第33話 思い浮かんだのは
花火大会前日の夜。
いつも無愛想な顔からさらに愛想を削ぎ落とした無の表情で、慎吾が外履きに履き替えている。
その様子を、迎えにきた水野が慎吾のノートPC片手にニコニコと監視していた。こんなに楽しそうな水野を見たのは初めてかもしれないと、玄関まで見送りにきた翼は思う。
「本当に実家まで着いてくるのか」
立ち上がり、静かな声で水野に問う慎吾。
「当たり前でしょ」
迷う間もなく水野は即答する。
「タクシーで一緒に行って、家の中入るまで見てから帰るから」
「暇な奴だな」
「誰が暇か」
慎吾の失礼な発言も水野は笑って受け流す。慎吾が誰かと話す時は失言しないか毎度ヒヤヒヤする翼だが、慣れた水野が相手ならその心配もない。かといって、水野にならなんでも言っていいわけではないのだが。
「あ、そういえばさ」
水野が思い出したように翼を見た。
「この前の大雨のときのバイトちゃん、大丈夫だった? 泊まっていったって聞いたけど」
「あぁ」
三日前ゲストルームに雫を泊まらせたことは、一応家主の慎吾には理由とともに報告している。そこから水野へ伝わったのだろう。
「夜は雷への怯えが酷かったですが、翌朝晴れた空を見てケロッと帰られましたよ」
「そっか。それならよかった」
慎吾に報告したときはまったく興味もなさそうだったのに、水野がこうして気にかけてくれるともうどっちが父親なのかわからない。
「そんじゃまぁ、そろそろ行きますか」
夜遅くならないうちに、と時計を見ながら水野が言う。時間は二十時を過ぎたところだった。
「翼ちゃん、悪いけど慎吾連れてくね」
「……行ってくる」
水野が慎吾の肩に手を置き、暗く覇気のない声がそれに続く。
「何かあったらすぐ連絡して。慎吾が出なかったら僕でもいいから」
「わかりました」
「仕事ができないんだから流石に出れるよ」
「信用ないんだよなぁ……」
水野の言葉に翼はこくこくと頷いた。執筆中に慎吾が電話に出ることは極めて珍しく、肝心な時に連絡が取れないこともしょっちゅうなので水野の気持ちは痛いほどわかる。
「お父さんも水野さんも、気をつけて」
「あぁ」
「はーい」
終始テンションの低い慎吾と、いつになく楽しそうな水野を見送る。
ばたん、と玄関扉が閉まり、二人の声と足音が遠ざかっていった。
今の今まで三人の声が行き交っていたのが嘘だったように、慎吾が取材で家を空けていたときの静けさが戻ってくる。
「…………」
食事も風呂も済ませ、残ってる夏休みの課題もなく、寝るにはまだだいぶ早い。何をしようか考えながら、翼はひとまず自室へと戻った。
電気をつけたまま、何気なくベッドに横になる。
低反発のベッドに身体を沈めて呆けていると、そばに置いていたスマホから通知音が鳴った。
「?」
スマホの画面を確認すると「今通話できる……?」という短いメッセージ。
明日、一緒に花火大会へ行くメンバーのうち、女子だけを集めた三人グループのチャットだった。
『大丈夫ですよ』
翼がそう送るとすぐに既読の文字が付き、返事の代わりに通話が開始された。
『つばさ〜っ』
開口一番、泣きつくような声がスマホ越しに聞こえてくる。
「どうしました?」
『あーえっと、その……』
『やほ〜』
日向が躊躇いがちに話し始めたところで、間延びした声が入り込んできた。
『今始めたばっかり?』
「はい」
『あかね〜っ』
縋る日向に「どした?」と落ち着いた声が返ってくる。
もともと翼が仲の良かった相手は日向で、その日向と中学時代同じ塾に通っていた別クラスの茜と、日向を通して交流を持った形だった。その三人で同じ高校に進学できるとなって、より仲が深まったのが今の二人との関係だ。
茜には双子の弟・
『その、明日の花火大会なんだけどさ……』
天真爛漫、明朗快活な日向が珍しく言い淀む。しかしすぐに、意を決したように本題を切り出した。
『私、光樹に告白しようと思ってる』
日向の口から出た言葉は、まったく想定していなかった内容だった。
とっさに返す言葉が見つからない翼を置いて、おぉ〜と茜が楽しそうな声を出す。
『ようやくかー』
『まだ告白するって決めただけだけどね……』
電話の向こうで茜のニヤニヤしている顔が目に浮かぶ。ようやく二人の会話に順応し始めた翼も、心境としては同じだった。
二人はいわゆる両片思いというやつで、早く付き合えよ状態がもう三年ほど続いていた。日向が告白すると決めた時点で、カップル成立はほぼ確定したようなものだ。
『それでね……二人にはちょっと協力して欲しいというか』
「協力?」
『花火大会で二人きりにして欲しいって?』
『勇気出して言ってるんだから当てにこないでよ?!』
楽しそうに言う茜に日向が食い気味に返す。どうやら図星だったらしい。
「私は全然構いませんけど……茜は?」
『いーよもちろん』
『! ありがとう……!』
友人の恋を邪魔するはずもなく、二人は日向のお願いを二つ返事で聞き入れた。
『皆で行って楽しもうって話だったのにごめんね』
『全然気にするなー。でもまたなんで急に?』
翼が抱いていた疑問を茜が先に口にする。
光樹への気持ちを自覚しながらも、年単位で現状維持を続けていた日向がいま告白を決意した理由は気になるところだった。
『ほら、ちょっと前にIrisの新曲公開されたじゃん』
「あぁ、あのクオリティ凄いMVの……」
『そうそう』
公開から四日経ち、再生回数二百万回を超えたらしいIrisの新曲MVは翼も数回見ていた。
『あれってさ、片思いというか、失恋の歌でしょ。なんか歌詞とか映像見たら、焦り出てきちゃって……』
『このままじゃダメだ的な?』
『うん』
日向の言うように、あの曲は視点であるIrisメンバーが同級生の男子に想いを寄せる片思いソングだ。その男子には恋人ではないものの良い感じの女の子がおり、男子はその子と花火大会へ行ってしまう。公式は片思いソングと表現しているが、見る人によっては失恋ソングとも捉えられる。
『今まではさ、わざわざ恋人にならなくてもこの関係を続けられたらいいと思ってたんだよ。けどそれって、光樹があたし以外の女の子と付き合うはずがないって慢心があるからじゃん。でもさ──』
いつになく真剣な声音で日向は言う。
『誰かに取られてから後悔するんじゃダメなんだ』
静かな部屋の中、日向の言葉がやけに大きく聞こえた。
何故だかひどく胸がざわついて。
──あれ。
直後、無意識のうちに頭の中に浮かんでくるものがあった。
『あいつの隣で花火を見るのはあたしがいい』
日向の言葉が続く。
浮かんできたそれがより明瞭になっていく。
『あいつの一番はあたしがいい』
少しの間を置いて、茜が茶化すような言葉を日向に返していた。
──なんで。
二人の会話が右から左へ抜けていく。
時計の針が進むたび、同じだけ戸惑いが強まっていった。
おもむろに額に手を当て、静かに息を吐く。
──なんで今、ハルの顔が浮かんでくるのだろう。
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