夏季うつ

清水霞

第1話

Dくんについて書く。

 というような書き出しの作品を読んだのを思い出したから、真似をしてみる。その作者も確か何かを真似をしてこう書き出したみたいなことが書いてあった気がする。僕は、その作品で初めてこの形式の文を読んだ。何番煎じかはわからない程案外この方式は用いられているのかもしれない。王道かどうかはわからないけれど、この形式の文章はマイナーではないのだろう。たまにぶつかるやつというか、まぁ少なくないというかそういう感じなのだろう。僕のなかでのDくんもこのような印象だ。人間千差万別、十人十色、百人集まれば百通りなんていうけれど、なんというかDくんはマイナーではないというか、なんどなく王道、テンプレートのような気がしてならない。そんな人。百人集まればもう一人ぐらい同じような人がいるんじゃないかな。

 僕がDくんと出会ったのは小学生の頃だ。確か小学三年生だったけな。同じ剣道の道場に通っていた。端的にいうとライバル的な存在だった。一方通行かもしれないけれど。中学三年生まで同じ道場、さらには同じ中学校で剣道の技術を高め合ってきた。まぁ逆に言えば、それ以上はほぼ無い。学校生活でも、日常でも彼と会うのは体育館。中学校を卒業したら数年に一度会うぐらい。でも、中学三年生までの彼の剣道に関してはお世話になっていた道場の先生の次に僕が詳しかったと思う。彼の剣道はそれこそ、王道。面が得意で前に攻める。マイナーなスタイルではないし、まぁ、試合会場に行けば一度は必ず見かけるスタイルであろう。そんな彼の剣道を僕は研究し続けた。身長が高くない僕は面で勝負するとどうしても勝てない。だから、技のレパートリーを増やし、変化球をここぞというところで出せるように専念した。王道には王道をといきたいが、王道には邪道を。これが僕のスタイル。先生にはもっと面を打てとか、もっと攻めろとか言われ続けた。そんな彼は剣道以外でも王道。試合で負けて悔しくて泣く。まぁそれは多くの人が通る道。しかし、これに人が群がる。少年漫画みたいになる。説明しがたいがあそこまで少年漫画みたいになるとある意味では珍しい光景なのかもしれないけれど、ある意味では王道。漫画家さん、ぜひ彼で一本連載をご検討ください。

 そんな記憶を僕はよく夏に思い出す。その頃の夏休みはずっと剣道だけをしていたし、試合が多かったから。暑さと湿気と汗のコンボが揃うとよく思い出す。でも、高校一年生で剣道をやめてしまったから、大学生になってからはよくあんなことやっていたな、もうあんな生活無理だぐらいしか思わなくなってきていた。D君になんてほとんど会わなくなったし、彼の記憶は濃いがそれだけ。ただの記憶になりかけていた。

 そんな、夏のある日、無性にナポリタンが食べたくなった。剣道をやめた僕は、喫茶店とか博物館とか小説とか、とにかく現実から、今から離れた何かがある空間と時間を愛した。ナポリタンはそれからはまった。あと、ピーマンをおいしく食べられるようになったのも関係している。家から一番近くのコメダ珈琲店に行った。一番近いと言っても、歩いて45分かかる。しかし、車の免許を持っていない私がナポリタンにありつくにはここしかない。都会に住んでいるわけではないから仕方がない。バスや電車を使えば、選択肢も増えるし体力的には楽だが、交通費を払うのが億劫だった。我ながら馬鹿だと思う。でも、どうしても食べたかった王道ナポリタン。

 店に着く。すると見知った顔があった。そう、Dくん。大学生になった彼はここでバイトをしているらしい。知らなかった。すごく嫌な気分だった。見知った顔があったと言ったが、正しくは聞き慣れた声があったのだ。僕はD君の「いらっしゃいませ」の一声でわかってしまった。彼だと。なんだかそれが無性に悔しくなった。だから、僕は一生懸命知らん顔をした。僕はナポリタンを食べにきただけなんだ。どうか、気づかないで。しかし、Dくんは普通に声をかけくる。なんだか急に頭が冷たくなる。汗が噴き出る。バイト中だからそれ以上の深堀はなかった。ここで声をかけてくるのも王道だと思った。僕のなかでは少年漫画王道のイメージの彼だからここで知らんぷりをしなかったり、僕に気づかなかったりしないあたりきっちりイメージ通り。まぁ、そんな彼のことなんて忘れて僕はナポリタンを頼んだ。ナポリタンを運んできたのは彼じゃなくて可愛い女の子。一安心。ナポリタンを食した。でも、たぶんもうこの店には行かない。あとで連絡は来たけれど。適当に合わせて、終わらせた。

最近ナポリタンを見かけては食べている。僕は車を運転できないから家から45分かけないとありつけないが、世の中案外ナポリタンに溢れている気がする。店ごとに味が違うとも言いたいが、これだけ溢れているとちゃんと意識して食べない限り差異に気づけないことが多い。ナポリタンを食べ過ぎて私の舌が可笑しくなったのだろうか。それとも、美味しいナポリタンを目指すと似通ってしまうのだろうか。独自という部分を重視して卵を乗せてみたり色々な工夫が施されるが、みな同じことを考えていたり、それを真似したりして結局どんぐりの背比べみたいになっている気がする。

 そうそう、ある時Dくんは、アイデンティティの消失を憂いていた。大学生になって剣道をやめてキャラがたたないみたいな感じのことを言っていた。それはないだろう。そんなに周りに人がいて、そんなことあるわけなかろう。彼は交友関係が広い。王道だから集まるのだろう。増えるのだろう。人気なのだろう。君が消失したのではなくて周りが同化したのだよ。君の王道の始まりが同化なのか否かはわからないが、僕が出会ったころにはもう割と王道であった君がアイデンティティの消失を憂うのは違うと思う。剣道をやっていようがいなかろうが君は王道だよ。それに気づけないのは王道だからこその性なのだろう。そしてそんなふうにアイデンティティの確立で悩むあたりも王道だ。

 そして、僕に「自分を持っていて良いな」と言う。このセリフは上記の理由でお門違いだ。それに、僕には王道は耐えられてない。僕は一生王道にはなれない。国宝をしまったケースは指紋でいっぱいだし、人気の遊具はぼろぼろ、ナポリタンは似たり寄ったりじゃないか。まぁ、だからこそ、このつぶやきなのか。

嫌な気持になると僕は庭へと逃げる。建長寺の庭。コメダ珈琲店で彼に会って色々思い出して、なんか嫌になって行った。庭をみていると落ち着く。風化と言う変化をある程度受け入れながらも、人が一生懸命手入れをして庭という状態を維持している。この手入れというのには技術がいる。木を手入れするのにも石を手入れするのにも、水をきれいにするのにも。これらは一人でするのは難しい。一人でするのは大変なのだよ。

 まぁ、言うなれば見える景色の差だよ。Dくん。僕からみれば王道の君は隣の芝生。青いね。そういうことなのだよ。

 僕にはDくんの本質など全くわからないのだけれどね。うん、わからなかったな。大人になった彼は何をしているのだろうか。

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夏季うつ 清水霞 @kasu3kan-

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