第二話「恋はいつでもハリケーン」
彼と出会ったのは、カードゲーム専門店である。
新学期が始まった早々に、私は自分の担当原稿提出を終えた。
「手伝って部長。もう限界でござるよ。手伝わねえと、そのデカ胸の乳首つねるぞオラァ!」と周囲の部員からパワハラ被害に遭うのを避けるために、私は部活を抜け出して、さて魂を癒やそうかと駅前のセンタープラザにあるカードゲーム専門店に立ち寄ったところ。
何やら大きな人が突っ立っている。
いかにも入ろうかな、どうしようかな、と悩んでいるのだといった風情であった。
私の身長140 cmよりも頭二つ分ほど背が高いだろうか、おそらく180 cmはあるだろう。
私と同じ高校制服のブレザー姿であり、違うのはスカートではなくズボンであったこと。
珍しい男性であった。
いや、そりゃ20人に1人くらいは男性だからパンダより珍しいと言うことはなく、田舎のタヌキぐらいの確率で目にはするが、少なくともカードゲーム専門店にいるのは珍しかった。
「……」
彼は黙って突っ立っている。
確かに大きな体だが、玄関を封鎖しているわけではない。
だから横を通ろうと思えば通れるのだが――私はこの時、少しばかり勇気を出した。
どうしようか、やはりやめておこうかな。
そんな顔をして、彼が立ち去ろうとした瞬間に。
「カードゲームに興味がおありですか?」
私は声をかけた。
声が震えていないか、おそらくは少し震えていただろう。
緊張しているのだ。
オタクである自分が男と喋ったことは、事務的にでしかない。
せいぜい隣の男の子が消しゴムを落として、それを拾い上げて渡した。
そんな小学生時代の記憶を除いて触れあった機会などない。
父親なんていないし。
そもそも私は世間に珍しくもない「人工授精の子供」、いわゆる試験管ベイビーである。
女性の排卵周期に合わせて洗浄・濃縮した精液を子宮内に注入させる。
それで妊娠した母から生まれたものだ。
いくら我が国が一夫多妻制だとはいえ、それにしてもあまりにも男の数が足りない。
科学が発達した今では、政府が人口減少への課題と対策として精子バンクから未婚の女性への精子提供と生活補助を――まあいい。
私の事などはさほど、別に重要な話ではない。
「……あるというか、やっているのですが。ネットで」
返事が為された。
こちらに視線が向けられた。
上背から見下ろされ、心臓がバクバクと鳴る。
次の台詞をなんとか口にした。
「ネットでやっているというと、『アリーナ』の方ではプレイヤーなんですね。実際にやるのは初めてですか?」
「初めてといえば――まあ、初めてですね。そうだ、『生まれてからは初めて』です。はい」
曖昧な言葉。
生まれて初めてらしいが、なんとなく違う気もする。
まるで生まれる以前はやっていたとでも言いたげだが、まあそんなことはあるまい。
ネットでは明け暮れるほどやっていたから、初めてというのも変だなあという意味であろうと解釈する。
「失礼ながら、帰るところだったようですが?」
「いえね、ゲームをプレイしようにも、現実のカードは一枚も持っておらず、現実の勝手もわからず、そもそも人もおらず……これどうしようかなと。もっとカードショップと言えば喧騒にあふれたイメージがあったのですが」
「ああ、なるほど」
確かにゲームショップ内はがらんとしている。
40席程の席はあるが、誰一人としていない。
ネットの方でゲームを明け暮れるほどやっていても、ネットのカードと現実のカードでは種類が違ったりする。
「現行環境(スタンダード)で使っていいカードの種類は理解されていますか?」
「はい、一応そのあたりは調べてきました」
「なるほどなるほど。あのですね、時間帯が悪いのですよ」
心臓が鳴りやまない。
これでもスピーチには自信があり、周囲からは口八丁だと思われている。
たった四人の部活動(同人活動)を学校に認めさせたほどなのだ。
しかもオタク部である我らが『現代文化研究会』を。
だから、だから。
だから、どうしたというのか。
心臓はドキドキどころか、エイトビートなバーサーカーと化している。
彼はカードゲームをするのが『生まれて初めて』だと口にしたが。
こちとら男と真面目に喋るなんて『生まれて初めて』だぞ。
「さすがに年がら年中無職の暇人が集まっている、場末の酒場ではありませんので。学生や社会人プレイヤーの層が基本となりますので。集まるのは土日の大会イベント、平日のイベントだと午後7時以降じゃないでしょうか」
どもるな、卑屈になるな、顔を赤らめるな!
ガンバレ私!!
スキル「軽妙な語り口」「口八丁」「ポーカーフェイス」を発動。
そのようにオタクなことを考えつつ、解説する。
彼は悲しそうな瞳で、壁際のポスターを見た。
そこにはイベント開催日時が書かれている。
「……平日は無理か。帰りが遅くなると母親に叱られる。門限八時なんですよ、門限八時」
「じゃあ平日は無理ですね」
彼が嘆息する。
15歳の男が、夜の八時に外を出歩けないのも過保護だとは思いませんかね。
そう語る。
いやあ、どうだろう。
そりゃ男が暗がりに引っ張り込んで襲われたり監禁されたりする野蛮な時代でもないのだから、夜七時に出歩いていても女に襲われるなんてことは無いのだが。
自分が仮に母親だとしたら、男を生んだなんてそりゃ心配するだろう。
彼の母親が過保護だとは思えない。
「私も晩御飯の時間があるから門限は八時ですよ。どの親も過保護なもんです」
それに我が家も似たようなものだ。
私の家は、単に晩御飯は一緒に食べる主義なだけだが。
ビジネスマンの母が、晩御飯だけは家庭の時間を大事にしたいと必死なのだ。
娘としては受け止めてあげたい。
「そんなもんですかね」
「そんなもんですよ」
彼の不満を少しだけ和らげてあげられただろうか。
そう思うと、少しだけ私の心臓にいるエイトビート・バーサーカーが収まる。
今のところ、悪くない会話の流れではないかい? ええ?
と、バーサーカーが心中でアドバイスさえくれる。
頑張れ私。
「私で良ければ、カードのお相手をしましょうか?」
「カードがないんですよ。スターターキットって売ってます?」
「ああ、私がデッキを二個持参しておりますので大丈夫ですよ。店員さん、スペースをお借りしてもよろしいですか?」
店員さんに許可を取り、スペースをお借りする。
席に座るが、彼の座高は高い。
彼が制服のブレザーを脱ぎ、ネクタイとワイシャツだけの姿になる。
うわあ、筋肉ムキムキだよ、この人。
グラビアアイドルか何かかな?
痩身のアイドルもいるが、私は筋肉ムキムキの方が好きなので彼の方が好みだ。
そそる。
私は男性の好きな部位で言えば手であった。
おそらくは毎日筋肉トレーニングを欠かしていないだろう、分厚い手の平が私のデッキを受け取る。
生まれて初めてだと言う彼は問題なくデッキからカードを抜き取り、スリーブに包まれているカードを裏返し始めた。
「少しデッキ構成を見てもよろしいですか? 見ないと戦略も組めないので」
「そりゃあもう」
是非ともまじまじと見てください。
頑張れ私のデッキ。
何を頑張るのかは知らないが、男の視線に耐えろ。
「速攻型ですね。使いやすそうだ」
「数分でゲームを終了させやすいタイプのデッキです」
私の脳みそは興奮と計算で、あと数分で茹だりそうになっているが。
ともあれ、ゲームだ。
ゲームに集中して、なんとか会話を繋げよう。
共通の趣味さえあれば、なんとか会話は通じるはずだと祈る。
「ああ、失礼。その前に」
彼が、これを最初に言うべきだったと口にする。
私のブレザーにワッペンで付けられている名札を彼がじいと見た。
名字だけはそれで判別できる。
「梶原です。梶原一郎といいます。対戦よろしくお願いします。高橋先輩」
高橋先輩と呼ばれて。
私の胸はそのとき、たったそれだけで強烈にときめいた。
一陣の風が吹いた。
青春(アオハル)の嵐であった。
私の大好きな伝説級の漫画にこのような言葉がある。
――恋はいつでもハリケーン。
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