第22話 21 真実を知っちゃいました
屋敷の中に足を踏み入れたレオナルドは、玄関ロビーの洗練された雰囲気に圧倒される。王宮の絢爛豪華とは違い、シンプルで品の良い調度品とマリアベルが好きだと言っていたインプレッション派の絵画が数枚飾ってあった。足元もカーペットではなく複雑に組み上げられたフローリングで、満開のミモザの樹を描いたラグが敷いてある。
やはりどう考えても、王家に次ぐ力を持っている家門だと思うのだが、一体、何がどうしてこのような事態になっているのか、早く知りたくて仕方ない。
実はレオナルドはマリアベルと婚約者になった十日ほど前から、モディアーノ公爵家のことを調べていた。ところが相手は国内の大勢力と言われる二大公爵家の一家門である。その守りの固さはある意味、王家に匹敵すると言っても過言ではない。その証拠にレオナルドの情報網を持ってしても、未だモディアーノ公爵家の有力な情報は何一つ掴めていなかった。
また、横で騎士服を纏い凛と立つ婚約者がエヴァンス前将軍の愛弟子だったことも、マリアベル本人から聞かなければ、レオナルドは何も知らないままだったかも知れない。
「殿下、応接室はこちらです」
珍しくマリアベルの方から、レオナルドの手を取る。勝手が分からないレオナルドはそのまま手を繋ぎ、マリアベルの誘導へ素直に従って歩き出そうとした。と、そこで、後ろから何かに引っ張られる。振り返れば小さな貴公子が、レオナルドの肩マントの裾を掴んでいた。
「あのう、あなたは誰ですか?」
可愛い声でレオナルドを見詰めながら聞いて来る姿に既視感を覚える。初めて、マリアベルに会った日、彼女はこの目の前の小さな貴公子と同じ言葉をレオナルドに投げかけた。
「俺はネストリア王国、第一王子のレオナルド・ヴェル・ネストスだ。貴公の名は?」
「ぼくは、モディアーノ公爵家の長男エリオット・マルロー・モディアーノです」
「え、え、えええ!やっぱり、そうなの!?」
(最初に見た時から、まさかとは思っていたけれど!!そうなの!やっぱり、そうなのね!!えっ、父親は誰!?お父様じゃないなんてオチはまさか無いわよね??あ、でも名乗る時、モディアーノって言っていたわ!!あー、もう、ビックリしすぎて、何が何だか分からないのだけどー!!)
マリアベルの大きな叫び声にエリオットが目を丸くする。公爵夫人がエリオットの後ろからレオナルドに向かって大きく頷いた。マリアベルは茫然としている。
ポルトスは、レオナルドと目が合うとサッと視線を逸らした。まるで、おれは聞いていませんからと言うかのように・・・。ここの使用人たちは、いつかこうなることを分かっていたのか、全く動揺が見られなかった。
ともかく、詳しい話をここでするわけにはいかない。レオナルドは、マリアベルと繋いでいた手を放し、エリオットを抱き上げる。
「マリー、部屋まで案内を頼む」
「は、はい、殿下。こちらです」
まだ、動揺しているマリアベルは声が上ずってしまった。
――――――――――
応接室にはレオナルドとマリアベル、公爵夫人とエリオットの四人が入室。ポルトスは廊下で護衛をしますと固辞して、入室を拒否した。もうこれ以上、モディアーノ公爵家の内情には関わりたくないというのが、ポルトスの本音である。
しかし、レオナルドは近々、ポルトスを側近メンバーにしようと考え始めていた。ポルトスは博学でマリアベルとの相性もいいし、腕も立つ。いざと言う時も、ポルトスになら、マリアベルの護衛を安心して任せられるだろう。
そもそも〝自称恋愛マスター“(ホーリー)に、大切なマリアベルを任せるのは、どうも気が乗らない。何よりこの場で出しゃばらず、ポルトスが廊下で待機するという選択をしたことはレオナルドの信頼を強めた。だが、当のポルトスは自ら墓穴を掘ったということに、まだ気付いていない。
着席して、最初に口を開いたのは公爵夫人だった。
「この度は、モディアーノ領の騒動に駆け付けてくださり、ありがとうございます」
夫人は深々と頭を下げた。
「いや、大切な婚約者の家族のことだ。気にしなくていい」
(殿下ってば、またそんな甘い言葉を・・・)
レオナルドはかぶりを振った。公爵夫人はレオナルドのことを冷酷非情な王子と噂に聞いていたので、少し驚く。それと同時に夫であるモディアーノ公爵が“殿下は愛情深いタイプだ”と話していたのは真実だったのねと納得した。
「お母様、ご説明を!」
マリアベルは公爵夫人に早く諸々の説明をしろと催促する。もしかすると、自分以上に早く全容を知りたいと思っているのかも知れないとレオナルドは思った。
玄関ロビーでは元気の良かったエリオットも少し眠気がしてきたのか、ソファの背もたれに寄りかかっている。壁の掛け時計を見ると時刻は二十三時になろうとしていた。
「殿下、先ずはこれをご覧ください」
公爵夫人が一通の手紙をレオナルドへ差し出した。
レオナルドはその場で封を開き、中身を確認する。モディアーノ公爵からレオナルドへ綴られた手紙だった。そして、そこに書かれていたことは予想をはるかに超える話だった。
「夫人、これは・・・」
「殿下、次はこちらを」
公爵夫人は、分厚い資料をテーブルの上に置いた。レオナルドはそれを手に取り、ササっと数枚ほど捲って確認してから閉じる。
「これを公爵が俺に託すということでいいのか?」
「はい、主人はマリアベルが殿下の婚約者に選ばれた夜、こちらへ戻って来ました。そして、数日掛けて、その摘発書類を作成しました。娘の安全が確保出来たので、ようやく公表出来ます」
(二人は何の話をしているのかしら?エリオットは、寝オチしちゃっているわ。もう遅いものね)
マリアベルはエリオットの赤くて可愛い頬を眺めていた。そこへ、レオナルドが話しかけて来る。
「マリー、これは公爵と前公爵が長い年月をかけて調べ上げた“赤い蠍”の全容だ。彼らは大陸最大の地下組織と言われている。今まで各国で協力して捜査を行って来たのだが・・・。残念ながら、その正体はまだ掴めていない。奴らは今も麻薬取引・殺人代行・誘拐・奴隷の売買・武器販売・美術品の模倣など、多岐にわたる凶悪犯罪を繰り返している」
レオナルドは低い声で淡々と語る。マリアベルは“赤い蠍”のことをエヴァンス(将軍)から聞いたことあった。“赤い蠍”は時に自分たちの利益のために他国同志の戦争を誘発することも厭わない危険な組織であると。それ故、マリアベルはことの重大さを直ぐに理解した。
「殿下、それって、かなり危険な案件ですよね?」
「ああ、これを調べ上げるために、モディアーノ公爵家は最大限に警戒を高めていた。そうなのだろう?夫人」
「はい、その通りです。今のところ、主人が前公爵の意思を引き継ぎ、調査を継続していることを“赤い蠍”には知られていません。ですが念のため、レオナルド王子殿下の婚約者候補として存在を知られてしまっていたジュリエットを守りつつ、私たちは二人の子供たちの存在を隠し、弱点として狙われないようにしていました。前公爵の二の舞にならないようにと」
「それで、私を隠すような扱いをしていたの?」
「マリアベル、今まで話せなくてごめんなさい。でも、家族の命を奪われたくなかったの。いつか、今日のようなチャンスが来ると信じて、私もお父様もずっと準備をしていたのよ」
「このことを、お姉様は知っているの?」
「いいえ、知らないわ。ジュリエットはまだ本当のご両親が亡くなった時、赤ちゃんだったから」
(お姉様も知らなかったのね。それにしても、両親が大陸一の凶悪組織と戦っていたなんて言われても実感が湧かないわ。これで人々の暮らしが少しでも安全になるのなら今更、文句も言えないわね)
「分かりました。今までの事は気にしなくていいです。私もそんな凶悪組織は一刻も早く壊滅した方がいいと思うもの」
マリアベルが聞き分けのいいことを言っている横で、レオナルドは受け取ってしまった書類の重みを感じていた。これを調べ上げるのにどれだけの月日と労力が掛ったのか想像するだけで、公爵夫妻には頭が下がる思いだ。
「マリアベル、ありがとう。これからはあなたと沢山お喋りしたいわ。エリオットも、やっとこの屋敷から出してあげられるのね」
夫人の目から涙が零れ落ちた。マリアベルは母親にそっとハチドリの刺繍が付いたハンカチを渡す。エリオットは深い眠りに落ち、ソファの上に横向きで丸くなっている。
マリアベルもレオナルドも、こんな結末が待っているとは想像していなかった。受け取ってしまったモノがあまりに大きな案件過ぎて、なかなか言葉が出てこない。それでも、まだ警戒を緩めるのは危険だという話はしておかなければならない。
「夫人、マリー、水を差すようで申し訳ないが、この文書を国王陛下の元へ届けるまで、まだ安心は出来ない。実際に襲撃事件も発生している。敵にこの文書のことを嗅ぎつけられている可能性も高い」
(確かに、赤い蠍”クラスの集団なら、第二騎士団とここ(公爵邸)に襲撃を仕掛けて終わりと言うことは無いでしょうね。殿下はどうするのかしら?)
「マリー、無理をさせてもいいか?」
「はい?」
「王都に戻ろう」
「それは勿論、構いませんけど・・・」
「殿下―!ちょっといい?」
マリアベルが、レオナルドの意図が分からない質問に答えていると、天井裏から声が聞こえて来た。マリアベルと公爵夫人は驚いて、天井を見上げる。
「ああ、何だ?」
レオナルドは何の驚きも無く、天井裏の声を受け入れた。
(えっ?殿下、誰と話しているの!?)
「ルカ、許可する。降りてこい!」
「はーい」
スタッと舞い降りて来たのは、小柄な少年だった。
(ど、どこから出て来たの!?)
マリアベルは幽霊でも見たかのように怯える。レオナルドは震えているマリアベルの肩を抱き寄せた。
「大丈夫、ルカは俺の側近だ。幽霊なんかじゃないぞ」
励ます言葉に少し笑いが含まれているのを、マリアベルは聞き逃さなかった。
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