第15話 鬼ごっこ

「──Irisのユウとハルが、姉妹……?」


 信じられない、とでも言いたげに翼が目を見開く。


「……でも確かに、よくよく見てみると似てる……かも?」


 翼はテーブル向かいのユウキと隣のハルを交互に見ながら言った。性格こそ父親似のハルと母親似のユウキでは正反対に近いが、容姿は二人とも母親似なのでよく観察すれば顔の造形が似ていることがわかる。


「すみません。言うタイミングがなかなかなくて」


 正確には『言おうとした矢先にユウキが帰ってきた』が正しいが、言ってないことに変わりはないのであえて補足はしなかった。


「改めて。姉の望月ユウキです。お姉ちゃん、こちら日鷹翼さん。高校の先輩で学年はお姉ちゃんと同じ」


 ユウキと翼それぞれにハルが簡単な紹介をする。


「は、はじめまして。日鷹翼です」

「はじめまして。Irisというグループでアイドルやってます。望月ユウキです」


 向き合い、軽く頭を下げる二人。翼の顔にはまだ緊張が感じられた。


「お姉ちゃん、先輩の苗字どっかで聞いたことない?」

「苗字?」


 ユウキはすぐに気づいたようで「あっ!」と声を上げた。


「もしかしてあの豪邸のうち⁉」

「正解」


 はえー、と改めて翼を見るユウキ。


「あの豪邸にこんな美少女がいたとは」

「アイドルの方にそう言われると、むずがゆいというかなんというか」

「え~なんでよ~」


 友達のようなテンション感でユウキが言う。翼はハルが以前ユウキのことを「コミュ力オバケ」と言っていた意味がよくわかった。


「てかさ、同い年だし呼び捨てでいいよ?」

「え、いいんですか?」

「もちろん! 私も翼って呼んでいい?」

「も、もちろんです……ぜひ!」


 ユウキのフランクな態度に翼の表情が徐々に和らいでいく。


「ところで、二人はどういう関係なの? 先輩後輩って言ったって、ハルは部活やってないでしょ?」

「ああ、それはな──」


 ユウキの疑問に答えたのは静かに三人を見守っていた三津だ。

 翼と関わるきっかけになった雨の日から今日までの流れをかいつまんで説明する。


「──なるほどなるほど。そういう感じかー」


 翼の両親については翼本人が話し、ユウキは望月家と翼の関係を把握した。


「私はいま東京に住んでるし、ばあちゃん達が翼のこと気に入ってるなら何も言うことはないや」


 ユウキは中学卒業と同時に芸能科のある高校に通うため上京している。活動が忙しくなったここ半年の間は帰ってくる頻度が減ったが、同じ関東圏ではあるので二、三ヶ月に一度はこの家に戻ってきていた。


「これからもよろしくね、翼。私も時間見つけて帰ってくるけど」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ユウキが手を差し出して、翼がそれを握り返した。


「よし。ご飯も食べたし、私ちょっと荷物片付けてくるわ」


 ご馳走様~と最後に付け加えて、シンクに皿を持っていくユウ。

 意図していなかった顔合わせが一段落ついた頃には、壁掛け時計の針は二十時半を差していた。


「では、私はそろそろ……」

「送っていきます」


 立ち上がった翼に続くようにハルも立ち上がる。


「え、翼帰っちゃうの?」


 リビングから出ていこうとしていたユウキが二人を見て言った。


「明日休みなんだし、泊っていけばいいのに」

「すみません。明日は午前中に予定が入っていて」

「そっかー残念」


 もっと話したかったなーとぼやくユウキへ、「あの……」と翼がためらいがちに声をかける。


「私、アイドルのことはあまり詳しくないですけど……ユウキのこと、応援してます。これからもお仕事頑張ってください」


 ユウキは数回目を瞬かせたあと、口の端を上げ顔を和らげた。


「ありがと」




 翼を送り届けたハルがリビングに戻ってくると、ユウキがソファでスマホをいじっていた。


「ただいま」

「おかえりー」


 スマホに目を向けたままユウキが言う。三津は寝室に移動したのか、リビングにはいないようだった。


「お姉ちゃん、お風呂入らないの」


 てっきり自分が翼を送っている間に入ってるものだと思っていたが、いまだにソファから動く気配のない姉にハルは首を傾げる。


「んーお風呂はまだいいかな」


 ユウキはスマホをソファ前のテーブルに置くと、おもむろに立ち上がってハルを見た。


「ねぇハル。今夜何かやることある?」


 くびれた腰に手を置いてユウキが顔を傾ける。ユウキは翼と同じくらいの背丈で、一五四センチしかないハルよりも十センチ以上身長が高い。顔はどちらも母親似だが、体格はハルが母親似、ユウキが父親似なためあまり姉妹っぽさはない。


「特にないよ」


 学校の課題がないわけでもなかったが、大した量ではないし土日にやれば問題ない。ユウキが何かやりたいことがあるなら付き合おうと、そう答える。

 ハルからの返答にユウキは「じゃあさっ」と声を弾ませた。


「久しぶりにさ、あそこ行かない?」




 時刻は日を跨いで深夜一時半。

 数時間前にユウキの誘いを受け、姉妹で向かった場所はこの地域で一番大きな公園だった。


 滑り台といくつかの遊具が繋がった複合型の遊具やジャングルジム、ブランコ、雲梯うんていなど多種多様な遊具が点在し、地面には青い芝生が広がっている。豊富な遊具に十分な広さを持つ公園で、平日の夕方や休日の昼間は親子の姿が多く見られるが、さすがにこの時間帯に遊んでいる人はいない。


 二人はスポーツウェアを着ており、いかにもこれから運動をするといった風貌ふうぼうだ。ユウキにいたっては運動しやすいようにか、長い髪をポニーテールに結んでいる。


「けっこう久しぶりじゃない? ここ来るの」

「一年ぶりくらいかな」


 屋根付きベンチに持ってきたお茶とスマホを置き、ハルは公園をぐるっと見回す。以前来た時と変わっているところは特になさそうだった。


「本気で体動かすのも久しぶりだし、しっかり準備体操しなきゃね」

「うん」


 返事をし、ハルはさっそく準備体操を始める。屈伸、伸脚、前後屈、アキレス腱。脚を重点的にやりつつ、首や腕も抜かりなくほぐしていった。吸血鬼の全力は人間のそれとは比べ物にならない。しっかり体をほぐしておかないと、たとえ遊びの中でも大けがをする可能性がある。

 いつも以上に入念に取り組んで、最後に深く息を吸った。


「よし」


 二人ともが準備体操を終えたのを確認して、ユウキがハルと向き合うように立つ。


「じゃあやろっか、いつものやつ」


 無邪気な笑顔でユウキが言った。いつもの、と彼女が言うように、二人がこの公園に来てやることは一つだ。


 


 一年前にここへ来たときも、それはそれは白熱した戦いがこの公園で繰り広げられた。


「じゃんけん、負けた方が最初鬼ね」

「うん」


 頷いて、ハルは軽く握った手を体の前に出す。


「いくよ。じゃーんけーん──ぽんっ」


 ユウキの声に合わせて手を開く。

 パーを出したハルに対して、ユウキが出した手はグーだった。


「最初の鬼は私か」


 ユウキがさして悔しくなさそうなのは、どうせ二戦目に鬼を交代するからだろう。


「時間、十五分でいいよね?」

「うん」


 ユウキはすぐ近くにある時計台を見上げる。


「今がちょうど一時四十五分だから、二時までね。時間内に私がハルを捕まえられたら私の勝ち、捕まえられなかったらハルの勝ち。オーケー?」

「おーけー」


 いつものルールにこくりと首肯する。


「よし。じゃあ二十秒数えたらいくよ」


 ユウキがさっそく目を閉じた。それを確認してハルもゆっくり走り出す。


 この公園は広さの割に設置されている照明が少なく、夜になると公園の外からは真っ暗な空間しか見えない。そのため、夜のこの場所でなら、一目を気にせず吸血鬼としての全力を出すことができる。暗闇は夜目の利く吸血鬼にとってはなんの障害にもならない。


 久しぶりに本気を出せることの解放感を抱きながら、ハルはこの公園の一番大きな遊具へと向かった。三方向に伸びる滑り台が通路で繋がっており、中央には三角帽子のような尖った屋根がある。


 遊具には当然昇り降りするための梯子があったが、ハルはそれを利用しなかった。ほどよい距離まで近づいたところで、跳躍。地面から直接滑り台通路の柵に着地した。高さにしておよそ四メートルほどのジャンプ。


 柵から通路に降りて、ハルは二十秒が経過するのを待った。隠れるつもりは一切ない。ルールで禁止されているわけではないが、この鬼ごっこの目的は普段は出せない全力を出すことにある。だからお互いいつも隠れることはほとんどなかった。


 鬼役が目を瞑って秒数を数えるのは、単なる体裁ていさいというやつだ。


 二十秒が経過する。


 目を開いたユウキの視界は、すぐにハルの姿をとらえた。

 鬼の少女たちによる、全力の鬼ごっこがスタートする。


 ザっと音をたててユウキが芝生を蹴った。蹴りあげられ、地面からはがされた芝生が後方に飛散する。

 ハルのいる遊具との距離を詰めるユウキの速度は、どこからどう見ても人外のそれだった。四年に一度開催されるスポーツの祭典でも、これほどの速さで駆ける人間はいない。


 みるみるうちに二人の距離が縮まっていく。

 ハルはまだ動かない。

 ユウキの足が先ほどのハルと同じように、滑り台の柵へ跳躍せんと地面から離れたところで、ようやくハルは動き出した。


 ユウキが向かってきている正面とは逆、背中側の柵に足をかける。


 背後にユウキの気配を感じながら、ハルはそのまま流れるように前方へジャンプした。目の前に迫るのは公園に植えられている木の、横に伸びた太い枝。両手を危なげなく引っかけ、体が思い切り振れたところで手を離す。一瞬の浮遊感のあと、前方の地面に勢いよく着地した。着地の衝撃をうまく殺して、ハルはすぐさま駆けだす。ユウキが同様の動きで後を追う。


 次にハルが向かったのは、浅く水が張られた円形のエリアだった。低い柵で仕切られた円の内側にあるのは噴水ではなく、高さの異なるいくつものコンクリートの円柱。高さのちがう丸太から丸太へ飛び移るアスレチックが巨大になったようなイメージだ。


 エリアを囲う柵を走る勢いのまま飛び越え、浅い水の上にぴしゃりと音を立てて着地する。そのまま止まることなく、ハルは中くらいの高さの円柱へ飛び乗った。

 円柱は水面から三十センチ程度のものから一メートルほどのものが八割を占めていて、残りの二割は二メートルから最大四メートルと明らかに遊具ではなくオブジェとして設置された円柱だった。その二割の円柱を、けれどハルは軽々ジャンプして渡っていく。円柱の直径は五十センチほどあり、飛距離さえ問題なければ足場はそれほど心配はない。


 ゲームキャラのような動きで移動するハルだが、それはユウキも同じだ。着実にハルとの距離を縮めながらあとを追ってくる。


「ここ、小さいころは吸血鬼の身体能力でもけっこうキツかったけど、今じゃもう余裕だね」


 円柱を二人でぴょんぴょん飛び交いながらユウキが言った。


「そうだね」


 応えながら、ハルは飛び移ってくるユウキの手をぎりぎりでかわし、後方へ体を倒した。ユウキの手がむなしく空を切る。

 背中から落ちるように円柱から足を離したハルは、空中で一回転して低い円柱に着地した。


「あー、もうちょいだったのにっ」


 今しがたハルが離れた円柱の上から、ユウキが悔しそうに言った。


「そう簡単には捕まらないよ」


 ハルが返すとユウキは口角をにっと上げた。


「言うようになったじゃん」


 ダッ、と二人、同時にコンクリートを蹴った。




「いいかげん、捕まってくれても、いいんじゃない……?」

「妥協は、しない……」


 お互い息も途切れ途切れに言葉を交わす。鬼ごっこを始めてから十三分が経過していた。


 丸太とロープで作られた木製アスレチックの、狭い通路の両端で膝に手をつきながら息を整える二人。額から垂れてきた汗をユウキが拭う。テレビの画面では、ここまで汗だくなユウキはなかなか見れないだろう。


「でもま、そろそろ決着をつけようか!」


 ユウキの声を合図に再び動き出す。


 段差や柱、斜面などを器用に使いながら高速で移動する二人。このままここで二分乗り切るつもりだったハルだが、ユウキの手を避けた際に体勢が崩れ、やむを得ず木製アスレチックから離脱した。


 一転して、遊具のない開けた芝生のエリアを疾走する。

 ユウキはすぐそこまで迫っていた。速度や反射神経ではハルのほうが勝っているが、純粋なパワーと体力勝負ではユウキに分がある。ハルの体力は限界に近かった。


 だがハルも簡単に負けてやるつもりはなかった。普段は物静かで大人しいハルだが、勝負事では手を抜かない性格だ。

 走りながらちらと時計台を確認すると、残り時間はもう一分を切っていた。けれど、このままただ走って逃げているだけではギリギリユウキに捕まってしまう。

 なにか使えるものはないかとハルは視線を巡らせた。


「……!」


 そのとき、運良く視界の端に使えそうなものを発見した。

 それに向かってハルは全速力で足を動かす。


 背中にユウキの気配を感じながら逃げること約十秒。

 ハルの視線の先には、最初に滑り台の柵から飛び移った木があった。

 木との距離が数メートルまで迫り、ユウキがハルの背をタッチしようと手を伸ばす。


 瞬間。


「──────」


 ハルの小柄な体躯たいくが宙に浮いた。

 木を目前にして、左足で思い切り踏み込んだハルが跳躍したのだ。


「ええっ⁉」


 木の横を走り抜けると思っていたのだろう、ユウキの驚愕の声を後ろに聞きながら、ハルは空中で木の幹に右足を伸ばした。

 靴底が幹に接触した瞬間、木が折れんばかりの力で突き放す。


 勢いのままに空中で一回転し、ハルはユウキの頭上を飛び越えた。


「わーっ!」


 すぐ後ろを走っていたユウキが慌てて急停止する。木にぶつかる寸前で間一髪止まることができたユウキの背が、今はハルの前方にあった。


「セーフ……」


 額を拭いながら安堵の呟きを漏らすユウキ。


「って、やばっ時間……!」


 しかしそれも束の間、慌ててユウキが背後の時計台を見上げる。

 まさにそのとき、時計の長針がかちりと動いた。

 時刻は二時ちょうど。鬼ごっこ開始から、ぴったり十五分が経っていた。


「わたしの、勝ち……」


 ユウキの背後で肩を上下させながらハルが言う。「あぁ~」と声を漏らしながらユウキが地面にへたり込んだ。


「疲れた……」


 ハルもその場に腰を下ろして両手を後ろにつき、脚を伸ばして息を整える。


「ていうか、なにいまの……ほんとびっくりした……」


 息も絶え絶えにユウキが言った。


「遊具で似たようなの、やったこと、あったから……木でもできるかなって、思って……」

「うん、まあ、うん……」


 微妙な表情を浮かべてユウキが言葉になっていない返事をする。


「久しぶりにやると、やっぱキツイなー……」

「うん……」


 会話が途切れる。二人の荒い息遣いだけが夜の公園に吸い込まれた。

 呼吸が落ち着き、先に立ち上がったのはユウキだった。ゆっくりハルのもとへ歩いていき、ハルが差し出した手を握ってグッと引き寄せ、立ち上がらせる。


「よし。じゃあ水分補給してもう一戦!」


 ユウキが言って、今度はハルが鬼になっての二戦目が始まった。

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