葬列車

羽場昴大は目を覚ました。どうやら電車に揺られる中眠っていたらしく、浅い睡眠から覚醒した時特有の頭痛がよぎる。

 兎にも角にも駅から降りなければと思い、あたりを見回す。電光板の文字いわく、次の駅は「極路(ごくじ)」であるようだった。極路は羽場にとってあまり馴染みのない地名だが彼の住んでいる県ではたまに名前が挙がる程度で、知り合いにも住んでいる人間は少なからずいた。

 通勤の際は当然家から最寄りの駅である「克洛(こくらく)」が極路よりも前にあり、会社とは逆方向にあるため羽場が訪れたことは一度もなかった。

 とりあえず極路に着いたら克洛方面の電車に乗ろうと思い、電車が止まるのを待っていた。が、どれだけ待っても着く様子がない。かれこれ30分程待っているが到着する気配がなく、窓をみれば確かに景色は変化しているようだった。

 住宅街、ビル群、そしておそらく自然公園の森と思われる景色が窓枠を通過しフィルムのように変わっていく。

 しかし生まれてこの方羽場の住んでいる都市でここまで到着するのに時間がかかるような場所はなく彼は明らかな違和感に襲われていた。

 とうとう我慢の限界に達し、羽場は車掌室に向かうべく前方の車両へ向かった。羽場は彼がが眠っていた号車が何番かは分からないが多くて数号車で到達するだろうと考えていた。

 しかしなかなか車掌室にすら着く気配は無い。羽場の記憶が正しければ彼は確かに十号車は練り歩いていた。

 やがて違和感は恐怖となり、携帯で助けを求めようとするも、圏外という絶望が彼の首を絞めることは容易いことだった。

 そして羽場は再び次の号車へ移った。これまでの号車と明らかに違ったのは人が乗っていたことだった。黒いコートを着た初老の男だった。

 思わず羽場は質問した。

「すいません、極路までってこんなに遠いんですか?僕ここらへんは電車で来たことがなくて…」

 すると初老の男は口を開いた。

「なぁに、もうすぐ着くさ。そんなことより心の準備は済んだのかい。腹を決めなきゃ一生泣くはめになるぞ。」

 こんな意味深なことを言われても羽場は首を傾げるだけだった。偶に電車には可笑しい人間がいるため羽場にとって初老の男は不審な人間の範疇に収まる人材に留まっていた。

 そしてまた、羽場は車掌室に向かった。2、3号車進むと今度は異常な光景が飛び込んできた。あたりは夜の森で、鼓膜には確かに電車の車輪がレールの上を走る音が聞こえてくるのだ。羽場はスマホのライトを頼りに、電車の戸の方向に向かっていった。

 二十秒経った時、茂みの中を右から後ろに何かが移動する音が聞こえた。

 思わずライトを向けると茂みの中から微かに、図体は分からないが確かに巨大な眼、そして瞳孔が羽場に獲物を狩る時の視線を向けていた。

 全ては分からなくともそこには"獣のような何か"がいた。

 羽場は硬直したが、獣からニャアと猫のような鳴き声が聞こえた瞬間、恐怖はピークに達した。

 さっきまで向かっていった方向に有り余る力を振り絞り、枝をかき分け全速力で走ると人工的な微かな光が彼の眼に映った。

 そこにはただ草木が茂る空間の中に次の号車につながる戸があった。

 急いでノブを触り、戸を開け、中に入る。

 こんな異常な事態を目の当たりにして羽場は発狂する寸前だった。

 絶望が彼の首を絞めるなか目の前には一縷の望みが流れ込んできた。

 次の号車に繋がる戸かと思っていたものの上に車掌室の文字が刷られた板が取り付けられていた。

 羽場は急いで車掌室の戸を開け、口を開いた。

「な、なんなんだ、この電車!俺はいつ家に帰れるんだ!あんたなんか知ってんだろ!」

 確かに車掌はいた。しかしそれを車掌と信じるにはあまりにも現実味に欠けていた。車掌の顔は紛れもなく羽場自信そのものだったのだ。

「お前、自分の過去を忘れたのか?お前は帰れねえよ。行くのは地獄そのものさ。」

 羽場にとって状況も含め発言の意味が理解できなかった。

 しかし、靄が晴れる様に、床の汚れが雑巾によって取れていくように記憶が蘇ってきた。

 羽場昴大は妻を殺した。

 羽場はここ最近、やたら帰りの遅い妻の浮気に気づきはじめはどうすればいいか分からなかった。

 妻本人は羽場が気づいたことを勘づいたうえで浮気を続けているのか、彼女自身の欲求不満は自分じゃ解消できなかったのか、そのような不安はやがて自責の念に変わり、相談できる相手がいなかったこともあり一周回って彼の心は妻への憎悪に変わっていった。

 ある日、妻と口論になった際、羽場はついに浮気のことを指摘した。妻は狼狽えている様子で、それを見た彼は今までの不安や懸念が現実だと知り、とうとう憎悪の末彼女を絞殺するに至った。

 現実逃避のつもりで彼は明日を選んだ。朝の通勤でホームに並ぶ葬列は彼を自殺と言う手段へと誘っていた。

 彼は勢いと我慢の限界で遂に、線路に飛び込んだ。そこまでが彼が覚醒するまでの新しい記憶だった。

「なぁ、俺はどうなるんだ…死んだのか?…」

「馬鹿言うな。自殺は死んだことにはならねえんだ。自分を殺して自殺になる。そうなったら行く先は地獄なんだよ。」

「だけどこんな、こんなことってあんまりだろ!俺は妻を愛していたのにあいつは…」

「でも人間、誰かを殺しちゃおしまいさ。おまけにお前は二人分殺したんだから地獄じゃ長旅になるぜ。」

「嫌だ、俺が地獄なんて!こんなの何かの間違いだ!ここから出してくれ!この戸を開けてくれ!」

 地獄行きの人間を抱えた列車から聞こえる悲鳴は果たして現実に届くのだろうか。やがて列車も、トンネルの中に消えていった。

 

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三文怪奇短編集  @Jack_hogan_88

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