第一章

あっちの世界とこっちの世界


「いつまで寝てるんじゃいボケェええ!」


 聞き慣れた綴の声と、鋭い衝撃で凪は目が覚めた。脳天を勢いよく叩かれたため、涙が滲む痛さが体に広がる。声にならない痛みをあげて、周りを見渡した。16平方メートルの正方形の真っ白い空間の中に、ベッドが二つ。凪はそのうちの一つ寝そべっていた。状態を起こすと、目の前には、綴が。横には笑顔の稀月がいた。稀月の顔を見て、凪は勢いよくベッドから足を落とした。


「稀月! お前、怪我は!」

「治ってるよ」

「治って……る?」


「ほら」そう言って、稀月は服の裾を捲りあげた。細く引き締まった筋肉には、血どころか、怪我の痕もなかった。


「い、いやだってお前……」

「凪、時間がないから手短に説明するよ。僕たちが何を言っているかわからなくても、最後まで聞いてくれ」


 急に真面目な表情になった稀月に、凪は口を閉じた。


「色々聞きたいことはあるかもしれないけど、まずは巻き込んでごめん。僕もこうなることは予想してなかった。組織が変わってからは、全く接触がなかったから、奴らが組織の手下だとは気が付かなかったんだ。………僕と、綴は昔研究所に収容されてた子供だったんだ。僕と綴のように親のいない子供が多く収容されてて、毎日実験を繰り返されてた。実際、生き残ったのは僕らを含めて五人だけ。僕らは小学校入学を機に、外へ送り出された。日常生活を送る代わりに、実験で開発した成果をしるために、生活のデータを定期的に研究所へ送ってた。でも、僕と綴は、それからも逃げ出した。研究所の本部をぶち壊して、完全に組織を潰したつもりだったんだ」


「でも、うまくいってなかった」


 黙り込んでいた綴が口を開いた。凪は一気に流れ込んでくる情報を冷静に整理しながら耳を傾けた。綴は腕を組んだまま、壁に寄りかかって言う。


「完膚なきまでに叩き潰したつもりだった。でも失敗してた。あいつらは滅んだと思ってたから、あたしたちを追ってくる連中にも気がつけなかった。……残火があったんだ。あのクソ野郎が……」


 綴は目元を痙攣させた。怒りが心の底から湧き上がってくる。


「綴の言うとおり、僕らは失敗した。小さな残火を残してしまったんだ。僕らをここへ連れてきて、組織を立て直した男は、組織を立て直した張本人。僕たちも本当の名は知らないけど“ユキオ”って呼ばれてる。彼の目的は今のところ全くわからないけども、結論を言うと、巻き込んでしまってすまない。凪は僕らの事情に巻き込まれただけだ。多分すぐに、解放してくれると思う」


「肝心なことは、話してくれないのか?」


「凪ってバカじゃないでしょ。首を突っ込んで良いことあると思うの?」

「でも、俺だってお前たちの友達だ。そんな、一人でのこのこと帰れって…――」


「あたしたちがあなたのことを友達だと思ってたら、隠し事なんてすると思う?」

「綴、言いすぎだ」と稀月はいう。


「わからせてあげなきゃいけないのよ、こういう奴には」


 綴はズカズカと凪に近寄り、今度は冷ややかな目で見下ろした。凪はその目から視線を離したかった。

 でもできなかった。きっと…―――。


「あんたなんか友達じゃないって言ってるの」


 凪はグッと息を止め、唾を飲み込んだ。目を覚ました時からなんとなく空気が違うことは察していた。普段めちゃくちゃな綴も、どこかおとなしくて、稀月の笑顔の裏には何か隠していることがある。俺はきっと、そこには踏み込めない。見えない壁が作られてる。わかっていたはずなのに、改めて言葉にして言われると、凪は何も言えなくなった。言い返したくても、何も言えなかった。


「わかったら、さっさと帰る準備しなさい。新しい服、そこに置いてあるから」


 新しい服と言われ、凪は自分の着ていた服が自分のものではないことに気がついた。ドロドロに汚れた制服はなくなっていた。

 凪が服を着替えているとき、三人の間に会話はなかった。凪が着替え終わったタイミングを見計らっていたように、部屋の白いドアが開いた。


「やあ、高校生くん」

「げ……」


 凪と綴を撃った本人、ユキオが笑顔で入室してきた。


「巻き込んで悪かったね」


 全く悪気のない顔で、凪に語りかける。


「……俺に向かって、何撃ったんだよ」

「睡眠弾。大丈夫だよ。命に別状はないから」


 どうりでずっと眠たいわけだ。凪は頭の後ろをかいた。凪が部屋を退室しようとした時、ユキオは彼の胸元に手を当て、止めた。


「おっと。まだ出ていくのは許可できないな。僕は綴に用があるだけで、君たちはまだお話ししてて良いよ」


 ユキオは顎をクイッと動かし、部屋を出ていく。一呼吸おいて、綴は部屋を出ていった。再び部屋のドアが閉まり、残された稀月と凪は顔を見合わせた。


「……えーと、」


「ごめん。綴が言った言葉、本心じゃないから。僕も綴も、凪のことは友達だと思ってる。でもだからこそわかってほしい。友達だから、突き放すんだ。……大切だから」


「……うん」








「で、一体なんなのさ。あたしだけ呼び出して。あたしはあんたなんかに用はないんだけど」

「おっと、最初から喧嘩腰? やめてくれよ。僕は喧嘩する体力もないんだから」

「はよ喋れ、じじい」

「じじいでは断じてない!」

「どうでもいいし」

「――はあ、全く。君は昔も今も減らず口だね」


 綴とユキオ以外誰もいない真っ白い空間。綴は腕を組んだまま、ユキオのことを睨み続けていた。真っ白い空間を見ていると、昔を思い出す。研究所はどこもかしこも白い箱のような部屋しかなく、廊下さえも白かった。幼少期を研究所で過ごした綴にとって嫌な記憶は、ほんの一部しかないが、楽しかった思い出も、全てが嫌な記憶として思い出される。



全ては、あの日がきてしまったから…―――。

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