第1話 望月ハル

 平日の朝、八時十五分。


「わ、見てみて翼先輩だ!」


 正門を抜け、昇降口へ向かう生徒の視線は前を歩く一人の女子生徒に注がれていた。


「やば、ちょー可愛い……」

「顔知っちゃ! んで脚なっが!」

「あまりにも顔が良すぎる」

「めちゃくちゃモテるんだろーなー」


 中でも一年生の熱は相当なものだった。校内一の美少女と名高い生徒が目の前を歩いているとなれば、夢中になって見つめてしまうのも仕方ないかもしれない。


「あー、俺この高校入ってよかった~‼」

「安心しろ、おまえじゃ一生付き合えないから」

「あ? 付き合いたいなんて一言も言ってねえだろうが」

「目がそう言ってるんだよ」


 男子生徒らがそんなやりとりをしている横で、ちょうど登校していたハルの目にも彼女の姿が映る。


 二年三組・日鷹翼ひだかつばさ


 容姿端麗、成績優秀、品行方正、文武両道、才色兼備──それらの言葉を欲しいままにする、全校生徒の憧れの的だ。


 三人の友人と談笑しながら歩く彼女の容姿にはおよそ欠点らしい欠点が見当たらない。目鼻立ちはもちろんのこと、背中にさらりと流れるクセ一つない髪、日焼けを知らない色白な肌、そしてモデルも顔負けの理想的なスタイルはまるで物語の中から出てきたヒロインのようだ。


 加えて、滲み出る上品さと物腰柔らかな雰囲気が彼女の魅力をより一層高めている。彼女の両親は片や超人気小説家、片や世界を飛び回る女性外交官であり、日鷹翼は紛れもないお嬢様だった。

 見た目よし、性格よし、家柄よし──三拍子揃った彼女に惹かれる人間は性別問わず多いだろう。


「望月さんおはよ!」

「おはよ~」


 後ろから声をかけられてハルは振り向く。すぐ後ろに同じ一年五組の女子がいた。


「おはよう。菅原すがわらさん、篠田しのださん」


 返すハルの声には抑揚がない。表情にも起伏がなく、よく言えばクール、悪く言えば愛想がない印象だが、決して機嫌が悪いとかではなく、これが彼女のデフォルトだった。

 二人はハルを真ん中に挟むようにして横に並ぶ。


「やー朝から翼先輩見れてラッキーだなぁ」

「ほんとそれ」


 昇降口の奥に消える翼の姿を見つめながら二人が言う。


「てかさ、この学校顔面偏差値けっこう高くない?」

「わかる。美男美女地味に多い」

「美女と言えばここにもいるしね」


 菅原は言いながらぽん、とハルの肩に手を置いた。


「望月さんは我がクラスの天使ですからな」

「あたしは翼先輩と良い勝負だと思うんだよね、望月さん」

「間違いない」


 篠田が菅原の言葉に同意する。そして興味津々な目でハルを見てきた。


「ちなみに望月さん、入学してから誰かに告られたりした?」


 篠田の問いに菅原が「いやいや」と手を左右に振る。


「入学してまだ一ヶ月なのにあるわけ──」

「四人かな」

「えぇぇあるの⁉」

「うん」


 ハルの答えに菅原が「ほえー」と信じられないものを見るように目を見開く。


「すごいな。あたしたちとはレベルがちがうわ」

「たちって、さらっと私も含まれててウケるな」

「だってそうじゃん」

「そうだけど」


 幼馴染みだという二人のやりとりは長い付き合いゆえの遠慮のなさが伺えて、まだ知り合って間もないハルにも仲の良さが十分に伝わってくる。

 自分を挟んで展開される二人の会話に、けれどハルは首を傾けた。


「そんなことないと思うけど」

「「え?」」


 同時にハルへ向けられる二つの視線。


「だって、菅原さんも篠田さんも可愛いし」


 淡白なトーンで放たれたそのセリフに、二人の足がピタリと止まった。


「? どうしたの、二人とも」


 隣を歩いていたはずの二人が急に立ち止まるので振り返ってみれば、芝居がかった様子で胸を押さえる彼女らの姿があった。


「いや、攻撃力高いのよ……」

「……その顔でそれは反則」

「中性的美少女かつ感情薄い系天然ジゴロって、属性盛りすぎじゃない……?」


 ぶつぶつと独り言のようにつぶやく二人。

 ふう、と短く息を吐き、立ち直ったかと思えば篠田がハルの両肩をがっと掴んだ。


「望月さん」


 今までにない真剣な表情がハルに向けられる。


「お世辞でも今みたいなことあんま言っちゃだめだよ」

「今みたいなこと?」

「うん。可愛いとかそういうの」

「どうして?」


 なにかまずかっただろうか──そう思いつつ問う。


「勘違いする人がわんさか出てきちゃったら困るでしょ?」


 答えたのは菅原だった。


「勘違い」


 反芻するハルに、ぶんぶんとハルの肩を掴んだままの篠田が首を縦に振った。


「そ。『望月さんって、もしかしてオレ、私のこと好きなんじゃ⁉』ってさ」

「これだけで?」

「これだけで」

「経験あるでしょ。思い返してみ」


 言われて記憶を掘り返すハル。すぐに思い当たる過去がいくつか浮かんできた。


「……ある、かも?」

「でしょー。だからあんまし刺激の強い言葉は言わないよーに」

「わかった」

「よろしい」


 ハルは素直に頷いた。


「あ、でも」

「「?」」


 まったく同じ動きで二人が首を傾げる。


「菅原さんと篠田さんは本当に可愛いと思う。お世辞じゃなくて」


 真顔のまま、ただ思ったことをハルは口にした。

 ぱちぱちと数度瞬きをしたあと、菅原と篠田は無言で互いを見合う。そしてすぐにハルのほうへ向き直った。


「ん?」


 何か言いたげな表情を浮かべ、ハルの右肩に菅原が、左肩に篠田が手を置いた。

 そして、さすがは幼馴染みというべき息の合ったタイミングでまったく同じセリフを言った。


「「だからそういうとこぉ!」」

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