第4話 先輩は人気者

 黒板いっぱいに書かれた数式が日直の手によって消されていく。

 隣の席で「あ~……」と力尽きたように菅原が机に突っ伏した。


「まーじで数学無理……やっぱ三澄レベル高いなー」


 そうつぶやく声にはわかりやすいほど疲れが滲んでいる。ハルたちの通う三澄高校はこのあたりでは頭一つ抜けた進学校だ。近隣の中学校では「頭がいいやつはとりあえず三澄」という風潮がある。入学できれば周りに良い顔ができるぶん、菅原のように入ってから授業に苦労する生徒も多い。


 ぼそぼそと独り言を吐き出したあと、菅原は脱力しきった顔をハルの方へ向けた。


「望月さんは数学得意?」


 ノートやシャーペンを片付けながらハルは答える。


「文系科目よりは得意かな」

「へー理系なんだ」

「うん。どちらかといえば」


 別に文系科目が苦手なわけではないが、毎回のテストの点数で言えば理系科目のほうが高いことがほとんどだった。


「いーなー理系」

「どうして?」

「理系のほうがかっこよくない? なんとなく」

「そうかな」

「そうだよ」

「はいはい二人ともゆっくりしてないで、早く着替えに行くよ」


 二人でまったり話していたら、斜め前のほど近い席から二人のところへ篠田がやってきた。


「そうじゃん!」


 菅原が慌てて身を起こす。一年五組の次の授業は体育だった。


「早く行こう! 体育!」


 急に元気を取り戻した菅原に急かされながら更衣室で着替えを済ませ、ジャージ姿で三人はグラウンドへ向かった。ジャージは学年ごとに色分けされていて今年の一年生は赤、二年生が青、三年生が緑だ。


「今日なにやるんだっけ」

「体力測定の続き。五十メートル走とハンドボール」

「そうだったそうだった」


 二人の会話を横で聞きながら昇降口で靴に履き替える。外は快晴で気温もちょうどよく、絶好の体育日和だった。


「あ、二年生だ」


 前からぞろぞろと歩いてくる青いジャージの集団を見て菅原がつぶやく。体育終わりの二年生たちだった。


「やっぱ翼先輩目立つ~」


 集団の中には翼もいて、両脇をクラスメイトの男女に挟まれながら歩いていた。その溢れる人気者感に自然と彼女へ目がいく。


「あっ」


 二年生集団との距離が縮まって三人が少し横に逸れようとしたとき、ハルの姿を見つけた翼が小さく声を上げた。


 すれちがう間際、翼はハルに向かって微笑み、挨拶代わりに片手をひらひらと軽く振る。

 ハルもペコリと会釈を返した。

 二年生集団が横を通り過ぎ、後ろへ遠ざかっていく。


「「ちょちょちょちょい!」」


 スタスタと平然と歩くハルに、隣を歩く二人から待ったがかかった。三人には見えていないが、二年生集団の中でも同様のことが起こっている。


「え、何今の⁉」

「望月さん翼先輩と知り合いなの⁉」


 ハルの肩を掴み、興奮した様子で問う菅原と篠田。ハルが昨日のことを説明しようとすると、グラウンドに立つ体育教師が三人に向かって声を張った。


「おーいお前らー。早くグラウンド走れー」


 体育では授業が始まる前にグラウンドを二周走ることになっている。ハルたち以外の生徒はすでにグラウンドを走り始めていた。


「わ、やば」

「望月さん、お昼に詳しく聞かせて!」


三人は会話を中断し、慌てて小走りでグラウンドへ向かった。



◇ ◆ ◇ 



「──そんなことがあったんだ」


 机をくっつけ、昼食をとりながらハルは昨日の出来事を説明していた。


「翼先輩、あの見た目で性格もいいとかマジ推せるな」

「ますます好きになってしまった」


 菅原と篠田が腕を組みながら大袈裟に感心してみせる。


「じゃーあの噂もやっぱデマか」


 腕を解き、弁当のミニトマトに箸を伸ばしながら篠田が言った。


「あの噂?」


 ハルが首を傾げると、菅原が「あー」と心当たりがあるように口を開く。


「裏でめっちゃ男と遊んでるってやつ?」

「そそ」


 篠田が菅原の言葉に頷いた。


「男とっかえひっかえして、一年で同学年の男全員喰ったって噂」

「え、なにそれやば」


 菅原の反応に「いや知ってるんじゃなかったん?」と篠田がツッコむ。


「そこまでは知らなかった」


 菅原が小さく首を横に振った。


「でもさすがに尾ひれつきすぎでしょ。同学年の男って人数三桁いくじゃん」

「翼先輩の容姿だったら不可能じゃないでしょ。けっこう信じてる人も多いんだよ」

「まじか」


 菅原が信じられないという顔をした。ハルはもくもくと三津の作ってくれた弁当を食べながら静かに聞いている。


「ま、私は元々信じてなかったけどさ。望月さんの話聞いてそれが確信に変わった。翼先輩はビッチなんかじゃない!」

「どうせ翼先輩を妬んでる人がテキトーに流したデマでしょーな」


 自信たっぷりに言い切る篠田に菅原が同意する。

 しかし次のハルの言葉に二人は表情を固めた。


「でもあれだけ綺麗な人なら、きちんと付き合ってる恋人はいてもおかしくないよね」

「「………………」」


 数秒の沈黙。

 最初に口を開いたのは菅原だった。


「その可能性は考えてなかった!」

「噂のことしか頭になかったけど、そっか。普通に考えたらいるか……」

「火のないところに煙はたたないって言うしね……」


 菅原と篠田は昼食をとるのも忘れて、真剣な顔で続ける。


「翼先輩の彼氏か。絶対イケメンだろうな」

「増田先輩とか?」

「増田先輩?」


 知らない名前が出てきてハルは首を傾げた。


「サッカー部の三年生だよ。ジャニーズ系のイケメン。この学校の男子じゃ一番モテるんじゃないかな」

「翼先輩と増田先輩か……お似合いだな……」


 腕を組み、つぶやく菅原の表情は渋い。


「なんか残念そうだね」


 ハルが言うと、「いやーなんていうか」と菅原が答える。


「翼先輩の好きを独り占めできるの、シンプルに羨ましすぎない?」

「わかる」


 篠田が菅原の意見に深く頷いた。


「翼先輩はみんなのものであってほしい」

「二人は翼先輩のこと、恋愛感情として好きなの?」


 翼に対する好感度があまりにも高いのでそう感じたハルだが、二人はあっさりと首を横に振った。


「や、恋愛感情ではないかな」

「なんだろ、アイドルのファンみたいな心理?」

「うん、それが一番近いかも」

「そうなんだ」


 アイドルのファンになった経験のないハルにはやはり二人の感情はよくわからなかったが、とりあえず恋愛感情ではないのだなと納得する。


「あー一度考えたら気になってしょうがないな!」


 頭を抱えるような動作のあと、菅原がハルの顔を見た。


「望月さん、いつでもいいからさ。それとなーく翼先輩に聞いてみてよ。『彼氏いますか』って」

「おわ、充希みつきぶっこっむなぁ」

絵梨えりだって気になるでしょ!」

「まあそりゃ気になるけど」


 菅原よりも控えめな篠田だが、その瞳には強い興味が見え隠れしている。


「わかった」


 恋人の有無を聞くくらい別に失礼でも何でもないだろう。翼の人気を改めて感じながらハルは承諾した。


「機会があったら聞いてみるね」

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