第35話 恋
絶え間なく花火が打ち上がる怒涛のラストスパートを終えて、止まっていた人の塊が動き出す。
その場でしばらく余韻に浸ったあと、四人の間にも解散の雰囲気が流れた。
「俺らもぼちぼち帰るか〜」
そう言って歩きだそうとする和也を「ちょっと待て」と蒼が止める。
「光樹と日向の状況確認するわ」
「あ、そっか」
二人がこちらに合流しないにしても、帰る前に一言メッセージを送っておいたほうがいいだろう。
茜と蒼が巾着からスマホを取り出して、翼が茜の、和也が蒼の画面を覗き込むようにして見た。
「「「「おぉ……!」」」」
女子グループ、男子グループにそれぞれ届いたメッセージを見た四人の歓喜が重なる。
『告白成功した……!二人ともありがとう泣』
『日向と付き合うことになった』
無言で顔を合わせた茜と蒼が、流石双子といった動きで同時に親指をグッと立てる。
「これで安心して帰れるな」
「ようやくくっついたか〜」
「めでたいですね」
「私ら良い友達すぎないかこれ」
調子のいい会話をしながらニコニコ顔で歩き出す四人。このメンバーが集まった時の話題はしばらくあの二人のことになりそうだ。
家が反対方向の和也とはすぐに分かれて、屋台の並ぶ通りを三人は歩いていく。
交通規制解除まであと二時間あり、屋台の照明はまだまだ夜道を明るく照らしていた。
「あれ、蒼……お面はどうしたんですか?」
何気なく隣に目を向けたら、蒼が頭に付けていた狐のお面がなくなっていた。
「ん? あれ?」
「落としたんじゃないの?」
「あーさっき人にぶつかった時かも」
左耳の上あたりをまさぐりながら蒼が言う。どうやら心当たりがあるらしい。
「ちょっと先行っててくれる? 探してくるわ」
「お面くらい別にいんじゃない? 別に高いものでもないし」
「まぁそうだけど。道路に転がってゴミになってたらよくないっしょ」
「それもそうか」
そこまで思い至らなかった、という顔ですぐに納得する茜。
「少し探して見つかんなかったらすぐ戻ってくるから 」
「りょうかーい」
「なるべく人多いとこにいろよ」
「わかってるわかってる」
早く行ってこい、と言いたげに茜が手を振って、蒼は今きた道を戻っていった。
「一緒に行ってあげてもよかったのでは?」
「いやぁこの人波に逆らっていくのそこそこ大変だよ」
任せとけばいいよ、と双子の姉が言うのなら、自分から言うことは何もない。
「にしても、ほんとカップル多いなぁ」
ちょうどすれ違った男女をチラッと見ながら茜がつぶやく。石を投げればカップルに当たる、は少し大袈裟だが、常に数組は視界にいた。
「まぁ、花火大会ですからね」
「その辺に日向と光樹いたりして」
「いたらどうするんです?」
「それはもう……駆け寄って盛大に祝うんだよ」
「茶化すんですね」
茜がニヤニヤしながら二人を囃し立てる様が目に浮かんだ。ラインと引き際はきちんとわかっている人間なので心配はしてないが、今日はできれば止めてあげて欲しい。
「いいなー私も恋愛したーい」
「先月まで彼氏いたのに?」
「だって友達同士が付き合った上に周りカップルだらけだよ? 恋愛したくなるでしょ」
茜と蒼は同世代と比較して飛び抜けた恋愛経験を持つ。整った容姿に加え、恋愛を重く捉えすぎないこのスタンスが大きな理由だろう。
「実はさ、密かに狙ってる子がいるんだよね〜」
このセリフを聞くのも当然、初めてじゃない。
別れてまだそれほど時間は経っていないが、破局三日後に新しい恋人ができていた時にくらべれば可愛いものだ。
次は年上か、年下か──。
そんなことを悠長に考えていた。
「──望月ハルちゃん」
だから、茜の口から出てきた名前を頭が理解するのに少し時間がかかった。
「……え?」
ようやく出た声はそれだけで。
「たぶん恋愛経験ないよねあの子。純粋そうだし、キス以上のこと絶対したことないと思う。そういう子を落として、私のことしか見えなくするの本当に最高なんだよね。顔も国宝級だし」
追い打ちをかけるように、耳を塞ぎたくなる言葉が次々に流れてくる。
──聞きたくない。
理解したくない。頷きたくない。聞き間違いであって欲しい。
けれど、一度聞いてしまったらもうダメだった。
この先本当になるかもしれない妄想が、頭の中に浮かび上がってくる。
大切な友人と後輩が──付き合って、キスをして、その先まで。
黒い感情がふつふつと湧き上がって、紙に零した墨のごとく胸の内を占領していった。
──……あの時と同じ。
この感情を自分は知っている。
ハルに血を吸われ、最低な態度で望月家を飛び出したあの日と同じ。
ハルが自分以外の誰かから血を吸う想像に、涙を流したあの時と同じ。
──嫌だ。
気づけば、半歩前を歩く茜の手を掴んでいた。
「……あ」
瞬間、我に返って手を弛める。
茜は少し驚いたように顔をしたあと、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「翼、見たことない顔をしてる」
「……え?」
「そんなに嫌なんだ。誰かにハルちゃん取られるの」
別人のように穏やかな声を出す茜に、返す言葉が出てこない。
「場所変えようか」
屋台の並びが途切れた交通規制エリアの末端。
歩道と砂浜を隔てる高さ一メートルほどのガードパイプに軽く体重を預けて、二人は帰路に着く見物客を眺めていた。
人通りは申し分なく、一番端の屋台がすぐそこにあるため蒼にも場所を伝えやすい。人を待つには適した場所だろう。
「……友達相手に、こんな風に独占欲を抱くのはおかしいと思いますか」
沈黙を破ったのは翼だった。
自分の左腕を抱いて、消え入りそうな声で茜に問う。
「なんでそんなこと聞くの?」
茜の声音は優しくて、けれどその顔を真っ直ぐに見ることができなかった。
「……昨日、日向の話を聞いて思ったことがあるんです」
自分の下駄の先を意味もなく見つめて、言葉を選びながら話し始める。
『あいつの一番はあたしがいい』
日向からその言葉を聞いた時、自分の気持ちを言語化されたような気がした。
そして日向は、その気持ちを光樹への恋愛感情だと認識している。
「私がハルに抱いているのは、日向が光樹に向けている気持ちと同じなんじゃないかって」
「…………」
「でも……確信が持てませんでした」
二人との通話を終えたあと、そのままベッドの上で考えた。
自分の気持ちは本当に日向と同じものなのだろうか、と。
答えは──わからない、だった。
「相手が異性だったら、早々に恋だと判断したかもしれません。けれどハルは同性です。私の今の気持ちが、友達としてハルの一番でいたいのか、恋人関係を望んでるのか……判断がつかない。決定打がない」
「…………」
翼はそこでようやく顔を上げ、黙って聞いていた茜の目を見た。
「……茜は、女の子と付き合ったことがありますよね」
自分が両性愛者であることを、茜は翼と日向にカミングアウトしている。
直近の恋人は男性だったが、去年の夏頃には年上の女性と付き合っていたはずだ。
「同性相手への友情と恋愛感情を、どう区別していますか」
昨日の夜、ずっと考えていたことだった。
誰かに聞くにはややセンシティブな内容に、いくら当事者の茜といえど聞くのは気が引けたし、今の今まで聞く気もなかった。けれどここまできたら、もう聞かずにはいられなかった。
「私は簡単だよ」
悩むことなく、茜はすぐに口を開いた。
「その子と性的なことをしたいかどうか」
からかいなど一切含まない、真剣な眼差しと声が返ってくる。
「……やっぱり、そこで判断する人は多いですよね」
本音で答えてくれた友人に感謝しつつ、翼は難しい表情を浮かべた。
自分で考えてみても、ネットで調べてみても、茜の答えが翼の中で最有力だった。
相手に対し性的欲求がなければ友情、性的欲求があれば恋愛感情とする判断方法だ。
「翼は、ハルちゃんとそういうことしたいとは思わないの?」
茜の当然の問いに、翼は「わかりません」と首を横に振った。
「そういう行為に縁がなさすぎて、自分が誰かとする想像ができないというか……その時になってみないとわからないうか」
「あーなるほどね」
「やっぱり、そこをハッキリさせないと難しいでしょうか……」
「いやーそんなことないと思うけど」
「え?」
予想外の返事に目を丸くする翼へ、茜はあっさりした口調で説明を始めた。
「たしかに、友情か恋愛感情かを性的欲求欲に絡めて判断する人は多いと思うよ。実際私もそうだし。でもそうじゃない人もいるわけじゃん」
正面を通り過ぎ、会場を去っていく人らを眺めながら茜は続ける。
「四六時中その人のことを考えてしまうことを恋とする人もいれば、相手に自分以外の恋人ができるのを嫌と思う気持ちを恋とする人もいる。性的欲求はないけど恋愛感情は抱くセクシュアリティの人だっている。恋の定義は人それぞれなんだよ」
だから、と茜は視線を翼に移した。
「翼のその気持ちを友情だとか恋愛感情だとか、私や他人がどうこう言えることじゃないし、私らの判断基準をそのまま自分の基準にするべきでもない。翼が自分で判断しなきゃ」
結局最後は自分なのだと、幾つもの恋愛を経験してきた茜は言う。
恋愛のれの字も知らない自分がネットで調べただけの知識より、実体験を伴う茜の言葉にはたしかに説得力があった。
だが──。
「まぁ、自分で判断できなかったから今こうなってるんだろうけど」
「わっ」
見透かしたように言って、茜はぷにっ、と指先で翼の頬に触れた。
「難しく考えすぎなんだよ、って言いたいところだけど、翼は私と違って真面目ちゃんだから、きっとそうもいかないんでしょ」
「…………」
「ま、もうちょっとゆっくり考えてみたら?」
頬から指を離して、朗らかに茜は言う。
「翼にとってハルちゃんはどういう存在なのか、友達と好きな人どっちがしっくりくるのか、自分にとって恋とはなにか。色んな視点から考えてみなよ」
「……そうですね」
冷静に考えたら、自分の気持ちが恋愛感情かもしれないと気づいてからまだ一晩しか経っていない。茜の言うように、もう少し考える時間があってもいいかもしれなかった。
──どういう存在、か。
改めて考えてみる。
自分にとって、望月ハルはどんな存在か。
周りの喧騒が遠のいて、頭の中にハルの顔が思い浮かんだ。
──例えば。
外で野良猫を見つけたとき、彼女に見せるためだけにシャッターを切るとか。
目玉焼きを作ったとき、綺麗に焼けたほうを彼女の皿に乗せるとか。
赤信号の待ち時間、今何してるかなと彼女の顔を思い浮かべるとか。
自分にとって、望月ハルとはそういう存在である。
そんな彼女のことを、自分は友達と好きな人、どちらで呼びたいのだろう。
「あぁそれと」
思考の海に沈む直前、茜の声が翼を現実に引き戻した。
「途中から完全に忘れてただろうけど、私がハルちゃんのこと狙ってるってのは嘘だからね」
「え? ……あ」
茜の言葉を理解するのに数秒を要す。
今の状況は、元はといえば茜が「ハルを狙っている」と発言したゆえのものだ。もしその言葉が本当だったら、「望月ハルのことを好きかもしれない」と悩む翼に茜がアドバイスするのはお人好しがすぎる。
「でも、どうしてそんなことを……?」
「だって、これぐらいしないと翼は相談してくれないでしょ?」
私に隠し事なんて早いと、そう言わんばかりの得意げな表情だった。
「ここ最近、メッセージでも通話でも元気なかったからさ。なんかあったんだろうなーと思ってはいたんだよね。昨日通話するまでは、まさか恋愛関連だとは思わなかったけど」
「昨日……」
「わかりやすかったよー翼。日向が乙女チックなこと言うたびに黙っちゃうんだもん」
「う……」
「別に恥ずかしがらなくていいのに〜」
照れる翼を見て茜が口角を上げる。
恥ずかしい、こそばゆい、けれど茜に相談できてスッキリもしているような、自分でもよく分からない感情だった。だが、悪い気分ではない。
「! ねぇあれっ!」
「?」
いきなり肩を揺すられて、どうしたのかと茜の顔を見た。
抑えられた声には興奮がはっきりと滲んでいて。
「ハルちゃんじゃない?!」
茜の視線に導かれるように目を向けた先。
屋台の通りを抜けてくる、一人の吸血鬼がいた。
「──────」
いつぶりだろう、とか。
桜柄の浴衣が綺麗、とか。
一人で来たのか、とか。
そんなことを考える余裕もなく。
ただただ目を奪われる。
彼女の周りにはまだ大勢の人がいて、なのにそこだけが光を放って見えた。
濃紺の空に輝く月が、人の姿をして歩いている。
「……わ?!」
視界を唐突に遮ったのは、頭に付けていたファンシーなキャラクターのお面だった。
「茜……? なにを……」
「翼のそんな顔、公衆の面前にさらけ出せないでしょ」
無理やり被せてきた本人は、娘に手を焼く父親のような表情で言う。
自分は今どんな顔をしているのだろう。
頬が熱いこと以外、何もわからなかった。
「…………」
何気なく触れたお面の、無機質な冷たさが少しだけ頭を落ち着かせる。
お面を外し、遠ざかっていく桜柄の背を見つめながら考えた。
──恋の定義は人それぞれなんだよ。
──翼が自分で判断しなきゃ。
なら、私は。
「茜」
「ん?」
「私……好きな人ができたみたいです」
彼女を見て締め付けられるこの胸の気持ちを、ひとまず恋と名付けよう。
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