第8話 豪邸と月明り

 すっかり夜も更けて空に星が見える時間。


 居酒屋や個人経営の食堂の明かりが照らす通りをハルと翼は歩いている。等間隔に植えられた街路樹が夜風に吹かれて時々葉擦れの音を奏でた。


 夕飯を食べ終え、しばらくゆっくりしてから翼を家まで送り届けている最中だった。翼には近いから大丈夫だ、帰りのハルが心配だと色々言われたが、前回と違って今はもう夜だ。高校生の女子を一人で返すわけにはいかない。


 最終的には三津の「ハルは護身術に長けているから」という、合ってるとも間違ってるとも言えない言葉で翼が折れ、彼女は大人しく送られることになった。

 ちなみにハルは護身術を習ったことはない。ただ、吸血鬼なので相手が人間である限り、どんなに体格のいい大人の男だろうと絶対に負けないフィジカルを持っている。だから三津の言ったことはあながち間違いでもなかった。


「ハル、今日は本当にありがとうございました」


 交差点の赤信号で立ち止まったタイミング。流れていく車を眺めながら翼がふと口を開く。


「うちで食べればいいって言われたときは少し……いや、けっこう驚きましたけど……今日、ハルの家に行けてよかった」


 少し強引だった自覚はハルにもあったので、驚いたと言いつつも「よかった」と言ってくれたことに安堵した。


「あ、そうだ」


 ハルはふと、今日中に翼に訊こうと思っていたことを思い出した。夕方、スーパーの帰りに三津がいるからと訊けていないかったことだ。


「先輩って今、付き合ってる人いますか」

「急ですね?」


 まったく異なる話題に若干困惑を滲ませる翼だったが、答えをもったいぶることなかった。


「いないですよ」

「そうなんですね」

「はい」


 ハルは意外に思った。遊びまくっているという噂はデマでも、翼ほどの美人なら恋人くらいいるんじゃないかと思っていたからだ。

 信号が青に変わり、二人は再び歩き出す。


「でも、どうしてそんなことを?」

「それは──」


 翼から問われ、ハルは篠田と菅原と話した内容をかいつまんで伝えた。

 翼についての噂のこと、噂はデマだと信じているが、きちんと交際をしている恋人はいるんじゃないかということ。二人にその真偽を確かめて欲しいと頼まれたこと。


 それらを聞いた翼は「なるほど」と納得の表情を浮かべた。


「生まれてこの方、誰かと付き合った経験なんてないのですが」


 困ったように笑ってみせる翼。ハルはまたまた意外な事実に内心驚いた。

 けれど同時に納得もする。学校で見かける翼は男子ともよく親しげに話しているが、どれも仲の良い友達という雰囲気で、見るからに男遊びをしているようなタイプの女子とはまた異性との接し方がちがう。


「じゃあ同級生の男みんな喰ったっていうのは……」

「デマですね」


 翼は穏やかな声で、しかしはっきりと否定した。


「分かりました。二人にはそう伝えておきます」

「はい。お願いします」


 横断歩道を渡り終え、交差点に面したコンビニの駐車場を通り過ぎる。そのまま大通りを外れ住宅街へと歩を進めた。店や車の眩しい光はなくなって、代わりに一軒家やアパートから漏れる光が二人の歩く路地を淡く照らしている。


「見えてきました」


 数分も経たないうちに目を見張る大豪邸が見えてきた。東京の高級住宅街にあるような高い塀に囲まれた一軒家だ。ホワイトを基調とした外観に、ブラウンのガレージ扉や塀の中央に設置された黒の両開き扉がよく目立つ。明かりは一つも点いていなかった。


「ここで大丈夫です」


 人の気配のない、暗く佇む豪邸の塀の前で翼がハルに向き合う。


「すみません。送っていただいて」

「いえ、無理矢理ついてきたようなものなので」


 礼を言う翼に気にしないでと首を横に振る。


「帰り気を付けてくださいね。暗い道は絶対通らないように」

「はい」

「よろしい」


 満足したように翼が頷いた。


「明日からよろしくお願いします」

「こちらこそ」

「それでは、また明日」

「また明日」


 首を傾け穏やかな表情を浮かべる翼。月明かりに照らされたその顔は女優やモデルにも引けを取らない美しさを備えていて、明かり一つない背後の豪邸がその美しさをより惹き立てていた。


「おやすみなさい、ハル」

「おやすみなさい、翼先輩」


 綺麗な人だな──ハルは改めてそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る