あっちの世界とこっちの世界2
ユキオは黒い手袋を外し、綴に手を差し出す。
「……何よ」
「そんなに心底嫌そうな顔をしないでくれよ。“整える“だけだ」
「必要ないわ」
「どういう意味だい?」
「そのままの意味。もうこれ以上、その手はいらないってことよ。その言葉の通りね」
「……まさか、君は…――」
「この私ができないとでも思った?」
そう言って、綴は長く黒い髪をかきあげて、ユキオに頸を見せた。そこには、かつて埋めてあったはずのものがなくなっていた。代わりに、小さな古傷がある。
「あっちの世界と、こっちの世界の均衡を保つために、他人の手が必要なんて私にはいらないのよ。もう自分でできるから」
「これは驚いた……。もしかして稀月くんもかい?」
「いいえ、私だけよ。…自分でできる保証なんてなかったからね。安心して。稀月のメンテは私がやってるから」
「全く君は、いつも我々の上をいくね」
「どうも」
「じゃ、予定変更だ」
「――は?」
ユキオは大きく一歩踏み出し、綴に顔を近づけた。綴はその美顔が迫ってきて、思わずのけぞる。
「ちょ、うわっ!」
バランスを崩し後方に大きく倒れそうになったところを、ユキオが腰の位置を支えて止めた。ニタッと笑うユキオの顔が目の前いっぱいに広がる。
「協力してもらおう。綴」
「…え、ええ?」
……気まずい。
………え、ちょっまじで気まずい。
凪はちらりと横目で稀月を見た。綴とユキオが部屋を出て行って以来、稀月は何も話さない。今も何を考えているのか、じっとベッドに座ったままだ。
――なんだこの空気。鬼気まずい。俺はこれからどうしたらいいんだ。もしここを出られたとしても、きっと稀月と綴は今まで通り接してくれないだろうし、最悪今日で会うのが最後っていうのも可能性としてある。え、まじ、そんなことあんのかよ。だって俺たちついさっきの記憶まで普通に高校生してたんだぜ? ありえないだろ、マジで……――
「…まあ、なんつうか……今までありがとうな」
散々考え抜いた末、凪はお別れの言葉を告げた。
「小学校の頃からここまで仲が続いたのもなんかの縁だ。こんな形でキレちまうなんて…―」
「は? どうしたの、急に。怖いよ、凪」
「え……。あ、いや、ここは一つ別れの挨拶とかしておかないと後悔しそうだなって……」
凪が、そう返すと、ワンテンポ遅れて稀月は吹き出して笑った。
「はっはは。何言ってるの、凪。別に僕らここにきたからって一生の別れをするわけじゃないよ」
「え、だって……」
困惑する凪を見て、稀月は笑う。目元に浮かんだ涙を拭って言った。
「多分、僕らがここに連れてこられたのは“メンテ”のためさ」
「――めんて……?って、なんだ?」
凪は脳内で“めんて”という言葉を繰り返す。
「凪も見ただろう。僕は撃たれたのにも関わらず傷一つ残っていない。綴だってそうだ。それに綴のあのよくわからない言動。察していたと思うけど、僕たちは普通じゃないんだ」
凪は気を失う前のことを思い出した。
赤い鮮血が地面に染まっていく様子。綴は動かなくて、稀月も全く動かなかった。あれは確実に死に向かっている人間達の体だったはずだ。でも今はどうだ。稀月は傷どころか怪我を負った様子もない。綴もピンピンしている。
「お前達が、受けていた実験って……一体なんなんだよ」
「知りたい? あんまり良い話ではないと思うけど」
「……正直怖い。でも俺は、何も知らない方がもっと怖い」
「凪らしい答えだね。じゃあ少しだけ時間をもらうよ」
もらう?
意味深な言葉に疑問を抱きながら、凪は稀月の隣に座った。稀月は凪の額へ向けて手のひらを当てる。次の瞬間、凪の脳内に知らない記憶が流れ出してきた。
目まぐるしく場面展開していく知らない記憶に、乗り物酔いしそうな感覚になった。切り取った動画のようなものがいくつもいくつも入れ替わり立ち替わり脳内で再生される。その動画の中には、幼き綴と稀月がいた。他にも何人か子供がいる。大勢の大人と一緒に暮らしている子供達の姿。
パッと稀月の手のひらが額から離れ、凪は弾かれるようにして瞼を開けた。そのまま大きく後方へ大きく倒れ込み、ふかふかのベッドが自分の体を受け止める。
「……なんだよ、これ」
「口で説明するよりも先に、見てもらった方が早いかなって思って」
「どういうことだよ……。なんで、なんでお前達笑ってたんだよ。なんで楽しい記憶がいっぱいあるんだよ」
凪は震える声で言った。
そう。たった今見た動画――記憶――の多くは、楽しそうに笑う子供達の姿だった。白い建物の中を楽しそうに走り回り、泣いて、喧嘩して、普通の子供と変わらない日常だった。
「研究所とか実験っていうと悪いイメージがあると思うけど、僕らはその逆なんだ。むしろ、組織には感謝してる」
「……感謝って……」
「僕は生まれつき、両目が見えなかった。視力がないっていうよりも、視力っていう概念がなくて生まれた子なんだ。だから両親も手の施しようがないってわかって組織に僕を売った。正確にいうと“あげた”なんだけど、まあそこはどうでもいいや。視力のなかった僕が今ではちゃんと見えてる。それも研究所で実験を受けて、変わったからなんだ」
「何がどう変わったんだよ」
凪は振り返る稀月の目を見て聞く。稀月は両手の人無し指を出した。
「“向こうの世界”の僕と、“こっちの世界”の僕を繋げたんだよ。こっちの世界の僕にはないものを、向こうの世界の僕はもってる。ただ、普段それは閉ざされているから関わることは不可能なんだけど、ある手法を用いればそれを開くことができる。もちろん誰にでもできるわけじゃない。適正ってものがあるからね。僕はたまたまそれがうまくいって、視力を手にすることができたのさ。ついでになんか色々できる力もね」
「――ごめん、ちょっとSFじみててよくわかんないんだけど……、つまりなんだ。あれか。パラレルワールド的な自分と通じ合って、お互いの不良品を補うってことか?」
凪はなんとかついていこうと食らいつくが、その実。全然ついていけていない。稀月は少しだけ首を横に傾げた。
「うーん厳密にいうとちょっと違うんだけど、凪、“鬼門”って知ってる?」
「きもん? きもんってなんだ。疑問の濁点抜いた何かか?」
「凪、それ外で言わないでね……、恥ずかしいから」と稀月は頭を抱えた。
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