第32話 31 大泣きしちゃいました

「ベルー!!」


 小さな貴公子エリオットは勢いよく駆け寄って来る。マリアベルは,とっさに後退りしてしまう。隣にいたレオナルドは彼女の代わりに一歩前へ出て、慣れた手つきでエリオットを抱き上げた。


「んー、ベルー、ごきげんよう」


 エリオットはレオナルドの腕の中から顔を出し、マリアベルに話し掛ける。


「――――ごきげんよう。エリオット」


 マリアベルは引き攣った笑顔を浮かべて挨拶を返した。あまり子供に慣れていない彼女は内心どうしてよいのかが分からず焦ってしまう。姉弟とはいっても、つい先日まで、その存在すら知らなかったのである。


(どうしよう。突然出来た弟から、あんなに愛らしい顔でニコニコと微笑みかけられたら、私はどうすればいい?まだ知らない人の子供とかの方が、気楽なのだけど・・・)


「エリオット、俺には?」


「レオ、ごきげんよう?」


 エリオットはこれでいい?と窺うような顔をして、レオナルドに挨拶をした。


「エリオット!殿下を呼び捨てにしてはなりません!!」


 後方から公爵夫人の激が飛ぶ。エリオットはビクッと驚いて下を向く。


「――――でんか、ごめんなさい」


 レオナルドにしか聞こえないくらいの小声でエリオットは謝った。


―――――


 温泉で倒れたマリアベルの体調は数日の休養を経て、すっかり回復した。それに伴いレオナルドとマリアベルは、明日の午前中に王都へ戻ることになったのである。


 レオナルドから帰る前に一度、公爵邸へ顔を見せに行かないか?と誘われたマリアベルは渋々了承して、ここへ来た。なぜ、渋々なのかと言うと家族への接し方が、イマイチ分からないからである。


 マリアベルは過去を振り返る。彼女は家族団欒どころか、友人を作るような機会も無く、ずっと一人で何かをしていることが多かった。何かとは本を読んで学習したり、エヴァンスの出した鍛錬メニューをコツコツとこなしていたということである。


 当然、親と話をした記憶などほとんどない。姉のジュリエットとの関係でさえ、ジュリエットのおしゃべりにマリアベルが相槌を打つというくらいのレベルである。


(実はお姉様と愛の逃避行をしたヘンリー様のことも、あまり詳しく知らないのよね・・・。裏くらい取った方が良かったのかも知れないけど・・・)


 かなり早い段階で、マリアベルは“自分は公爵家には必要のない存在”と認識していた。だから、将来は公爵令嬢としてではなく、何か手に職を付けて仕事をしながら生きて行こうと真剣に考えていたのである。


 ところが、急に人生が変わる出来事が発生した。


 レオナルドの婚約者となり、表舞台のそれもスポットライトを浴び続ける場所へと一気に引っ張り出されたのである。それ自体はレオナルドと共に試行錯誤しながら進んで行けばいいことなので苦痛でも何でもないし、むしろ信頼できる相棒が出来て嬉しいとすら思っている。


(殿下を相棒と言って良いのかどうかは分からないけれど、私のことをよく考えてくれるいい婚約者だというのは間違いないわ)


 だが、今までマリアベルに見向きもしなかった家族が急に友好的になり、“全てあなたのためにしていたことなの”と言われても、急に“そうだったのですね!ありがとうございます”とは切り替えられない。


(私って、そういう点では不器用だと思うのよね。口では分かったフリをしてしまうのも悪い癖だわ)


 レオナルドはマリアベルの心情に寄り添いたいと考えていた。マリアベルが家族と上手くコミュニケーションを取れるようになるまで、しっかりとサポートして行こうと。だから、エリオットの世話くらい自分がすればいいと思っていた。


 ところがエリオットは早速、公爵夫人に怒られて目に涙を溜めている。身分を重んじる公爵夫人にとって、王子であるレオナルドとエリオットが兄弟のように接することは許されないのだろうかと少し考えてしまった。


「公爵夫人、エリオットは俺の弟だ。名前で呼んでも問題ないと思うのだが」


「飛んでもございません!殿下をお名前で呼ぶなど・・・。」


「いや、家族だから構わないと、俺が言ってもダメなのか?」


 レオナルドはこんなに強く言うつもりは無かったのだが・・・。余りに石頭、もとい持論を曲げない夫人につい、カッとしてキツイ言い方をしてしまった。


「お母様、レオナルド様が良いと言われているのですから、宜しいのでは?」


 マリアベルが透かさず、レオナルドの肩を持つ。


「いいえ、いくら殿下が良いと言われても、世間はそう思っておりません」


 公爵夫人は全く折れる気配がない。レオナルドとマリアベルは同時にため息を吐いた。


「でんか、だいじょうぶですか?」


 レオナルドの左腕に抱えられているエリオットが、心配そうな声を出す。


「ああ、大丈夫だ。エリオット」


 マリアベルは、義理の弟にまで優しくしてくれるレオナルドに感謝の気持ちで一杯になった。


(殿下は私がエリオットとの関係に戸惑っていると分かっているから、進んでお世話をしようとしてくれたのに!お母様と来たら・・・)


 この状態では、今日話しておこうと思ったことも伝えられないわねと、マリアベルは途方に暮れてしまう。


 一昨日、ハヤブサを王都の陛下に送って昨日、返信が届いた。そこにはポルトスが無事に王宮へ帰還したことと、結婚式の日取りは半年後にて調整中と記されていたのである。


 マリアベルたちが王宮へ戻り次第、結婚式の招待状を作成し、信頼のおける使者を使って、各国のトップへ手渡しで届けていく。その際、レオナルドの名前で重要な案件(赤い蠍に関すること)を暗号文で記載した書簡も一緒に添えるつもりだ。


「マリアベル、大体、あなたもはしたないですよ。殿下をお名前で呼ぶなど、気安くし過ぎです。立場は重んじなければなりませんよ」


(はっ!?私にまで、そんな注意をしてくるの?)


 マリアベルは呆れてしまった。これから、いろいろお喋りをしたいわと言われても、こんな調子なら是非お断りしたい。


「お母様、殿下がお名前で呼んで欲しいと言ってもダメだというのですか?」


「あなたは、まだ婚約者なのですよ。殿下がご結婚して下さると決まったわけではありません」


「――――何だと?」


 レオナルドはつい不機嫌な声を出してしまった。流石に公爵夫人の無神経さが癇に障ったからである。


「夫人、おれはマリアベルと結婚すると決めている。その発言の意図がわからないのだが?」


 レオナルドは、真っ直ぐ公爵夫人を見据えて問う。


「先日、殿下と娘の様子を見て、仲睦まじい姿だと感じました。ですが、よくよく考えてみますと娘は学も無く、婚約者教育も受けておりません。殿下が求める妃像からはかけ離れており、辞退した方が良いのではないかと・・・」


「ふざけるな!!」


 室内にレオナルドの怒りの声が響き渡った。


「俺の求める妃像を何故、夫人が語る?それこそ不敬ではないか。それとあなたは己の娘のことを知らな過ぎるのではないか?マリーは独学ではあるが、充分な知識を持っているし、己の身を守る術も見につけている。何より、俺が惚れ込んでいる女だ。余計なことをいうのは止めろ!」


 マリアベルはレオナルドは言い返してくれただけで充分だと思った。だけど、“辞退した方が”という発言は、いくら母親だとしても流石に言い過ぎなのではないかとイライラしてしまう。


「――――申し訳ございませんでした」


 公爵夫人は深々と頭を下げた。レオナルドはマリアベルに“王都へ戻る前に家族へ顔を見せておいたらどうか”と提案してしまったことを酷く後悔していた。ここまで分かり合えてない状況だとは思っていなかったからである。


 腕の中にいるエリオットもこんなに閉鎖的な環境で、頑なな夫人に育てられて来たのかと思うと不憫でならない。夫人はさておき、もっと安心して外へ出れる環境を作るためにも、速やかに“赤い蠍”の件を解決しなければいけないだろう。


「殿下、ちょっといいですか?」


 マリアベルはレオナルドに囁きかける。


「夫人、少し席を外す」


 レオナルドは、エリオットを抱っこしたまま、マリアベルと廊下へ出た。


「殿下、面倒な家族ですみません」


「いや、何で夫人は我が子であるマリーにあんな酷いことを言えるのかが、俺には分からない。だが心配するな、何を言われても俺が守ってやる」


 レオナルドは腹立たしい気持ちを隠さずにマリアベルへ伝える。


「エリオット、俺のことはレオでも、兄様でも好きなように呼んでいいぞ」


「うん、にいさまってよびます!!」


「ああ、それでいい。俺にはすでに二人の弟がいる。エリオットが弟になったら、これから俺の弟は三人だ」


「そうなの?」


「ああ、エリオット以外の弟はアントニオ十六歳とエミリオ八歳だ。覚えておいてくれ。それから妹も一人いるぞ。まだ0歳の赤ちゃんで名前はミシェル。エリオットはミシェルのお兄ちゃんだな」


「えーっ!!0歳!?」


 驚いたマリアベルは二人の会話に割り込んでしまう。


「ああ、昨年に生まれたから、もうすぐ一歳になる。俺が言うのも何だがミシェルは天使だ」


(うわぁー!!天使かぁー。殿下に似てるのかしら?ミシェル姫に是非、会ってみたいわ)


「ぼくはよんさいだよ。おにいちゃんたちや、いもうととあそびたい」


「ああ、一緒に遊ぼう。約束だ」


 レオナルドは、エリオットの頭を右手でグルグルと撫でた。


―――――――――――


 廊下で、少し話して落ち着いた三人は部屋へ戻った。ソファに座っていた公爵夫人は扇を口元に当てて、優雅に立ち上がり三人を出迎える。


(あ、あれが淑女のマナーってヤツなのかしら?私のマナーは図書館の本が先生だから・・・。まだまだ、先は長いわね)


 マリアベルはアリーから、『マリアベル様のマナーは完璧です』と言われたことをすっかり忘れていた。


「夫人、前置きが多くなってしまったが今日、俺たちがここに来たのは明日、王都へ戻るということを伝えるためだ。しばらく会えないのなら、顔を見せた方が良いだろうと配慮したつもりだった。だが、マリーを軽んじるようなことを言われるくらいなら、来なければよかったと後悔している」


 レオナルドは嫌味をたっぷり含んだ言い方を敢えてしたのだが・・・。


「ですが、殿下。マリアベルは本当に殿下の妃として大丈夫なのでしょうか?」


 夫人は顔色一つ変えず、先ほどの続きを平然と口にする。そして、彼女の中でマリアベルに対する評価はかなり低いらしい。レオナルドは大声で反論したい気持ちを我慢し、出来るだけ冷静に言葉を紡ぐ。


「勿論、大丈夫だ。夫人、俺はマリーを選んだ。それは共に人生を歩むことを決めたということだ。足りない部分があれば、二人で努力し補っていく。それではダメなのか?」


「いえ、ダメだとは・・・。わたくしは娘が心配なだけでございます」


「その心配だとか、マリーのためだとかいう気持ちは、あなたが思っているだけだろう?これ以上、彼女に押し付けないでくれ」


「――――承知いたしました」


 公爵夫人は不服そうに頷いた。これは長期戦になるだろうなとレオナルドはため息を吐く。


 マリアベルはレオナルドがここまで踏み込んでくれるとは思っていなかった。今まで嚙み合わない会話をするのも嫌で、親との交流を避けて来たのである。目の前で何とか分かり合おうとレオナルドが自分の考えを語る姿を見て、自分ももう少し相手に気持ちを伝える努力しなければとマリアベルは反省した。


―――――――――


 結局、微妙な空気のままでお別れの挨拶を終え、公爵邸を後にした。今はホテル・ライムストーンへ戻る馬車の中だ。


「マリー、今日は楽しくなかったのでは?」


「いいえ、エリオットと少しお話も出来ましたし、殿下がお母様の相手をして下さったので楽でした」


 マリアベルはニコっと笑って見せる。


「殿下、聞きたくないかもしれませんが、更なる真実をお伝えしなければなりません」


「急にどうした?」


「私と父の関係はあんなものではありません。もっと悪いです」


「は?」


「殿下の知る父と、私の知る父は別人と思ってください。かなり険悪ですから、驚かないでくださいね」


「険悪・・・か。マリー、大変だったな。子を必死に守っていたという話を聞いて、愛情深い人たちと思ってしまう固定観念は捨てないといけないな」


「あ、その例え、とてもいいと思います。まさにそんな感じです。実際、私は不要な子だったのだと思います。殿下の婚約者にはジュリエットお姉様、家門を継ぐのはエリオットで事足りていましたから」


「それは流石に卑下し過ぎだ、マリー。俺の大好きなマリーが不要な子だったなんて言わないでくれ」


 レオナルドはマリアベルの頬にキスをした。


「私はこうやって、愛に満たされる人生を送れるなんて夢にも見ていませんでした。殿下、ありがとうございます」


 マリアベルもレオナルドの頬へ、お返しのキスをする。


「はぁ、次は公爵か!分かった。マリーを悪く言ったら、俺が倍返ししてやる!!」


 レオナルドの一言にマリアベルの心は揺さぶられた。嬉しい気持ちが涙となって流れ落ちてくる。突然、大泣きしだしたマリアベルにレオナルドが動揺したのは言うまでもない。


 だが、平然としているようで、胸の中に沢山の傷を負っている愛しい人を守るのは、いつもどんな時でも俺でありたいとレオナルドはマリアベルの涙を拭いながら、決意したのである。

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