第14話 望月ユウキ

「ねー! あのサビ前のパフォーマンスやばかったよね!」


 水族館へ行った日の翌日。教室に入ると、ハルの隣の席で楽しげに話をする篠田と菅原がいた。


「おはよう」

「あ、おはよー望月さん」

「おはよー」

「なんか盛り上がってるね」


 自分の席に座りながらハルはなんとはなしに言う。


「いやー実はですね……!」


 平日の朝とは思えないほど高いテンションで篠田が応えた。


「私らなんと、昨日……Irisのライブを見に行ってきましたっ!」


 ぱちぱちと興奮気味に手を叩く二人。やや大げさにも思える仕草だが、二人がそうなるのも無理はなかった。


「すごい、チケット取れたんだ」

「いやぁそれな⁉ 一生分の運使った気がするわ」

「絶対そうだよ。知り合いみんなチケット全滅してたもん!」


 未だ興奮冷めやらぬといった表情で二人が語る。


 Irisは若者の間で爆発的な人気を誇る五人組アイドルグループだ。


 メンバーは現役の女子高校生で構成され、活動歴は約三年。半年ほど前にSNSに投稿されたファンのつぶやきがきっかけで人気が急上昇し、今やテレビに引っ張りだこの超人気アイドルグループとなった。


「生のユウ、初めて見たけどまじで可愛かったなぁ」


 思い出すように菅原がつぶやく。


「望月さんは知ってる? ユウ」

「……どの曲でもセンターにいる人、だよね」

「そう! 私の推しです!」


 菅原の目がこれでもかというほどに輝いた。隣で篠田が「あーこりゃスイッチ入ったな……」と零す。


「ユウキはもちろん顔もスタイルも最高なんだけどね⁉ なんと言っても凄いのはそのカリスマ性なの! どうしても目が惹かれるっていうか、気づいたら視線を持ってかれてる感じ⁉ 大物芸能人にもへりくだらないあの態度とかも最高だし、顔の良さだけでも注目集められるレベルなのに自由人で変わり者っていう濃いキャラクター性を持ってるのも良いっ! だからユウが毎回センターなのもすごく納得というか! あ、でも他のIrisのメンバーもすごく魅力的ではあるんだよ⁉ ただユウがちょっと別格なだけで! ていうか世間はIrisの良さに気づくのが遅すぎる! 私なんて結成当初から応援してるのに! あーできることなら私がIrisをバズらせたかった──」


 これまでにないほど早口でまくし立てる菅原。勢いにされて反応できずにいるハルに篠田が「ごめん」と軽く謝った。


「この子ユウの古参ファンで、ユウのことになるとこうなっちゃうの。全然聞き流してくれていいから」

「……わかった」

「てかさ!」


 篠田と話していると、熱弁を続けていた菅原が急にずいと顔を寄せてきてハルは少しのけ反った。


「前々から思ってたんだけど、望月さんってユウと顔似てない?」

「え」


 どき、と心臓が跳ねた。


 至近距離で顔をまじまじと見られ、背中を冷たい汗が流れる。

 なんて言葉を返そうか迷ってるうちに、篠田もハルの顔をのぞき込んできた。


「えーそうかな? ユウキとは全然タイプが違うと思うけど」

「いや、髪型も雰囲気も全然ちがうからわかりにくいけど、顔はけっこう似てると思うよ。目元なんか特にさ!」

「あー……そう言われてみれば似てる、かも?」


 じいっと二人に顔を観察され、何も言えずに固まるハル。しかしそんなハルを助けるようなタイミングで、教室へ担任の島田がやってきた。


「あ、先生きた」

「席戻るね」


 ぱっと自分の顔から視線が外れ、ハルはふう、と息を吐いた。


 に、心の底から安堵する。


 そのとき、リュックの中でピロンとスマホが鳴った。


──通知切るの忘れてた。


 授業中に音が鳴ったら注意されてしまう。通知をオフにするため、ハルはリュックの中からスマホを取り出した。ついでに今きた通知が何かを確認しようとスマホの電源ボタンを短く押す。


──え。今週?


 ロック画面に表示されたメッセージは、東京にいる姉からのものだった。


ユウキ『今週の金曜、そっち帰るから~』



◇ ◆ ◇



 金曜日の夜、望月家。

 ぱちぱちと唐揚げを上げる三津の横で、翼が今日のサラダに出す生野菜を切っている。


「包丁の使い方、だいぶ上手くなったじゃないか」


 スムーズに野菜を切る翼に三津が言った。はじめは目も当てられないくらいの包丁さばきだった翼だが、回数を重ねるごとに確実にレベルを上げている。


「……! ありがとうございます!」


 翼は心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「ハル、ご飯が炊けたようだからよそっといてちょうだい」

「おっけー」


 ハルはといえば今日は盛り付け係を担当していた。

 三津は少なめ、翼はふつう、ハルは少し多めにご飯をよそっていく。体格から小食と思われがちなハルだが、一般的な女子高生の中ではよく食べる部類に入る。ただし好き嫌いは多い。


「よし。じゃあ食べようか」


 ご飯、みそ汁、大皿に乗った揚げたての唐揚げ、生野菜のサラダをテーブルに並べ終え、三人が席に着く。テーブル脇の床ではすでにコハクが用意されたごはんをがつがつ食べていた。


「「「いただきます」」」


 手を合わせて食事を始める。隣に翼が座っていることにもはや違和感はまったくない。


「三津さんの料理、本当になに食べてもおいしいです」


 唐揚げをつまみながら翼がつぶやく。


「本当はもっといろんなの作れるんだけどね……ハルが嫌いなもの多いから」

「なんかごめんなさい」

「ふふ」


 三津とハルの会話に翼が微笑む。ハルとは対照的に翼はあまり苦手な食べ物はない。


「あ、この曲……」


 ふと翼がテレビのほうを見た。望月家では見る見ないに関わらず、食事中はテレビを流しっぱなしにしている。

 今映っているのは音楽番組で、曲を披露しているのはIrisだった。


「先輩ってアイドルとか見るんですか」


 今まで翼の口からアイドルの話題が出たことはなかったので、Irisの曲に反応したことが予想外だった。


「普段はそんなに。でもIrisは最近よく見ますね。友達に勧められてMVを見たら、それがすごい良くって」

「そう、なんですね」


 歯切れ悪く応えるハルに、三津が向かいの席から目で訴えかけてくる。ニュアンスとしては「なんだ、まだ言ってないのか」といったところだろう。


──先輩になら別に話してもいいか。


 望月家へ頻繁に出入りする翼には黙っていてもいずれ知られる日がくるだろうし、彼女はぺらぺらと秘密をばらすような人でもないだろう。

 ハルは親族以外に誰一人として話していない秘密を打ち明けることにした。


「先輩、実は──」


 しかし、言いかけたところで家の玄関が開く音がした。


「ばあちゃーん、ハルー。きたよー」


 直後にそんな言葉が飛んでくる。


「え」


 間の抜けた顔で、ハルは開け放たれたリビングのドアのほうを向く。


「わ、めちゃくちゃ良い匂いがする」


 現れたのは、帽子、眼鏡、マスクを身に着けた私服姿の姉・ユウキだった。


「……早かったね。着くの二十二時すぎって言ってなかった?」


 まさか翼がいる時間にユウキがくるとは思っていなかったハルは、やや面食らった様子で声をかけた。


「やー思ったより午後の仕事が早く終わってさ」


 背負っていたリュックを適当に床に置きながら答えるユウキ。


「……って、知らない女の子がいる!」


 ユウキの双眸そうぼうがそこでようやく翼をとらえた。驚き半分、興味半分といった様子でユウキが翼に近づいていく。


「え、え?」


 一方の翼は、なにが起きているのか理解が追い付いていないようだった。


「Irisのユウ……?」


 恐る恐る声に出す翼。


 、誰でも似たような反応になるだろう。


「Irisのユウでーす」


 一方のユウキは、この反応に慣れているのか自然体だ。


「なんでユウがここに……?」


 翼のもっともな質問にユウキはあっけらかんと答えた。


「だってここ、私の実家だもん」


 流れるように開示された情報は、翼の理解力を越えたもので、


「ええええええええええ⁉」


 翼にしては珍しく、腹の底から大きな声を出した。

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