文化研究会』に入ったこと自体が彼女にとっては、とても勇気を有する行為であったのだろう。
それでも彼女は踏み出した。
だから、高橋部長はそんなエマに優しかった。
ひどく優しかった。
自分のお古の液晶タブレットを譲り、イラストや漫画の技術指導もしたし、何か技術的進展があれば誉めそやすことも決して忘れなかった。
「たとえ部長の御言葉とあっても信じられません!」
何度聞いたか、この台詞。
信じている癖に。
もはや信じ切っている癖に。
エマは高橋部長の信奉者であった。
おそらくなどではなく、高橋部長の事が好きで好きで仕方ないのだろう。
「少しずつでいいから、梶原君とも皆で会話していこうよ……。梶原君だって友達が欲しくてこの部活に入ったんだしさ。ほら、皆も一緒にカードゲームなんてどうだい。私のデッキを貸してあげるからさ。なんなら、トランプとかでもいいよ」
「……その、いいのかな?」
いいのかな、と尋ねたのは藤堂であった。
貧乳長身黒髪ぱっつん姫カットの上背をゆらゆらと動かしながら、不安げに尋ねる。
「千尋は彼を誰にも譲りたくないと思っていたんだけど?」
不安げだ。
我々が口にしてよい問題なのかと、そう言いたげに。
高橋部長と藤堂初音はお互いを、千尋、初音とファーストネームで呼び合う仲であった。
同じ中学校出身である。
「いや、前にも口にしたじゃん。別に梶原君は私のものでもなんでもない、彼はオタク友達を探しにきただけだって。皆で仲良くなればいいんだよ、皆で」
所有権を奪い合う戦いではない。
まあ、そもそも一夫多妻制の時代に、恋の鞘当てなど馬鹿馬鹿しいが。
それでも、おそらく――高橋部長は梶原君に惚れているのだ。
それが今回の件でまざまざと見えた。
少しぐらい、他には譲りたくないなあ、という下心があっても良いとは思うのだが。
「わたし、梶原君と皆には仲良くして欲しいなあ」
高橋部長にはそれがない。
この瀬川は嘆息した。
人が良いにも程度があるよ、と。
「仲良くしますよ。仲良く。それで、とりあえず梶原君には同人誌の売り子の件も納得して頂けました。カードゲームの大会にも納得して頂けましたが……」
「うん、カードゲームの大会はともかく、同人即売会は皆で頑張ろうね! 私は相変わらず他のサークルへの挨拶回りがあるから常駐できないけど、梶原君がその穴を埋めてくれると思うんだ」
アンタの穴は誰でも埋まらないよ。
そう口にしようとしたが、やめた。
高橋部長は自分の事を小さく見積もる癖がある。
そんなところもまた好きだったし、言ってどうにかなる人でもないのだから素直に諦めよう。
「……カードゲームの大会に関しては私たちは遠慮しておきます。とりあえず詳しくないので」
本当と嘘が混ざっている。
梶原君が好きなカードゲームの触れ合いはしたいが、この中で詳しいのは高橋部長だけなのと。
とりあえず、少しぐらい高橋部長が梶原君と二人きりで遊ぶ時間を作ってあげたいと、この瀬川は思ったのだ。
藤堂とエマも同じ気持ちであるのか、黙っている。
「そう? まあカードゲームの大会と言ってもショップでやる小規模な大会だけどね。それより、我ら『現代文化研究会』のメインは地域の同人即売会だね」
えーと、締め切りあと何日だったっけと高橋部長が指折り数える。
「……もう数える必要もありませんよ。全員あと一日で終わりますので」
「あれ、ホント! 頑張ったね」
そりゃ頑張ったとも。
梶原君が来てから、筆は早くなった。
もちろん手は抜いていない。
クオリティには問題ないはずだ。
なんというか、餌を目前にぶら下げられたと言うか、その、なんだ。
私たちも高橋部長と同様に、おてて合わせしたりしたいなあって思いながら必死にやっていると、何故か原稿は早く進んだ。
ちなみにこの私の好きな部分は、フェティシズムは鎖骨だ。
齧りつきたい。
「……ということで、今回も宣伝ですが。いつものように我らの力量が判るポスターを用意するとともに、SNS宣伝ですが。一つお願いしたいことが」
「なになに?」
「梶原君の写真が撮りたいです。そしてSNSに載せましょう」
……これ、言うかどうか迷ったんだけれどなあ。
梶原君個人を利用しているようで心苦しいが。
「えーと、やっぱり男性の宣伝効果は大きい?」
「……看板息子と言いますか、まあコスプレなどをしなくても、そりゃ店でお釣りを手渡ししてくれる男がいるだけでその店が繁盛したりしますのでね」
駅前にあるパン屋のイケメンおじさんが人気あって、ウチの学校の昼食にはパン食が多いぐらいなのだ。
それが15の若い男であるとすれば、効果はバツグンだ。
「瀬川ちゃんは抜け目がないねえ」
高橋部長は私をちゃん付けで呼ぶ。
理由は特にない。
なんとなく瀬川ちゃんはツンケンしているから瀬川ちゃんって呼ぶね、と言われた。
別にツンケンしているわけではなく、私は未だに初イベントで4冊しか売れなかった屈辱を忘れていないのだ。
あれだ、私たちが最初に作ったのは技術不足で良いものではなかったかもしれないが、悪い物でもなかった。
単純に宣伝不足だったのだ。
100人に目が留まり4冊しか売れないのならば、1000人の目に留まり40冊を売るべきであったのだ。
10000人の目に留まれば400冊を売ることだって可能だ。
1本の手裏剣が敵に通じないなら、1000本の手裏剣を投げるべきなのだ。
そう考えて私は動いてきた。
部の広告宣伝担当として。
「そういうところ嫌いじゃないけど、梶原君には目的と意図を説明するよ。それが誠意だと思うから」
「……私から説明します」
「大丈夫? 男の子と話したことある? ないでしょ?」
ないよ!
ないけれど、そんなことまで高橋部長にオンブされるわけにはいかないじゃないか!
まして、それで梶原君に嫌われるとすれば、この瀬川であるべきだ。
高橋部長がそれで梶原君に少しでも反感を抱かれたりしたらなんて、考えただけで怖気が走る。
部長は何も悪くないのだから。
悪いとすれば、彼の男という性別を宣伝に利用しようと思っている、この瀬川なのだから。
「明日、話しますので」
私は心配そうな瞳で見つめてくる高橋部長に断言して。
正直、大きな不安を抱えながらにその日を終えた。
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