第34話 花火大会

「二人とも可愛い〜っ」


 浴衣を着た茜と翼の姿を見て、茜の母親が満面の笑みを浮かべる。

 一時間前、翼は着付けを頼むため、浴衣を持って茜の家を訪ねていた。去年までは雫の前任である家事手伝いの女性に頼んでいたが、着付けの経験などないだろう雫にやらせるのは気が引ける。日向ではなく茜に頼んだのは、茜の家の方が花火大会の会場に近いという理由からだったが、告白を控える日向には心の準備をする時間が必要だろう。茜に頼んだのは結果的に正解だったかもしれない。


 翼は白地に淡い紫や青の花が描かれた浴衣を纏い、帯は花の色より少し濃いめの青、髪はハーフアップにまとめていた。

 一方の茜は、こちらも白地に花柄の浴衣ではあるが、色は翼と対照的で、名前によく似合う暖色の花があしらわれていた。肩に少しかかるくらいのショートヘアは、スタイリング剤とピンで軽くアレンジされている。

 恋人と行くわけではないので、二人とも簪などの派手な装飾品は身につけていなかった。


「準備できたか?」


 母親の声が聞こえたのか、現れたのは先に準備を終わらせていた茜の弟、蒼だった。


「お〜二人とも似合ってんじゃん」


 黒い生地にトンボが描かれた浴衣を着て、蒼が言う。

 二卵性双生児の茜と蒼だが、二人はよく似た姉弟だ。翼ほどではないにしろ十二分に整った顔立ち、高身長で細身の身体、癖のないサラサラの黒髪、趣味嗜好、そしてなにより纏う雰囲気がよく似ている。高校生らしからぬ色気を持つ二人は、六人の中でダントツの恋愛経験を誇っていた。


「準備できたんなら行こうぜ。そろそろいい時間だ」


 蒼が壁掛けの時計を見上げながら言う。

 茜母に着付けの礼を言い、財布とスマホ、ハンカチなど必要最低限の荷物を持って坂本姉弟と家を出た。

 日が沈んだ空の下、ゆっくり花火大会の会場へ歩き始める。


「あぁそうだ」


 雑談を交わす中で、思い出したように茜が蒼を見た。


「今日さ、日向と光樹を二人にさせたいんだけど、男子陣も協力してくれない?」


 日向が告白するから、とは言わずに用件を伝える。茜の弟といえど日向が女子グループで話したことを勝手に言う訳にはいかない。それにわざわざみなまで言わずとも、蒼も察してくれるはずだ。

 

「ああ」


 案の定、蒼は特別驚くことなく、こちらの言いたいことを理解したようだった。


「わかった」


 口角を上げ、とうとうあいつらがね〜と嬉しそうに口にする。

 青と紫のグラデーションに彩られた空は雲ひとつなく、今夜は花火の映える夜になりそうだった。




 待ち合わせ場所には、すでに他の三人が浴衣姿で待っていた。


「みんな終業式ぶりだな!」


 全員が揃ったところで元気よく言ったのは光樹だ。いつもは無造作なツンツン髪が、今日はワックスでほどよくセットされている。

 その隣には、固い表情を浮かべてそわそわしている日向の姿があった。緊張しているのだろう。だが格好は気合十分で、美容室に行ってセットしてもらったというお団子ヘアが活発な性格の日向によく似合っていた。


 二人と一緒に待っていたもう一人──菊池和也きくちかずやは、気まずかったのか「遅せぇよ」と言いながら蒼を小突いている。明るい髪色の癖毛が、黒髪の蒼と並ぶとより強調されて見えた。


「そんじゃま、とりあえず屋台のほう行くか!」


 光樹が親指をピッと背に向ける。

 毎年八月に行われているこの花火大会は、海岸沿いの道路を通行止めにして約一万発の花火を海上に打ち上げる。車の通らなくなった大通りは左右にずらりと屋台が並び、その間を見物客が道路を埋めるように集まっていた。

 

「場所取りは今年もなしでいい?」

「いいっしょ。そんなガチで取らなくても綺麗に見えるし」

「私もなしでいいと思います」

「おけー」

「とりあえずなんか食おうぜ」

「お腹空いた〜」


 会話をしながら屋台の並ぶ交通規制エリアに入る。人口密度が一気に上がり、気を抜くと簡単に仲間を見失いそうだった。


『最初はみんなで屋台を回って、心の準備が出来たら日向が合図をする』


 昨日の夜、日向とはそういう手筈で話をつけている。蒼には「分かれるタイミングは女子陣に任せてくれ」と言ってあるので、光樹と和也がよっぽど空気の読めない男でない限り、実行はそう難しくないはずだ。

 花火が上がるまで約一時間半。時間にはまだ余裕がある。


 屋台の並ぶ通りをゆったりした歩調で進みながら、六人は気になった屋台を覗いていった。翼と茜はりんご飴を、光樹と和也が唐揚げを買い、蒼は何故か狐の面を買って頭に斜めに付けていた。

 いつも女子の中で一番食べっぷりのいい日向は、緊張で食欲がないのかまだ何も口にしていない。


「…………」


 半分ほど食べ進めたりんご飴に口をつけていると、前を歩く日向から翼と茜へアイコンタクトが飛んできた。

 心の準備ができたという合図だろう。


「あーみんなごめん。あたしちょっと戻っていいかな」


 あらかじめ決めていたセリフを日向が口にする。


「さっき通り過ぎた屋台のたこ焼き、やっぱ食べたいなーって」


 若干声に緊張が滲んでいるが、事情を知らない光樹や和也には気づかれない程度だろう。

 あとはこちらが背中を押すだけだ。


「おっけ。じゃあ──」

「俺が一緒に行くよ」


 茜の声に被せるように、同伴を申し出たのは光樹だった。

 こちらがわざわざ「一緒に行ってあげなよ」と光樹を名指しするまでもなかったらしい。


「たこやき買ったら追いかけるから」


 そう言って、光樹と日向が四人から離れていく。

 日向が勇気を出すことができれば、二人はもうこちらに合流することはないだろう。


「上手くいったね」


 光樹と日向の背が見えなくなったところで茜が言った。


「今日はもうこちらには来ないでしょうね」

「え?」

「だな」

「え、なにどういうこと?」


 何も知らない和也が三人の顔を忙しそうに見回す。蒼が事情を説明すると「あぁそういうこと!」とすぐに納得した。


「じゃ、俺らは四人で楽しむか」


  花火が打ち上がるまでまだ時間がある。心の隅で二人を気にかけつつ、四人は屋台の並ぶ道を進んでいった。


「あ、射的やりたい」


 屋台には食べ物以外にも射的やくじ引き、金魚すくいといった娯楽系のもの多くあり、時間を潰すには事欠かなかった。

 りんご飴と焼きそばで腹を満たし、茜の射的に付き合い、その場のノリでお面をそれぞれ一つ買って、視界を塞がないよう蒼にならって頭に斜めに取りつけた。


「あ、あれ瑞希みずきたちじゃない?」


 屋台を一通り見て回った頃、 遠目に知った顔が見えた。同じ高校の同級生たちだ。


「まぁけっこう来てるやつらいるよな」

「毎年誰かしらに遭遇するよね」

「知り合いカップルを見かけた時とかかなり気まずい……」


 ここらの地域で一番規模の大きい花火大会ということもあり、夏休み中の中高生の姿は非常に多い。気づいてないだけで、今見かけた同級生の他にもすれ違った友人知人はいるだろう。


──もしかしたら、ハルも……。


 ふとそんなことを思う。

 可能性は、そう低くないはずだ。

 もし来ているとしたら、一体誰と……?

 

『誰かに取られてから後悔するんじゃダメなんだ』


 日向の言葉が脳裏に蘇った。


「翼?」


 茜に名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。


「もうすぐ花火の時間だから、向こう行くよ」


 空はすっかり夜の闇に覆われて、いつ花火が打ち上がってもいい頃合いになっていた。打ち上げの時間が近づいてきたからか、屋台の並ぶ通りから砂浜へと移動する人の姿が多く見える。


「日向、合流してこないってことは告白上手くいったのかな」

「いってる……と思いたいですね」


 思考を切り替えて、移動を始めた三人に付いていく。やがて硬いコンクリートから柔らかい砂へと下駄の感覚が変わった。


「この辺でいいだろ」

 

 砂浜を三分の一ほど進んだところで横一列になる四人。もっと前へ行くこともできるが、波打ち際に近づくほどレジャーシートを敷いた家族連れが多くなる。立ち見ならこのあたりが人との間隔もそれなりにあってちょうどいい。


「始まるね」


 茜が言った数秒後、笛のような音とともに最初の花火が打ち上げられた。

 鮮やかな赤の大輪が夜空に咲く。

 それを皮切りに、次々と花火が海上の空を彩っていった。

 花の開花さながらの王道の花火から、ぱちぱちと泡が弾けるような花火、枝垂れ桜のように下へと落ちていく花火と種類も様々で、見ていて飽きることがない。


──ハルも今、同じ光景を見ているでしょうか。


 気づけばまた、そんなことを考えている。

 浴衣姿のハルと花火なんて絶対美しいに決まっていた。

 周りの人間が目を奪われるのは、花火じゃなくてハルかもしれない。


『あいつの隣で花火を見るのはあたしがいい』


 日向の言葉を再び思い出す。

 茜らと見る花火が楽しくないわけじゃない。

 ただ、ハルの隣で花火を見上げる誰かがいる光景を想像したくなかった。

 今ここに彼女が来ているのかすらもわかっていないのに。


──……私は。


 花火が打ち上がるたび、昨日の通話から考えていた可能性が現実味を帯びてくる。

 自分が抱くなんて微塵も思っていなかった気持ちの名前が、たしかな輪郭を持って頭の真ん中に鎮座していた。

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