第11話 チケット

 翌日、土曜日の夜。翼は夕食を望月家──ではなく、実家にほど近いお洒落なイタリアンレストランで食べていた。


「急だったので驚きましたよ。三波みなみさん」


 ある程度食事が進んだところで翼が言う。

 正面でカルボナーラを食べていた女性が「やーテスト直前にごめんね」と頭をいた。


「姉さんから今家に翼一人だって連絡きたからさ。可愛い姪っ子が飢えてないかなって思って」


 今日の夕方十七時ごろ、なんの連絡もなしに家に来たのは叔母の三波だった。翼の母の妹だが、十個以上年の離れた妹なのでまだ二十九歳である。栗色のロングヘアーが良く似合う美人で、昔から姪の翼を溺愛していた。


 今回も自炊のできない翼が家でひとりと聞き、慌てて様子を見に来てくれたらしい。


「でもそっか。お友達の家でごはん食べさせてもらってるんだね」

「はい」


 レストランまでの道中で、両親がいない間の食事事情についてはすでに三波に説明していた。


「私がしばらくそっちにいれたら一番いいんだろうけど、仕事があるからなぁ……他の家庭のお世話になるのは申し訳ないけれど、今回は甘えさせてもらうのがよさそうだね」

「私が料理できないばかりに……」


 しゅん、とする翼に「いやいや!」と食い気味に三波が否定する。


「最初は誰でもそんなものだって! 翼は器用だから、何回か挑戦すれば自炊くらいすぐできるようになるよ」

「そうだといいのですが」


 三波のフォローに翼の表情が和らぐ。三波は自分に甘すぎると翼は常々思っているが、学業に限らず大抵のことを高水準でこなしてみせる翼に対する評価として、三波の言っていることは決してまちがいじゃなかった。


 それからしばらくお互いの近況報告をしながら食事を進め──翼はきのことほうれん草のクリームパスタを食べた──ほぼ同時に食べ終えた二人は食後のコーヒーで一息ついていた。


「はー食べた食べた」


 三波が満足そうに自分の腹を撫でる。デザートまでしっかり食べて翼も同じ気持ちだった。


「さっきの話に戻るけどさ」


 もたれていた身体を起こして三波が言う。


「お世話になるおうちの子って後輩なんだよね?」

「はい」

「ね、写真とかないの?」


 三波の期待のまなざしが翼に向けられる。溺愛する姪が毎日世話になっている相手だ。気になるのも仕方ないだろう。


「一枚だけなら」


 つい昨日、琥珀を抱っこするハルの写真を撮らせてもらったことを思い出しながら翼はバッグからスマホを取り出した。

 アプリから写真を開き、画面を三波のほうへ向ける。


「えっ、顔良っ」


 写真を見た途端、嘘でしょ? とでも言いたげに三波がぐっと顔を画面に近づけた。


「女の子だよね?」

「ええ」


 三波の確認に翼は頷く。髪が短いうえ顔も中性寄りのハルだ。写真だけでは判断が付かないのも仕方ないだろう。


「私服を着ていると時々間違われることもあるみたいですよ。声や体格は女の子そのものなのですが」

「へぇー」


 興味津々な様子で三波は写真を見つめる。


「あれ」


 そこで何かに気づいたように、三波が口を開いた。


「この子、アイドルかなんかでいらっしゃる?」

「え?」

「なーんかどっかで見覚えがあるような……」


 顎に手をやり、写真をじっと観察しながら考え込む三波。

 翼はそんなことはないと思いつつも、思い出せる限りのアイドルを頭に浮かべた。だが、ハルに似たアイドルは思い浮かばない。


「本人からそういう話聞いたことないですし、彼女の性格的にも違うと思うのですが」


 ビジュアル的には十分アイドルとしてやっていけるだろう。が、あの大人しめな性格のハルがアイドル活動をしている姿を、翼は少しも想像することができなかった。


「そっかー。まあでもそうだよね。だって本当にアイドルだったら絶対もっと有名になってるだろうし」


 はー……、と感嘆の息を漏らしながら顔を離す三波。


「翼もすっごい美人だけど、負けないくらい綺麗な子でびっくりしたよ」

「私より全然彼女のほうが──」

「あーそういうのいい、いい」


 手を左右にぶんぶん振りながら食い気味に三波が言う。


「いつも言ってるでしょ、翼はほんとに可愛いって。謙遜したって嫌味にしか聞こえないからね」

「三波さんはいつも私を褒めすぎです」

「だって事実だもん」


 三波と会うと毎回似たようなやり取りをするので翼はこれ以上何も言わなかった。 当の三波も美人なのだが、それを言うと「じゃあなんで結婚できないんだろうね……」と面倒くさい方向に話が進むのであまり言わないように気を付けている。ちなみに三波が結婚できない理由は「男運が絶望的にない」の一言に尽きる。


「っといけない。もうこんな時間か」


 ふと自分の腕時計を確認した三波が言った。時刻は二十時を過ぎたところだ。


「今日このあと家で作り置きでも作ってあげたいところなんだけど、明日ちょっと朝早くてさ。そろそろ帰らないとだ。ごめんね」

「いえ、お忙しいのにわざわざありがとうございました」

「いーのいーの。可愛い姪っ子のためならいつでも飛んでくるよ叔母さんは。あ、そうだ」


 思い出したように三波が続ける。


「翼、来週の土日ってなにか予定入ってる?」

「いえ、今のところは何も」


 答えながら翼は首を横に振った。金曜日がテスト最終日のため、土日はゆっくり休もうと特別な予定は入れていなかった。


「じゃあちょうどいいかも」


 三波は自分の鞄を漁ると、中から薄ぺらい何かを取り出した。


「これ、よかったら貰ってくれない?」

「……水族館のチケット?」


 三波が差し出してきたのは二枚の水族館チケットだった。全体的に青い配色のチケットで、文字情報の背景には美しいクラゲの写真がプリントされている。


「友達と行く予定だったんだけど、向こうが急に予定入っちゃってさ。捨てるのももったいないなって思って」

「いいんですか? また日を改めて行くとか……」


 チケットを受け取りつつもそう確認する。三波は「そうしたいのはやまやまなんだけどね」と眉を下げた。


「それ結構前に買ったやつでさ。有効期限が来週までなんだよ。でももうお互い予定が合わなくて」

「なるほど」


 チケットをよく見てみると、三波の言った通り有効期限に書かれていた日付は来週の日曜日だった。


「期限短いし予定つかなかったら捨ててもらって構わないからさ」

「そういうことなら、せっかくですしいただきます」

「もらってもらってー。あっ、そーだ!」


 ぱん、と両手を合わせる三波。


「せっかくだしお世話になってる家の後輩ちゃんと行ってきなよ! テストお疲れ様会的な感じでさ! もっと仲良くなれるかも!」


 名案でしょ? とでも言うように三波が得意げな表情を浮かべる。


「たしかに……いいかもしれないですね」


 少し考えて、翼は三波の案を採用することにした。


「あとでハルに予定空いてるか確認してみます」


 水族館なんて何年ぶりだろうかと思いながら、翼は受け取ったチケットを自分の鞄にしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る