ディストピアムーンライト

浅倉 茉白

ディストピアムーンライト

 僕たちはいつも終わりに向かっている。

 生まれたら死ぬ命。

 でもそれで終わりじゃない。

 次に命を繋ぐ人もいる。

 だけど戦争や襲撃は終わらなかった。

 目に見える争いが減った場所も、心の争いは終わらなかった。

 環境破壊も続いた。災害の後、見捨てられたような場所もあった。

 王国ではなくても、権力を持った民が、わかりやすい悪ではなく、大きな何かにでも操られたかのような作動で、その土地を回した。

 それに逆らう人たちは無力ではないが、微力となっていった。


 しかし、それらもやがて終わる。

 あらゆることが無意味に感じられるようになっていったとき、僕たちに残ったのは「諦め」だった。


 どれだけ無意味に思えることでも、意味を信じた行動が、災いも平和も起こしてきた。


 ただ、それすらも終わりに近づいてきた。


 一部放置された高層ビルが朽ちてきている。そこにもう人は誰も住んでいない。緑は生い茂ってきて、人の衰退を皮肉にも感じさせる。


 僕はサプリメントを飲む。生かすのに便利。


 でもなぜ、こんな状況になってまで生きているのか? それはわからない。そもそも、自ら産まれようと思って産まれた意識は、自分にはない。


 親も死んでしまった。その日僕は、もはや誰からも呼ばれることはないであろう、名前を捨てた。



「カァカァ」


 こちらが勝手に相棒と見立てたカラスが、夕闇の空から、僕の足元へ帰って来る。くちばしの先には、虫のしっぽが一瞬見えて、それを飲み込んだ。


「お前は強いよな」


 そう言ってみたが、カラスは特に返事しない。


 夜になったら、大きな満月が僕たちを見つめてくる。


 二階の部屋の窓から少しだけ見て、見ないフリして、寝床に入る。部屋の隅でカラスも目を閉じる。



🌕



 朝になった。顔を洗う。サプリメントを摂る。特に語れるようなことはない朝。


 暇を感じて外へ出る。荒れた街並みだが、コンクリートの剥がれた土地を慣らし、野菜を育てている少年がいる。


 腐ったような世界でも、こういう景色を見ると、実は腐っていないのを感じる。


 僕たちはどれだけ弱くなろうと、生きていれば、少しの希望はあるのかもしれない。


 むしろ強さって何だ。強い方がよほど酷いことをしてしまう可能性もある。ただ、優しさを強くできる人もいる。



 どこかへ飛んで行っていたカラスがまた僕の近くへ戻って来た。


 このカラスには餌付けたりしているわけじゃない。ただ何となく友だちになりたいと思っていただけ。


 このカラスと出会ったとき、このカラスも群れていなかった。僕も一人だった。


 こんな関係はファンタジーのようだけど、このカラスと仲良くなりたいと思った感情は本物で。何か人にとって悪いことをしたとしても、話せばわかるやつなんじゃないかと一方的に思っていた。


「なぁ」


 そう呼びかけても、カラスは返事しない。


 いや、人間が相手だったとしても、いきなり「なぁ」って話しかけられてもわからないだろう。だからこのカラスはむしろわかっている可能性がある。



 昼になると、白い月が顔を出す。


 特に意味はないが、眩しい夜の黄金の月と違って、どこか昼間の月を見ることに抵抗はない。


 夜の月は何だか向こうから偉そうに見られている気がするが、昼の月はこっちが見てやっている感覚。出勤前の姿を見ているような。どんな表現だ。



 そんな月を見上げていたら、通りの向こうから、スーツを着た一人の女性が歩いて来るのが見えた。


 誰だろう。誰であっても関係ないけど。


 でも彼女は僕を見つけると、お辞儀してこう言った。


「すみません。わたし、るなって言います。月から来ました」



🌕🌕



「月から?」

「はい。今の地球の調査のために」

「そうですか。大して何も変わってないと思いますけど」

「でもまぁ、仕事ですから」

「そんな感じですか」

「こうやって言えるだけマシです。やってる風なことを言っちゃってるわけなので」

「そうですね」


 その人は微笑むわけではないけど、ちょっと口をとがらせ、冗談めかした顔を見せた。こういう僕みたいな、ちょっと突っかかってくる人の相手も慣れているのだろうか。


「でも一応聞きますが、どんな調査をされてるんです?」


「うーんとまぁ、かつて人類を追い詰めたウイルスが再び蔓延していないかとか、その他に状況は変化していないかとか」


「はぁ。でももう、地球は見捨てたんじゃないんですか? こんな荒れちゃってるし」


「見捨てたかどうか、わたしにはわかりません。今の地球を見たいという旅行者もいます。まぁ、その人たちがそこで何を感じているのかも、わたしにはわかりませんが」


 その人は、わからないことはわからないと言う、正直な人だった。


 だからこちらからも彼女に聞いてみた。


「るなさんには、今の地球はどう見えますか」


「え? そうですね。少し難しいです。わたしには、こうなる前の地球の方が想像の世界ですから」


「僕だって、こうなる前の地球はあまり知りません。ただ、住み続けているだけで」


「そうですか。ところで、このカラスはいったい」


 るなさんが僕の足元にいたカラスに気づくと、カラスは「カァ」と鳴いて黒い羽を広げた。飛び立つわけでもない、謎のアピール。


「こいつは、カラスです」


「まぁ、それは見たらわかります。あなたに懐いているんですか?」


「うーん。僕の方が懐いているのかもしれません」


「はぁ。不思議なものですね」


「まぁ楽しくやってます。では、そろそろいいですかね」


「いやちょっと待ってください。まだ本題も聞けてませんし、それに」


 本題? 地球の調査が本題なんじゃないのか。僕に言えることはもう特にない。


「あなたの名前を教えてください」



🌕🌕🌕



「名前……ですか? なぜそれを聞くんです?」


「調査の基本ですから。個体識別のためでもあります」


「個体識別?」


「人は、顔や声が同じでも、名前が違ったら同じ人だと気づかなかったりするんです。だから、名前を教えてほしいんです」


「えー。でも、名前は捨てちゃいました」


「えー!? そんなことってあるんですか。どうして」


「うーんと。なんかその方がカッコいいかなって」


 本当の理由は伏せて話した。いや、本当の理由も実はそんな感じ。今の自分に何も存在意義を感じないとか、名前を呼び合える相手がいなくなったとか。


 そういう、もっともらしいことは言えるけど、実際はなんか名前を捨てたっていう、その感じがカッコいい気がするからかもしれない。つっても、誰かに名前を捨てたと打ち明けることになるとは思ってなかったけど。



「はぁ、そうですか。でも困ったなぁ、調査書に書けないし。まぁ本当は調べたらあなたのデータくらい見つけられるでしょうけど、面倒なのでこちらから名付けてもいいですかね」


「えぇ!?」


名無太郎ななしたろうにしましょう」


「それ、そちらが適当に名付けたってバレませんか。そんな人データにもいないでしょうし」


「もう、適当でいいんですよ。やってる感に対してやってる感で合わせてるだけなので。やらない方がいいことを真剣にやるよりマシです」


「まぁ、そうですね。にしても適当な感じ」


「ですね。だって言わば、終わってしまったものを放置して、ただ生き続けてるだけですもん」


「うん。でもこっちも、同じ感じ。ろくでもない」


 あれ。不思議な言葉が口から出た。何もかも諦めたはずなのに。「ろくでもない」なんて。


 そりゃそうか。あるにはあるのか。諦めたと言っても、どこか満ち足りていないような気持ちが。この人と話すまで、忘れていたような気がする。


「ところで、なのですが」


 るなさんが神妙な面持ちで聞いてくる。


「何ですか?」


「何か食べられるものってあります? 現地調達したいなと思ってて」


「あー。そうだ、あそこの少年が野菜を育ててるので、聞いてみたらいいんじゃないですかね」


 さすがに、ここでサプリメントをすすめるのは良くない気がした。ついでに野菜と言葉にしたら、自分も何かしら食べたい気がしてきた。


「それじゃあ、聞いてきます。ご協力ありがとうございました。の前に、最後もう一つだけ」


「はい?」


「月と違った、地球の良さって何だと思いますか? これは、わたし個人の質問です」


 それを聞かれたとき、なんかまた、カッコつけたくなったのかもしれない。この人の前だと、自分の知らない自分が出てくる気がする。こう答えた。


「月が綺麗に見えることじゃないですかね」


 月なんて、そんなに好きじゃないのに。


「なるほど。月からも、地球は綺麗に見えますよ」



 夕方。カラスは飛び、その後また戻って来た。


 僕は、カラスが戻って来るまでの間、るなさんと少年と食事をした。


 そしてまたそれぞれ別れ、僕は部屋から珍しく夜の月を見ていた。


 また会えるかな。もう会えないかな。

 一生のうち、こんな思いができただけマシか。


 カラスが目を閉じる。僕も目を閉じる。次、目が覚めるときもきっと、名無太郎として目覚めてしまうんだろう。適当な名前だけど。

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