第7話 両親と姉の話

「本当にいいんですか? こんな急に」


 日が落ち始め、だんだんと薄暗くなってきた夕暮れ時。買い物を終え、三人並んで望月家へと向かう途中でふいに翼が言った。


「当然。毎食カップ麵を食べられる方が心配で仕方ないよ」

「すみません……」


 返す言葉もないと、まだ少し申し訳なさそうな翼にハルはこそっと耳打ちした。


「ばあちゃん、先輩のこと気に入ってるから大丈夫ですよ」


 あの雨の日、見ず知らずの老人に声をかけ家まで送ってくれた翼を三津はえらく気に入っていて、次に翼が望月家へ来ることを楽しみにしていた。


「……ありがとうございます」


 ハルの言葉に翼は表情を和らげる。


「ハル、聞こえてるよ」

「あ」

「まあそういうことだから、翼も遠慮しないで食べていきなさい」


 そこまで言われたら流石に遠慮の気持ちも薄れてきたのだろう。わかりましたと応える翼の声にいつもの明るさが戻ってきた。


「ありゃ、千代ちよさんじゃないか」


 三人で雑談をしながら歩いてる途中、前方から柴犬を連れた老人がやってきた。腰の曲がった小柄な女性で、この時間にいつも犬の散歩をしている千代だ。犬の名前は小麦こむぎという。


「あら三津さんにハルちゃん。こんばんは」


 挨拶をしたあとで、千代は皺が寄って糸のように細くなった目を翼へと向けた。


「なんだか今日はえらい美人さん連れてるじゃない」

「そうだろう」「でしょ」


 祖母と孫は息ぴったりにそう応えた。


「この子、最近できたハルの彼女」

「⁉」


 唐突にそう口にしながら、三津はぽん、と翼の肩に手を置く。

 翼の顔が勢いよく三津のほうを向いた。


「そう、彼女」

「⁉」


 そして祖母の悪ノリに合わせるように、ハルは翼の手を握り、持ち上げてみせた。


 しっかり恋人繋ぎで、だ。


「ち、ちがいますちがいます!」


 翼が慌てて否定すると、千代はくすくすと静かに笑った。


「わかってますよ、お嬢さん」

「可愛い反応するねぇ」


 三津がやや意地悪な顔で言う。


「すみません。悪ノリしてしまいました」

「い、いえ、驚きはしましたけど、大丈夫です」


 流石にやりすぎたかな、と謝るハルに、穏やかな声音と表情で翼は返した。


「でもね、お嬢さん」


 急に真面目なトーンで言ったのは千代だ。


「気を付けたほうがいいわ。この子、とんでもない人たらしだからね」


 この子、と言うタイミングで千代はちら、とハルに目を向けた。


「ちっちゃい頃からこの顔で無自覚に甘い言葉吐くものだから、泣かせた子の多いこと多いこと。男も女も関係なしよ」

「そんなことないけど」

「なーにがそんなことないだ、大ありだよ」


 ハルの言葉にいち早く反応したのは三津だ。


「毎年毎年バレンタインに二十個も三十個もチョコをもらってきて……先月のホワイトデーもお返し用意するの大変だったろう」

「それは、その通りだけど」

「本命チョコも全部断ったんでしょう?」


 千代の問いに、「まぁ……」と歯切れ悪く答えるハル。


「その光景、なんとなく想像できます」


 ふふ、と上品に笑いながら翼が言った。


「先輩だってチョコ沢山もらってるでしょ」

 

 自分から話を逸らしたくて翼に振ったハルだが、翼は「そんなことないですよ」と首を振った。


 「友達と友チョコを交換するくらいなので、十個もないんじゃないでしょうか」

「ハル、そもそもバレンタインは女が男にチョコをあげるイベントだ。翼はたしかに美人だが、本来チョコをあげる側であってもらう側ではない」

「そんな」


 三津に正論を言われ、ハルはもう何も言い返せなかった。


「ね、言った通りでしょう?」


 千代は翼のほうへ向き直って言った。


「この子に惚れたら大変だからね、お嬢さんも気を付けるんだよ」


「は、はい。気をつけます」


 翼の返事に千代は満足げな表情を浮かべ、うんうんと首を縦に振った。

 ちょうどそのとき、千代の傍らに座っていた小麦がワンっ! と吠えた。


「ああごめんね。待ちくたびれたね。行こうか」


 千代はなだめるように小麦を撫で、リードを持ち直す。


「またね、三津さん、ハルちゃん。お嬢さんも」

「ああ、また」


 三津は言葉で、ハルと翼は軽く頭を下げて応える。千代の後ろ姿が遠くなり、三人も再び家に向かって歩き出した。


「すまないね。話に付き合わせてしまって」


 三津が言うと、翼は「大丈夫です」と微笑んだ。


「恋人のくだりは少し驚きましたけど」

「「反省してます」」


 一言一句違わない二人の返答にくすくすと笑う翼。


「……そうだ、恋人といえば」


 ハルはふと、先日篠田と菅原にどうしてもと頼まれたことを思い出した。翼に恋人がいるかどうか訊いてほしいというものだ。


「?」

「いや、やっぱりなんでもないです」


 しかし今訊くことじゃないなと思い直す。さすがに三津がいる前では話しにくい内容だろう。


「? わかりました」


 翼は首を傾げたが、無理に続きを聞こうとはしてこなかった。


「もうすぐ着きます」


 ちょうど見えてきた自宅に視線を向けながら言い、ハルはその話題を打ち切った。



◇ ◆ ◇



「おいしい……」


 出来上がったカレーを口にした翼がつぶやく。


 食卓には湯気を立てる出来たてのチキンカレーと小皿に取り分けられた生野菜のサラダが並んでいた。翼の隣にはハルが、ハルの向かいには三津が座っている。


「そりゃよかった」


 三津が嬉しそうに口の端を上げた。いつもはハルも手伝うが、翼を放って二人で料理をするわけにもいかないので今日は琥珀と遊ぶ翼を見守る役に徹していた。


「望月さんも料理されるんですか?」


 隣に座るハルへ視線を向けながら翼が問う。その問いに答える前に、ハルは一つ言いたいことがあった。


「先輩、望月さんって呼び方変えませんか」

「え?」

「わたしもばあちゃんも望月なので」

「あ……」


 今のところ翼が「望月さん」と口にするのはハルを呼ぶ時だが、三津も「望月さん」であることに変わりはない。今後望月家への出入りが多くなるなら今のうちに呼び方を訂正しておいた方がいいだろう。こういったことは定着したあとではなかなか変えづらい。


「では三津さんにハルさん、でどうでしょうか」


 翼はすぐにハルの提案を受け入れると、長く考えることなくそう言った。

 

「私はそれでいいよ」


 三津は頷いたが、ハルには一つ要望があった。


「わたしは、できればハルって呼んでくれたら嬉しいです。さん付けは慣れなくて」


 翼が後輩相手にも敬語にさん付けのスタンスであることは知っている。本人曰く「母親が父親に敬語を使っていたから自然と自分も敬語で話すようになった」ということで、例のごとく三澄高校に通う生徒には周知の事実だ。


 しかし先輩にさん付けされるのはなんとも言えないむず痒さがある。いい機会なのでこれを機に呼び捨てで呼んで欲しいとハルは思っていた。仲の良いクラスメイトの名前は呼び捨てで呼んでいるようなので、呼び捨て断固拒否というわけではないはずだ。


「わかりました」


 案の定、翼はあっさりと頷いた。


「では今後は三津さん、ハルと呼ばせていただきます。改めまして、よろしくお願いします」


 三津とハルへ体を向けて翼が頭を下げる。


「こちらこそよろしく」

「よろしくお願いします」


 言いながら二人も軽く頭を下げた。


「ところで、先輩」


 みんなが頭を上げたあと、ハルは食事が始まってからずっと言いたかったことを口にした。


「にんじんって好きですか」


 真面目な話題から一転、だが真剣度はむしろ上がったような声音で訊くハル。


「にんじん……?」

「こらハル。嫌いなものを翼に食べてもらおうとするんじゃない」

「バレた」

「バレたも何もあるか」

 

 三津がため息交じりに言う。

 にんじんが入らないように避けてよそったつもりが、どこかに紛れ込んでいたらしい。


「にんじん嫌いなんですか?」

「はい」


 スプーンに乗ったにんじんを嫌そうに見つめながら頷く。


「ハルもユウキも好き嫌いが多すぎる。将来が心配だよ」

「ユウキ?」


 三津の口から知らない名前が出てきて翼は首を傾げた。


「姉です。一個上の」

「お姉さんがいるんですか」

「はい。東京の高校に通ってるので、こっちにはいませんが」


 ハルの答えに翼がなるほど、とつぶやく。


「では、ご両親も東京に?」


 翼からその問いが返ってくるのも当然だった。今の今までこの家にハルの両親の姿はない。そんな中で高校生の姉が東京に住んでいると聞けば、両親が一緒に東京に住んでると考える人が多いだろう。


「いえ」


 だがこの家に両親がいない理由はそれではなかった。


「両親は他界してます。五年前に大型トラックに撥ねられて」


 即死だったと聞いている。


 吸血鬼は人間よりも治癒力が高く、怪我をしても人間より圧倒的に治りが早い。さらに言えば、吸血あるいは輸血により血を接種することで大抵の怪我は瞬時に治すことが出来る。


 だが、人間よりも身体が頑丈なわけではない。

 あくまで怪我をしたあとの回復能力に優れているというだけで、怪我のしやすさでいえば人間となんら変わらない。バットで思い切り殴られれば人間と同じように骨折をするし、車に轢かれたら相応の怪我をする。


 つまり人間で即死級の交通事故なら、吸血鬼にとっても同じということだ。

 そして即死の場合、怪我の治りが早いかどうかなんて関係ない。


 大型トラックの運転手もその事故で亡くなったため事故の原因は定かではないが、運転手が運転中に心不全を発症し、意識を失った状態で起きた事故というのが警察の見解だった。


「後ろに写真があるだろう。昔私が撮ったんだ」


 固まってしまっていた翼がそこでようやく振り向く。

 テーブルの斜め後ろ、壁際のタンスの上に写真立てが置かれていた。


 綺麗な桜をバックにまだ幼いハルを抱っこする母と、同じようにユウキ抱っこする父の写真。写真を撮った当時ハルは二歳だったようで、この時の記憶はなかった。


「ごめんなさい、私無神経なことを……」

「そんなことないさね。翼の疑問は当然のものだよ」


 三津に同意するように、うんうんと首を縦に揺らすハル。五年が経ち、こうして普通に話題に出せるほどにはその事実を受け入れることができていた。

 しかし、こういった話題のとき気を重たくするのは話を聞いた側であることも多い。翼もやはり表情が少し暗くなっていた。


「わたしと姉、似てると思いますか」


 だから少しでも場が和めばと、ハルはそんなことを訊く。


「え? あ、そうですね……あんまり似ていないような」

「言われると思いました」


 見事に予想通りの回答が返ってきた。


「二人とも顔は母親似でよく似ているんだけどね。性格と表情があまりにもちがいすぎて、昔からあんまり似てると言われないんだ」


 三津が補足するように説明する。写真の姉妹は三津の言う通り、無邪気な笑顔を向けるユウキに対し、ハルは正反対な真顔を浮かべていた。


「たしかに、顔だけ見たら似ている気がしますね」


 観察するように写真を見つめた翼が言う。


「お姉ちゃん、パーソナルスペース皆無なので、もし会う機会があったら気を付けてください」

「あの子は初対面でもいきなり抱き着いたりするからね」

「その方、本当にハルのお姉さんですか?」

「血は繋がってるはずなんですけど」


 ふっ、と固かった表情を柔らげて冗談を言う翼。ハルも冗談半分、本音半分でそれに答えた。


「さ、おしゃべりはこの辺で終わりだよ。カレーが冷めちゃうからね」

「「はーい」」


 三津の一言でほぼ止まっていた手を動かし始める。


 結局にんじんは眉根を寄せつつも自力で食べたハルだった。

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